第51話「雛鳥は巨獣に挑む(前編)」
”私の人生で、あれが最初の修羅場だった。5人の同志がいなければこの原稿は日の目を見なかっただろう。それはそれとして、「彼らと一緒にいると常にこんな目に遭う」と薄々感じ始めたのもこの時であった”
コンラート・アウデンリート『士官学校始末記』より
Starring:南部隼人
大人の腰ほどもある
南部隼人だ。
「いたぞ」
後ろを振り返り小声で警告する。彼の肩越しに”巣”をのぞき込んだのはジャン・スターリングだ。
彼は一通り目の前の光景を確かめる。
30mほど先に、奴はいた。
こちらに背を向けて甲蟲はいた。
巣の主は、一心不乱に何かを咀嚼している。それが何なのか。考えたくもなかった。
ジャンは息をのみ、マリア・オールディントンに問うた。
「他に脅威は?」
「ありません」
南部隼人は胸を撫でおろす。こいつみたいのが何匹もいたら、絶対に対処できない。ジャンはマリアに指示を出す。
「もう探知魔法は止めていいよ」
「了解、今止めました」
本当は使いっぱなしにしたかったが、義妹の疲労も考えねばならない。それに怪我人が出た時、魔力が足りずに治癒魔法が使えませんでしたでは目も当てられない。
さて、どうするか?
隼人が思案を始めた時、それは起こった。
がりがりと音を立てて
人間の腕。恐らく子供の……。
隼人の視界が、ぐにゃりと歪んでゆく。
『どうだ隼人、凄いだろう?』
あの日、彼は大空に居た。気球技師の父は「特別だぞ?」。そう言って、自分を生まれて初めて空の旅に連れ出してくれた。
青くて、高くて、風が冷たくて。頭がぐしゃぐしゃして、出てくる言葉は「凄い!」だけだった。このまま雲を突き抜けて、竜神様に会いに行けるんじゃないか。一緒に飛べるんじゃないか。
『父さん、俺決めたよ! 空を飛ぶ! もっと高い所を、もっともっと速く飛ぶんだ!』
父は、そんな息子に苦笑する。
『血は争えんな』
そう言って、隼人の頭をぐりぐりと力強く撫でてくれた。それが南部隼人の始まりの物語。そして厄災の前日。
翌日、彼の父は甲蟲に食われた。
拳銃に手をかけ、立ち上がろうとしてマリアに抑え込まれる。状況を察したジャンが彼を押し倒した。
「兄さん、気持ちは分かります。でも、今する事はそれじゃないでしょう」
隼人は、地面に頭を付けたまま頬を土に擦り付け、頷いた。
「……すまん。もう大丈夫だから、放してくれ」
ジャンは頷いて、拘束を解く。隼人は自分自身に落胆し、謝罪した。
「どういう事だ?」
事情を知らないヴィクトル・神馬とコンラート・アウデンリートは、遠慮がちに聞いてきた。これから共に戦う以上、説明を求めざるを得なかったのだろう。
エーリカが割って入り、代わりに説明した。
「緊急事態だから、私が言うけど。隼人は、お父さんを甲蟲に殺されたの」
これは、流石の2人も言葉を失った。ヴィクトルは呆れ、というより半分感嘆した様子で息を吐いた。
「貴様、そんなものを抱えて、よく今まで甲蟲と戦ってこれたな」
気分が落ち着いてきて、隼人もようやくへへっと笑う事ができた。
「あいつがばら撒く被害を食い止められたら、それが復讐になると思ったんだ」
皆が言葉を失う中、憎まれ役を買って出たのはヴィクトルだった。
「気持ちは分かったが、自分を見失うのはやめろ。貴様が倒れたら連携に大穴が開く」
隼人はその心遣いに、一切の言いわけなく詫びた。
「……分かった。気を付ける」
先程は取り乱したが、恐らくだが精神へのダメージはさほどない。仲間たちも隼人の様子に胸を撫で下ろした。
甲蟲がこちらに気付いていないのを確認して、一同は会議を再開する。いつも通りに戻った隼人に、コンラートが問うた。
「それで、何かアイデアはあるかい?」
そう、こういう大変な状況を無理矢理何とかする。その方法を考えるのが自分の役割である。そう簡単にそんなものが見つかるかどうか。その問題に目をつむればであるが。
「とりあえずなんだが、羽を潰さないか? 奴が飛べ無くなれば、最悪犠牲者は俺たちだけで済むかも」
我ながら嫌な言い方だったが、民間人を優先にするなら悪い考え方では無いと思う。ジャンもその意図を察して、小銃手のヴィクトルに尋ねる。
「付け根を狙って、奴の羽を落とせるかい?」
ここで仕損じれば、5発しかない弾丸を空費する事になる。そうならない為には、ヴィクトルの射撃技術が必須だった。
きつい要求だと思ったが、彼は何でもないように頷いた。
「春の時よりは楽だな」
確かに、前回は飛び回る敵を狙ったが、今回は止まった標的で、距離も大したことは無い。ジャンは満足げに頷く。
後の問題は、甲蟲にどうやって正面を向けさせるかだ。おそらく奴は、羽を傷つけられて暴れ回る。長考する隼人を前にして、ジャンが胸を張って宣言した。
「僕が囮になろう。奴の向きを変えさせるから、そこを撃ってくれ」
「えっ?」
思わずと言った体で、エーリカが間抜けな声を上げた。それもその筈、甲蟲はトラックサイズの巨大な生き物である。しかも時速200kmで飛び回るのだ。人間の鈍足で近づくのは自殺行為である。
それに気づかないジャンではないと思うのだが……。
「お前どうした? 本部の守りを担当してから変だぞ? 急に自殺願望にでも目覚めたか?」
窘めるコンラートの口調こそおどけていたが、厳しい叱責をはらんでいた。確かに、ここ数刻のジャンはやたら前に出たがる印象だ。リーダーがこの状態では不味い。先程の醜態があるから、自分が言えた義理ではないが。
それをフォローしたのは、意外にもヴィクトルだった。
「まあ、
ジャンは悔しそうに頭を掻く。
「悪かった。気を付けるよ」
それだけ言って、この話題を切り上げる。皆もこれ以上責める事はしない。彼は何か思いついた様子で、全員に問いかけた。
「みんな、装備品は何持ってる?」
そう言えばそれをやっていなかった。誰かが何か使えるものを持っていれば、上手い方法を思いつくかもしれない。
コンラートが早速名乗りを上げる。
「俺、テント用のロープと固定用のペグ」
「何でそんなものを?」
マリアの疑問ももっともで、テント無しで固定用の器具だけあってもしょうがない。
「ほら、罠に使えんかと思ってな。地竜の脚をひっかけたり」
ペグは地面に刺してロープを引っかける事でテントを固定する器具だが、確かに地竜には使えそうだ。ただ、目の前のモンスターは巨体をホバリングさせる規格外の生物である。足を引っかける方法があるか、そもそも引っかかるのか、引っかかって転ぶのかも分からない。
続いて、エーリカが手を上げた。
「私、
時間はもう
ここで甲蟲相手に使ってしまったら、暗闇の中で朝を待つ事になるが、夜の山の気温は体温よりずっと低い事がある。テントも寝袋も無しにここで夜明かしはやりたくない。
それから集まったのは、糖分補給用の飴玉やら獣除けの鈴やら地図とコンパスやら。戦闘に役に立たない物ばかり出てくる。どれも山行には必要な物であるが。
芳しくない成果に
「行けるかも」
「え? これだけで行けるんですか!?」
マリアは今度ばかりは嘘だろうと言いたげだが、コンラートはフォローしてくれた。
「ま、隼人が言うなら大丈夫じゃね?」
無責任な擁護に眉をひそめた彼女も、抗議を引っ込める。他にアイデアが無いのだからと思い至ったのだろう。
「いつも通りの運任せだけどな」
南部隼人は苦笑しつつジャンに向き直り、肩を叩いた。
「囮をやる気、まだあるか?」
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