第27話 番外編1「お楽しみな日」

”分かってはいるんだよ。今回こそは我慢しようって。でも気が付いたらもうダメなんだよなぁ”


マシュー・ベックのインタビュー




Starring:南部隼人


 週に1度、休日とは別に候補生らにはお待ちかねの瞬間がある。水曜日の昼休みがそれだ。

 その日は朝からソワソワしだし、講義も上の空、訓練も何かに取りつかれたように黙々とこなす。さながら幽鬼のごとく。


 そして、それはやってくる。菓子やパンを売店酒保に納品するオート三輪トラックが。

 幽鬼たちは餓鬼の群れへと変わり、酒保に殺到する。そして、初夏の芝生にどっかりと腰を降ろし、包みを開けて念願の糖質をむさぼるのだ。


 士官学校の食事がまずいのではない。むしろ美味しくて量も多い。が、甘味は別腹。そして食堂では特別な日にしか出てこない。


「皆の情熱は凄いよなぁ」


 小袋の甘納豆をつまみながら、南部隼人がつぶやく。

 ジャン・スターリングは、訝しむようには首をひねって返した。


「隼人はいつも慎ましいよね。食事は良く食べるのに」


 そう言いつつ、ジャンの膝にはドーナッツとトウモロコシの蒸しパンがキープされていたりする。前世知識曰く、糖質の取り過ぎは体に悪いが、いつも激しい運動をする候補生たちには、まあ縁遠い話だ。


 問題があるとしたら、むしろ――。


「母に仕送りしてもらってる立場だからなあ。あんまり派手に使いたくないと言うか……」


 隼人は中身が少なくなった小袋をのぞき込みながら言う。

 士官学校は授業費完全無料、三食寮付き。とは言え小遣いや諸々の雑費まで世話してもらえるわけではない。結局は貯金か実家の仕送り、あるいは金持ちからの支援金。それらに頼ることになる。


義兄あには、マザコンなので」

「だからそれ、違うっていってるだろ?」


 いつの間にかやってきて茶々を入れるマリア・オールディントンも、クッキーの包みを抱えている。

 規則では食べ物を寮に持ち込んではいけないが、こっそり密輸・・して交換し合うのが楽しいらしい。


 お相手はエーリカ・ダバート。王族の彼女には自室が与えられているので、わざわざ忍び込んでいるらしい。

 その辺は彼女も随分と頭が柔らかくなったもんだ。今までならそうした小さな違反も許さなかったろうに。


「ジャンは結構買い食いするよな? 仕送り組? 支援金組?」

「う、うん。僕は支援金組だね」


 一瞬口ごもったので、彼も支援者パトロンの金で間食する後ろめたさがあるようだ。

 誰からどんな支援を受けているのか? 気になったが無理に聞く様な事は事では無いだろう。


「私たちはまだマシですよ?」


 マリアが指さすのは、袋一杯の菓子を抱えたマシューである。この後ここで食べる順番に並べて、残りは寮に持ち込んだ上、一週間持たせるらしい。


 これさえなければ情に厚くて頼りになる奴なのだが。


「でも、幼学組は僕らより派手だよね。貴族組は相変わらず意識高いから来ないけど」


 ジャンは疑問をぶつけるが、マリアが知る答えは単純だった。


「コンラートが言ってましたが、彼らも最初は自重して遠慮がちにやってるんだそうです。でも幼年学校で過ごすうちに、結局は染まっちゃうそうですよ」

「そいつはくわばらくわばらだ。俺たちも気を付けんと」


 そうは言うものの、やはり甘味の誘惑には抗いがたい3人である。


「そう言えばコンラートは? ヴィクトルも見ないね」


 人の群れを探しても、目当ての人物たちは見つからない。


「ヴィクトルも意識高い系ですから、自主訓練か何かしてるんじゃないですか? コンラートは……」

「よっ、皆さんお揃いで」


 きょろきょろと見まわしていると、彼の声がした。何やら紙束を抱えている。


「なんだそれ?」


 何だか触れない方がいい気もしつつ、好奇心に負けて尋ねてしまう。コンラート・アウデンリートはニンマリ笑って紙を一枚差し出した。

 それは、例の射撃訓練補習の申込書だった。


「それ、全部使うのかい?」


 ジャンはあきれ顔で問うが、コンラートは満面の笑みだ。よくぞ聞いてくれましたと。


「射撃部内で弾を工面するより安くつくと気付いたんでな。どうせ同じ事に気付くやつも出るから、ルールが変わる前にやれるだけやっとくのさ」


 ご苦労な事であるが、まあ本人が幸せならそれは何よりだと思う。


「確かになぁ。俺も飛行機関連の雑誌が何冊か欲しいし、買い食いはほどほどにしないとなぁ」

「仕送りを大事に使う話は何処へ行ったんですか兄さん?」

「大丈夫! 無駄にならないから!」


 マリアは呆れた顔をするが、考えて欲しい。

 甘い物は食べたら終わりだけど、飛行機の写真は何度でも見られる。なんならご飯のお供にもできるのだ。


「心の栄養は別腹さ」


 親指を立てたら、溜息を吐かれた。失礼な。


 まあ、生活費がタダなら卒業まで問題なかろう。


 だが、そうは問屋が卸さないと言うのを直ぐに思い知らされる事となる。


「お前ら雑誌だの間食だのもいいけど、秋になったら式典用の軍服を仕立てなきゃいけないのを忘れてないか?」

「……えっ!」


 コンラートが言う。自分の事は棚に上げてたが、が指摘自体はもっともである。

 隼人は一瞬で表情をひきつらせた。


「礼装の費用は学校から支給はされるけど、それは最低限だからな? 生地の質とか縫製とか、ちゃんとした店で発注しないと、開校祭の開会式で大恥をかくぜ? 当然、その追加分は自費」


 聞いてないぞ! 頭を抱える隼人だったが、それもそのはずである。

 入学時のガイダンスなど、例の事件で受けていない。何やら冊子を渡されたが、日々のアレコレに忙殺されて当然読んでいない。


「……まじか?」


 思わず低い声を出してしまう。

 今まで士官学校と言えば、衣食住の保証されたそれなりに恵まれた場所だった。食事は旨いし内装は奇麗。図書室には大量の蔵書があり、自習環境もすこぶるよい。

 精神的、肉体的な負荷を徹底的に課してくるのはまあ別にして。

 礼装とは言え、服一着の為に何故そんなけち臭い真似を? などと疑問に思うのは当然なわけで。


 その辺りの疑問を先回りしてか、コンラートが告げる。


「確かに士官学校は俺たちの為に金をかけてくれる。だが精神教育に必要と判断したら、容赦なくケチるぜ?」

「えっ、そうなんですか?」


 マリアまで驚いて聞き返す。

 ジャンは支援金をあてにしてか、まだ若干余裕がありそうだ。当然それに気付いているだろう。コンラートは人の悪い笑みと共に、返答を返す。


「礼装は軍刀とは別の意味で士官の顔だろ? それをお小遣いをもらって買いましたじゃ考えが甘いってわけさ。それなりに手間とコストをかけて、恥ずかしくないものを用意せよって事らしいぜ?」

「……誰ですかそんな余計な事を言い出した陰湿な輩は」


 マリアが忌々しそうに際どい事を言う。

 まあ、確かに学校側が言わんとしている事は分かる。納得するかは別にして。

 そんな3人を驚かせたいのか、コンラートが悪戯っぽい笑みを浮かべる。余り紙と鉛筆を取り出し、さらさらと何か書いた。


「礼装にかかる平均的な出費だ」


 覗き込んだジャンの顔が引きつる。続いて見た隼人とマリアも、彼の狼狽を理解した。


「まあ、足りなきゃ貸してもくれるみたいだけど、それなりの経済事情がある奴だけだな」


 そう言ってコンラートは無慈悲な事実を開陳し終えた。

 ジャンは並べていたパンを、袋に戻してゆく。


「それから、備品の盗難で盗まれた支給品は、代わりを酒保に買いに行かんと駄目だぜ? 勿論自費で。申告すれば再支給はしてくれるけど、強面の教官に捕まると反省文だからな。それと秋から始まる……」

「いや、もういいよ」


 ジャンが降参を宣言し、隼人も無駄遣いは止めようと肝に銘ずる。


「……雑誌は慎ましく買うよ」

「それが良いですね。悪い事は出来ないものですよ」


 別に悪い事はしていないのだが、「軍服買いたいけどお金が無い。助けて」などと母に言えるはずがない。いや、出してくれるだろうが、良心の呵責で脳が灼けてしまう。


 マザコン扱いされたおかげで、道を踏み外さず済んだ。マザコンじゃないけどな。

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