第16話「幼稚な約束」

”此度の大戦において、大いなる義務のために散った高貴なる者たちに最大限の敬意を!”


トリスタン・ダバート13世 方舟戦争終結時の演説より




 エーリカは、この従兄が苦手だ。彼と話した後は、大きな口で空気を吸い込む。それだけ息苦しい。


『お前も自分のようにならなければ、お前も・・・役立たずの不良品だ』


 あの豪毅たる相貌で見つめられると、そんな事を宣告されたような錯覚にすら捕らわれる。面と向かってそう言われたわけではないのに。

 パイロット銃士のような特殊な兵種でない限り、長身は軍人にとって武器だ。部下を動かすにも威厳を演出できるし、交渉の場でも存在を誇示できる。上官から見たら恵まれた体格は頼もしい事だろう。


 威圧の対象が自分であることを除けば。

 ハインツは論評する。


「お前の適性は偏りが過ぎる」


 空き教室に呼び出されたのは、案の定叱責が理由だったらしい。彼は昼に受けた課題を取り上げ、読み上げる。

 ハインツは暫し黙り込んだ。首の後ろに掌を当てて思考するのは、彼の癖のようだ。

 教室の後ろではエルヴィラが何か作業しているが、こちらに干渉する気は無いらしい。そして、婚約者が居ようが居まいが、従兄は容赦ない。


「要領よくやれ。出来なければ区隊の誰かを頼れば良い」


 それでいいのか? とも思う。同時に悔しさも感じた。自分が完璧にやれていたら、こんな事を言われる事も無かった。その上で誰かを頼れなどと言わせてしまった。

 それでも学科のテコ入れは火急の問題だ。誰に頼るか……そう思ったら一人の顔が浮かび、すぐに掻き消さねばならなかった。あれに頼るなど、冗談ではない。


「……ハヤト・ナンブ、マリア・オールディントン、だったな?」


 緊張で生唾を呑み込む。一番出されたくない名前を呼ばれた身体。完全に見透かしたような口調だった。


「関係ありません。今の私はただの子供ではありません」


 どうやら回答としては正解だったらしい。頷いた彼を見たからだ。

 だが、それから始まるのは、嫌な嫌な話。


「王族が平民とも・・友誼を結ぶことは否定しない。だが、その壁を越えるのは軍人として大いなる義務を果たすためだ。幼少時の約束を果たすため。そんな幼稚な理由ではない」


 幼稚、と言う言葉を使われて反射的に身を乗り出しかけた。

 何もわからない人間が、何故彼らとの事を寸評しているのだろう。そして、何故自分はそれを大人しく聞いているのだろう。

 だが、ここで反抗的な態度を示すわけにはいかない。すべては母と姉の為と、言葉を呑み込んだ。


「付き合うなら、その辺りをわきまえ給え」


 レポートを返して、ハインツは帰ってよしと言う。

 やっと解放された。敬礼して立ち去ろうとするエーリカに、ハインツは追い打ちをかけた。


「明日の実弾訓練、問題があれば教官に相談すると良い。軍医にはそちら・・・に詳しい者もいる」

「……はい」


 ハインツの言葉は耳に入らなかった。大丈夫、やれる。誰にも頼らなくても、自分はやれる。

 ドアノブを握る手に、力がこもった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「まるで、娘を束縛する父親のようだな。態度で威圧して言う事を聞かせようとするのも感心しない」


 エルヴィラ・メレフは立ち上がり、ハインツのもとに向かう。エーリカの退室を見届けた上でやったのは、彼女なりの温情である。

 長い付き合いだ。向こうも自分の不機嫌を読み取っているだろう。


王族君の一家の問題にあれこれと言う気は無いがね? 婚約者の前で親戚の女性に過干渉するのは少し無粋ではないかな?」

「……そのような下世話な話ではない。彼女自身にも必要な事だ」


 ハインツは彼女と目を合わせず言う。気分を損ねたように。


必要・・ねぇ」


 婚約者が最近何かに苛立っているのは感じていた。その対象が、彼の親戚・・の女性である事も。

 生真面目な彼の事。従妹の女性に懸想けそう……などと言う想像は、それこそ下世話どころか不体裁ふていさいだ。

 従妹可愛さゆえの過干渉と、そう思うようにしておく。今のところはだが。

 どちらかと言えばその拗ねっぷりは、強いて言うなら子供の頃、剣術の稽古で自分に十戦十敗した時に似ている。


 ハインツ・ダバートは、十賢者の末裔。ダバート王室の末席に名を連ねる。

 「末席」と言うのは王位継承権の低さからで、それ故メレフ造船ご令嬢、つまりエルヴィラに婿入りする事になっていた。メレフ家と繋ぎを作るのは、王室にとっても有意義な話。彼らは近年急成長を続ける大企業の創業者一族なのだ。逆も然りで、王族の血を入れて一族に箔を付けるのは商売に役立つ。


 エルヴィラはその件について一切の異存はないし、父もハインツを気に入って積極的に経営に加わって欲しいと言っている。

 煮え切らないのは彼一人だ。王命に不満をこぼすような男ではないが、どうも何かの未練の臭いがする。それは、幼少時から彼を見ているエルヴィラだからこそ気付けた事だが。

 勝負事になるとむきになって応じる彼の気質も、鳴りを潜めて久しい。妙に平静さを装っているようにも違和感を感持っていた。


 政略結婚とは言え、ハインツの事は気に入っている。愛してはいないが、愛せる自信はある。

 それだけに彼の煮え切らない態度が腹立たしい。 


「……エーリカ候補生に何を投影しているんだい?」


 核心を突かれたのか、勘繰りに憤ったのか。一瞬、ペンを動かす手が止まる。

 エルヴィラは念押しするように付け加えた。


「何をこじらせているかは知らんが。我々は必要があれば戦場に出る身だよ? 余計な拘りは置いて行って欲しいな」

「無論だ」


 それだけ答えて、ハインツは自分の作業に没頭してしまう。堂々とした態度から、後ろめたさは感じない。

 誰も見ていないのに大げさなそぶりで肩をすくめた。そして自分が苛立っている理由に思い当たる。先程の彼の言葉だ。


『王族が平民とも友誼を結ぶことは否定しない。だが、その壁を越えるのは軍人として大いなる義務を果たすためだ。幼少時の約束を果たすため。そんな幼稚な理由ではない』


 言ってくれるじゃないか。

 体術でも剣術でも自分に勝ち越せないひよっこが。強くなって自分を見返すと言う、幼稚な約束・・・・・からは遁走するつもりか。


 舌打ちをこらえつつ、これ以上の追及は無駄だと判断する。まあいいだろう。必要があれば締めあげても吐かせるつもりだ。

 エルヴィラもまた、それ以上のアクションを返す事はやめる。自分の課題を広げた机に向かった。

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