第41話「同時多発的獣害事件」

”本件の問題点として、獣害が予想される地域でありながら、教官がライフル小銃を所持していなかったこと。また、多少の経費に目をつむってでも、案内人の人数を増やすべきであった。更に、今後は陸軍で配備が進んでいる、携帯用無線機も所持も検討するべきである”


コンベイ山獣害事件の事故調査委員会レポートより




Starring:ジル・ボードレール


 頂の方向から、相次いで銃声が響いた。この時中学・幼学組と比べ、貴族組の地竜への対応は落ち着いていた。

 ここには本職の指揮官・・・・・・がいたからである。


「伏せろっ!」


 ジル・ボードレールの一喝で、生徒たちはすぐに落ち着きを取り戻した。

 軍人は、火急の事態が合った時、とにかく伏せるように教育される。近くに砲弾が降り注いでも、飛び散る破片に身を晒す面積が減るからだ。

 彼らはひよっこではあったが、ジルもこれだけは徹底して教えてきた。


 獣相手では意味が無いが、パニックを起こされるよりましだ。


 全員が一斉に身を横たえる。伏せる先が腐った泥水であろうと、兵隊は躊躇してはならない。

 だが、所詮は候補生。状況に対応できず、棒立ちになる者が現れる。腕に噛みつかれ、振り回される。


「馬鹿がっ!」


 悪態の対象は、迂闊な被害者か。それとも防げなかった自分か。

 襲撃してきた地竜は2匹、1匹が生徒を襲っている間、もう1匹はやはり伏せの体制を取っていないジルに向かってきた。


 ジルはホルスターに手を伸ばす。彼女の愛銃は〔スミス&ウェッソン M1917〕、欧州大戦で活躍した古兵だが、ジルは動作不良を起こしにくいリボルバーを好む。特に、戦場で使うには。そしてこの時、彼女の判断はこの上なく正しかった。


 頭を抱えて伏せの姿勢を取り続ける生徒たちを飛び越え、地竜は唯一立っていたジルに狙いを定めた。彼女の腕を噛みちぎろうとしたその時、彼女は牙がぎっしり並んだ大口を避けることなく、逆に右腕を突っ込んだ。トリガーが引かれる。地竜の瞳孔が開き、衝撃と共に崩れ落ちた。


 ジルは突き立てれた牙から、無理矢理右腕を引き抜いた。牙に引っかった傷口から、鮮血がほとばしる。

 だが彼女はひるまない。


 返す刀でもう一匹に向けて発砲。注意をこちらに向ける。今度はジルが駆けた。

 再び地竜の口に右腕をねじ込み、残りの2発、弾丸を撃ち込んだ。


 〔M1917〕の弾薬は45口径。生徒たちに配布される〔マウザーM1910〕25口径拳銃をはるかに凌ぐが、それでも小銃弾には遠く及ばず、地竜を一撃で倒す事は不可能。ならば口の中から弾を撃ち込めばいい。

 それなりの代償を必要とする行為だったが、ジルはひるまなかった。


「治癒魔法、負傷者に手当を」


 それだけ言って、ジルは腕を振って血を払う。まるで水に濡れた手を鬱陶しがるように。


 貴族組についている治癒魔法の使い手は丙級。重傷者を治すには時間がかかるだろうが、止血くらいはできるだろう。

 ジルは水筒の水を傷口にかけた。鞄から包帯を取り出し、器用に巻いてゆく。治癒魔法の恩恵にあずかれる状況ではないし、第一それほどの傷でもあるまい。


「フェルナーラ、点呼を取れ。負傷者の確認も忘れるな」


 オクタヴィア・フェルナーラも流石なものだ。指揮権がジルに移ったこと、自分の役目がそのサポートである事を瞬時に理解したようだ。

 やがて、欠員なしとの報告が届く。負傷者も先程の1人のみのようだ。


 だが、まだ最大の問題が解決していない。

 すなわち、「これからどうするか」である。


「フェルナーラ、貴様はどう思う?」


 自分だけの思考は視野が狭まる。他者の見解は聞くべきだ。それは意見を聞くに値する相手にしか適用できないのだが、ジルは彼女がとりあえず・・・・・それにあたると判断した。


「上流からの銃声は、わたくしたちと同じく地竜の襲撃によると思われます。ならば再度の襲撃も予想されます。強行下山するべきですが、上流の中学・幼学組にも伝令を出して下山を促すべきでしょう」


 確かに、それが常識的な判断であろう。

 だが、各集団は地竜のひしめく中ばらばらに下山する事になる。「一人でも多く無事に帰る」ならばそれもありだ。ありだが、「誰一人欠けることなく下山する」のであれば、必ずしも上策とは言い難い。それに負傷者がいれば、後送しなければならないだろう。

 そしてジル・ボードレールはそのリスクを看過できなかった。


「戦力の分散はまずい。我々が頂に向けて登り、離れてしまった2班と合流し、その上で下山する」


 オクタヴィアは敬礼する。ジルの判断に若干の不満を抱いたのかも知れないが、この考えはどちらも正しい。その上で優劣をつけるには、結果が出るまで待つしかない。


 そして、彼女はこの選択を悔いる事になるのだが……。


「伝令!」


 大声を上げて下り道を叫ぶ生徒に、ジルは思索から引き戻される。息を切らせるヴィクトル・神馬に水筒を差し出すが、彼は報告の後にと辞退した。


「地竜の襲撃により、高所側の2班で4名が負傷しました。現在ストーブ岩広場で合流中です」


 どうやら高所の2班も合流を選んだらしい。おそらく采配はエルヴィラ・メレフだろう。彼女らしい決断だ。そしてジルにとっても都合がいい。


「また登山客を4名保護、さらに1名が地竜の体当たりを受け滑落しました」


 舌打ちをこらえる。生徒たちが受けた登攀とうはん訓練では、まだ使い物になるレベルではない。エルヴィラ・メレフら4年生も、負傷者を背負って登らせるには不安が残る。滑落者は自分が助けなければならないだろう。

 いよいよ強行下山は現実的でなくなった。


「……と言う事は、指揮系統は維持できているな?」


 平静を装って一番大事な質問をする。ヴィクトルは直立不動で答えた。


「問題ありません」


 彼は言い切ったが、とりあえず疑う必要はないと判断する。彼の人格なら憶測で物は言わないはずだ。エルヴィラも良く言い含めたであろろうし。


「5分後に出発だ」


 オクタヴィアに宣言して、自らも休憩を取る。ただし、指揮官は座る事は許されない。全員を見渡せる場所に位置を移す。


「教官、手は……」


 当然のように座らずに休んでいたヴィクトルが、ぎょっとしたように声を出す。血のにじんだ包帯に気付いたらしい。普段余計な事を言わない彼にしては珍しいと思う。


「……かすり傷だ」


 ぶっきらぼう、というより切って捨てるように返答した。真っ当な・・・・部下ならばコンディションを心配されることもあるだろうが、彼は候補生。庇護対象だ。こちらから心配する事はあっても、逆はない。


「……教官、参考に伺いたいのですが」


 ヴィクトルが告げる。彼にしては曖昧な口調で。


「何だ? 質問は明確に話せ」


 普段の己にはありえない振る舞いと、自身でも気づいたのだろう。気を付けの姿勢を取り直す。


「何故、そうまでなれるのですか?」


 甘えた発言の恥じらいか、その表情はいつも以上に固い。

 何故、何故腕を犠牲にして、涼しい顔をしているのか。そこまで”士官でいられる”のか。ジルはそう理解した。自分もその境地に至りたいと。


 彼女は、執拗までに引き締まったヴィクトルの表情から、焦りの片鱗を読み取った。

 ジルに言わせればそれは、「100年早い」である。彼には乗り越えなければならないものが山のようにあり、それは一足飛びでどうにかできる物では無い。


 だが同時に思った。

 こいつ、死ぬな、と。


 新品しんぽん少尉として、ラナダ共和国の戦場に立って以来、色々な兵隊を見てきた。死に急ぐ奴も危険だが、使命感に駆られて生き急ぐ奴が一番たちが悪い。

 そう言う奴は自分の使命感に命を捧げる。あっというまにだ。

 巌のように見える精神を持ちながら、焦燥を内包している人間もそう。彼のように。


 どうもレックレス6を名乗る候補生たちは、全員が何がしかの「危うさ」を抱えている。ジルはその事にも気付いていた。


 だから、彼女は残り3分の休憩時間を彼の為に使う事にした。


「お前ははき違えている」

「はき違えている、ですか?」


 期待した答え――手っ取り早く成長する方法――とは異なる返答に、ヴィクトルは張り詰めた表情をわずかに崩す。ほんのわずか。落胆の色をのぞかせる辺りが、まだまだひよっこだ。

 焦るのは分かる。だが答えだけを都合よく求めるのは「ずるっこ」だ。


 だから、戒める。


「軍人とは言え、ただストイックになれば良いと言うものではない」

「そうなのでしょうか?」


 それとこれとどう関係がと。戸惑った様子だが、彼はそこ・・から始めなければならない。


「お前の成長は、もう近くに糸口があるかもしれんぞ?」

「糸口、ですか?」


 今彼は、ジルの言葉を必死に咀嚼している事だろう。そう言えば、自分も1年の頃はこんなだったと。らしくない考えが浮かぶ。


「軍隊は生き馬の目を抜く社会だ。信用できない者、罠に嵌めようとする者も多い。だが、一度心を許したなら……」


 ジルは、一息おいて告げた。


「その時は、浪花節なにわぶしでいい」


 浪花節、義理人情を唄った日本の芸能だ。ジルも物珍しさで聞きに行った事があるが、日本人のヴィクトルにも通じただろう。

 彼は難問に挑むように、次の言葉を待っている。実際には小学生でも解ける問題なのだが。


「まあ、今は分からんでもいい。要は焦るな、と言う事だ。それと、差し伸べられた手は手放すな」


 表情こそ動かさないが、彼は相当に戸惑っている事だろう。それでいい。若干煙に巻いた感じになってしまったが、とりあえず余計な力は抜けたようだ。

 だから、余計な一言を口にした。


「私はお前の気性を好ましく思っている。軍人向きだしな」

「俺の気性、ですか?」


 昔の私に似ているからな。とは言わなかったし言えなかった。こいつも暴走野郎レックレスの一人だ。言えば突っ走りかねない。


「まあ、前にも言ったが、何かあったら相談しろ」


 きっちり3分で相談は終わった。腕時計で時間を確認した時、オクタヴィアの声が響いた。


「いつでも出られますわ!」


 全員の体制は整ったか、自分の目で確認する。非常事態に動揺してつまらないミスをしでかす者はきっといる。だが、オクタヴィアの采配はそれなり・・・・で、余計な心配はいらなかった。負傷者の移送も問題ないようだ。

 ジルは改めて宣言する。


「頂に向けて出発する、遅れずについてこい!」


 こうして、貴族組の候補生は、ジル教官に従い前進を開始した。

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