第18話「あれからのこと」

”腐れ縁と言うものは、なかなか切れないものです。どんなに逃げても、向こうからやってくるものですから”


エーリカ・ダバートの手記




 エーリカ・ダバートは呆れ顔で肺の空気を吐き出した。

 溜息の原因は、医務室にやってきたマリア・オールディントンだ。おそらく自習時間をサボって来たのだろう。幼学組いわく、あれには抜け出すコツがあるそうなのだ。

 エーリカはベッドから身を起こす。彼女とは折り合いが悪い。きっと色々言われるだろう。


「……みっともないと思ってるんでしょう?」


 絞り出した言葉に他意はなかった。偉そうな口を叩いておいて、結果を出せなかった自虐である。マリアの方はそう受け取らなかったようだが。


「別にみっともないとは思いませんよ? 私だって基礎体力は皆さんに劣りまし、適材適所で良いのでは?」


 そう言う事じゃない。

 自分はやらなければならないのだ。1人でも、やらなければならないのだ。


「あなた達とは違うのよ。与えられた力が大きいだけ、果たさないといけない義務も大きいの」

「……その考え方がみっともないですね」


 マリアは、事もあろうに切って捨てた。満面の笑みを浮かべながら。

 予想していたのより堪える一言だった。彼女の毒舌はあの頃・・・より切れ味が増している。

 そして気付いた。彼女たちに失望されるのは、ハインツに叱責される事よりずっと痛い。


「喧嘩売ってるの?」


 彼女のすまし顔は、エーリカの威圧など簡単にスルーした。どの道口では敵わない。

 一方のマリアは、攻撃の手を緩めるつもりは無いらしい。


「全部が全部できる人間なんているわけないじゃないですか? なのに何の策も無く突撃を繰り返すのを脳筋と言うんです」


 内心で気色ばんでいたが、悟られないようにマリアを見返す。自分の努力を否定されたようで最悪の気分。いや、本当はそうではない気がした。自分が否定されたのは、2ヶ月やそこらの努力ではない。もっと根っこの部分だ。


 仮面を引き剥がそうとする言葉を必死にやり過ごそうと従兄の名前を出す。


「でも、ハインツ兄さんは……」


 聞かれもしないのに従兄の名前が出た。マリアはにっこりと笑う。恐らく、自分の内心を吐き出させたことに。


「ああ、あの人周囲に見せませんけど芸術系はからっきしですよ? 図面は描けるからあんまりボロが出ないみたいですけど」


 更にマリアは笑う。情報源がありましてねと。

 いい加減な事を言いやがる。彼に限って・・・・・苦手な分野などあるわけがない。


「調べてないんですか? だからあなたは脳筋なんです。猪突するし、銃に目の色変えるし。どうせ子供向けの冒険小説とかまだ・・読んでるんでしょう?」

「失礼ね! もうとっくに・・・・・・卒業した・・・・わよ! ブラコンになり果てたあなたが言う事――ッ!?」


 やられたっ! 反射的に手に口を当ててから、事態に気が付いた。

 にまーっと、マリアが人の悪い笑みを浮かべる。

 どう取り繕おうかと考えたが、一度口から出た言葉は引っ込められない。相変わらずの口八丁手八丁ぶりだ。


「おかえりなさい。リッキー・・・・


 本当に憎たらしい口だ。

 お茶を濁すのはすっぱりと諦めたエーリカは、ただ一言憎まれ口を叩いた。


「……してやられたよ。相変わらず君は意地が悪いね」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 8年前の夏、マリア・オールディントンはそこに棲む白竜に合いたいと暴走する隼人に付き合わされ、嘯山うそぶきやまへ向かった。そこで出会った少年・・がリッキーだった。

 3人は幼竜と白竜、それを巡る密猟者との戦いに巻き込まれ、一夜の大冒険を共にした。


 そして彼女たちは白竜と――どころか、伝説の竜神とも出会い。その彼から知らされたこの世界の滅びに抗う為、士官学校で再会することを誓って別れた。


 そして、約束の少年・・は今、マリアの前にいる。


「”女の子だった”なんて、兄さんが聞いたら面食らったでしょうね。しかも王女様でしたなんて」

「……あの時はしょうがなかったんだよ。女の格好して危ない目に遭ったら大変だもの」


 と言うか金髪ですらっとした、でも出る所はおっぱいさんが男口調でしゃべるとか、あざとくていらっとするのだが。


「じゃあ、その喋り方は?」

「パフと話す時、この口調にしてたら癖になった」


 それはそれは。で、「私」と「ぼく」を使い分けていたと。ジキルとハイドみたいである。


「と言うか、パフは元気なのでしょうね?」

「元気だよ。今は竜舎でお世話になってる。この間の掃除で見つからないかひやひやしたよ」


 どうやら、竜舎は複数存在するらしい。航空部の竜舎にパフがいたら、恐らく自分と義兄を見つけて飛びついてきただろう。それはもう、大喜びで。

 パフは嘯山の冒険で行動を共にした幼竜だ。なんでも竜神の依り代らしく、その指令は彼を経由してもたらされるらしいのだが、普段はまあ、人懐っこい犬っころである。


「その後竜神様からなにか指示は?」


 声のトーンを抑えて尋ねるが、エーリカ――いやリッキーは頭を振った。

 もしかしたら、自分達3人が揃えば、何か起こるかも知れないが……。


「まあいいです。それじゃ、聞かせてください。兄さんには黙っておいてあげます。……今のところは」


 彼女は何を? とは返さなかった。

 答えは「一切合切」である。マリアたちを知らないと言い、パフを隠した理由。ジャン達や中学組に頑なな理由。そして、あれだけ好きだった射撃で体調を壊した理由。


「……言わなきゃ、駄目だよね?」

「駄目です」


 力なく笑うエーリカの言葉を、マリアは容赦なく却下した。

 隼人とその母に出会ってから思い知ったが、自分は存外に情が深いらしい。正確には、他人に深入りする事はまずないが、一度気に入った相手は手放さないというのが兄の弁である。悔しいがそう言われると自覚せざるを得なかった。あの日約束を交わしたリッキーが――1日だけの付き合いにも関わらず――そう言った存在であると。


 だから、この件に関しては空気など読まない。


「そんな大した話じゃないよ。ちょっと母が自殺未遂して……」

「なんでそれがちょっとなんです!? 大変な話じゃないですか!」


 入学以来の態度から、それなりに大変な思いをしたのではと思っていたが、予想以上にヘビーな話だった。少しだけ無理に聞き出した事を反省するが、罪悪感を押し殺して続きを促す。


「大丈夫、母は無事だよ。心を病んで病院だけど」

「……何があったんです?」


 無論、ここで引くマリアではない。引くなら最初から問い詰めない。


「もともと、ぼくは母にとって関心の外だったんだ」


 それは、あの日に聞いた。

 あの夜話してくれた境遇でなければ、王族がこっそり抜け出して夜の大冒険など考えないだろうから。


「姉上は、ずっと母上に期待されてた。もしかしたら特級魔法使いになれるんじゃないかって。そんなわけないのにね。ぼくが嘯山に行こうとしたのは、白竜に会えば母が認めてくれるかもなんて思ったからなんだけど」


 1人で歴史を変えうる魔法使い――特級魔法使いはもう何百年以上現れていない。現れたかもわからない。ほぼ伝説の存在だ。

 我が子をそんな神がかった存在にしようと躍起になり、妹であるエーリカから興味を失ったのがこの国の側妃、彼女の母親である。

 そして、竜の卵を持ち帰れば自分を認めてくれる。そう信じて身分を隠し、嘯山に向かったのがあの時の少年リッキー、つまりエーリカだ。


 そう、マリアがこの向こう見ずな少年・・を気に入ったのは、自分と同じ匂いがしたから。おそらく入り口はそうだったのだろう。

 父が自分を見てくれる、その為に悪あがきを繰り返したマリアだったから。


「それで、何故お母上が自殺を?」


 初手からとんでもない事を言うリッキー。ダバート王家、大丈夫なんだろうか?


「うん、まず姉上が王宮を逃げ出してね。自分が受ける期待の目と厳しい教育に耐えられなかったみたい」

「それは、血を争えませんね」


 そう言うしかない。姉妹揃って脱走歴アリとは。

 だが、彼女が茶化すほどには、物語は喜劇では無かった。


「でも、そこからが大変でさ。姉上は出奔した先で男に騙されて、娼館に売り飛ばされそうになったところを諜報部の人に助けられて、それからずっと軟禁生活さ。それから母上は……」


 突然、リッキーの体がぶるっと揺れた。彼女は振るえる両手で口を塞ぎ、ふー、ふーっと深く呼吸している。


「大丈夫ですか!? 今軍医を……」


 立ち上がるマリアの袖を引いたのは、リッキーだった。呼吸は若干荒いが、大事には至らなそうだ。


「この話題になると、時々こうなるんだ。でもここまで話したんだ。聞いて欲しい」


 マリアは神妙に頷く。

 は覚悟を持ってそれからの事を話そうとしている。自分も受け止める覚悟をしなければ。


「姉上の失態を知った母上は、ひどく憔悴してね。ぼくの目の前で自分の頭を25口径でズドンとやっちゃったのさ。それ以降、拳銃の音を聞くと気分が悪くなるのさ」


 あまりに悲惨な話だった。母親は自分を認めてもらおうと精一杯努力する娘を裏切り、愛情の代わりにトラウマを与えたのだ。自分が代わりにぶん殴ってやりたいとすら思う。


「撃てなくなった銃は25口径弾だけだから、大丈夫だと思ってた。まさか士官学校で使ってるのが同じ銃だなんてね……」


 リッキーは投げやりに言う。25口径は、かつて嘯山うそぶきやまでリッキーが持ち込んだ銃弾――当時は銃弾の規格のことなど分からないから二十ナントカとか呼んでいたが。そうか、よりにもよって思い出の銃が撃てなくなるとは。

 何度も色々な壁にぶつかって、叩きのめされてきたのだろうな。その姿に思った。


「それから、王族間でも色々あって、ハインツ兄さんが口添えしてくれれば姉上の謹慎は解かれるんだ。でもその為には、”幼稚な約束”は捨てろと言われた」

「何ですか! それ!」


 スカしていて気に食わない。それがハインツと言う模範生徒への印象だったが、それが更に暴落した。マリアの中で彼の評価が「いけ好かない」から「陰険野郎」にレベルダウンする。こいつもいつかぶん殴ろうと心に決める。


「じゃあ決めてください。その意識高い系の陰険野郎にこびへつらうのか、私たちと四銃士・・・を再結成するのか」

「む、無茶を言うな!」


 四銃士――嘯山で結成した4人のチームだ。共に戦ったのはあの夜一度きりだが、少なくともマリアは解散を認めた覚えはない。

 エーリカだって、どうしたいのかは表情が語っていた。声を荒げていても、だ。


「そんなことは、出来ないよ。ぼくは”大いなる義務”を果たさないといけないんだ」


 大いなる義務。竜神教の教典にある言葉だ。魔法の力を授かった者は、それを人々や社会に還元しなければならない。地球でもノブレス・オブリージュと言う言葉で呼ばれているようだ。

 それは時として人を奮い立たせ、時として自由を縛り付ける。


「兄さんが言ってたじゃないですか! 『力を与えられた者は、大いなる義務を背負う。逆に言えば、義務さえ果たせば後は好きにやって良いって事じゃないか?』って」

「そんなもの、子供の言い訳だ!」


 むっとした。それではあのハインツと同じだ。

 うちの義兄あにの手を取らず、そんな訳の分からないナルシストを選ぶなんて。暫く会わないうちに人を見る目が狂ったようだ。


「その子供の言い訳を、大人の理屈で通すのが私たちです!」


 リッキーの瞳が驚きに染まる。そう言えば、嘯山でもそんな議論をしたな、と思う。

 あの時は”隼人の理屈”に振り回される方だったが、今日は自分が振り回させてもらう。


「きみ、本当にブラコンになったね!」

「うるさいです。いいですか、私たちはですね!」


 突然ドアがノックされ、2人はとっさに口をつぐんだ。ベッドの陰に隠れようとするが、間に合わない。

 振り返ったドアからは……。


「なんだ、マリアも来てたのか。こんなに大勢自習時間にぬけちゃって大丈夫なのか?」

「大丈夫大丈夫。今日の上級生は丸1日演習場だからクタクタさ」


 隼人とコンラートの2人が雑談しながら入って来た。

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