第34話 魔王とクリスティーネ

 そのあと、ラインハルトと入れ替わるようにやって来たのが、銀髪に赤い瞳を持つお人形のようなエラという同年代の少女だった。可愛らしい顔立ちなのだが、常に無表情で、言葉を紡ぐときさえ口をわずかに動かすのみ。抑揚なく、淡々とした話し方だった。てきぱきと、入浴や食事、衣服などを用意してくれた。

 

 エラに聞いたところ、リーネを連れてきたのはラインハルトの配下の魔物らしい。

就寝までの準備を整えると、彼女は部屋を辞した。

それからしばらくして、再びラインハルトが訪れたのだ。


「あの、いろいろと聞きたいことが……」


 昼間に聞いた言葉が頭を離れず、開口一番そう言うと、彼は優しく微笑み、寝台の縁に優雅な仕草で腰を下ろした。そして、突っ立っていたリーネを、自分の横に座るよう促した。わずかに躊躇しつつも、少し間を空けて腰を下ろす。


「千年前、君と離れ離れになった時、心に決めた。次に出会うときは、絶対にその手を放さない、この腕に抱き締めて、片時も離れないと」

 

 言いながら、ラインハルトはリーネの手を取り、握り締める。

 その冷たさにどきりとしながら、ラインハルトの横顔を見て、なぜか胸が疼く。

 千年前——ラインハルトは幾度も口にする言葉。

 言葉にしてしまえば一言だが、その年月を思えば、途方もない長い時間だ。

 千年間も、彼はクリスティーネを想い続けて生きてきたのか。

 異次元に飛ばされても、また戻って来るほどに。


「あなたは——いつこの世界に戻って来たんですか?」


 ラインハルトはリーネに顔を向け、少し驚いたように目を瞬かせる。だが、すぐに一人納得したように頷き、軽く笑った。


「すまない。もしかしたら、君は思い違いをしているかもしれない。説明が足りていなかった。私は確かに、千年前にこの世界に君臨した魔王と呼ばれた男と姿形はほぼ等しい。けれど、同一ではないんだ」


「どういうことですか?」


「私は、かつて存在した魔王が、異次元世界に飛ばされる前に残した種子だ。彼の記憶や意思を継ぐ者で、彼自身であるともいえるが、彼の息子だとも言える。私が目覚めたのは、つい先日だ。この城の中で目を覚ました。千年もの間、私はずっと深い眠りの中で、目覚める日を待っていたんだ」


 リーネは絶句した。

 では、彼は千年間にこの世を支配した魔王とは別人ということではないか。

 拍子抜けしたような気持になって、リーネは身体から力が抜ける。

 隣のラインハルトは訝し気にリーネの顔を覗き込んだ。

 間近にラインハルトの整った顔があって、リーネは慌てて身を引き、とっさに俯く。


「少し驚いただけです」


「私が本物のラインハルトではないから?」


 握られた手の力が弛んだかと思うと、寂しそうに問われたので、リーネは顔を上げた。

 眉を寄せ、泣き笑いのような微笑みを浮かべているラインハルトがいた。

 ずきりと胸が痛む。リーネは否定するように、大きく首を振った。


「本物とか本物じゃないとか、そんなこと考えていません! そもそも、私だって、クリスティーネじゃないですし!」


 突然自分を誘拐し、魔王城なる不気味な場所に閉じ込めている身勝手な誘拐犯なのだが、だからといって、傷つけたいわけではない。悲しい顔をしてほしくはない。なぜだか、強くそう思った。

 勢い込んで捲し立てると、ラインハルトは一瞬気圧されたようだったが、すぐにふっと表情を和らげた。そして、口元に軽く握った手を当て、ふふっと笑う。


「器は違うかもしれないが、君の本質はクリスティーネだ。どんなに姿が違かろうが、私にはわかる」


 憂いが消えたラインハルトの顔を見て、ほっと肩の力を抜いた。


「でも……どんなに言われても、信じられません。クリスティーネって、とてつもない力を持つ聖女様だったんでしょう? しかも、とても美しい姿をしていたと、言い伝えられています。私には、強大な力もないし、ごくごく平凡な容貌です。だから、やっぱり——」


 私はクリスティーネじゃありませんと口にする前に、ラインハルトが口を開いた。


「クリスティーネは金色の髪に、緑の目を持っていた。君と同じだ。だが、確かに……」


 ラインハルトは一旦口を噤んで、リーネに優し気な眼差しを向けた。

 小首を傾げ、続きを促すようにその黒い瞳を見つめる。


「輪郭が違う」


 そう言って、リーネの顔に手を伸ばし、その頬から顎にかけてなぞるように触れる。

 ぞわっとして、リーネの肌が粟立つ。


「耳の形も、頬のふくらみも、鼻の高さも」


 ラインハルトは口にした部位を、順に繊細な指先でなぞる。

 リーネは身を引こうとして、けれどそれができなかった。視線を絡めた瞳が、少しでも動こうとすると、哀し気に揺れるからだ。リーネは人形にでもなったような気になって、黙って顔を撫でまわされていた。


 顔に血が上り、体中がかっと熱くなる。心臓も早鐘を打つ。

 それでも、視線を逸らすことさえできない。


「唇も」


 ラインハルトの親指が、壊れ物を扱うかのような仕草でそっと唇をなぞる。

 びくりと肩を揺らすと、束の間、ラインハルトの指が止まり、リーネの怯えたような瞳を見ると、諦めたように手を下ろした。そして、わずかに肩を竦めると、目を瞑ってからふっと笑った。まるで眼裏に、クリスティーネの姿を思い描いているようだった。


「言われれば、顔の造詣はまるで違う。けれど、そんなことは些細な問題だ。君の心は、変わらない。私の愛した、クリスティーネそのものだ。それに」


 ぱちりと目を開け、リーネを見る。


「君も十分可愛らしい」


 にこりと微笑まれ、リーネはどきりとしつつ、苦笑する。

 何だか、取って付けたようなお世辞だ。


(きっと、クリスティーネとは比べるまでもないんだろうなぁ)


 まだ収まっていない心臓を持て余しながら、リーネはふいに姉のレーナを思い出した。


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