第15話「努力家」
”方舟戦争は、多くの天才の物語を生んだ。
しかし、実際に戦争を遂行し、祖国を破綻から守ったのは名もなき秀才たちである。我々はそれを忘れてはいけない”
コンラート・アウデンリート『士官学校始末記』より
士官学校入学から1ヶ月が経った頃、エーリカ・ダバートは「ある事実」を痛感していた。
自分が「天才」でも「秀才」でもない事だ。
勉学において、「成績優秀な者」は3つに分けることが出来る。
1つは、天才。
学問を理解する法則を嗅覚で感じ取り、たちまちのうちに会得してしまう。所謂「勉強などしなくても、講義を聞いていれば点は取れる」人種である。
彼女の区隊では、マリア・オールディントンが代表例だろう。
2つ目は、秀才。
学問を会得する方法論を経験則から編み出し、効率の良い勉強で結果を出す。陰でコツコツやるタイプや、勉強のリズムが体に染みついている者たちだ。
ジャン、ヴィクトル、コンラート等、一般的な学生がこれに当たる。
3つ目は、努力家。
分からない事に対してひたすら工数を投入し、時間をかけて少しずつ自分のものにしてゆく。
これがエーリカである。
入学時の学力は全員が一定以上。「優秀」に分類される。だが、程なく壁にぶつかるのは「努力家」だ。時間をかけて勉強しようにも、かける時間が捻出できないからである。
そうなった努力家は、選択しなければならない。秀才に転向するか、レースから離脱して劣等生に甘んじるかを。
エーリカは、その岐路に立たされていた。
「なあ、これちゃんと
夜の自習室。
隣の席で鉛筆を動かしていた南部隼人が、スケッチブックを向けてくる。そう言えばこいつも努力家組だった。
昼間の事もあるし、本当は別室に行きたい。とは言え好き勝手に部屋を使って、電気代を無駄遣いしていい筈もないわけで。
せっかく早風呂と早食いで捻出した勉強時間なのだ。放っておいて欲しい。
「……3つ並んだ羊羹に見えるわ」
不機嫌そうな顔を作って答えてやる。
隼人は「そうかぁ」と鉛筆で頭を掻きながら、スケッチブックを眺めている。
士官学校では、海軍の伝統を取り入れて陸側の入り口を「裏門」。訓練船などが係留された桟橋を「表門」と呼ぶ。船乗りが出かける先はあくまで海。
そんな船乗りの誇りも、彼の壊滅的な画力にかかれば台無しどころでは無かった。
どうやらコンクリートの桟橋らしい長方形が並んでいるのだが、影でも書き込もうとしたのか何故か黒い。波のつもりで書き込んだであろう棒線は、唐草模様の出来損ないだ。
画を描く事は士官に必須のスキル。偵察の結果を後方に伝えるのにも、砲兵や航空兵に分かりやすく目標を指示するのにも、結局画力がものを言う。
彼は、それが壊滅的に駄目だった。
画板を机に置いて、隼人は立ち上がる。
気にせず問題に没頭していると、耳元で声がした。
「なあ」
「……何か用?」
いきなり話しかけられて対応できず。ぞんざいに応じてしまった。
「用って言うか、随分悩んでたから気になった」
余計なお世話と言うか気安いと言うか。
無視しようとするが、ひょいとテキストをのぞき込む。
「なあ、その解法間違ってるんじゃないか?」
ノートの端にさらさらと書き込みをした。何を勝手にと言う抗議は、とりあえず保留となった。それが公式だと気づいたからだ。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
この男は得意不得意の差が激しい。その基準は飛行機に直接関係するか否かだ。
数学、物理、工学、そして語学は優秀なのに、生物や現代文、古文漢文、そして図画は中学からの取りこぼしすらある。
忌々しい事に、文系は得意で理系科目を苦手とする自分と似ていた。
ついでに、難問がノートの端に書かれた公式で氷解したのも苛立たしい。
「……なあ」
「何?」
つっけんどんな態度も彼は気にしない。今となっては癪に障る要素だ。
自分は王族に相応しくあろうと必至になっている。なのにこいつは何の気負いもなく、何事も楽しそうだ。
そんなこいつといると、自分のペースを見失うのだ。
「俺たち得意分野が被ってないんだ。お互い教え合わないか?」
少し考えた。確かに魅力的な提案だとは思うし、こいつは教え方も上手い。
だが却下せざるを得ない。弱みなど見せてはいけない。
「ありがたい申し出だけど、自分でやりたいから」
「そうかぁ」
特に気分を害した風でもなく、南部隼人は再び写真を睨め付ける。スケッチブックの羊羹を、なんとか桟橋に修正する気らしい。正直描き直した方が早いと思う。
自分は王族。特権を享受する人間。
生まれ故に得た特権は、義務を果たすことによって国民に還元しなければならない。
最後までやりきらないまま他人の力など頼っていては、きっと
エーリカは、1人でやり抜かねばならないのだ。
「しっかし、船幽霊に襲われてるみたいだなぁ。覚えても覚えても、講義がどんどん進んでく」
「……妙な言い方をするわね」
無視しようと思ったが、彼の例えが面白かったので、雑談に応じてしまった。
確か日本の妖怪で、小学校で習う『せかいのこわいはなし』で出てきたから、王国の人間も良く知っている。海面から手がにょきにょき生えてきて、
隼人は掻き出しても掻き出しても次々と流し込まれる水を、次々とやって来る課題に例えたのだろう。
そんなたとえ話が出来るのに、何故文学系科目はからっきしなのだろう
「私はあなたとは違います。だいたい、よくそんな楽しそうに話せるわね。自分の適性が問われてるのよ?」
皮肉のつもりだったが、通じなかったようだ。エーリカとの会話を自然に楽しんでいるように思える。
こいつのお世話をやっている、マリア・オールディントンを褒めてやりたくなった。
「えー、出来ない事は出来ないって認めちゃった方が楽だろ? 何か裏技を見つけられるかもしれんし」
「……プライドの無い話ね」
エーリカは今度こそ無視を決め込む。切って捨てておいて思うが、隼人の提案は魅力的だ。だが応じるわけにはいかない。裏技を探すなど敵前逃亡だと思うしかない。
出来ない事を出来ないと決めつけて努力を放棄している。それが許されるのは平民までだ。
隼人の方も、おしゃべりはとりあえず中止することにしたらしい。
そろそろ夕食を終えた学生が自習室にやってくる頃。自主的な勉強ならお目こぼしされても、正規の自習時間に無駄話など見つかれば上級生にどやされる。
とにかく時間が足りない。
先日トイレで教科書を開いていた者がお目玉を食らったと言う話だ。学校のトイレは水洗で電灯付きだから出来る技だが、そこは見回りの教官や上級生も心得ている。たちまち見つかって御用だ。当然の話で、ルールは破ってはいけない。
結局は何とか時間を合法的に捻出する必要がある。それで天才や秀才に勝てるのかは分からない。それでもやらなければならない。
「お前、少し頑張り過ぎじゃね? 苦手科目以外も評価が悪いと早飯して練習してるじゃん」
こいつ、相変わらずよく見てやがる。それでもエーリカの返事は変わらない。
「余計なお世話。私は何ひとつ欠けちゃいけないの」
そんなもんかねと生返事しつつ、隼人は鉛筆を走らせる。これ以上突っ込まれなくてわずかに安堵する。
これ以上は、耐えられない。
「そういえばさ、明日は初めての射撃訓練だな」
鉛筆に小刀を入れながら、隼人がぼそりとこぼす。何となく話題を振ったふうで。話題に乗ってこないのを見て、そのまま無言で作業に戻った。
ぎょっとした。
彼は
それに、もう克服した事だ。
だが、翌日の射撃訓練は平穏とは程遠いものとなる。
士官学校での生活は、今後も波乱と地続きだった。
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