第46話「激流の分水嶺(前編)」

”私たち頑張ったよね!? 十分頑張ったと思ってたのに、これ以上酷い目に遭うなんて!”


Aチームで遭難者の救護に従事した女子生徒のインタビュー。




Starring:ランディ・アッケルマン


 しゅうしゅうと言う地竜の鼻息に身を固くしながら、ランディ・アッケルマンは斜面を滑り降りた。向こうはまだこちらに気付いていないようだ。


「敵は1体。撃つでありますか?」


 続いて沢に下りてきたナタリア・コルネが問う。が、ランディは首を振って却下した。


「弾の無駄遣いはやめよう。もし気付かれたら撃ってくれ」


 なにしろ、弾はもう2発しかないのだ。

 彼は、最後に滑り降りてきたカナデ・ロズベルクを受け止める。3人とも体中に水筒を身に着けていた。これらの水筒全部を、沢の水で満たして帰還せねばならない。


「まさか、水不足でここまで追いつめられるとはな」


 一人ごちるがそれで状況が改善するわけでもない。

 予想は出来たことだった。自分達の飲み水に加えて、救助した遭難者が飲んだり、負傷者の傷口を洗ったり。それらすべてを持ち込んだ水で賄おうとしたら、あっという間に枯渇した。

 彼らはその為、危険な沢に下りて水を補給する必要に駆られたのだ。人間が水を必要とするなら、地竜もまた水を求めている。


 3人は腰を落として川に近づいてゆく。

 去って行く地竜の背中を、息をひそめてやり過ごした。


 体を傾けて、川に水筒を浸して行く。水底には雑菌がいるので、川面の水をゆっくりとすくい上げる。

 ひとつ満タンになるとカナデに手渡し、次の水筒を受け取る。酷く手間がかかった。本部で使用する水も確保せねばならないからだ。

 気持ちは焦る。今この瞬間地竜が振り向いて自分達を見つけ、喉笛を食いちぎられるかもしれないのだ。


 ぐるる、と地竜が唸った。

 ちょうど空の水筒を差し出したカナデが、小さい悲鳴と共に取り落とす。ぽちゃんと水音がした。


 地竜が振り返り、威嚇の声を上げる。


「引き上げるぞ!」


 ランディは立ち上がってカナデの手を引く。


「でも、まだ空の水筒が……」


 カナデの心配は些事である。ことこの状況に至っては。

 自分の判断で任務を放棄すると宣言した。彼女は悔しそうだが、状況が許さない。


「地竜が距離を詰めてきたら撃ってくれ」


 ナタリアはランディの指示に頷き、〔38式歩兵銃〕を地竜に向けた。

 3人は地竜を視線で威嚇しながら、ザイルを張った崖に向かう。


 崖まで5メートル。あと少し! 口の中が酸っぱくなる。

 最初にザイルを掴んだのはナタリアだった。そのままランディに差し出す。


 心情としては指揮官は最後に脱出するべきだと思う。だが彼が体に吊るしているのは命の水。これを持ち帰らなければ仲間も救助者も渇いてしまう。それに、護衛であるナタリアは最後に登らねばならない。

 ランディは一歩一歩崖を蹴って行く。


 登り切ったとき聞こえてきたのは、一発の銃声。

 彼は崖から身を乗り出し、次に登って来るカナデに手を伸ばした。しかし、引っ張り上げようとした身体はとても一人分の重量ではない。カナデの右手がナタリアを掴んでいる事に気付く。

 下からは地竜の唸り声!


 ランディは叫ぶ!


ライフル小銃を捨てろ!」

「それは出来かねるであります」


 ええい! 頑固者が!


 確かに宝石より貴重な小銃だが、今は人員の方が重要なのだ。それに、どうせもうあと1発しか撃てない。


「カナデ、引っ張るぞ! 全力で踏ん張れ!」

「うんっ!」


 カナデに呼び掛けると、全力で脚を突っ張る。やがてカナデと、小銃を大事そうに抱えたナタリアが這い上がって来る。そのズボンは血に染まっていた。


 完全に自分のミスである。最初から地竜を射殺していれば、仲間を負傷させる事はなかった。


「ロズベルク、止血を頼む」


 彼女はナタリアの血をたどって傷口を探し始める。

 ここも地竜が徘徊しているかもしれない。それ以上の処置はBチームと合流してからにせざるをえまい。


「無念であります」


 ナタリアは悔しそうにつぶやく。ランディは唇を噛むしかない。


「……済まなかった。俺の采配のせいで」


 つい出てしまった懺悔の言葉だが、2人はそれを受け取る事はなかった。


「駄目だよランディ君。リーダーが動揺してはいけないってじる教官も言ってたじゃない」

「その通りであります。指揮官が動揺すれば部下が不安になるであります」


 なんとも辛い役割だ。戦死者がでればもう、辛いどころではあるまい。

 士官だの幼学の誇りだの、自分は何も見えてはいなかった。


「それに、さっきは私のミスをフォローしてくれたじゃない」


 カナデの慰めを聞いて、初めてそんな事もあったと思い至る。

 カナデ・ロズベルク。彼女は何故自分に構うのだろう。何かをした記憶もないのだが。


 そんな思案をよそに、ナタリアがふらふらと立ち上がった。


「もういいであります。銃を」


 銃を受け取ると、彼女は銃身を握り、肩当てストックを地面につけて杖代わりに立ち上がった。

 できれば背負ってやりたい。とは言え残りの体力と、自分とカナデは水の入った水筒を体に括りつけていることを考えると、現実的ではない。

 こちらはこちらで人命がかかっているのだ。


 とにかく、Bチームに帰還を。彼らは歩き出す。


 だが帰還した3人を待っていたのは、ナタリアの負傷が吹き飛ぶほどの悪い知らせだった。

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