第48話「教官の帰還」

”この頃になると、彼女は情が深い人間だと言う事は分かって来る。ただ、ひとたびそれが怒りに変わるとああなるとは、俺も皆も思っても居なかったな”


コンラート・アウデンリート著『士官学校始末記』より ヴィクトル・神馬のインタビュー



Starring:ジル・ボードレール


コンベイ山、ストーブ岩広場。


 救助者を背中にしょって崖を這い上がったジル・ボードレールは、我が目を疑った。眼前には難民キャンプもかくやと言う惨状が展開されていたのだ。


「なんだ! このザマは!」


 怒鳴りつけたのは、防戦の指揮に当たっていたジャン・スターリングに対してだったのは、多少大人げなかったかもしれない。

 あまりの剣幕に、青ざめて体を固くするジャン。2人の間に割って入ったエルヴィラ・メレフが直立不動で申告する。


「見ての通りであります!」


 半ば反射的に、彼女の横っ面を張り飛ばしていた。

 起き上がった彼女は、再び気を付けをする。鼻血をぽたぽたと地面にたらしながら。そして――。


「ありがとうございます!」


 処刑・・を受けた後の、決まり文句を口にする。

 余裕綽々しゃくしゃくの表情に再び頭が沸騰する。再度拳を振り上げ……ジャン・スターリングに邪魔された。


「これは僕を含めた全員に責任があります!」


 その一言で、何があったか悟った。救助活動すべきなどと言う、甘ったるい主張は出ると思ったが……。エルヴィラに1年が抑えられないとは。

 ジルが最も忌み嫌う行為。それは頭に殻をかぶったひよっこを戦場に放り込む事だ。未熟な兵隊は老獪さを知らない。それどころか、戦うすべさえ知らない。


 彼らは簡単に死んでゆく。


 それをあえてやろうとするなら、それは軍の、国家の怠慢だ。


 何より腹立たしいのは、意図しない事とは言え、自分がそれを行っている事実である。

 とは言え、候補生を殴りつけても何も始まらない事も自覚していた。


 ジルは振り上げた拳を遺憾ながら下ろし、今後の事を思案する。


「……メレフ候補生、損害は?」

「現在判明しているのは死者ゼロ、負傷者9名であります」


 9名。死者が居ないのは幸いだが、負傷者が予想以上に多い。あくまで図面演習上の基準になるが、3割の犠牲を出せばその部隊は戦闘継続不可能となる。本来1年のひよっこ達なら1割でも怪しい。良く持っていると言えた。

 ただし、別行動中のAチーム、Bチームはどうなっているか分からない。


「救助した人数は?」

15時23分ヒトゴフタサン時点で24名です」


 自分が救助した1名を入れて25名。これも予想以上に多い。ひよっこながら組織立って動いていると言う事だろう。最大の問題は、この状態を救援が来るまで維持できるかどうかだ。

 ジルも上空を飛ぶワイバーンを見ているから、既に救援部隊が動き出している事は分かる。だが、万一予報が外れて雨でも降れば、それだけ救助は遅滞する。

 そうは言っても自分も軍人である以上、救助した25名を放っては置けまい。


 結果、彼女が出した答えは……。


「その24人に免じて処刑は後回しにしてやる。状況を説明しろ」

「ハッ!」


 きびきびと鞄から地図を取り出すエルヴィラを忌々しく思う。が、とりあえず言ってやらねばならなかった。


「鼻血は拭いてよし」

「ハッ」


 エルヴィラは勝ち誇ったかのようにやりと笑って、ハンカチを取り出した。


 やはりもう一発殴っておけば良かったか。




 Aチームから伝令が来た時、ジルたちはこちらから伝令を出そうと準備中であった。

 息も絶え絶えでやって来た、ランディ・アッケルマンとカナデ・ロズベルクは酷い有様。ランディは片足を負傷してカナデに支えられている。カナデはカナデで右腕が使えないので、ランディが代わりに銃を構えている。


 正直言って、拠点間の移動がここまで困難であるとは思わなかった。

 この分だと、Aチーム、Bチームも合流中に負傷者を出すかも知れない。


「誰か、手当てを! それから、水だ!」


 ジャン・スターリングの呼びかけで、救急箱を持った生徒がこちらにやって来る。


「その前に報告を!」


 すっかり頭に血が上った様子のランディ。エルヴィラは落ち着かせるように深呼吸させ、告げた。


「冷静になりたまえ。報告は治療を受けながらでも出来る」


 ランディは観念したようで、地面にどっかり座って傷ついた足を投げ出した。余程疲弊していたのだろう。カナデも似たようなもので、膝から崩れ落ちた。


 そして2人は、甲蟲の存在を告げる。既に犠牲者が出ている事も。本部は騒然となった。

 流石にエルヴィラも黙り込んだが、ジルは冷静だった。正確にはそう装った。


「Aチームの主力は?」


 一番気になる点だった。肝心のAチームが大打撃を受けているとすれば、今後に活動に支障をきたす。

 幸いにして、カナデの報告はとりあえず満足のいくものだった。


「こちらに合流するために下山してます。死者はゼロ、負傷者は6名です」


 ハインツが合流を選んだのは正直助かった。その判断しかないだろうと思う。戦力を分散しても百害あって一利なしだ。申し訳ないが要救助者の捜索はここで打ち切るしかない。


 後は負傷者だ。報告通りなら7区隊の負傷者は15人、目の前のランディとカナデを入れると17名になる。ジル、エルヴィラ、ハインツを入れて現在の人員は43名。

 これで帰還中のAチームや、遭難者の救出に出ているBチームの被害を考えると、倒れた生徒はもっと多くなるだろう。


 思案を遮って、ジャン・スターリングが一歩前に出る。


「もはや救助を待っていられません! 甲蟲が飛び立つ前に討伐隊を差し向けるべきです!」


 彼の様子は何時になく強気だ。

 いつの間にかジャンの顔から焦りのようなものが消え、代わりに自分を大きく見せようとする”欲”を感じた。これはこれで危ない。


 とは言え、現状ではそれしか選択肢は無かった。

 とにかく守るべき救助者や負傷者が多いのだ。彼らを抱えて下山するのは自殺行為だし、救助隊を待つにしてもその前に甲蟲が動き出したら全滅は必至だ。

 もはやこちらから仕掛けるしか手段は残されていない。


「メレフ、本部ここを守るのに何人必要だ?」


 エルヴィラ・メレフは、ここで初めて長考した。自分の回答次第でこの先の展開が大きく変わると自覚したからだ。


「……10人もいれば」


 抱え込んだ救助者を考えると、かなり無理をした数字だと言えた。

 ジルはこれを却下する。


「15人は見ておけ。最低限では不測の事態に対応できん」

「よろしいので?」


 彼女も今度ばかりはジルの考えを測りかねた様子。防衛部隊を手厚くすれば、その分討伐隊が戦力不足になる。そう思っているのだろう。4年とは言え、まだまだひよっこである事には変わらない。


「討伐隊をぞろぞろ連れて行っても、負傷者が出れば打ち捨てて行かねばならん事は変わらん。それならば比較的マシな奴を少人数連れて行った方がいい」


 エルヴィラは不安そうな顔をする。若干溜飲が下がった。そしてこれは決定事項だ。


「それに、甲蟲は何故か人の動きを感知すると言われている。大人数は逆に危険だ」


 そこまで説明されて、エルヴィラは納得する。聡い彼女の事だから、すでに頭の中で段取りを考えている事だろう。


「了解しました。Aチーム、Bチームが帰投し次第、メンバーの選抜に入ります」


 敬礼してその場を去るエルヴィラを見送り、ジルは小さく溜息を吐いた。

 軍服の中から首飾りを取り出す。本来こんなものを持ち込むのはご法度だが、とある理由で合法的に持ち歩いている。


 彼女はそれを、名残惜しそうに握りしめた。

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