第39話「波瀾の始まり」
”やれ街の片づけだ、甲蟲の掃討だと走りまわされ、やっと一息ついたところで、今度はコンベイ山で大量遭難だとよ。俺達に休むなってのか”
ラーナル基地駐留部隊の上等兵の日記より。
Starring:南部隼人
登山訓練と言うものは、やはり練兵場の行進とは違う。
空気が薄くて涼しいので、いつものように汗みどろになることもない。
もっとも高度が上げれば、今度は気候次第で防寒を考える必要があるらしい。
前世に映画で見た、八甲田山遭難事件の教訓ということだ。うろ覚えの記憶だが、前世では数百人の死者が出たと思う。
それでも厄災に変わりはないが。
パフは大興奮で、彼らの頭の上を飛び回っている様子。
夏の葉がざわざわと揺れる音に、南部隼人は強い懐かしさを感じた。
「あの時も夏の日だったな」
幸いにも、彼の言葉を聞く者はいない。だから、体の疲れをいっとき忘れて、懐旧にひたる。
貴族組は一定の間隔を空けて、こちらを追い越すタイミングをうかがっているようだ。もちろん追い越させるつもりはない。
「順調だな」
彼らしくない楽観論を述べたと思えば、コンラート・アウデンリートは一言付け加えた。
「怖いくらいだ」
状況は順調に推移している。だから、コンラートの感想は杞憂だと感じた。いや、
早くなんとかしたいのだ。エーリカは母と姉との関係修復を、いままでずっと待ってきたのだ。
不安そうな顔を見られたのか、コンラートは簡単に前言をひっくり返した。
「そんな顔すんな。大丈夫だって」
その通りだ。
隼人は山の恐ろしさを知っていた。真夜中の獣道を灯もつけず疾走する恐怖を味わってしまえば、あとは怖い物など無い。だが、かつての恐怖が与えた経験は、「知ったつもり」でしかなかった。
熟練登山者の勘すら時として、山の気まぐれに遠く及ばない事を。
「とまれッ!」
「みんな! 止まるんだ!」
2人同時に大声を上げたのは、エルヴィラ・メレフとコンラート・アウデンリートだった。
「何が起きましたか?」
流石ジャンは真っ先に混乱から立ち直り、エルヴィラに問いかけた。
「分からない。銃声が聞こえた」
不安のあまり中学組達が、隊列を崩そうとする。不測の事態に対応するには、自分達の経験はあまりに浅い。そう思い知らされた。
「静かにせんかッ!」
彼女らしくない軍人口調で、エルヴィラが一喝する。反射的に気を付けをして、隊列を組み直した。流石は4年生だった。
候補生たちは自分の未熟さを呪う。
「先輩、あれは25口径の拳銃です。恐らく、我々が使っている物です」
エーリカは、気付いたのであろう。25口径問題の渦中にあったのだ。〔マウザーM1910〕。
「じゃあ、撃ったのはこの先にいる幼学組って事ですか!?」
混乱のあまり、手に持った小銃を取り落としそうになるマシュー・ベック。エルヴィラはそれをひょいと持ち上げて、肩に乗せ直した。
「分からん。ただ、この南回りルートには猟師はいない。今日の山中行軍の為に締め出されているからな」
そう言うと、ポーチから6.5mm弾を取り出し、取り上げた小銃に装填した。
「君たちは待機を。周囲の警戒を怠るんじゃないぞ。スターリング君、後は任せる」
「ハッ」
「アウデンリート君、サポートし給え」
「了解です!」
有事であるからか、彼女の口調から気安さは失われていた。それを感じ取った2人も、直立不動で敬礼する。
そしてコンラートの肩を叩くと、エルヴィラは幼学組目指して駆けて行った。
後には、気を付けも解かずにいる、不安げな候補生たちが残された。
「なあ、俺たち何もしなくて良いのかな?」
静まり返った隊列の中から、マシュー・ベックの声が上がった。
「え? 何かするんですか?」
恐る恐る尋ねるカナデ・ロズベルクに、返事はしないでジャンの顔色をうかがうマシュー。
だが、ジャンの返事は彼が期待したものでは無さそうだった。
「何かって、僕らは下っ端だぜ? 動く時は動くべきだけど、それは僕らが動かなきゃ状況が悪くなる時じゃないのかい?」
ジャンの判断は的確だと思う。状況もつかめないのに上官の指示を破って、あれこれ引っ掻き回すのは味方を後ろから撃つのと変わりない。
そもそも元から自分達は戦力外。それが戦力として使われるときはもう詰んでいる。
先日の救出劇は、自分たち以外に人がいないからやったのだ。エルヴィラとて、プロが居ればそちらに任せていたかもしれない。
「俺もジャンに賛成……」
そのあと声は続かなかった。再び起こった銃声は1発では無かった。そして、拳銃とは比較にならない、腹の底に響くような銃声。
恐らく、エルヴィラ先輩の
「行くべきよ!」
「行くべきです!」
「きゅーきゅー!」
ここにきて主戦派が息を吹き返した。エーリカとマリアが揃って熱弁する。ついでにやる気満々のパフ。
だがジャンはわずかに思案し、すぐ首を振った。
「軍人が持ち場を放棄してどうするのさ」
春の
恐らく、彼は重責を感じている事だろう。何か力になれる事と言えば……。
「ジャン、
「……」
隼人の献策は、何故か沈黙で返された。何か思いつめた表情が気になって、ねぎらいの言葉を駆けようとしたとき。彼は両手でパン! と頬を叩いた。
「そうだね。それがいい」
突破口を見つけてしまうと、ジャンの顔に生気が戻ってきた。
人の悪い事に、今ま黙っていたコンラートがOKサインを出してくる。
「ああ、それで良いと思うぜ」
試されていた事に気付き、ジャンが渋い顔をする。彼は爽やかに笑って流したが。
「まあ、部隊を預かる予行演習で良いじゃないか」
相変わらず人を食ったような男だが、彼のアドバイスはいつも的確だ。
「ついでに向こうに
ジャンは幼学組に、小銃を2挺とも送るか、1挺に留めるか少しだけ悩んだ。しかし弾が無くても槍として使える事。地竜が尖ったものを嫌う生き物なら、役に立つ事。というコンラートの発言で、1挺だけ持って行く事に決めた。
「マシュー君、怪我しないでね」
「おう、任せろ!」
斥候はコンラートとマシューが担当する事になる。2人は小銃をひょいと担いで危なげない様子で一行に背を向け……。
――吹き飛ばされた。
横合いから飛び出してきたふたつの”何か”が2人を跳ね飛ばし、大樹に叩きつける。
大人の胸ほどの背丈を持つ
彼らは期せずして知ってしまった。幼学組に何が起こったのかを。
こいつらは地竜。害獣を狩る益獣だが、刺激を与えると怒り狂い、人であろうが何であろうが襲い掛かる。食べ物が足りなくなって人里に現れるのはもっと後の時期の筈だが。
隼人は一度こいつとやり合ったことがあるが、拳銃も身体強化の魔法も何ひとつ通じなかった。
「逃げないでください! 獣は背中を向けると追いかけてくるんです!」
「ゆっくり後ずさるのよ!」
マリアとエーリカも、地竜の洗礼を味わった者同士である。故に、対策は学んでいた。ただし、ここまで興奮し、怒り狂った地竜は別だった。
落ち着いて対応した者すら尻尾の一撃を食らい、そのまま白目をむいて昏倒する。
隊列は大混乱になる。
誰かが〔マウザー〕拳銃を発砲。皆次々それに続くが当然のように鱗は破れない。
「二十ナントカじゃ駄目なんですよ!」
制止するマリアの声も、銃声と唸り声で聞かれない。
注意を削がれた瞬間、地竜の体当たりを受け転がる。
二十ナントカ――
その時、隼人は叫んだ!
「エーリカ!」
身体強化の魔法を発動させ、目標に向かいひたすら駆ける。
そして、隼人の意を察したエーリカもまた飛びだした。
目標はマシューとコンラートが取り落とした小銃である。
立ちふさがった地竜に、姿勢を低くしてタックルをかける。こいつは獲物にとびかかる時前傾姿勢を作る。そのタイミングで横合いから衝撃を受けると容易に転ぶ。初めてやり合った時から再戦もあるかと考えていた。それが功を奏した。
まさか、当時の自分が取った行動こそが最適解だとは思わなかったが。
そのまま立ち上がって走りかけた時、ふくらはぎに鈍い痛みを感じ、前のめりに倒れる。反射的に目をやった先には、彼の足に牙を突き立てているもう一匹の地竜だった。ふんっと吐き出した鼻息が、恐怖を誘った。
「隼人!」
すぐ脇をエーリカが走り抜ける。すれ違いざまに投げられた拳銃をキャッチした。迷わずそのまま足元に向けて連射。地竜の瞼は〔マウザー〕拳銃の弾丸くらいは弾く。とはいえ、地竜にしても鉛の塊が瞼に衝突して気持ちがいいわけでは無い。いやいやをするように首を振った。そして、1発の弾丸が、鱗の無い脇腹に飛び込んだ。
くわっと大口を開き、地竜は痛みのあまり隼人の足を解放した。
体当たりを食らわせたもう一匹がエーリカを追う。彼女は地竜の顎の下をスライディングですり抜け、〔38式歩兵銃〕を手に取った。
「ちょっ、弾が無い!」
エーリカが叫んだのは隼人への文句だろう。が、大丈夫な筈だ。
ちょっとした確信がある。エルヴィラが自分達に小銃を預けた時、
だから、勘が当たる確率は高い筈だ。
「エーリカ! これを!」
ジャン・スターリングが何かを投擲した。
地竜の目を盗んで迂回していた彼は、コンラートを助け起こしつつ、彼のベルトの弾入れに手を突っ込んだ。そして取り出した
6.5mm弾。拳銃とは比べ物にならない威力を持った
キャッチしたエーリカは素早くクリップに留められた弾薬を小銃に押し込み、ボルトを閉じた。
「10年前からの鬱憤! 思い知りなさい!」
「きゅー!」
パフがパタパタと飛び回り、地竜の視界を塞ぐ。エーリカはゆっくりと丁寧に、銃身を地竜に向けた。
隼人はその時、勝利を確信した。
一体目! エーリカを追撃してきた地竜の頭蓋骨を一撃で撃ち抜く。
もう一体! 危機を感じてか、攻撃対象を隼人から移し、エーリカに向けて跳躍する。
彼女は整然とした動きで、照準を2匹目に切り替える。重低音が、山肌を流れて行った。
「リベンジ完了!」
仁王立ちかつドヤ顔で銃を構えるのは、先日まで銃を撃てなかった女である。
マリアが隼人の血まみれの制服をまくり上げ、ふくらはぎに魔力を注入しようとしてくれたが……。
「兄さん、治します」
本来こんな事は言いたくはないが、自分が言わなければジャンに言わせることになる。
「痛いだけで何とか歩けるから、止血だけ頼む。多分これから魔法が必要になる。俺の為だけに魔力を使わせるわけにはいかない」
もっと
マリアは不満そうだが、治療を強行しても隼人は喜ばないと察して、包帯を取り出す。脳内麻薬のおかげか、痛みはほとんど感じなかった。格好を付けた報いは、すぐにやって来るだろうなと思う。おそらくは。
どうやら地竜は、暴れまわる隼人の足を上手く噛めなかったようだ。もうちょっと奥歯に近い所で噛まれていたら、止血だけなどと格好つけてはいられなかっただろう。
「でも、よく気付いたわね。コンラートが弾を持ってるなんて」
「ほんとです! 兄さんを見直しちゃいました」
彼の痛みから意識を逸らせるためか。
マリアとエーリカが尊敬の視線でこちらを見つめてくる。が、残念ながらこの話にはタネがある。
「実はな、ジャンの奴がエルヴィラ先輩がコンラートに何か渡すのを見たって言ってたんだよな。それで、あの状況で渡すのって言ったら弾ぐらいじゃん」
自信満々で種明かしをする隼人は、2つの溜め息に迎えられた。
「いや、分かってるんですけどね。それでも十分凄いって」
「でも、最初に期待した答えと比べるとねぇ」
ほっとけ、こっちはふくらはぎをターキーみたく食いちぎられるところだったんだ。
隼人は体を起こして山道に体育座りをした。
「とにかく、ジャンと話し合って点呼と状況確認をしよう。また襲われるかも知れんし」
とは言え、一難は去ったと気持ちを緩める数名の中学組候補生たち。これでもう何もあるまいと願望を抱くが、残念ながらそうはいかなかった。
士官学校史上始まって以来のデスマーチが、第27期の候補生たちを待っているのだった。
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