第47話「激流の分水嶺(後編)」

”しんどかったですね。まあそのおかげでどんどんやって来る酷い目の数々に動揺しなくなりましたが”


マリア・オールディントンのインタビューより




Starring:ランディ・アッケルマン


 彼らがBチームの拠点に戻ると、青い顔をして座り込むマリア・オールディントンがいた。顔色の悪さは魔力の使い過ぎだろう。ハインツ・ダバートらがそれを囲み、彼女の言葉に頷いている。どうやら探知魔法の結果を聞いているらしい。


「補給隊、帰還しました」


 ランディ・アッケルマンは息を吸って敬礼する。これからネガティブな報告をせねばならない。ことハインツに対して、それが悔しい。


「ご苦労、状況は?」


 ハインツはランディらに向き直る。彼は負傷したナタリア・コルネを見て、全てを悟ったようだ。ランディは胸を張って報告する。こんな時だから卑屈にはなれない。


「半分程度の水を確保しましたが、残りは地竜の妨害で叶いませんでした。なお、ライフル小銃の弾薬1発消費、ナタリア・コルネが足を負傷」


 ハインツはいつものごとく叱責はしなかった。失望より目の前の事実に頭を抱えているようだ。元々無理な命令と言うのもあるのだろうが。それでも果たせなかった事が悔しい。


「とにかく休め。コルネ候補生は治療を受けるように」


 カナデ・ロズベルクの肩を借りて、ナタリアが連れられていく。本来はマリアの治癒魔法をかけるべきなのだろうが、彼女に魔力の余裕はない。

 ハインツは救護活動に動き回っている女生徒に命じる。


「連続で済まんが、消毒を」


 彼女は、少量なら水にアルコールを付加できるという妙な魔法を持っている。味は無いので酒としては楽しめないが、消毒剤なら作れる。

 ちなみに彼女は、下戸らしい。


 そして素早く包帯を巻いてゆく。彼女の能力が消毒剤の代用になっていると言う事は、医療品の備蓄も限界らしい。


 ランディも次の命令が下るまで休むべきだ。そうは思っても休憩を取る気が起きず、マリアを注視するハインツに問い掛けた。


「オールディントンはどうしたのでしょうか?」


 ハインツは答えた。今度はマリアから視線を外さず。


「大物が出たようだ」


 マリアの探知魔法は甲級。つまり一流の実力だ。その彼女でもこの連続使用はきついものらしい。マリアが言葉を引き継ぐ。


「甲蟲です。南2kmの距離に、甲蟲が居座っています」

「甲蟲!」


 つい声を出してしまう。ハインツは落ち着かせるように右手を上げた。


「恐らく、春に飛来した生き残りだ。こいつが居たせいで、地竜が追い立てられて人を襲うようになったと言う事だろう」


 どうやら自分達は、とんでもない危機的状況に足を踏み入れたらしい。同時に戦慄する。こいつがもし登山客を襲いだしたら、警戒態勢の整っていない市内に飛び込んだら。

 犠牲者はいったいどれほどになるだろうか?


「うっ!」


 マリアが悲鳴のような声を漏らした。

 次の瞬間、彼女は口を押え、先ほど食べた缶詰の中身を地面にぶちまけていた。


「……申し訳ありません」


 最初は魔力欠乏の症状かと、皆思った。しかし目の前の事実はそんな生易しくはない。


「甲蟲が、……人を食べてます」


 普段感情を表にしないハインツが目を見開き、マリアを見つめた。あの近辺は捜索するには遠いから、おそらくB班の人間ではないだろう。つまり悲惨な終幕に直面しているのは民間人と言う事だ。


 甲蟲が人を食らう事は既知の事実だ。それ自体に驚きはないが、自分たちにとって目の前で理不尽な死を突きつけられる事は初めてだった。

 皆顔を青くして、マリアの言葉を咀嚼している。


 そしてもうひとつの現実。状況を座視すれば、自分達も同じ目に遭うと言う事だ。

 ハインツは数秒だけ瞑目し、宣言した。


「ここを引き払って本部に合流する」


 それは言うほど簡単ではない。ここには負傷した候補生や数名の救助者もいるのだ。

 だが甲蟲の存在が確認された以上、戦力と、保護すべき人間を分散すべきではない。今甲蟲に襲われたら、各個撃破は必至であるからだ。

 小銃の弾はあと1発。地竜とは違い、甲蟲に拳銃は効かない。

 それでも、ハインツは命令を下した。恐らくは忸怩じくじたる思いを抱えながら。


「アッケルマン、戻ったばかりで済まんが、ロズベルクを連れて伝令に行ってくれ。本部に甲蟲の情報を伝えねばならない」


 ランディは敬礼しつつ、カナデに視線を送った。彼女はもう、重要任務を任されて戸惑ったりはしなかった。それが当然とばかり、任務を復唱する。

 小銃は持って行けない。拠点を守る為に必要だからだ。もし地竜に襲撃されたら、拳銃だけで対処しなければならない。それも、たった2人で。


 ふと、思った。

 ハインツとはこれが最後の会話になるかも知れない。その思いが、彼の口を滑らせた。


「ひとつ聞いても良いでしょうか?」


 ランディは一歩前に進み出る。


「ランディ君?」


 彼を気遣ったのかカナデが声をかける。だが、彼は疑問を解き明かしたい誘惑に勝てなかった。


「先輩は、何故俺の言葉なんかで動いてくれたんでしょうか?」


 何故かハインツの顔には、余計な事を言うなと言う苛立ちではなく、苦笑のようなものが浮かんでいた。


「貴様に喝を入れられたからな。本分を思い出した」

「それは……」


 聞き返そうとした声は、今度こそ遮られた。


「さあ、時間がないぞ!」


 2人は再び敬礼し、装備を取りに走った。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



Starring:カナデ・ロズベルク


 装備品を担いだ2人は、マガジン弾倉を外して残数を確認する。込められた弾は9発。予備弾倉はない。本当ならばあと2本は欲しい所だが、無い袖は振れなかった。そもそもこの山行は戦いの為のものでは無かったのだ。弾など持ち込む余裕は無かったし。理由もない。

 これでも、精一杯の装備で送り出してくれると言って良い。


 もう覚悟は決めた。決めたが、少しだけ不安が頭をもたげてきたカナデ・ロズベルクは、それを打ち消すように世間話を振った。


「つまりさ、あの時のランディ君の演説に感動して、心が洗われたハインツ先輩は本来の自分を取り戻したって事じゃない?」

「”本来の自分”って何だ?」


 ランディ・アッケルマンは拳銃をホルスターに戻しながら、すげなく質問で返す。

 そう言われると何も返せない。自分はハインツ先輩ではないし、洞察力があるわけでもない。ただ……。


「だいたい、あのハインツ先輩が俺なんか気にするわけがない」


 この数か月で思ったが、ランディと言う青年、存外自己評価が低い。それをどうこう言うつもりはないし、そもそも自分だってそうだ。

 だから妙な親近感を覚えてしまうわけだが。


「でもねぇ、その考えが落とし穴な気もするんだよね?」


 少々踏み込み過ぎたと、言ってから思った。ランディの視線が飛んでくる。若干うんざりした様子の。


「……ごめん」

「別に、いい。そもそもお前は何で俺に構うんだ? 話してて面白いわけでもないだろ?」


 そんなことは無いと思う。分野の違う人間と話す事は、素直に楽しい。


「御親族が日露戦争に出征したって言ってたよね。私もそうなの」


 ランディの表情が何故か強張った。また余計な事を言ったかもしれない。


「ごめんね。忘れて」

「いい、続けてくれ」


 彼の真剣さに促され、言葉を続ける。


「私の祖母……おばあちゃん。もう死んじゃったんだけどね。士官として満州に行ったの。それで色んな話を聞いたの。荒野の風と風景とか、馬にキャラメルを舐めさせて可愛かったとか。それで……」


 もっと悲惨な話も聞いたが、幼いカナデは意に返さなかった。そして思ってしまったのだ。


「私もって」


 ランディの呆れた顔が返って来る。それはそうだ。目の前に昨日までの自分が居れば同じ視線を向けている事だろう。


「すまん。戦う動機はそれぞれだよな」


 一本気なランディだから、自分の事を軽蔑するかと思ったが、彼は理解してくれた。苦笑と共にだが。


「だからね、お爺ちゃんが出征したランディ君なら、色んな話が聞けるかな? と思って」


 少なくとも、きっかけはだが。だが今度は大げさに溜息をつかれた。


「祖父母と孫の関係も色々あるんだよ」


 それだけ言ってランディは装備を整えて行ってしまう。どうやら、また失言をしたようだ。

 だが、彼は背中越しに言ってくれる。


「気持ちは分かる」

「えっ?」


 彼はぶっきらぼうに突いてくるように顎で指示する。


「行くぞ」

「……うん!」


 カナデは破顔して、彼に続く。

 士官なんて、自分じゃ無理だった。そう思っているカナデとは決別しよう。多くの命が、自分達の肩に乗っている。だからやろう。泥と返り血と、自分の血にまみれて。

 カナデ・ロズベルクもランディ・アッケルマンの演説に心動かされた一人なのだから。


 二人が下りる先には、地竜の咆哮が鳴り響く。まるで彼女たちを待ち受けるように。

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