第21話「蛇の道は蛇」
”突然視野が広がる瞬間と言うのは突然やって来る。それは感動を伴う事もあれば、苦々しい思いをする事もある”
ジャン・スターリングの手記より
ジャン・スターリングも驚いた事であるが、士官学校において夜ベッドを抜け出し、校内をうろうろすると言う行為は黙認されている。意外な話だが。
勿論異性といちゃついていたら鉄拳では済まされない。だが、学生たちにはちゃんと「夜の遊び場所」が用意されている。
それが意外にも、教官の寮である。
夜ぶらぶらと遊び歩こうものなら、上級生からの
学生たちの名誉のために書いておくと、本来の目的通り従軍経験や訓練での相談を聞きに教官を訪ねる者も多い。それ以外のものは、好きな教官から面白い話を聞いたり、個人的な悩み事を聞いてもらったり、酷いのになると菓子をたかったり酒を持ち込んで教官を巻き込んで騒いだり。恩師の居室を遊戯場にしてしまう。
ルールとしては、まず昼のうちに訪問の許可を取っておくこと。女性の教官を尋ねる場合には、男子学生より女子学生が多くなければならない。特に教官と生徒の双方とも異性同士である場合には、一対一の形になるのは絶対の御法度。逆に言えばその程度である。
以上はコンラートからの情報だ。
入校2か月に満たないひよっこ共が、いきなり今夜家に入れろと頼んでくる。1年がこれを覚えるのは、流石に多少は余裕が出てくる夏休み明けくらい。かつてない事態であろう。
それだけに興味を覚えたらしく、ガストン教官はにやりと笑い快諾した。隼人が予測した通りである。
ガストン・スフェラ大尉。42歳。奥方を早くに亡くし、現在は引き取った養子に仕送りしている。そして、ジル教官同様ラナダ独立戦争に従軍している、現場経験豊富な士官である。ちなみに、趣味は銃を撃つことと体を鍛える事。
これもコンラート情報だが、もうひとつ重要な鍵がある。
彼は酒と甘い物に目が無いのである。
「本日はありがとうございます! 実はかるかんを手に入れまして、日頃薫陶を頂いている教官に是非差し上げたいと」
一礼しつつ、菓子箱を差し出すコンラートを見て、教官は破顔する。恐らく3人にではなくかるかんに。
(上手くいったな)
ジャンがウィンクして見せると、コンラートも一瞬だけ口角を上げた。隼人も遅れて片目をつむる。
これは隼人の作戦。エーリカの訓練に必要な物を手に入れるための決死の策だ。あと、かるかんは例によってマシュー供与である。
「そうか、わざわざすまんな。茶を入れるからそこに座れ」
そう言って湯を沸かす後姿は、どことなくうきうきしている教官であった。
「俺も貴様らに興味がある。入校時のバカ騒ぎに歓迎会の立ち回り。お前らの何人かは、修羅場をくぐった事があるんじゃないか?」
本当に偶然、隼人の表情が一瞬強張るのがみえた。非常に分かりやすい奴である。きっと何かがあったのだろうが、ここで追及する事は出来ないし、その気も無い。気になりはするが。
「ははっ、そんな大げさな」
コンラートもまた、おどけて話を流す。彼も何か大変な目に遭ったのだろうか? 従軍経験はあったのだから、何処かで戦闘を経験していてもおかしくはない。
ジャンもまた、曖昧な笑いを返すだけだった。
隼人たちとは言え、自分の事はまだ話したくない。まして今は教官がいる。
「まあいい。貴様ら何か目的があってここに来たんだろうが、その前に俺の話も聞いてゆけ」
ガストンは学生から割と嫌われている。人柄に問題があるからではなく、彼の課す訓練が厳しいからだが。しかしいざゆっくり腰を据えて話してみると、口は悪いが気さくな人物だ。
上級生は彼の事を「大穴」と呼ぶらしい。良さには気付きにくいが、それだけに仲良くなった者の総取りだからだ。
実際軍での失敗談や、ラナダでの従軍経験は大変興味深く。隼人は――恐らくコンラートもだが、早朝までベッドに戻らない覚悟をした。正直昼の訓練のせいで恐ろしく眠いが。
「しかし、スターリングとナンブの反応は正反対だな」
「でしょう?」
話の途中、そんな事をガストンは言う。それに
「どういう事でしょうか︖」
聞き返してから、⾔葉の意図に気付いた。2⼈の聞く姿勢である。自分と隼人との違いは、付き合う程に感じるようになった。
隼人は、教官の⾔葉を⾯⽩いと思って聞く。興味深い話は楽しまなければ損だと考えているのだろう。
ジャンは違う。⽬の前にある有益な情報を聞き逃すまいと、話し⼿を睨みつけるように傾聴する。盗めるものは可能な限り盗めると考えるからだ。
隼人の無邪気さは素直に羨ましいと思う。自分のやり方を変える気も無いが。
ガストン教官は、さも楽しそうに破顔した。
「まあ、良いんじゃないか。どちらが正解と⾔う事もあるまい。対等に競い合って⾏けばいい」
「良いんでしょうか︖」
思わず問い返してしまう。横に座る隼人はどんな顔をしただろうか︖
「良い。むしろ違う⽅がお互いに刺激になる、ただし……」
教官はふたりをじろりと⾒て、勿体ぶった⼀⾔を告げた。
「対等であるならな。それだけ肝に銘じておけ」
「対等……ですか?」
意味を捉えかねて、隼人がオウム返しをしてしまう。教官はくくっと笑う。
「まあ、いつかは必要になるかも知れん。覚えるだけ覚えておけ」
結局最後まで良くわからなかったが、とりあえず元気よく返事をした。
「しかし、貴様らは、甲蟲の騒動を経験しただけで、すっかりチームになっている様だな」
ガストン教官は何事も無かったかのように、話題を切り替える。
「どういう事でしょうか?」
問い返すジャンに、ガストンは言った。
「そのままの意味だ。軍人は誰とでも連携できるべしと言う建前があるが、そうはいっても人間だ。相性はある」
少しだけ驚いた。ジル教官の教えとは真逆だったからだ。そう指摘すると、ガストンは難しい顔をする。
「彼女も若い。何とか教え子から戦死者を出すまいと必死なんだろう」
そう言って番茶を啜り、話題を元に戻した。
いずれにせよ、この時のジャンには、ジルの考えなど推察する余裕は無かった。
「まあ、そんな中でお前らは背中を任せるに値するチームを得られたわけだ。これは非常に幸運だぞ」
なるほどと相槌を打つ。ただ、彼が何を伝えたいのか分からない。コンラートを見ると神妙に聞き入っている。何か感じるものがあるのかもしれない。
教官は続ける。
「つまりだ、そんな幸運に恵まれたなら、絶対に手放すな。まあ、アウデンリートも同じ考えだろうがな」
「ハイ、見透かされましたか」
コンラートは答える。ぺろっと舌でも出しかねない勢いで。
「こいつらは、面白いんですよ。何をするにもかっちりと噛み合ってる。皆が自分の役割を広い視野で果たしてくれる。実家の勝手で婚約者から引き離されて不貞腐れてるところに、竜神様が愉快な出会いをくれた。そう思いました」
知らなかった。彼の行動原理は面白半分だと思っていたが、そうじゃなかった。
彼の境遇に対するジャンの印象は「被害者」だった。下級とは言え、貴族の家に生まれ、そうかと思えば軍隊で稼がざるを得ず、また掌を返されて士官学校に送り込まれる。
貴族と言う存在に対して溜飲が下がった部分を否定できない。そんな自分に罪悪感を感じていた。
だけど、彼の歩いている道は自分と似ている。理不尽に翻弄されて、たどり着いた
それにしても、何事もフランクな彼にも葛藤があって、必死にやってきたのだな。内心で今まで抱いていた偏見を詫びる。
「まあいい。研鑽に励め」
教官は楽しそうに笑って、最後のかるかんを手に取った。始めから献上品だから文句を言う筋合いではないが、ほとんどひとりでぺろりと平らげてしまった。
「それで、俺に何をして欲しい?」
本題は向こうからガストンの方から振って貰えた。マシュー供与万歳である。
「このメモ書きにあるものをお貸し頂けないでしょうか? 教官はこう言った物を収集しておられると聞きまして」
前のめりになってコンラートが尋ねる。ガストンが腕組した。学生が教官に物を無心に来るとは前代未聞だろう。
「消耗品は代金を払います。使用もジル教官の指導下で行いますので、危険な事は致しません」
隼人が引き継いで畳みかける。教官は困ったように頭を掻く。お願いが異例過ぎて判断つきかねるのだろう。
「しかしなぁ。ジルの奴が監督するとは言え、何かあったらなぁ」
2人はガンガン攻め立てるが、教官は逡巡して応じない。このままだと押し切るのは難しいだろう。だから隼人が落としにかかる。立ち上がって教官の耳元でささやいた。
「かるかん、もう2箱で手を打ちません?」
効果はてきめんだった。
大きく溜息を吐いて、席を立つ。
「目的のものは倉庫にあるが、あそこは危険物もしまってある。危険度が低い物、例えば教員の私物は鍵1本だけで取りだす事が出来るが、そんなところに貴様らを入れるわけにはいかん」
再びお説教、と言うより妙な説明が始まった。どういう事かと尋ねようとするも、コンラートに肩を押さえられた。首を振って押さえるように伝えられる。
教官は、構わず言葉を続ける。
「だから、絶対に入ってはならん。ところで俺は
ガストンが部屋を出てしまうと、ニヤニヤ顔のコンラートが件の引き出しを漁り出す。これが
日本にはああ言った「振り」なるコンセンサスを駆使し、観客を笑わせる芸人が一世を風靡したと隼人は言っていた。
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