第14話「刺激的な日々」

”最初に感じたのは体の疲れだったけど、それに慣れてくると次は精神の疲労がやってくる。正直こちらの方がずっと質が悪くて……”


南部隼人のインタビューより




「ほ、本日の行程は……」

「何だ!? 聞こえんぞ!」


 ……こんなん月イチでやらされるのかよ。

 一日の終わり。”指摘”を受けながら南部隼人は嫌な汗をかいた。自分が器用な人間とは思わないが、もう器用とかそう言う問題ですらない。


「もっと胸を張らんか!」

「顎を引け、不格好にも程がある」


 取締生徒と言うものがある。今隼人が命じられている役目がそれだ。


 名前こそ格好が良いが、実際は40日に一度押し付けられる嫌な当番である。

 取締り生徒は、区隊がその日に行う訓練や行程を把握し、管理しなければならない。前世の運動部にいたマネージャーみたいなものかもしれない。


 ただでさえ入学したばかりで大変なのに、朝晩の報告では幼学組からの駄目出しの集中砲火を受ける。これが皆この役目を嫌がる理由だ。


「ちょっと待って! やり過ぎだろ!」


 思わず口を挟んでしまったのはジャンだ。

 だがそれは完全なるやぶ蛇。隼人に集中していた罵詈雑言は、今度は彼に向かう。


「貴様はいつから取締り生徒になった?」

「いや、は……」

「軍人の一人称に『僕』は無い!」

「やり直せ!」


 あんまりな言いぐさである。中学組にピリピリした空気が漂い始めた。


 実際のところ、幼学組は他人だけでなく自分にも厳しく、やる事に隙は無い。これは貴族組でも同じだ。

 今は粗暴に罵声を浴びせているが、剣技やその他の武道も体育競技も中学組の追随を許さない。ダンスもディナーの作法も貴族組に及ばないが、それとて中学組の上を行く。

 ミスのひとつも犯せば土曜日を潰して自主的な鍛錬を行う姿をよく見る。それも必死な形相で。


 中学組とくれば、次々やってくる日課をこなすのがやっと。

 こんな生活を何年もしてきたのかと思うと、正直幼学組には尊敬を覚えはする。


 だが尊敬していようと、この状況を愉快に感じる理由はないわけで。


「貴様ら、中学で何を習ってきた!? 女でも口説きたくて士官学校を受けたんじゃあるまいな!?」


 実際士官候補生はモテる。国防を担う逞しい学生と言うだけでなく、知的で行儀作法に優れたスマートな紳士と言うイメージがある。おまけに士官は貴族に準じる扱いときたものだ。


 その憧れの紳士が、日々こんな目に遭っているとは。シャバの人間には想像できまい。


 大体、彼らも偉そうに言うが、幼学内定者はクラスのヒーローだから、小学校卒業まで相当にちやほやされるそうだ。調子に乗ってはめを外す者が毎年出る程度には。

 情報源は勿論コンラートである。


「いいから早く終わらせてもらえないかしら?」


 鬱陶しそうに言うのは、貴族組の女子学生だ。若干イライラした様子で腕を組んでいる。

 名前は確か、オクタヴィアと言ったはず。彼女の家は代々文官だが、そう言った者の方が自分にも他者にも厳しいとコンラートが言っていた。実際貴族、幼学、中学と、腑抜けた者が居れば説教して回るので、親しいもの以外からは疎んじられている。


「あなた、やる気が無いのなら他に変わって貰いなさい」


 やる気がないつもりはない。とは言え、この場でそんな事を言っては負け。そのくらいの事は隼人でも分かる。


「まあまあ、追い詰めれば良いと言うものではないでありますよ」


 貴族組の群れから出てきたのは、こちらも女学生。彼女の名は直ぐに覚えていた。口調がやたら個性的だからだ。


「小官が見本を見せるでありますよ」


 いわゆる軍隊言葉、一般人が軍人を見ると真っ先に想像する話し方だが、本家本元の軍隊では10年以上前に無くなっている。今では年配の従軍経験者が酒の席で口にする程度だ。

 1人だけ10年前の言葉で話しているのだから、場違い感は否めない。


 彼女、ナタリアは隼人の隣に陣取る。腕を腰に回して大声で申告を始めた。

 頼まれもしないのに、貴族組の生徒が隼人の横に立ち、大声できびきびと報告を始めた。


「……どうでありましょうか?」


 ナタリアはドヤ顔で同期たちを見回す。

 幼年組の候補生たちがつまらなそうに鼻を鳴らす。ひとつは彼女らが出しゃばって来た事に。もうひとつは彼女の報告にケチを付ける余地がなかった事に。

 その鬱憤は、恐らくこれから隼人に向けられることになりそうだが。


「貴族組! ”指導”の邪魔をするな!」


 指導と来たものだ。自分も向こうさんも同学年。幾ら立ち遅れていると言っても、そこまで言われる筋はないではないか。

 2人の模範生徒、エルヴィラとハインツは微笑みながら一同を睥睨し、何も言っては来ない。


力の無い者・・・・・を虐めて何になるんですの?」


 しれっと言い放つオクタヴィア。彼女の言葉に殺気走るのは中学組だ。それは彼らを対等な存在と見做していないと言う宣言だった。


「放っておけば勝手に追いかけてくる者もいるでしょう。そうでない者はそれまでの存在と言う事ですわ」

「以下同文であります。オクタヴィアの言葉はきつ過ぎではありますが」


 何故、自分たちはここまで言われなければならないのだろうか?

 惨めな気分は、きっと他の中学組も同じだろう。


「いい加減にして。南部君・・・、早く済ませて頂戴」


 エーリカまでもが続きを催促する。その様子は苛立っているようだが、対象は当然ながら自分だろうなと思う。実は助け舟を期待していた隼人は思う。

 前のめりになるマリアの両肩をコンラートが掴み、そのまま列に引き戻した。乱闘などに発展させたくないし、第一そうなっても勝てるのは彼くらいではないか。


「エーリカ、君は……!」


 ジャンが何か言いかけたが、それを言い終えることなくエーリカが遮った。


「消灯が遅れれば睡眠時間が減って、明日の訓練に支障が出ます」


 彼の話を聞きもせず斬って捨て、エーリカはつまらなそうに告げる。ジャンが歯を食いしばり彼女を睨む。マリアもむっとした様子で彼女を見るが、向こうは目を合わそうとしない。


 悔しいがこの場で悪いのは自分である。早く済ませて皆を解放せねばならない。


 今度こそと、息を吸って報告を始める。ヤジが入る余地が無いように。


「以上、報告終わりッ!」

「よろしい、報告を確認した」


 ハインツの声で、灰色の時間はようやく終わりとなる。

 彼はそのまま黙り込んで表情ひとつ変えないから、今の報告(とそれへの指導ツッコミ)が良いのか悪いのかも分からない。


 コンラート曰く、取締生徒の制度は日本陸軍が持ち込んだらしい。お互いがお互いを補助し合う事で、人を動かす事に慣れてゆくのだ。

 海軍兵学校の縦社会ぶりを痛感した東郷元帥が、ダバート王立士官学校に持ち込んだものだ。きっかけは陸軍士官学校を見学した事だそうで、この時友誼を結んだ乃木元帥は、逆に教養を重視する兵学校に学ぶべきものありと発言している。


 そうは言っても40日後にまたこれがやって来ると思うと、憂鬱極まりない隼人であった。 




 ともあれ、訓練の日々は進んでゆく。

 前世が日本人の南部隼人からしてみれば、風呂は数少ない娯楽だ。しかも大浴場である。


「一番、マシュー候補生、吶喊とっかんするであります!」


 鼻を摘まんで浴槽へダイブするお調子者を、学生たちは呆れ顔で見下ろす。なお、吶喊とは軍隊でよく使う言葉で「突撃」の事である。

 こいつまでナタリアみたいな口をききやがると、誰かが顔をしかめてで毒づいていた。


「ほら、とっとと詰めろ。時間無いんだから!」


 慌ただしいことこの上ない。大体大浴場でも20人が入ったら、人口密度は普通の家風呂と変わらない。

 湯舟が波立つのにも構わず、喧噪を無視した隼人はようやく腰を降ろした。


 お湯をゆっくり楽しめるのは、2年からだそうだ。彼ら曰く、1年はまだ”人権を獲得していない”ので、百年早いとの事。士官学校の時間は100倍の速さで流れるらしい。


「おーい、次入るよ」


 体を洗い終えたジャンに促され、名残惜しいが湯船から腰を上げる。

 湯船から出て体を拭く前に、もう一度お湯を全身にかけるのがルールだ。


「手ぬぐいは箱に入れていけ。足ふきタオルは使いまわすな。左の箱から新しいものを出せ」


 風呂番がまだ慣れない1年に足ふきを配っている。彼は、風呂には厳格な掟がある事を繰り返し告げてゆく。

 王立士官学校には、専門の風呂番を高給で雇っている。


 至れり尽くせり、というわけでは勿論ない。


 人間が集まるところ、”あれ”も集まる。

 足の爪や指の間に棲みつく”あれ”である。


 野郎だけの学校なら、保菌者に治療薬を渡してお終いである。

 だが、女性や貴族を多く抱える王立士官学校ではそうはいかない。外聞が悪いし、やんごとなき貴族の子女が足の裏や大切な部分に水膨れなど作ろうものなら、実家からのクレームにもつながりかねない。

 こうして日本から伝わった防疫学が、ふんだんに導入される事となった。


「よーし、全員出たな」


 学生を追い出した風呂番は、浴槽に手をつっこんで加熱の魔法を使ってゆく。

 液体の温度を上下する魔法。彼はその為に高給で迎え入れられたのだ。


 ”あれ”は60℃の温度で死滅する。

 3分ほどその温度を維持した上で、今度は冷却して適温に戻すのだ。

 風呂で付着した”あれ”は、水でさっと流せば身体から落ちる。故にそこまでする必要はまず無いのだが、草創期一昔前にあるやんごとなき方の見合話が”それ絡みで”で飛んでからと言うもの、より徹底に徹底を重ねるようになったのだ。


 あとは浴室を清掃用のシャワーでさっと流して終了。次の班を迎え入れる。誰がどの班にいたかは記録され、感染者が発見されると班全員が病室のシャワーに隔離される。

 まさしく鉄壁の布陣なのだ。


「しかしさぁ……」

「んー? なんだ?」


 釈然としない隼人はコンラートにこぼした。駆け足で兵営に戻りながら。


「ここは変なところだな。お互い怒鳴り合う環境なくせに、水〇の心配は万全にしてくれるとは……」


 下士官上がりの候補生は、新米兵士初年兵を諭すように告げる。こう言った質問は慣れたものなのだろう。


「そう言うところなんだよ、ここは。軍隊なんて理不尽を不条理で煮詰めたような場所だ。慣れとけよー」


 空にはふたつの月。

 ひとつは元からあった方。もうひとつは竜神が異世界から運んでくれた方。

 隼人はふたつ目を見上げて、手をかざし。

 そして呟いたのだった。


「なあ竜神様、……大丈夫かなぁ」


 散々憧れたのに、入校式すら叶わなかった防衛大学を思い出す。あそこもこんなところだったのだろうか? 令和だと貴族学校とか幼年学校は無いことだし、もっと上手くやれているのだろうか?


 竜神は答えてくれない。

 ただふたつの月が隼人を見下ろすだけである。

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