第53話「雛鳥は巨獣に挑む(後編)」

”「たった6人で甲蟲に挑んでいる英雄を助けにいく」なんて脳筋の軍曹が言い出したわけよ。嫌だったけど、薄暗い中助けに行ったさ。それで待っていたのがあの6人の悪魔だぜ? あんなの放っておきゃあ良かったんだよ。あいつら殺しても死なないから”


ラーナル基地駐留部隊の上等兵の日記より。




Starring:南部隼人


 パニックは最高潮に達した。


「君もう軽はずみな事は言うな!」

「いや知らねぇって!」


 甲蟲の上から投げ出され、ジャン・スターリングとコンラート・アウデンリートは下らない怒鳴り合いを始めた。完全に現実逃避である。


「け、拳銃を!」


 上擦った声と共に、南部隼人は拳銃を引き抜こうとする。ホルスターに引っかかって上手く抜けない。

 エーリカ・ダバートとマリア・オールディントンがこちらに走るが、来るなと叫ぶ。弾丸を使いつくした2人がやってきても、甲蟲の餌食だ。


 一番早く立ち直ったヴィクトル・神馬が小銃を構えるが、もう弾など無い。銃身を掴んで肩当てストックで殴り掛かる。そして跳ね飛ばされた。


 あお向けに転んだヴィクトルに覆いかぶさる甲蟲。

 ようやく抜けた拳銃を撃ち込んでも、案の定外殻が硬くて傷ひとつつかない。身体魔法は魔晶石が足りなくて回復してもらっていない。

 ジャンとコンラートが羽を掴んで引っ張る。こちらも何の意味もなく、羽の振動で跳ね飛ばされる。


 何とか! 何とかしないと!

 このままでは駄目だ。自分はきっとパニックを起こしてこいつに殴り掛かる。それは無意味だ。


 そこで、ヴィクトルが開けた銃口が目に入った。弾はまだ残っている。隼人は迷わず甲蟲にとびかかり、傷口に拳銃を押しあてた。


 弾けるねずみ花火花火のように、慎ましい炸裂音がする。甲蟲は電撃が走ったように、背をのけぞらせた。

 ヴィクトルが甲蟲の下から転がり出す。


「全員! 伏せろ!」


 聞き慣れた声がした。

 拳銃とは違う、重厚な大音響。それが何十回も鳴り響いた。

 次に見たのは、穴だらけになった甲蟲が崩れ落ちる音だった。


「約束通り間に合わせたぞ」


 小銃を肩から外すジル・ボードレール教官を見た時、彼女の姿に幻影を見た。あれだけ待ち望んで来なかった救援が、やっと来たのが信じられないと言う意味で。


 疑念はすぐ晴れた。彼女が連れてきた歩兵10名分隊の兵士が自分達を助け起こしてくれたのだ。マリアとエーリカは、エルヴィラ・メレフら先輩達が見てくれている。


「ほらよ」


 隼人はぶっきらぼうに差し出された手を取り、見上げる。そこには見知った顔が居た。


「あっ! 上等兵さん!」

「上等兵言うな! このクソガキどもが! お前らのせいで兵長に昇進したわ!」


 トーマス・ナカムラ上等兵もとい兵長は、隼人たちを見下ろしている。嫌悪感一杯の顔で。


「ナカムラぁ! 救助者を罵倒するんじゃねぇ」

「ぷげえ!」


 後ろからやってきた分隊長の軍曹が、上等兵、もとい兵長の顔面に拳を叩きこんで去って行く。甲蟲の検分に行くようだ。


「チクショウ。いつか殺してやる」


 鼻血を垂らしながら、ぶつぶつ何か言っている兵長。その肩に、ヴィクトルがポンと手を置いた。


「それは良かったな。もう1回出世すれば、俺たちと同格だ。頑張れよ」

「冗談じゃねぇ! お前らなんかともう二度と会わんわ!」


 二度ある事は三度ある気がする。

 どうやら彼はヴィクトルの玩具に決定したようだ。可哀想に。まあ、彼の事だから理不尽な私的制裁虐めはやらないだろう。


 やってきたジル教官が状況を教えてくれる。


「救助者は、先遣隊が持って来たテントと食事の配給を受けているとの事だ。本来ならすぐ下山させてやりたいが、じき暗くなるからな」


 ヴィクトルが前のめりで尋ねる。一番重要な質問だ。


「死者や負傷者は出ましたか?」


 隼人もそこが最も気になる。救助者の無事こそ、自分たちが命をかけた証拠なのだから。


「第7区隊で救助した遭難者は全員無事だ。候補生は治癒魔法が足りないから、応急処置を受けているそうだ。他の区隊の情報は今のところ分からんが、信じるしかないな」


 他区隊の状況は気になるが、とりあえず一息ついても良さそうだ。


「だが、とりあえずは……」


 ジル教官は前置きしてから、にやりと笑った。


「良くやった。上出来だ」


 レックレス6たちは、お互いの顔を見合わせた。やっぱり夢を見ているのだろうか?

 あの・・ジル教官が「良くやった」などと言う言葉を自分達にかけた。目の前の女性は山に棲む妖怪か何かでは?

 と思ったが。


「何を呆けている。胸を張らんか」


 続く激励の言葉に、ようやく今の状況が夢でないと知る。気が付いたら鼻をすすっていた。


 自分達は成し遂げた。自分たちは生きている。


 エーリカとマリアは、お互いにもらい泣きし合っている。ヴィクトルは彼らしくなく毒気が抜けている様子。ジャンは小さく嗚咽を漏らし、コンラートは完全に脱力している。


 自分達は士官候補生。慢心も怠惰も、弱みを見せる事すら許されない。

 だけど、今日くらいは自分を褒めまくってもいいのではないか。


 だから6人は、自身のうれし泣きを止めなかったし、教官もそれをたしなめなかった。


「さて、本部に戻るぞ。お前たちはテントで一晩休憩を取れ。山の夜は夏でも冷える」


 ジル教官の宣言は、全てが終わった事を示していた。




 本部に戻った時、彼らを出迎えたのは、候補生たちの敬礼。そして救助者たちは心からの拍手を送った。

 続いて救助隊の面々も、続いて敬礼した。


「お帰りなさい。お疲れ様でしたわ」


 オクタヴィア・フェルナーラがねぎらいの言葉をかけた。昨日までなら絶対に発せられる事はなかった言葉だ。

 ナタリア・コルネが、カナデ・ロズベルクが、マシュー・ベックが。傷つきながらも敬礼する彼らを見て、隼人は誰一人欠けたることなく、この試練を乗り越えたと悟った。


「今まで済まなかった。俺は貴様らと共に戦えたことを誇りに思う」


 ランディ・アッケルマンの言葉に、わっと歓声が上がる。


 苦難の1日は終わった。きっとこの事件は多くの死者を出した。それに比べて救い出した人数は30人に満たない。命を懸けた代償が、それだけ。

 だが、それでも多くの人生が救われた。救ったのだ。


 だから、ジャンスターリングは答礼し、宣言した。


「これから僕たちは、7区隊だ!」


 歓声が上がった。

 これからも、士官学校では死ぬ思いをさせられる。それは想像するまでも無かった。でも昨日までよりはマシな日々になる。そんな確信があった。

 ジル教官がパンと手を叩く、そしていつもより柔らかい口調で言った。


「さあ、貴様らは休め。テントと寝袋シュラフはちゃんと人数分ある」


 テント! 休める! 候補生たちはそれだけの事実に半泣きだった。やっと人権を獲得できた思いだ。

 そして明日はシャバに戻れる。ここまでやったのだ。士官学校は特別休暇くらいくれても罰は当たらないはず。


 寝るぞ! 目が腐るまで寝るぞ!

 そして教官は、言葉を続ける。


明日から・・・・の救助活動は、メレフ候補生の指示を受けろ」

「……えっ?」


 その宣言に、涙など吹き飛んでいた。全員が呆然としている。

 恐る恐るオクタヴィアが尋ねる。いつも漂わせている気位きぐらいの高さは、微塵も見せず。


「あの、教官。わたくしたちの任務は救助隊に引き継がれるのでは……?」


 教官は笑った。何だそんな事かとでも言いたげに。


「救助隊はまだ先遣部隊しか到着していない。我々が仕事を終えるのは本隊の到着後だな」


 全員が休暇の妄想を取り上げられ、引き攣った笑みを浮かべた。

 しかし、手が足りないなら仕方がない。軍人は民間人の命こそ、最も貴ぶべきなのだ。そもそも、本物の戦場なら四の五の言ってはいられない。

 彼らは、士官としての本分を思い出し、緩やかに弛緩した神経を再び張り詰めたものに戻そうとした。戻そうとしたのだ。


 ここまでは。


 エルヴィラが言う。全く余裕を崩さずに。


「さあ諸君、明日からも元気に救助活動をしようではないか。差し当たって、昨日の巨大地竜でも狩りに行こう」

「……は?」


 素が出てしまったランディまでもが、きわどい反応をする。何故か機嫌が良いエルヴィラは見逃してくれたが。


「上空を偵察中のワイバーンが同じような個体をもう2匹見つけたのだ。これは多すぎるし、遭難者が襲われかねないから、1匹間引く事にした。標本も欲しいそうだからね」


 隼人ら6人の背中に冷たいものが走る。つまり、自分達にあれとやり合えと言う事か。

 他の連中も似たようなものだ。普通サイズの地竜にあれだけ苦労したのに。さらにでかいやつと戦えとかあんまりだ。

 そもそも何でそんな役割がこちらに回って来るのか。


「地上で奴を補足するには探知魔法が要る。オールディントン以外適任者はいない。彼女を支援できるのは貴様らが最適だ」


 説明を引き継いだハインツ・ダバートは、「買い出しをするなら買い物袋が要るな」とでもいうようなトーンで言ってのけた。

 そして付け加える。


「……このくらいで音を上げるなよ。俺たちは士官候補生だ」


 崩れかけたメンタルに止めを刺さされる。ジル教官を以てやっと戦えた巨大地竜と、明日戦わねばならない事実に。それも甲蟲と戦った連戦で。

 マシューは「ひっ!」と悲鳴を上げ、ナタリアですら天を仰いだ。


 戦う覚悟はあるが、これはひどい。


「心配しないでくれたまえ。明日は小銃も十分な数を持ち込む。普通の地竜をぞろぞろ引き連れてでもいなければ負けることは無いよ」


 自信満々のエルヴィラ。エーリカが濁った目で手を上げる。


「もしぞろぞろ引き連れていたら?」


 エルヴィラは微笑むと、爽やかに言った。


「さあ、テントに入って休もうか」


 ええ、分かっていますとも。人命優先。自分達は無理をしてでもその人命をお助けする人を目指している。そこに何の曇りもない。

 だけど……だけど今回ばかりは思ってしまう。


 俺たち今度こそ、死ぬんじゃないか?




 翌日、彼ら7区隊は巨大地竜に挑んだ。

 やっとのことで手傷を負わせたものの、10体の地竜に追いかけまわされる羽目になる。候補生たちは死を覚悟した。


 ところが茂みに隠蔽されていた〔96式軽機関銃きゅーろくけいき〕が火を噴いた。哀れ地竜どもはハチの巣にされる。

 狩るなどと言いつつ、機関銃まで地竜をおびき寄せるえさにされたとすぐに気づいた。初めから倒す必要など無かったわけだ。完全に騙されて脅かされたわけである。

 合流したジル教官は言った。


「甲蟲1匹を倒して浮かれているようだったから、喝を入れてやった」


 一同は唖然とし、泣きたくなった。昨日とは別の理由で。


 その時機関銃で支援してくれた分隊から、打撃音が聞こえる。相変わらず態度の悪いナカムラを、軍曹が殴り飛ばしたようだ。どんな理由か知らないが。

 期せずしてナカムラが発した悲鳴は、ある意味候補生たちの心情を代弁するものだった。それは――。


「チクショウ! いつか殺してやる!」




――第二章 完

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雛鳥たちの航跡雲 ~王立空軍物語第2部~ 萩原 優 @hagiwara-royal

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