第40話「舞台の裏側で……」

”一生のうちに、この人ならばと思える上官に出会う事は多くない。

隼人の奴は、運が良すぎるのだ”


ヴィクトル・神馬の回顧より




Starring:ヴィクトル・神馬


 隼人らが襲撃を受ける30分前。ヴィクトル・神馬ら幼学組は、中学組の追撃をものともせず、二列縦隊で6区隊の尻尾を狙っていた。


「ハインツ先輩、何処で追い越します?」


 すっかり前のめりのランディ・アッケルマンだったが、ハインツ・ダバードの反応はむしろ淡白。一緒になって燃え上がる事はしなかった。


「貴様はどう思う?」


 質問に若干の苦言が含まれている事に、ランディは気付かなかった。

 それでも緊張感を取り戻した彼は、地図とコンパスを取り出し、直ちに返答した。


「やはりストーブ岩を狙うべきです。ここを追い抜けば、暫くは鎖場が続いて追い越せる場所が少なくなります」

「……なるほど」


 相槌を返すのみのハインツを見て焦ったのか、ランディが付け加えた。


「できればもう1グループ、いや、6区隊全部抜き去りたいですね」


 また悪い癖が出たと苦々しく思うが、非常に困難でかなりの無理が予想される目標設定だが。出来る限りやってみると言うのもまたひとつの判断だ。彼もそれを承知で言ったのだろうが……。

 大言壮語に眉一つ動かさず、ハインツは言う。


「ではそのようにしろ。貴様が指揮官だ」


 ランディははっと現状を突きつけられる。ハインツが言外に指摘したのはそれだ。

 彼はあくまで引率。リーダー、つまり幼学組の行動に責任を負う立場にいるのがランディだ。立てる目標も、その結果も、彼1人のものではない。

 重責に気付いた段階で、彼は目標を下方修正せざるをおえなかった。尻尾を巻いたのではない。現実を直視する必要に駆られたのだ。


「訂正いたします。まずはこのまま7区隊のトップを維持し、不測の事態を防ぐことが第一、それを満たしたうえで6区隊の最後尾を狙います」

「……そうか」


 ハインツは良いとも悪いとも言わず、無表情で応じた。ランディもまた、引き締まった顔で敬礼する。


 ヴィクトルは感じていた。マリア・オールディントンが言うようなぼんくらではない。

 その証拠に、前のめりのランディをたった一言で立て直させたのだ。勢いで行動しがちな彼に責任を自覚させる事、それはこのタイミングでしかありえない。


 ハインツ・ダバートと言う男、他人の欠点に敏感のようだ。それだけならマリアの言う通りの小人物だが、それを補ったり自覚させるすべを心得ている。

 決してエルヴィラ・メレフの付属物ではない。


「今のままで構わんのか?」


 ハインツがおもむろに尋ねた。「今のまま」とは? ランディはその言葉を咀嚼し、それに気づく。

 この地形なら少人数の待ち伏せや狙撃兵が潜んでいる可能性がある。訓練であろうと前線にいる前提で動くのが軍隊と言うものだ。


「列の最前列と最後尾、左右を警戒しながら進め」


 彼らの対応について、ハインツは何も言わない。忠告はした。正しく受け止めればよし。そうでなければ痛い目を見るだけ。そう言う事だろう。


 その判断が、思わぬ事態を引き当てた。


「左前方!」


 見張りの候補生が叫び、拳銃に手をかけ……すぐに手を放す。

 今は平時である。ホルスターから銃を抜くには、かならず指揮官――この場合はハインツの命令があるべきだ。


 だが、ハインツは既に銃を抜き、茂みに向け、すぐに下ろした。


「兵隊さん! どうかっ! どうかお願い……」


 茂みから現れた壮年男性は、候補生の方を借りて山道まで歩いてくる。

 必死に何かを懇願していた。頭を下げる度に、真っ赤になった額からぴっ、ぴっと血が飛び散った。

 彼に続くように、びっこを引いた女性に肩を貸したり、背中を血まみれにした少女を背負ったり。悲惨な状態の遭難者たちがぞろぞろと這うように顔を出した。


「誰か、この方たちに手当てを」


 応急手当が始まる。痛みは治まらないようだが、とりあえず止血は出来たようだ。治癒魔法があれば少しはましだろうが、生憎使い手はここにはいない。


「どうぞ、何があったか仰ってください。力になります」


 彼は、自分たちが候補生であるとは言わなかった。遭難者を不安にさせても、安心させる材料にはならないだろうから。

 水を飲み干した男性から空の水筒を受け取り、ハインツは男性の手を取った。普段の彼からは信じられない慇懃さで。

 指揮権は自動的にハインツに戻ったようだ。今この場に、それなりの決断を下せる人物はここには居ない。


「ちっ……地、……妻と娘……」


 疲れの為か要領を得ない男性を候補生たちは辛抱強く見守る。

 やがて興奮も治まり、恐るべき現状について告げられた。


「北ルートで登山中、地竜に襲われて……。妻子と離れ離れになってしまったんです」


 悄然と告げる男性に、候補生たちは顔を見合わせる。


 田舎に住む者なら、地竜の恐ろしさを知っている。一方都会育ちの者にはその肌感覚が無い。それが候補生たちの温度差になっていた。その差もすぐに埋まる事にはなるが。


「それは、何匹ぐらいいましたか?」

「わ、わかりません。とにかくたくさんいて……」


 他の遭難者もだいたい同じような話をする。


 流石のハインツも、これには長考した。

 それもしょうがない。現状では駆けつけても何もできない。地竜を仕留める事が出来るライフル小銃が手元にないからだ。

 多分、エルヴィラが持ち込んだものを思い浮かべただろうが、あれもたった3挺。そもそも1学年の自分達にどこまで戦えるかどうか……。


「先輩、これを」


 ランディが気を利かせて、地図を差し出す。

 ハインツは珍しく「助かる」と礼を口にした。地図をのぞき込もうとして、思い直して首を上げる。


「手の空いている者は周囲を警戒しろ!」


 ハインツの一喝で、幼学組の生徒たちはきびきびと動き出す。


「分かる範囲で構いません。今日辿ったルートをここに書き込んでください」


 だが、男性は地図とコンパスを持っていなかった。持っていた者も地竜に襲われた際、荷物は全て放り出していた。登山道のどこかで地竜に襲われ、獣道に逃げ込んでここまでぐるりと回って来たと言う事になる。


「襲われた時間は?」

「それが、時計を落してしまって……」


 返答は皆似たり寄ったり。つまり、何も分からないわけだ。

 着の身着のまま逃げてきた被害者たちに、あれこれと期待するのが間違いだが。こっちはこっちで装備の無い自分達に期待されては困る。

 とは言え、家族区と離れ離れになった男性は、ハインツを希望に満ちた目で見つめている。命からがら助けを探していたら、その道のプロ軍人がいた。それだけで疲れも吹き飛んだろう。

 それが分かるから、候補生たちも辛い。実際ランディはじめ何名かは、救出開始の命令を今か今かと待っている。

 やさしさの発露であることは分かるが、組織が浪花節で動くのは大変不味い。


 が、ハインツとて情に流されて猪突する人間ではない。

 同情心をかみ殺して、次なる指示を出す。


「神馬、後方のジル教官に合流して事態を報告してこい」

「ハッ!」


 結局、それが堅実な選択であると、ヴィクトルはそれを受け入れた。蛮勇を貴ぶほど、自分たちは熟練した戦士ではない。

 それに、10分も待てば中学、貴族組が追い付いて、戦力は増えるのだ。


「アッケルマン、遭難者から詳細な聞き取りを。ご主人、これから大規模な捜索隊が編成される筈です。ご家族を助けるためにも、今一度詳しい話を。皆さんも、救援が来れば安全に下山できる筈です」


 男性は肩を落とす。今すぐ救出が行われない事を理解したのだろうか。それでも「大規模な捜索隊」と言う言葉に力づけられたようだ。


「隊長! 我々も……」


 それでも救出命令が欲しいランディを、ハインツは突然突き飛ばした。彼は体罰を行う人間ではないはず。その答えは、今までランディが立っていた空間に突っ込んできた地竜だった


 そして複数の地竜が隊列に飛び込んできた。ヴィクトルも躊躇せず銃を抜く。

 乱戦が始った。


 対抗手段を持たない候補生たちは、地竜の餌場に足を踏み入れたに等しかった。

 流血の宴は、小銃を持ったエルヴィラが駆け付けるまで続いた。

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