第32話「マリアの災難と、意外な伏兵」
”実のところ、2ヶ月で現状を覆せるとは、私自身思っても居なかった。
ところが偏見と言う鉄壁に、一本の楔を打ち込んだ者がいた”
コンラート・アウデンリート著『士官学校始末記』より
Starring:マリア・オールディントン
マリア・オールディントンは武道場にいた。目的は自主訓練。自分は剣の訓練において差を付けられている自覚がある。
今日はみっちりと鍛えなおすつもりだ。
王国の士官は、2種類の刀剣を使いこなさねばならない。
まず儀仗用に刀かサーベル。これはパレードや写真撮影に用いるものなので武器として扱う必要はない。精神的な意味合いが強いものだ。
ちなみに購入は自費で、毎年先立つものがない候補生を困らせる。
マリアのような名家で伝来の剣があれば、それを軍刀に仕立てる事もある。
もうひとつの武器は任意に選べる。
士官は貴族に準じる立場。ならば剣くらい扱えなければならない。
剣術は当然の礼儀作法だという考えで、カリキュラムに組み入れられた。
サーベルや刀だけでなく、昔の大剣を使う者も居れば、カットラスや短剣を使う海軍志望者もいる。
何故2種類の剣などとまどろっこしい事をするかと言うと、実戦で通用する者もいるからだ。身体強化や切断魔法などの使い手がそれだが、彼らは使う道具を選ぶ。
一部の者だけ好きに選ばせて特別扱いするわけにはいかないから、他の生徒も好きな武器を使わせようということになったわけだ。
何にせよその結果、マリアが苦労して汗を流しているわけである。
「いい加減、兄さんたちの足は引っ張れませんよね」
教官から預かった鍵で、壁に設置されたケースを開ける。そして彼女は訓練用の木剣を取り出した。
彼女の相棒は短剣である。リーチで劣る上に、相手の懐に入る技術もマリアは持たない。自分の体力で大型の剣を振り回せないだろうと言う、消去法で選んだものだ。
所詮軍刀の扱いは精神教育。マリアはそう割り切っている。
わざわざ大きいものを選んで取り扱いに困るのは馬鹿である。彼女は貴族の体面より扱いやすさを選択した。
武道場の真ん中で、マリアは教わった
今までは、自分の得意分野だけで良かった。後は周囲がフォローしてくれたし、その分魔法や学科で補えば良かった。
だが、これからはそうはいかないだろう。エーリカを救う為、
剣を振る手が止まり、大きく息を吐く。
たったこれだけしかできない。非力な自分が恨めしい。
水筒を手に取り、喉に流し込む。厳しく言いつけられている
ふと、水筒を傾ける手が止まる。人の気配を感じた。
「ふん、雑な
「どうせ適当にやってんだろ。父親頼みはいいねぇ」
入って来た3人は、幼学組だ。ランディの腰巾着をつとめていて、しょっちゅう自分達に絡む連中だ。マリアは冷めた目で3人を見つめる。
「何ですか? 私は脳筋と舌戦する気はありませんが?」
嫌味が通じなかったのは、加減をし過ぎたか。それとも数を頼みにしての事か。
3人はニヤニヤと笑ながら、木剣のケースへ向かう。
「稽古をつけてあげるって言ったのよ」
彼女は嘲って、ケースから、サーベルを取り出す。残り2人も刀とショートソードをそれぞれ取り上げた。
(ケースにもう一度鍵をかけなかったのは我ながら失敗でしたね。武器のアドバンテージが無くなってしまいました)
そんなマリアの打算をよそに、3人組は嬉々として木剣を素振りしている。
「さあ、一手
マリアは、彼女らの挑発に何も感じるものはない。それよりも武器を持った
正直後者は嫌だが、マリアは
けれどもマリアの思うように穏便にはいかなかった。女生徒が嗜虐心溢れる笑顔で告げたのが、決定的な一言だったからだ。
「あなた、貴族らしくないのよ。母親は平民だって言うし、もしかして何処からか貰って来た種なんじゃないの? あなた自身も、随分男の人好きみたいだし」
ああ、本当に駄目だ。
含み笑いする3人を見て思う。本当に自分は未熟だ。こんなありがちな中傷に心動かされるなんて。
だけど、その侮辱だけは、訂正させてやる!
「御託は良いです。誰が相手をしてくれるんですか?」
短剣を3人に向け、挑発する。
彼女らは薄ら笑いを浮かべると、リーダーの女生徒が剣を取り上げた。
短剣を振るう自分に思ったのは、意外といける! であった。
エーリカやジャンが稽古をつけてくれたおかげで、マリアの四肢は動く。技量こそ拙いものの、彼女の短剣は的確なポイントを突いていた。刀を振るう男子生徒も、やりにくそうだ。
だが……。
無情にも短剣は跳ね飛ばされる。
訓練したとはいえ、所詮は生兵法。同じ生兵法同士なら、体格に優れ、武器が強力な方が勝つ。マリアには、その両方が無かった。
悔しさのあまり武道場の床を蹴りつけそうになり、品位にもとると思いなおす。
それを3人は、満足げに見つめていた。
今日はもう訓練にならないだろう。短剣を仕舞おうと木剣ケースに向かおうとした時。
「待て、何処へ行く?」
ショートソードの男子生徒が目の前に立った。
そうか、そう言う魂胆か……。
「次は、俺とやるんだよ」
「……」
「負け抜けだ。勝つまで帰さんぞ」
こいつらは、自分を一方的にいたぶる気だ。まだ自主教練の時間は始まったばかり。時間一杯
だけど、許せない。母に対する侮辱は。それに、こんな事でへこたれるようでは、兄やエーリカと肩を並べないではないか!
それからマリアは二周分、叩きのめされた。グローブの中の手は、相当に腫れている事だろう。息も上がっていて、全然形通りに体が動かない。
「もう音を上げるのか。つまんねーな」
「そうね。次は誰にしましょうか?」
そんな相談をしつつ、女生徒がマリアの前に立った。
もう肩が上がらない。
義兄ならどうするだろうか? とりとめのない思考は、何か突破口になるような気がした。なにか、ヒントがあるかも……。
だが、それは遅きに失した。眼前に迫るサーベルに、一瞬、両目を閉じかけた。それじゃ駄目だ!
目をかっと開き、短剣で受け止めようとした時、サーベルはマリアに向かわず、明後日の方向から投擲された木剣を叩き落とした。
女生徒がかっと目を見開き、相手を凝視した。
「……なんのつもり? 貴族組」
木剣ケースの前で、投擲姿勢を解いたのは、貴族組のリーダー、オクタヴィア・フェルナーラ。彼女は女生徒の質問に答えず、髪をかき上げて見せた。
「随分と面白い事をやっておられますな」
傍らで背を張って腕を組んでいるのは同じくナタリア・コルネ。クロア公国からの留学生で、いつもオクタヴィアに付いて回っている。
「全くですわ。分別の無い
どうやら、マリアへの「制裁」は、貴族組と幼学組の鍔迫り合いに発展したらしい。だが、それなら何故自分を助けたのか。
マリアの疑問を読み取ってか、偶然言いたかっただけなのか。オクタヴィアは言う。
「私闘を行うのは自由。しかし、3人がかりで1人を叩きのめすなど、貴族として見逃せませんわ」
なるほど。つまり彼女らは、貴族の精神を体現したわけだ。「強き者は弱き者に奉仕すべし」と言う崇高な。つまりマリアは
「では、我々が相手になると致しましょう」
刺さりっぱなしの鍵を引き抜いて、自分の剣を探し出す。彼女が手にしたのは、刀身の長いレイピアだ。もうひとつ、大型の刀を取り上げて、オクタヴィアに投げ渡す。刀身の太い、重厚なものだ。
「そう言うわけですから、貴方は下がって……」
マリアと3人組の間に立ち塞ごうとするオクタヴィアは、マリアに押しのけられた。
「勝手な事を言わないでください。これは私の喧嘩です」
オクタヴィアの言葉を遮って、マリアは短剣を構えなおす。
「確かに私はやりたい放題やっています。でも、貴族の義務を放棄するつもりはこれっぽっちもねぇんです! 私の行いを以て私や家を侮辱する者がいるなら、それは実力で証明しないといけないんです!」
「では、貴殿の行いは、貴族としてなんら恥じるものではないと言われるのでありますか?」
「そう言いました! 聞こえなかったですか!?」
やけくそで叫んで、唖然とする女生徒にサーベルを構えなおすように促す。
「……ふっ」
突然、オクタヴィアが失笑し、くすくす笑い出した。マリアは不快そうに目を細めてしまう。
「ごめんなさい。あなたを
「自分も、謝罪させて頂くのであります」
突然謝罪され、毒気を抜かれた。
そう言えばオクタヴィア、普通に笑えるのだな。
「で、どうするでありますか?」
ナタリアに方針を問われ、オクタヴィアは自信満々に言った。
「ではこうしましょう。あなたは目の前の1人を倒しなさい。残り2人は
義侠心溢れる、とでもいうのだろうか。正直、この状況はではありがたい。格好つけておいて何だが。
「……ありがとう、と言うべきでしょうね」
礼を言うと、
「なぁに、こちらが勝手にやった事であります」
ナタリアがにやりと笑う。そしてオクタヴィアが3人組を超然と見つめた。
「そちらも、それでいいかしら?」
「コケにしやがって! 上等よ!」
自分達が倒される前提で話をされている。それは貴族組故の傲慢によるものだが、彼女らの癇に障ったようだ。
肩を怒らせ、応じる。
「シヴィルは汚い言葉を使うでありますな」
ナタリアが無意識に追い打ちをかけ、血走った目を投げられた。勿論本人は気付かない。
「では、試合開始よ」
開戦劈頭、刺突の連撃がマリアを襲う。何しろこちらは短剣。裁くのが手一杯。向こうの意図は明白で、射程外からなけなしのスタミナを削ぐ気だ。
(……兄さんなら)
どうするだろう。彼は猪突猛進馬鹿だが、自分より大きな敵に出会った時、正面からは当たらない。彼ならばこの上で考える事は、相手の意表を突くことだ。そして、ルールの穴を容赦なく利用してくる。
この戦いは3人組が
ならば!
「あっ!」
大げさに叫んで、木剣がすっぽ抜けたように見せかけ、投擲した。ルールがあれば反則負けだろう。だがレギュレーションなど定めていないし、これだけ疲労している状況では、握力も死んでいて当然。
何より、勝ってしまえば文句は言わせない!
当然のごとく女生徒は短剣を払う。
マリアは隙を見逃さない! 踏み込んだ勢いでそのまま相手の右肩に組み付く。こうなると武器など振るえるはずがない。
ここで兄に教わったなんちゃって柔道が生きた。相手を引きずり倒し、固めてしまう。
「マリア・オールディントンの勝ちですわね」
いつまで組み付いていればいいかと思案していたら、オクタヴィアが声を上げた。
見れば男2人は完全に制圧されるか、武器を跳ね飛ばされている。
「き、貴様反則だ!」
女生徒は講義するが、マリアはどこ吹く風だ。
「そう、反則ですね。しかしながらこの試合自体がルール違反なんですから、今更それをどうこう言うのは筋が通りません。それに……」
「実戦なら死んでるでありますな」
力押しの反論に、3人は黙るしかない。強引な手を使ったかもしれないが、そもそもが3人がかりの状況をつくったのは彼らだ。片方だけ追及するには、どうしても釣り合いが取れない。
「さて、幼学組諸君、彼女に何か言う事はありますでしょう?」
3人は一瞬殺気の籠った目を向けてきたが、直ぐにうなだれた。
「……私たちの負けよ。今までの無礼を謝罪するわ」
続いて、2人の男子生徒も首を垂れた。
「またやりましょう。今度は対等な条件で」
煽ったかと思われたか、彼女らが体を硬くする。しかし頭を持ち上げた時、マリアの真剣な表情を見て、初めて悔しそうに目を伏せた。自分の負けだと。
「……必ず。再戦では必ず勝つわ」
女生徒が絞り出すような声で言い、踵を返した。他の2人も続く。
オクタヴィアは、それを面白そうに見ていた。
「では、私たちも行きますわ」
貴族らしく武器に敬意を払い、きっちり磨いてケースに戻してから、彼女は告げた。
「あまり奔放過ぎると、家からお叱りが来るでありますよ?」
ナタリアの苦言は彼女なりの気遣いと感じたが、にっこり笑って返した。
「ええ、御忠告はお気持ち
頑なな一言だった。だが、これだけは譲れないのである。
そんなマリアを見て、オクタヴィアは初めて彼女に興味を持ったらしい。素直に尋ねてきた。
「あなたは、一体何を目指していますの?」
その質問待ってました! マリアは不敵に笑う。
そして、天を指さした。
「空を!」
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