第23話「再訓練」

”士官学校の裏門陸側の門には、2つの名前があるのさ。外に出る時は「極楽門」で、戻って来る時は「地獄門」ってね。


でも、極楽門すら潜らずに勉強に明け暮れる物好きの方がもっと恐怖だったけど”


ダバート王立士官学校29期生のインタビュー




 同期たちの列に出くわしたのは、南部隼人が必要な道具をそろえ、射撃場に向かうところだった。


「よう、お前ら本当に居残って訓練するのか?」


 同期たちの中で、マシューが問う。妖怪でも見るように。まあ、自分も普段なら居残りなんてしたくない。日曜日は休日、学生たちにとっての心のオアシスだ。いつもギリギリの時間で生活している1学年は特にそうである。


「しかしお前、なんか疲れてるな。目の下にクマがあるぞ?」


 マシューは心配そうに顔をのぞき込んでくる。理由は昨日は痛みで眠れなかったからだ。心配はありがたいが、説明するわけにはいかない。


「すまん、何も言わずに見逃してやってくれ」


 隼人が両手を合わせると、こちらの事情を感じ取ってくれたようだ。マシューは見逃してくれた。若干引いた様子で。


「そ、そうか」


 とは言え、彼が訝しむのも分かる。

 1年生は、現時点では自由な外出は認められない。4年生に引率されて市内の史跡や軍事施設を回る「レクリエーション」が、入学後暫く続く。いきなり学生が羽目を外さないための措置だろうが、自分の時間を持てると思っていた者は肩を落とす。

 それでも訓練を休んで観光できるのと、引率の先輩次第で買い食い位はお目こぼししてもらえる事もある。


 それを振り切って、それどころか金まで払って残業・・しようなど、彼から見れば確かに狂気の沙汰だろう。


「俺なんか、もう何を買い食いするか決めてあるってのに」


 もったいないもったいないと祈りの文句でも唱えそうなマシューである。こちらは苦笑で返すしかなかった。


「まあ、色々あるんだよ」


 マシュー・ベックと言う学生、力仕事をさせれば幼学組に負けない働きをするが、いかんせん燃費が悪い。彼がフルスペックを発揮するには、相応の糧秣を必要とする。


「そう言うもんじゃないぞ。自分の足りないところを余暇を使って学ぶのは意義のある事だ。ただし、休める時に休んでおくのも大事だがね」


 列を率いていたエルヴィラが助け舟を出してくれた。彼女はハインツの婚約者と言うから、エーリカの事情も全て知っているのだろうが。


「ま、今回は訓練に専念して、来週は観光を楽しむよ」


 隼人は手を振って別れた。こっちはこっちで集中すべきことがあるのだ。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 一番にやってきたエーリカ・ダバートは、こみ上げてくる不快感をかみ殺した。これから射撃訓練をするというだけで気分が悪い。せっかく隼人たちがおぜん立てをしてくれたと言うのに。


 隼人たちもぞろぞろやってくる。正直、彼らに無様な姿をこれ以上見せたくない思いもある。だがもうそれはいい。無様さは既に晒している。


「さあ、弾も銃も用意したぞ。要望通り三種類・・・持って来てある」


 ジル教官がやってきて、拳銃と弾、クリーニング用具をテーブルに並べて行く。


「弾の箱を混ぜるなよ? 誤装填には気を付けて造ってあるんだろうが、万一と言う事もある」


 何故か弾丸を運んできたヴィクトルが、もっともな苦言を投げてくる。


「何でヴィクトルが?」


 ジャンが尋ねる。不可解そうだったが、決して怪訝そうではなく、ただ不思議と言う感じだった。


「ああ、俺が手伝いを依頼した」


 コンラートがあっさりと答える。最近何やらやり取りしているようには見えたから、密約のようなものでもあるのだろうか。


「借りを返しに来ただけだ。まあ、俺の事は気にせずやってくれ」


 弾丸を並べ終わると、テーブルから後ずさった。ヴィクトルとしては特に何かする気はないらしい。準備は終わったぞと、ジル教官があごで示す。


 コンラートが進み出る。


「ありがとうございます。一応チェックさせて頂いても?」

「好きにしろ」


 ジル教官が頷いたのを確認して、弾薬の箱を開ける。銃のチャンバー薬室を覗き込み、コンラートは満足した。どうやら彼が指定した条件は満たされたようだ。


「エーリカ、大丈夫ですか?」


 マリアが気遣ってくれる。だが、今日は無様を晒すと決めたのだ。吐こうが倒れようがとことんまでやりたい。


「私は大丈夫。それより、皆付き合ってくれてありがとう」


 エーリカの殊勝な態度からだろうか、ジャンはやりにくそうに微笑んだ。


「いや、お礼を言うのは僕の方。結局訓練費出させちゃったし」


 確かに彼らの訓練費は自分が払ったが、別にどうと言う事はない。こういった事で借りを作りたくないのは、我ながら素直じゃない性分である。

 それでも、彼のよそよそしい態度は気になっていた。打ち解けたい。そう思っていいのか、思う資格があるのか。今は分からないが。


「お金は使うべき時に使うものよ」


 胸を張ってそう言うと、案の定マリアが茶化してきた。


「よっ、おっぱいさん!」

「だからそれはやめて」


 冷やかすマリアに少しだけ嬉しくなった。あの頃と同じノリだったからだ。ただ胸云々はこれっきりにして貰う事にしよう。結構気にしているのだ。

 そんなやりとりをしていると、ジル教官が進み出て、補習は始まった。


「もう一度おさらいしておく。拳銃は右手と左手、2点で保持する。実戦では基本両手で撃て。馬上や障害物、片手が使えない急場など、特殊な事情が無ければだが。オールディントン、理由を言ってみろ」


 これは皆分かるだろう。実際指名されたマリアもすらすらと答えてゆく。


「二点で保持した方が、銃と両肩で三角形を形成でき、安定して衝撃を吸収できるからです」

「よし、ちゃんと復習はしてきたようだな」


 教官がにやりと笑う。彼女の笑い顔は基本ふてぶてしいが、今日は何やら楽しそうに感じた。

 表情をうかがう目線を感じたのか、教官は付け加える。


「なに、射撃訓練の補修なんぞ申し込んでくる奴らが何を考えているのか知りたくてな。先程のやりとりを見ていると、どうやら面白いものが見られそうだ」


 そうは言うものの、こちらも切実なのだからしょうがない。何か言われるかとは思ったが。


「気を付けッ!」


 突然の不意打ち。全員がびくりと体を震わせ、次の瞬間には直立不動になっている。日頃の教育の賜物だ。

 ジル教官は半ば威圧するように話し始めた。


「老婆心ながら忠告しておこう。士官学校は諸君が研鑽を怠らない限り、諸君を見捨てる事はない。心理的な問題で銃が撃てなかったとしても、我々は徹底的に解決まで付き合うことになっている。つまり……」


 一呼吸おいて咳払いをする。そこで、教官は告げた。


「困っているなら相談せんか」


 強面の彼女がそんな事を言い出すものだから、驚きと、そしてにやにや笑いが出てしまう。

 流石のヴィクトルもいつもの形式ばった表情を崩し、その後無言で敬礼した。


「今笑った奴、明日の昇降訓練ではみっちり鍛えてやる」


 隼人とジャンが「げっ!」と声を上げ、コンラートとマリアが胸をなでおろしていた。


「教官、ありがとうございます」


 エーリカの礼を、鼻を鳴らしてかわす。

 だんだん彼女の性格が分かって来きて、信頼も芽生えつつある一同であった。


「……でだ、アウデンリート。何故銃を3種類も用意したか説明してみろ」


 コンラートが進み出て、並べられた銃を手に取る。それはもう、待っていましたとばかりに。

 テーブルに置かれているのはいつも訓練で使用している小型拳銃だ。対してコンラートが持ち上げた二梃は一回り大きい。


「こちらの大きい方は、同じマウザー社のものですがそれぞれ32口径と、38口径を使用するモデルです。それぞれ〔|M1914〕と〔M1934〕ですね。両方とも護身用の弱い弾薬を使用しますが、番号が大きいほど威力が高くなります」


 つまり、普段使っているものは25口径だから、威力が一番弱い。それよりも番号が大きい32口径や38口径はもっと威力が強いと言う事だ。コンラート曰く、これらの弾は軍用としては威力不足らしいが。


 ジルも頷いた、までは良かったが、コンラートをじろりと睨み、詰問した。


「しかし、こんな銃、士官学校の備品には無かっただろう。どこから借りてきた?」


 ジャンが苦笑する。「これ言っちゃっていいの?」とでも言うように隼人とコソコソやっている。何かとんでもない事をやったんじゃなかろうか? いや、結果的に自分がやらせたんじゃなかろうか? 背中に冷たいものが走った。

 当然ながら彼らは、良いから話せと一喝される。

 進み出たジャンは大げさに気を付けして、説明、いや釈明を開始した。


「こちらはガストン教官の私物を”お借り”しました!」


 それだけで全てを察したのは、流石歴戦の大尉である。一瞬鋭い目で主犯たちを見やる。

 

「あの人は仕事熱心だが、酒と甘い物に弱い。夜の騒ぎも貴様らの仕業か……。貴様ら1年のくせに、小賢しい真似をするじゃないか」


 ジャンの言える答えはひとつしかなかった。緊張でカクカクと震えながら。


「さて、何のことでしょう」


 隼人とコンラート、マリアまでが青くなっている。こいつらが実行犯か。エーリカも言葉を失った。よくわからないが、とんでもない事をしてくれた・・・らしい。


 訝し気に見守るヴィクトルをよそに、ジャン達は必至に冷静を装った様子だ。教官は彼らを睨みつけ――ふっと笑みを浮かべた。


「では、補習を始める」


 悪たれ一同が胸をなでおろす。教官は聞かなかった事にしてくれるようだ。ジャンたちも聞かれなかった事にするだろう。


 コンラートが進み出て、訓練の概要を説明してゆく。


「さて、弾はたっぷりある。まず38口径から撃っていって、少しずつ威力を下げる。恐らくエーリカの場合、25口径の音、反動、火薬の臭い、何かが受け付けないんだ。それをひとつひとつ調べて行く」

「それで大丈夫なんですか?」


 眉唾ではないのか? とマリアが念を押す。コンラートも確証はないようだが、言い切った。


「……俺が知る例はそれで上手くいった」


 エーリカとしては、そんなやり方があるとはと正直驚いている。

 自分は無理に何とかしようとして余計悪化させたと言う後悔もある。きっとエーリカひとりでは思いつかなかったやり方だ。


 マリア以外の3人は、エーリカのトラウマについては何も知らない。というより何も聞かないでくれた。自分は、周囲にそんな人達がいて、何を意固地になっていたんだと思う。


「じゃあ、まずは38口径から言ってみよう」


 一回り大きいと言っても、この〔M1910〕シリーズはそもそもが護身用、掌より少し大きいサイズしかない。軽くて小さい方が撃ちやすいと思われがちだが、軽いは軽いで銃本体が反動を吸収してくれない。それで制御が難しくなる。


 エーリカは動作不良を起こさないよう、弾倉マガジンに弾薬を装填してゆく。ゆっくり丁寧にグリップへ押し込み、スライドを引いて発射体勢にする。


 銃を掴んだ両手と両肩で三角形を作るスタイルは、左右に素早く照準を変更できる。襲撃に対応するには適した構えだ。

 1発、2発、彼女は慣れた手つきで拳銃を操作し、10メートル先の的に当てて行く。全弾撃ち尽くし、ふうっと息を吐いた。


「どうだ?」


 コンラートの問いに、エーリカは頷く。


「特に問題ないわ。ただ、銃の大きさが近いからちょっと気持ち悪い」

「そうか、じゃあ次32口径行ってみよう」


 コンラートは、32口径の〔M1914〕を手渡してくる。

 エーリカは先ほどと同じ動作を繰り返す。先程よりぎこちないが、問題なく撃てているように思える。


「さっきより胸がむかつく感じ……」


 軽く深呼吸しながら、拳銃を置いた。


「でも、撃てば撃てるんですよね?」


 マリアに問われ、頷いて返す。同時に無意識に口を押えている事に気付いた。コンラートが続ける。


「じゃあ25口径……に行く前に。隼人、エーリカの横で撃ってみてくれ」


 隼人はこちらに視線を送る。自分で良いのかと言うように。お願いしますと頷くと、彼はテーブルの銃を取る。最初こそへたくそだったが、散々撃った結果だろう、人並みには扱えるようになっていた。エーリカより手慣れていないが弾薬を装填し、射撃位置に向かう。


 1発撃った時、母親の尋常ならざる表情がフラッシュバックした。駄目だ、耐えろ耐えろ!

 今度は深く深呼吸して、嫌な衝動をやっと追い出した。


「じゃあ、次は少し離れて撃ってみてくれ」


 隼人は手で合図して、2つ向こうのレーンに移る。再び発砲。


「エーリカ、大丈夫ですか?」


 膝をついてしまう。やはり一筋縄ではいかないようだ。マリアに背中を撫でられながら、心配そうにこちらを見る隼人がいた。彼に失望されることが一番いやだ。あの日・・・から自分と隼人は対等な仲間だったはずだ。なのに自分は……。


「……大丈夫」


 強がりな台詞を吐いて、再び立ち上がる。拳銃を構えなおすが、無理をしているのが自分でも分かる。でも、皆が協力してくれているのだ。ここで逃げ出したら申し訳がたたない。


「とりあえず分かった。エーリカの不調は”音”が原因だな。可能なら訓練中は別の音をガンガン鳴らせばいいんだが……だめっすかね? 爆竹とか」


 さしもの教官も頭を抱えた様子。コンラートもとんでもない事を言う。


「無理に決まっている」

「……ですよね」


 教官はかぶりを振る。とんでもない事を言うと言いたげだ。

 まさかエーリカひとりのために射撃場で爆竹を鳴らし続けるわけにもいくまい。


「なので、全員エーリカの横で38口径と32口径をぶっ放してくれ。音がまぎれて影響が減る筈だ。それで少しずつ馴らしてゆこう」


 皆はそれぞれ銃を取る。ヴィクトルも無言で弾倉を装填しレーンに向かった。


「良いのか? お前まで撃つとタダ働きどころか持ち出しになるぞ?」


 コンラートがからかうように声をかける。


「借りを返すと言った。それに、確かにこれは良い訓練になる」


 彼らがここまでしてくれるのだ。自分がくじけるわけにはいかない。エーリカは射撃姿勢を取り直す。


「……待て。射撃姿勢が崩れて腰が引けている。恐怖を乗り越える事も大事だが、事故を起こしたら元も子もないぞ」


 教官は背中越しに腕の姿勢と腰の位置を修正していく。


「ありがとうございます!」

「焦るな、まだ時間はある」


 コンラートの作戦は的を射ている様に思えた。とりあえずではあるが、エーリカは25口径を撃てている。ただ、胸のムカつきは治まらない。

 このまま行けるか? そう考えるのは残念ながら錯覚だった。やはり騒音がなくなると動けなくなってしまう。


 やっぱり駄目なのか。


 所詮自分は出来ないのか。


 孤高の王族になる事も、あの日の約束を果たす事も。


「兄さん!」


 突然、マリアが叫んだ。


「声をかけて下さい!」


 声を、隼人が?

 止めて欲しい。こんな自分になんて声をかけろと言うんだ。彼に上っ面の誉め言葉なんてされたら、自分はもう……。

 振り返る事も出来なかった。


「いいか、エーリカ」


 振り返る事も出来なかった。しゃがんで耳元に口を寄せ、隼人は言った。


「俺は、お前を尊敬している。お前は誰よりも努力している」


 エーリカの目が見開かれる。それはお追従ついしょうとは感じなかった。


「真っすぐで、自分の意志を曲げないのも、人の気持ちを大事にしてくれるのも、本当に昔のまんま・・・・・だ。俺はとても嬉しいんだ。お前とまた・・一緒に騒げて」

「隼人、きみ・・は知って……」


 立ち上がりかけた肩を押さえられた。隼人が首を振る。


「俺が言いたいのはそれだけだ。さあ、無理する事はないよ。医務室へ行こう」


 そっか。

 そうだな。


 こんなことくらいで、自分達四銃士の腐れ縁が切れるわけないんだ。


 そう思った時、隼人の腕を振り払っていた。


「……まあ見ていてよ。今度は上手くやるさ」


 隼人は、神妙に頷く。

 立ち上がって銃を構える。胸のむかつきはあるが、不思議と気にならない。


「もう一度、お願いします」


 コンラートは何か言おうとしたが、マリアが大丈夫ですと言い切った。

 ゆっくりとトリガーが絞られる。撃発、銃声が止んだ時、力強く立つ自分自身を自覚した。


「ばかだな。大切な相棒・・を忘れるなんて」


 銃をそっと撫でる。古い友達を迎えるように。


 ジャンとコンラートがVサインを送って来た。隼人もそれに従い、マリアも続いた。それを見つめるヴィクトルも、いつになく温和な表情だ。

 王族らしい作法では無かったが、エーリカはにっと笑い、Vサインを返したのだった。そこには、不貞腐れたお姫様は何処にもいなかった。

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