第42話「急転する戦場」
”こんなことは初めてだ。間引く必要があるほど地竜が増えるまでまだ1ヶ月近くはある。それも一斉に人を襲うなんて爺様からも聞いた覚えがない。町中の猟師に声をかけているが、果たして間に合うかどうか……”
事件に居合わせた猟師のインタビューより
Starring:コンベイ山を根城にする猟師
地竜。空を飛べず、二足歩行で地を駆ける原始的な竜である。
彼らの危険性と言えば、そうそう襲ってくるものではない。こちらから刺激したり、うっかりテリトリーに入れば保証の限りではないが。
それどころか、田畑を襲うシロツノ鹿を狩ってくれるので、寧ろ益獣として大事にされている。秋口になると数を増やすから、今度は人間が数を調節する。鹿を狩り過ぎたり、地竜が田畑を荒らさないように。
ライズの人々は、そうやって山と共存してきた。
だから、数十匹の地竜が大挙して人を襲うなど、少なくともここ100年は起こっていない。
そんな渦中に、142名の登山客と958名の士官候補生および教官が閉じ込められた。登山客は勿論の事、士官候補生たちもろくな武器を持っていない。
遭難者10,00人越えと言う未曽有の事態に、ラーナル市警および駐屯師団、猟師たちは頭を抱え、対応に追われる事になる。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
Starring:オクタヴィア・フェルナーラ
コンベイ山、ストーブ岩広場
指示されるがまま、集合した7区隊の顔ぶれを見て、オクタヴィア・フェルナーラは絶望的な思いに駆られた。
合流した幼学・中学組20数名のうち、6名ほどが包帯を巻かれて山道に寝かされているのだ。今貴族組が運んできた負傷者と併せれば7名ほどになる。実に3割がやられたわけだ。
辛うじて貴族組の被害者が少ないのは、ジル教官の機転に他ならない。
「そっちもやられたんですか?」
負傷者の足を添え木で固定しながら尋ねてきたのは、マリア・オールディントンである。
「……治癒魔法はどうしたんですの?」
嫌味のつもりはなかった。単純な質問だったので、訂正しようと口を開く。マリアの方は分かっているとばかり頷いた。
そして、嫌な報告をしてくる。
「私の乙級魔法では、とても全員は見られません。それに、地竜に襲われた時の為に温存しておくべきと、
悔しいがその判断は的確だろう。大体彼女が使うのは治癒魔法だけではない。探知魔法があれば、地竜や他の遭難者の動きを掴める。
だが苦しんでいる同期生を見て、治療を我慢しろと言うのも随分非情な話。彼女は、南部隼人への印象を改める。それが良い方にであるかは、自分にも分からない。
「こちらも横合いから襲われましたの。ジル教官が居なければ皆やられていました」
視線の先にはザイルを準備するジル・ボードレール教官の姿。彼女も負傷したらしく、右手首に巻いた包帯は赤い血がにじんでいる。
マリアは怪訝そうに首をひねっている。確かにジル教官だろうとだれだろうと武器が無ければ勝てないと思うのが自然。貴族組は
「地竜の口の中に腕ごと銃を突っ込んで、引鉄を引いたであります。2体があっという間でありました」
ナタリアの説明をジョークか何かと見たか。マリアはオクタヴィアの顔を見やる。こんな局面で嘘をついてもしかたがないと納得したのか。
信じられないことに、いや幸運にも事実である。
ナタリアが告げる。
「それにしても、この分だと士官学校だけでなく、民間の被害者も出たでありましょうな」
恐らくそうだろう。
遭難防止に万全の体制を敷いても、こんな事態は予測できない。大勢遭難者が、いや死者だって出ていても不思議ではない。
それなのに自分は、武器が無い、ただそれだけの理由で何の力も持てずにいる。
「教官は何をやってるんです?」
「崖を降りるための装備を用意しているそうですわ。救い出した民間人の中に地竜に襲われて
マリアの回答していて、乾いてすっぱくなった口の中に気付いた。やはり、民間人はいるようだ。
ザイルの準備が済んだのか、ジル教官は振り返って叫ぶ。
「いいか! 絶対に身を守る以上の行動は取るな! 貴様らはまだ実戦に耐えるだけの力はない。それをよく覚えておけ!」
ザイルを適当な樹に巻き終わったジル教官は、予想通りの宣言をした。「何もするな」だ。
「メレフ候補生、後は任せる!」
「了解です」
遭難者の状況はかなり切羽詰まっているのだろう。こまかい話は一切なしで、ジル教官はザイルを抱えて事故現場へ行ってしまう。補助には登山経験が随伴した。
全員がそれを、敬礼で見送った。
何もできないと、7区隊の面々から悔しさとも諦めともつかない空気が広がる。
助けを求める人がいる。なのに何もできない。オクタヴィアが感じたその苦しさは、区隊全員に共有されていた。
「時間なので、ちょっと失礼します」
一言断って、マリア・オールディントンが両耳を押さえ、目をつむる。魔法使いであるオクタヴィアは、彼女から強い魔力を感じた。
どうやら定期的に探知魔法で周囲を警戒するように言われているらしい。
魔力を無駄に出来ないから、出来る事は周囲をさらっと警戒するくらいだろうか。マリアは30秒ほど周囲に魔力を展開し――小さく叫びをあげた。
「1km先で動くものが探知魔法に引っ掛かりました! この大きさは多分人間です!」
候補生たちが色めき立つ。というより完全に戸惑っている。起伏のある山で、1kmは結構な距離だ。助けに行くなら早い方が良い。
だがエルヴィラの下した判断は、いつもの果敢さとは正反対のものだ。
「諸君、交代で食事を取ってくれたまえ。ジル教官が戻られるまで、この山道を死守せねばならない。つらいだろうが、何があっても対応できるよう、警戒を厳にする」
つまり、「救助はしない」と言う事だ。
彼女は普段「つらいだろうが」などとは言わない。それだけ状況が危機的であることを示していた。
エルヴィラは代理とは言え指揮官である。彼女がうんと言わない限り、救出には赴けない。ましてや、それをする能力が無いとジル教官に判断されたとあっては。
皆が消沈した様子で、リュックからトウモロコシビスケットの缶詰を取り出す。
自分は何をやっているのか。
日頃誇っていた
ナタリアが彼女の袖を引き、首を振った。
「オクタヴィア、自分を責めるのはやめるであります。それこそ何の意味もない行為でありますよ。今日の屈辱は、
そんな事は分かっている。だがそれ以上に、今この瞬間失われてゆく命も。
しかし、それでも納得しない
「……ません」
誰かがぽつりとつぶやき、一斉に視線を集める。
「……不明瞭な発言は控え給え」
エルヴィラが押し殺した声で叱責する。いつもであれば、震え上がったろう。だが、ランディ・アッケルマンは止まらなかった。
「承服できません! 大勢の遭難者が待っているのに、こんなところで固まって見ていろなんて」
エルヴィラの目がすっと細まった。ハインツはいつものように表情を動かさず、何も言わない。
一同はただ、息をのんだ。
「この缶詰を食べるべきなのは俺たちじゃないはずだ。あそこで助けを求めている人たちです!」
ランディはそう叫ぶと、マリアが示した遭難者の方向を指さした。そして手に持つ缶詰を叩きつけるようにリュックに放り込んだ。
「今のは看過できない冗談だな。指揮官に対する抗命、自殺行を煽るアジテーション。ここが学校内なら、すぐに査問会議だよ」
静かな脅しも、ランディには通用しなかった。彼は胸を張って自身の正義を主張した。
「構いません! その代わり、俺だけでも助けに行かせて下さい!」
不思議と、笑みが漏れた。
なんだ、簡単な事だったのではないか。いまいましい幼学組が、それを気付かせてくれるとは。
傍らのナタリアは大きく溜息を吐いたが、もう止まる気はない。
「オクタヴィア・フェルナーラ、アッケルマン候補生に賛同いたしますわ!」
「ナタリア・コルネ、以下同文であります!」
缶詰をリュックに放り込む。
ランディが驚いたような顔で見てくるが、別にこいつに恩を売るつもりはない。
「あなたが正しいと思ったからそう言っただけですわ。変な気遣いをするつもりはありません」
及び腰になっていた自分を引き戻してくれた、ただそれだけである。
そこで初めて、エルヴィラ先輩の怒気に、なにやら困ったような色が混じり始めた。やらかしておいて何だが、少しだけ気の毒に感じた。
「君たちは、低威力の拳銃1挺でどうやって地竜と戦う気だい? むざむざ殺されに行く必死行を認めろと?」
殺し文句が来た。自分は甲級の身体強化魔法があるので、銃剣1本でも戦うつもりだ。だが他の者はそうはいくまい。エルヴィラが持ち込んだ小銃は一応あるようだが、これも3挺のみである。
「それなんですが……」
予想外の者が挙手し、耳目を集めた。オクタヴィアはつい「またこいつらか」と思ってしまう。
ジャン・スターリングは視線に構わず大声を上げた。
「隼人とマリアが、地元で地竜狩を見学したことがあるそうです」
地竜狩り。
山沿いの町の恒例行事だが、それに参加するハンターは、地竜を知り尽くした熟練の者ばかりだと言う。皆の期待がマリアに向けられる。
「実は地竜って、痛みに弱いんです」
何を言い出すのかと期待の目は冷たいものに変わって行く。だが、マリアは念押しに根拠を押し出した。
「本当です。地竜は鱗が厚い分、痛みを受ける事に慣れていません。柔らかい腹を狙えば小口径の拳銃でも追い払う事は出来るはずです。どうぞ、試してください」
マリアは説明が終わると、コンラートに呼び掛けた。彼は横倒しになっている地竜の死体を腹側から覗き込んでいたが。おもむろに拳銃を取り出し、ゆっくりトリガーを絞った。
軽い破裂音とともに、小さく血しぶきが舞う。隼人がびっこを引きながら地竜に近づき、傷口を指さした。
「見ての通り、出血は大したことありません。ですが、相当痛い筈です」
皆無だった勝算が、糸一本で手繰り寄せられるかもしれない。ジャンは一礼すると、缶詰をリュックに仕舞いこんだ。
「つまり、君たちは地竜に接近戦を挑むと言うのかい? そのような訓練も受けていないのに?」
エルヴィラ先輩はその案を切って捨てたつもりのようだが、ジャンは自信満々に頷いた。
「やれます」
今まで様子をうかがっていた、戦う手段が無いと諦めていた候補生たち。彼らが一斉に缶詰をリュックに戻してゆく。
「……ランディ、これで放校にでもなれば不名誉どころじゃないぞ? それでもやるのか?」
ヴィクトルまでが、指揮官の話を無視したまま、火付け役に問うた。
「軍人が軍人の分を果たさない。それ以上の恥があるものか!」
ヴィクトルはいつものように口をへの字に曲げ、言った。
「ふん、分かった」
そのまま缶詰を手に取り、リュックの中に押し込んだ。
かくして、第7区隊の行動可能な学生は、全員仲良く扇動された事になる。
さしものエルヴィラも、対応に迷った様子だ。
そして、伏兵は常に死角からやってくる。
「……俺も同意見だ。今すぐ駆けつけるべきだ」
膠着状態を破ったのは、もう1人の模範生徒。ハインツ・ダバートはエルヴィラの退路を断つがごとく、宣言した。
「君は突撃だけの指揮官を無能と軽蔑していなかっただろうか? それともまた『王家の血』かい?」
これほど感情的になったエルヴィラ先輩は見たことが無い。無理もない。ただでさえ重責を与えられたところに部下が全員逆の方を向いているのだ。
そんな中で頼るべき婚約者が後ろから奇襲してきたのだ。取り乱さないのがおかしい。
一方で彼女が同じ人間だと感じられて、安堵する自分も居るのだが。
「そうではない。アッケルマンの話を聞いて、思っただけだ。貴族や王族としてでない、本分に戻ろうとな」
拳を握りしめ、ハインツ先輩に向き直った背中からは、その表情を観る事が出来なかった。
皆息をのんでその背中をうかがった。ハインツ・ダバートは、とても命令無視を主張する上級生には見えなかった。
それでも、2人いる模範生徒の1人を味方につけたことで、
「エルヴィラ、現在を以て本部隊の指揮権は俺が奪取する。皆を扇動したのは俺だと伝えればいい」
彼女の手を取ろうとしたハインツ先輩の右手は、すげなく振り払われた。
「黙れ!」
彼女の一喝は、地竜の雄叫びよりも、ライフルの銃声よりも重かった。
そして、山道に静寂が訪れる。
「諸君、あくまで指揮官は私だ。詩君が私の命令でやらかした事は、全て私が責任を持つ。よって――」
再び声を上げた我らが指揮官は、いつもの余裕を取り戻していた。それが我慢なのか、何かが吹っ切れたのか、オクタヴィアには判断が付かなかった。
「よって、ランディ候補生の意見を採用する」
候補生たちが雄叫びを上げる。
こうして、貴族組、幼学組、中学組協同の。いや、第7区隊の戦いが始まった。
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