第18話 倒れていた男たち
(実際、役に立てるのかな?)
エーヴァルトには邪魔するなと言われた。
せめて足手まといにならないようにはしないといけない。
リーネは唾を飲みこんでから、人知れず頷き、エーヴァルトに迷惑だけはかけないぞと心に堅く誓った。
迷いなく歩いて行くエーヴァルトの背を見ながら、リーネは歩いて行く。
思えば、ここのところずっと森の中を歩いてばかりだ。ずいぶん足腰が鍛えられた気がする。周囲に頭を巡らせるも、魔物の気配らしきものはない。そもそもリーネには魔物の気配などわからないのだが。
そんなことを考えていると、ふいにエーヴァルトが止まった。リーネも足を止め、体を傾けて、エーヴァルトの視線の先を覗こうとする。
「……?」
遠くで良く見えないが、寒い時期に落ちた枯葉の上に、灰色の何かが三つほど落ちている。
「人だ」
周囲に目を配りながら、近づいてみれば、灰色の何かは、灰色のローブに身を包んだ三人の人間だった。
彼らの背中には顔を背けたくなるような三本の傷跡があり、無残に切り裂かれた衣服から、目を覆いたくなるような赤黒い血が生々しい傷口を隠している。
「っ……‼」
咄嗟にエーヴァルトの背後に隠れるも、彼はさっさとリーネから離れ、倒れている一人の傍らに膝をついた。そして、頭に被っていたローブをはぎ取り、呼吸を確かめる。あとの二人についても同様に確かめた後、青白い顔を背けて立ち尽くすリーネに顔を向けた。
「出番だぞ」
「で、出番……?」
「息はある。傷を治してやれ。俺はこのまま奴らの巣をつつく」
「い、行っちゃうんですかっ⁉」
鮮血に怖気づくリーネに、エーヴァルトは呆れたような視線を向ける。
「そのために来た。お前はここで、こいつらの手当てをしろ」
おもむろに立ち上がると、そのままマントを翻すようにして背を向け、森の奥へと歩き出す。
「で、でもっ……」
呼び止めようとすると、肩越しに振り返った。
「傷を治した後は、これで縛っておけ。身なりは立派だが、盗賊の可能性もある」
言って、正面を向くと、腰に付けていた小さく束ねた縄をリーネに放る。
縄はリーネの足元に無事着地した。
「な、縄……?」
リーネが縄を拾い上げている間に、エーヴァルトは木々に隠れて見えなくなった。
「そんなぁ……」
情けない声が漏れる。
目だけ動かして、気を失って倒れている三人を視界に入れる。赤いものが目に飛び込んできて、思わず目を瞑った。当たり前だが、血のにおいは遮断されない。
血は嫌いだ。血は苦手だ。できれば、目に入れたくはないし、近づきたくない。
けれど——リーネは思い切って瞼を上げ、大きく息を吸い込む。そして、力の抜けた拳をできうる限りの力で握り締める。
ここにいるのはリーネだけだ。傷つき倒れている人間を癒せるのはリーネだけ。それに、傷を負った人をそのまま放っておくことなんてできない。
極力血のにおいを嗅がないように意識しながら、リーネは三人の方に体を向け、意を決して、毅然と彼らと向き合うことに決めた。
エーヴァルトが戻ってきたのは、リーネが三人の傷を癒し終え、縄で縛るべきか思案しているときだった。
彼は、血の滴る大きな麻袋を手から下げ、汗一つかいていないような涼し気な顔で戻ってきた。ただ、顔には若干血しぶきが飛んでいるし、マントも血や土でだいぶ汚れている。
思わず、ひっと息を呑んだ。魔物退治なのだから、当然血は流れる。リーネはそのことを失念していた。あまりの血なまぐささに、直視できない。
そんなリーネが縄を持ってもたもたしているのを見咎め、エーヴァルトは眉を顰める。
「おい、なぜ縛っていない」
「だ、だって、怪我人ですよ? ただでさえ弱ってるのに、縄で縛るなんてこと……」
「甘いな。そんな考えをしていれば、足元を掬われる」
「でもっ! 癒せと言ったのはエーヴァルトさんじゃないですか‼ 悪人だと思うなら、なぜ——」
「奴らの身なりからすると、それなりの身分の者らしい。所持している額もかなりものもだった。ここで恩を売っておけば、今後役立つだろうと踏んだ。それだけだ」
いつの間に彼らの財布を覗いたのか——抜け目ないエーヴァルトに、呆れと感嘆の入り混じるような複雑な感情を抱きながらも、リーネは横たわる三人に目を落とした。
「この人たち、どう運びます? エーヴァルトさん、三人の人を担ぐことはできますか?」
極力エーヴァルトを目に入らないようにして問うと、エーヴァルトは木の根元に麻袋を置いてから、ちょうど椅子代わりになりそうな倒木に腰を下ろす。
「顔に水でもかけたら起きるだろ」
「お、起こす?」
「俺が一気に三人運ぶのは不可能だ。だからといって、人手を借りに戻れば真夜中。夜に森へ入るのは無理だ。そうなれば、弱った体で夜を超すのは厳しいだろう。それ以上に、魔物でなくても獣はいる。起こして、歩かせるのが一番だ。あと少しで日が傾き始める」
確かに、森に入ってずいぶん経つ。出発したのは朝だったが、もう既に夕刻が迫っているのだ。
リーネは三人のうちで一番若い男に近づき、彼の顔の傍で膝をつく。
おそらく十代後半だろうその青年は、灰色の髪を持ち、日に焼けていない白い肌をしていた。あとの二人は二十代半ばの比較的逞しい男で、いかめしく、とっつきにくい顔をしている。起こしたら、横柄な態度で睨まれそうだと感じ、最も穏やかそうな若い青年を選んだのだ。
リーネは彼の頬に手を伸ばす。土がつき、薄汚れた顔には、仲間の血なのか、赤い点が染みのようにこびりついている。一瞬躊躇うが、思い切ってその頬に触れた。熱くもなく、冷たくもない、健康的な体温。それを確認し、軽く頬を叩く。ぺしぺしぺしと、森に音が響く。
「あの、起きてくださいっ」
彼の耳に顔を近づけ、繰り返す。しばらくすると、青年の眉と瞼がぴくぴくと動き始めた。
手ごたえを感じ、リーネは叩く力を少しだけ強くし、掛ける声も心なしか大きくなった。
「もしもーし! 聞こえますかー」
「んっ……うぅ……ん?」
青年は呻いたあと、ゆっくりと瞼を上げた。
髪よりもわずかに濃い鉛色の瞳が、焦点を合わせようと彷徨い、ややしてリーネの顔を捉えた。
「えっと……ここは……あなたは……?」
「ええ、と……ここは森の中です。あなたたちは、魔物に襲われて怪我を負って倒れていたんです」
「ま、もの……」
途切れがちにそう言うと、青年はリーネを眩しそうに見つめた。
「……クリスティーネ?」
「え?」
青年は記憶を探るように、宙の一点を見据え、それから「ああ……」と何かを思い出したかのように、頷いた。目にはしっかりとした光が宿り、どこかぼやけていた意識が、今やはっきりと正常に戻ったようだった。
青年は上体を起こそうと、地面に手をつくが、上手く腕に力が入らないようで、また地面に伏してしまう。リーネは彼に手を貸し、どうにか身を起させた。
それでもすぐ後ろに倒れてしまいそうなので、傍らで、支えるように背中に腕を回す。
「助けていただいたんですね……あとの二人も」
青年はすぐ近くで横たわる二人を労わるように見てから、リーネにまっすぐ目を向けた。
「何とお礼を言ったら良いか……僕は、バーセル侯爵に仕える者です。名は、ヤン。あなた様は?」
問われて、リーネはしばし迷う。逃げてきた身だ。素直に名前を明かしていいものか。
助言を求めて、エーヴァルトを見れば、不機嫌そうに眉を顰めてはいるものの、何も言ってくれない。
聖女の園では、とりあえず死んだことになっているはずで、名前を出して探しているということはないだろう。そう結論付けて、リーネはヤンと名乗った青年と目を合わせる。
「私はリーネと申します。旅の者です。あそこにいる、エーヴァルトさんの仲間で」
ちらりとエーヴァルトを見ると、ヤンも吊られたように倒木に腰を下ろすエーヴァルトに目を向けた。その姿に何かしら合点が行ったらしい。ヤンは顔を引き締め、できる限り居住まいを正す。
「あなたが魔物を退治してくださったのですね。僕はバーゼル侯爵にお仕えするヤンと申します。あなた様は……旅の剣士とお見受けします。もしよろしければ、僕たちの旅に同行していただけませんでしょうか?」
いきなりの仕事の依頼に、リーネが目を丸くしていると、エーヴァルトは腕を組んで、面倒そうに息をつく。
「で、仕事内容は?」
「バーゼル領ランツヴェーダー城までの護衛です」
「わかった」
「えっ⁉ 受けるんです⁉」
思わぬ展開に、リーネが大声を上げると、エーヴァルトは眉を顰め、ヤンは驚いたように目を瞬かせる。
「こ、こんなに簡単に——」
エルベ村の村長からの依頼を終えたばかりだというのに、しかもまだ正式には終わっていないというのに、依頼を受けるとはどういうことだろう。ヤンから詳しい事情は何も聞いていない。
信じられないと目を見張るリーネを無視し、エーヴァルトは立ち上がった。
「そうと決まれば、仲間を起こしてくれ。じきに日が暮れる」
それから何とか二人を起こし、傷は治ったものの、まだダメージのある三人を気遣いながら、刻一刻と暮れていく陽に、内心焦りつつ、リーネ達はエルベ村を目指した。
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