第30話「小さな反撃」

”何と言うかな、スッと落ちる瞬間があるんだよな。それが来たら、「もういいか」って”


第27期生の手記より




Starring:ヴィクトル・神馬


 空気が変わりつつある。そう思ったのはヴィクトル・神馬だけではあるまい。

 幼学、貴族組ともに、彼らの成績が少しずつ自分に迫っている。それを肌で感じているのだ。焦りが彼らの語気を荒くする。


 それは悪い事ばかりでもない。そのようにも思える。何故なら――。


「アッケルマン、遅れてるぞ? 一定のテンポで歩くんだ」


 随伴の教官から声が飛び、ランディ・アッケルマンは歯を食いしばる。出来ていないわけではない。少なくとも1学年レベルでは及第点だろう。だが本人は納得しまい。そして焦っていた。


 後ろから中学組が追いかけてくるからだ。

 気位の高い彼だから、中学組の後塵を拝する事が許せないのだろう。たとえ苦手分野であっても。


(別に何の不思議も無いんだがな)


 中学組だって、2ヶ月以上密度の濃い訓練を受けてきたのだ。そろそろ追いつかれる分野が出てきてもおかしくない。実際ジャンを始め、中学組の何人かは幼学組数名を抜かして自分にピタリと着いてきている。


「くそっ!」


 悪態と共に足を進めても、得られるのは教官の叱責だけである。士官は紳士でなければならないのだ。

 無理をした結果フォームも崩れる。普段は絶対あり得ない事だが、疲労の色アゴまで出してしまう。


「おっ、お先に失礼しますっ!」


 怯えた声がして彼の脇からすっと出てきた女生徒。確か、カナデ・ロズベルクと言う。身体能力はお世辞にも高いと言えなかったが、普段から姿勢が良い。ライフル小銃の保持に求められるのも、姿勢の良さだ。猛特訓でもすれば劇的に伸びてもおかしくない。

 南部隼人かコンラート・アウデンリートか。誰かしらの陰謀を感じた。ヴィクトルは押し殺した声で警告する。


「ランディ、慌てるな。この行軍はレースじゃない」

「……分かってる!」


 答えはしたものの、完全に自分を見失っている。大股で履み出した一歩が、雨を吸った木の葉を踏んだ。彼は4kgの小銃を抱えたままスリップし、坂道を転げ落ちそうになる。


 そうならなかったのは、彼の手を取って必死に引っ張り上げた、気弱な同期生のおかげだった。彼女も勢いを殺しきれずに転んでしまうが、勢いよく倒れずに済んだのは僥倖だった。

 ランディ、そしてカナデは、壮大に息をついた。


 この後ランディを待っていたのは、容赦のない鉄拳であった。安全への備えを怠り、自分や仲間を危険に晒した者。士官学校はそれを絶対に看過しない。この件において温情はありえなかった。

 ランディは頭を下げるが、カナデは何故かそれを謝罪で返した。


「……すまん。礼を言う」

「え、ええと、ごめんなさい」


 顔を真っ赤に腫らした彼は、それに答えず歩き出す。先ほどよりは軽い足取りだった。

 幼学組に混じって歩くジャン・スターリングを見つけ、カマをかけてみる。


「筋書きは、南部か?」


 彼は特に驚くこともなく、ごく自然に話を返してきた。


「こんな偶然、演出できないよ。今頃降って湧いたチャンスに小躍りしてるんじゃないかな?」


 それはそうだろう。今日の転倒を仕組めたら。その上人間の心を自在に動かせたら、神の御業だ。


 憑き物が落ちたようなランディを見やる。もし彼が、いや彼らが本気で中学組を蔑んでいたら、彼は強い屈辱感に苛まれていただろう。だが所詮「中学組は楽をしてずるい」とばかり、つまらない意地を張っているだけなのだ。「ずるい」要素が吹き飛んでしまえば、後はもう認めるしかない。


 だから、今は実力を示す事。


 そこまで読んでいたなら、自分はあの飛行機馬鹿を見誤っていた事になる。ただし、そう上手くいくかは怪しく思うが。

 ジャンはしたり顔で言う。


「まあ、これから中学組の活躍を期待しててよ。もうちょっとで”中学組”の区切りも消滅するかもよ?」


 何と返したら良いものか。少し考えて、平凡な答えを返した。


「期待している」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



Starring:南部隼人


「初手から上手くいってはいる。だがなぁ」


 その日夕方、自主教練の時間。

 南部隼人は椅子に体重を預け、唸った。それで盛り上がっていた他の者も、冷静さを取り戻す。心配されたカナデの転倒は、傷ひとつなかったものの、相当なリスクだった。同期を危機に晒しておいて、その対価を喜ぶ気にもなれない。

 深刻そうに黙る彼を、ジャン・スターリングが諫めた。


「まだ焦るのは早いよ。隼人」


 皆を纏める彼はあくまで冷静だ。確かに3派閥をまとめるのは、彼らにとって大事業だ。数日で同行できるはずもない。

 とは言え、エーリカ・ダバートの事を考えると、どうしても焦りを感じてしまう。

 このようなのんびりした戦術で、状況を変える事が本当にできるのだろうか。

 だが、ジャンが檄を飛ばし、沈滞していた中学組生徒が再び盛り上がる。


「まあ諸君、今は出だしが好調な事を喜ぼうじゃないか」


 そこまで宥められて、うかつな物言いをしたと隼人。作戦を立てる人間が不安がっては、嫌な空気が伝播する。たとえ児戯じぎのような作戦であってもだ。今回のようにだが。

 つまり、ジャンのフォローはありがたい。


「マリアも、作戦協力ご苦労さん」


 ジャンにお礼されて、マリア・オールディントンは満更でもない顔をする。交渉ごとに長けた彼女には、随分とアドバイスを貰った。

 そんな彼女だったが、隼人には不思議そうに聞いてくる。


「でも、何で向こうの苦手分野を狙い撃ちにしたんですか? こちらの強みのある部分で勝った方が印象に残ると思いますが」


 彼女の指摘はもっとも。だが隼人はいじわるそうに答えた。


「それもやるよ。だけど、それだけやってもそいつが凄いだけと思われるだけかもしれないだろ? 中学組全員が底上げされたと印象付ける必要があるんだよ。この際勢いだけで内情が伴わなくても構わん」

「めちゃくちゃ言うなぁ」


 と言いつつも、我らがリーダーは方針を撤回するつもりは無いらしい。中学組(プラス王女様)、意外と一枚岩だ。

 コンラートが問う。


「で、今後はどうするんだ? 俺も出番ある?」


 期待に満ちた目でこちらを見る。こいつもノリノリである。

 隼人は作戦の続きを告げてやる。


「マシューは体力使う科目は全部上を狙ってくれ。マリアは実技の底上げだな。コンラートは……悪いけど現場経験者だから勝って当然と思われてる。情報収集を頼む」

「オーケー!」


 コンラートは相変わらず後ろから動く方が楽しいらしい。面白い奴だとは思う。腹は読めないが。

 おっと、もうひとりノリノリの奴がいた。


「ぼ……私はやることあるんでしょうね?」


 相変わらず男口調がポロリと出てしまっている。こいつは昔から脳筋と言うか、こういう展開好きそうだったもんなぁ。


「エーリカも貴族組だから、結果を出すのは当然と思われてるよ。だから調略をやってくれ」

「調略? ニンジャの真似事でもするの?」


 何でそんな発想が出てくるのか普通に不思議である。隼人はスルーしつつ、彼女の「任務」を説明する。


「仲のいい貴族組に近づいて、『本当は俺たちは貴族組も尊敬していて、今のピリピリしている関係は望ましくない』って吹き込むんだよ」

「まあ、別に間違ってないしね」


 結局、誰かと距離を詰めようと思ったら、積極的に話しかけるのが一番である。エーリカの相槌で、作戦の説明は終了した。

 中学組一同、確かに幼学組、貴族組への敬意はある。自分たちが遊んでいた中学時代に、必死に修練に励んできた彼らを凄いと思う。そんな空気感はあった。あくまで彼らの振る舞いが見逃せないだけなのだ。

 ジャンが掛け声をあげる。


「他のみんなも、重点的にやってもらう科目を割り振ったから覚えてくれ。期限までもう2ヶ月ない。気合を入れて行こう」


 全員が小さく勝ち時を上げる。ひとつの事に取り組む高揚感がそこにあった。


「きゅーきゅー!」


 最後にパフの高らかな鳴き声で、作戦会議はお開きとなった。

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