第52話「雛鳥は巨獣に挑む(中編)」

”マジやばかった。ほんとやばかった”


救出されたコンラート・アウデンリート候補生のインタビュー




Starring:南部隼人


 〔38式歩兵銃〕に装填された、無煙火薬が弾けた。目標は4枚ある羽のうち、右の1枚目。

 1発目は右に逸れ、広く薄い羽に小さな穴を開けただけだった。


 甲蟲がこちらに頭を向ける。


 2発目。

 今度は羽の付け根に見事命中した。巨大な羽根ははらはらと舞い。地面に落ちた。


 甲蟲が、吠えた。


「今です! カンテラを付けて下さい!」


 マリア・オールディントンの指示で、照明が点火される。


 甲蟲とは言え虫だ。虫であるならば光には反応する筈だ。

 カンテラを掲げたジャン・スターリングは、挑発するようにそれを振り回す。


「よし! こっちだ!」


 甲蟲は起き上がり、きしゃあと悲鳴のような低い声を吐き出し、ジャンに突進しようとする。


 実は、ジャンと甲蟲の間には、ロープとペグで固定した2本の木がある。これに突っ込めば、拘束は出来ないまでも転倒くらいはさせられるだろう。

 待機しているヴィクトル・神馬が、そこに止めを刺す。なかなかに投機性の高い作戦だったが、何の備えも無く囮をやるよりはマシである。


 甲蟲はどんどんジャンに迫っていく。


「よし、いいぞ!」


 無意識に叫んでしまう隼人。他のメンバーも固唾をのんでジャンと甲蟲を見つめる。


 だが、好事魔多しと言う。

 甲蟲はぴたりと動きを止め前傾姿勢をとる。


 誰かが言った。まさか、と。


 きいいいいいいいいいいい!


 耳障りな金切り声を上げて、折りたたまれた三枚の翼が真っすぐに広がる。そしてそれは、激しく振動を始めた。


「ジャン! 逃げろ!」


 隼人の叫びがジャンに通じたかは分からない。彼は頭を抱えて走り出す。

 同じく頭を抱えたエーリカ・ダバートが、茂みに飛び込み、誰に聞かせるでもなく大声を出した。


「羽三枚でも飛べるの!? 反則じゃない!」

「そんなこと、俺が知るか!」


 答えるコンラート・アウデンリートもすっかり余裕を失っている。

 彼らはダンゴムシのように茂みを這っていた。


 だが流石に自在に飛び回る、と言うわけにはいかなかったようだ。甲蟲は跳ね、羽ばたくが、すぐにバランスを崩して林に突っ込んだ。

 そして再び飛び上がり、地面に激突。


 ちょうど真下にいたマリアが間一髪でこれをかわし、泣き叫びながらこちらに走って来る。これでは猛獣ではなく爆撃機と戦うようなものだ。


 小銃ライフルを抱えて走るヴィクトルは、彼らしくなくとビクリと体を震わせたのが見えた。着地に失敗した甲蟲が彼めがけて滑り込んできたからだ。身を投げ出して回避するが、震えは止まらない。取り繕う余裕などない。再び走り出すが、その足取りは固い。

 もっとも、それを責める事は誰にもできないし、そもそも隼人もさっきからずっと震えている。むしろヴィクトルでさえ震えるのだから、自分もしょうがないと安心してすらいる。


 三度飛翔、墜落した目の前にはジャン・スターリングが居た。彼は息をのんで拳銃を抜くが、そんなものは何の役にも立たない。

 金切り声で恫喝され、拳銃を放り出してその場に倒れ込んだ。


「じょ、冗談じゃない! こんなのどうやって倒すんだよ!」


 正規軍が戦う時は、恐らく小銃や機関銃の一斉射撃でねじ伏せるのだろう。

 生憎とこちらの火力は小銃1挺と弾3発のみだが。


 口には出さなかったが、皆頭をよぎっていた。

 教官や先輩はいつ来るんだ、と。


 だが、まだ終わりではない。


「隼人! まだか!? こっちは十分引き付けたんだけど!?」


 ジャンの悲鳴に似た叫びは甲蟲の咆哮に隠れ、隼人には届かなかった。しかし期せずして彼の方でも反撃の準備が完了していた。


「マリア、やってくれ!」

「はい兄さん!」


 隼人の指示で、配置についたマリアがマッチを取り出す。

 手が震えて火が付かない。2回、3回と繰り返してやっと小さな光が灯る。彼女はそれを、足元に放り投げた。たちまち炎が上がる。


 彼女は、枯れ木を集めてカンテラの予備油をふりかけておいたのだ。誰かが窮地に陥った時、火をつける事で甲蟲を引き離せるのではないか。そんな淡い期待によるものだ。


 だが、甲蟲は微塵も反応しない。それどころか尻もちをついて後退するジャン。甲蟲が這ってそれを追う。

 万事休す! 隼人は拳銃を手にし、ジャン救出に飛び出した。同じ事を考えたのか、反対側からコンラートも走って来た。

 だが、地竜すら殺せない拳銃では、甲蟲を倒すのは無理だ。


 その時、マシンガンのような炸裂音が背後で鳴り響いた。訓練時の習慣で、隼人たちは素早く地面に身を伏せる。


 息を殺して頭を上げると、振り返る甲蟲が見えた。

 いままで全く反応しなかったのが、目の色が変わったようだ。軍の戦闘機と戦って、機関銃の恐ろしさを知っているのかも知れない。


 焚火の方を見ると、マリアとエーリカが何かを放り込んでいた。それが焚火に飛び込むと、炸裂音が響き渡る。

 そこまで目撃して、隼人はやっとその正体に気付いた。使い道の無かった拳銃弾だ。弾丸を火にくべると装薬に引火してぱんぱんとはじける音がする。

 何処まで意識したかは分からないが、2人の完全なるファインプレーだった。


 だが、今度は2人が甲蟲の標的になる番だった。こいつもコツを覚えたらしい。飛行は出来なくても、ジャンプぐらいはできるようになっていた。

 2人はバラバラの方向に走り出す。甲蟲が標的にしたのはマリアだった。当然ながら武器は無い。


「しゃー!」


 白い物体が甲蟲の前に立ちふさがった。竜神の使い、白竜のパフである。


「駄目です! 逃げなさい!」


 マリアの叫びは白竜に届かない。

 甲蟲が羽を広げ、顎を開いた。


「しゃー!」


 次の瞬間、戦場が照らされた。

 光源の正体は、幼竜とは思えない熱量。パフが吐き出したブレスだった。それは甲蟲を焼き尽くすほどの力は無かったが、脚を止めさせることには成功した。


 きしゃあ!

 甲蟲が顎をがちがちと動かし、標的をパフに変えた。

 走り出そうとするエーリカを、マリアが羽交い絞めにして止める。


 パフは甲蟲を睨みつけ、そこを動かない。

 攻撃本能が幼竜を噛み砕く瞬間、パフは闘牛士のように身をかわした。甲蟲がつんのめる。


 その先に待っていたのは、準備万端の狙撃手。レックレス6が誇る頑固者だった。


 重低音の銃声が響き渡る。




 精も根も尽き果てた。というのが、南部隼人の正直な感想である。今回はやばかった。うそぶき山の時はこんなに連戦では無かったし、市内を暴走した時は逃げる相手を追っただけだ。今日のように連戦に次ぐ連戦は初めてだ。


 そのまま使う事にした焚火の横では、マリアとエーリカがパフを叱りつけていた。勿論先程の無謀についてだが。

 しっぽが垂れさがり、かなり落ち込んでいる様子。最後に2人から抱きしめられて、嬉しそうに鳴いているが。


 しかし、ブレスなんぞ、いつの間に吐けるようになったんだろう。あのサイズの竜では普通無理だ。竜神が関わっているのだろうが、とりあえず皆には口止めしないと。


 それだけ考えて、ヴィクトル達と合流する事にした。死骸の検分の為である。

 甲蟲の残骸を前にしても、もうあの日の悔しさがフラッシュバックすることはなかった。


 一方、報告するヴィクトルはどことなく無念そうだ。


「胸に1発、腹に1発。もう1発は外した」


 さっき撃ち落とした羽を合わせれば外した弾は2発。5発中3発命中は十分驚異的だ。

 ヴィクトルのそれが感染したか、隼人も少々自虐的になる。


「結局俺役に立たなかったな。最後はエーリカとマリアが機転を利かしたのと、パフのブレスが活躍したからだし」


 失礼な事に、コンラートとジャンが笑い出した。むっとする前に戸惑ってしまう。

 ジャンが愉快そうに言う。


「さっき僕がコンラートに言われた事をそのまま君にもあげるよ。ドス小刀を持って突っ込むのが君の仕事じゃないだろう?」


 それもそうである。人のふり見て何とやらだ。同じ間違いをやらかしちゃ目も当てられない。


「しかし、デカいなぁ。こんな奴、何処から来るんだろ?」


 コンラートの疑問は未だ答える者がいない。甲蟲の来襲はここ数年で記録が増大しているが、未だに何処から出現するのかも分かっていないのだ。友邦にして異教のブリディス都市同盟では、悪神デッサが異界から召喚している、などと噂されているそうだ。


「まあ、軍も防空体制を見直すだろうから、こいつに怯えるのはこれが最後だな」


 がはは、と笑うコンラートに一同は嫌な顔をする。

 最近こいつが「大丈夫」と言うと、全然大丈夫じゃないのだ。


 その時ぐらりと、視界が歪んだ。

 斜めに傾く風景に暫く呆然とし、そして気付いた。手負いの甲蟲が起き上がった事に。

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