第6話「洗礼(その2)」

”そりゃあもう、このやろうって思いましたよ。

あれがあったから僕たちは一枚岩になれたんでしょうね”


ジャン・スターリングのインタビューより




 ここが本当に学校の敷地なのか?

 ジャン・スターリングらを乗せたトラックが停車したのは、これまただだっ広い荒野だった。


「もたもたするな! 早くしろ!」


 ジル教官の怒声を受けて、候補生たちははじかれた様に荷台から飛び出す。

 案の定というか、中学組は皆立ち上がる時に肩をぶつけたり、飛び降りた時たたらを踏んだりしている。幼学組は、それをニヤニヤと見下しながらトラックを降りて行った。

 

「よし、こいつを受け取れ」


 4年生に投げ渡された重量物を体全体を使って受け止めた。かなり重く、持ち方が分からずふらふらする者もいる。そう、これはライフル銃、軍隊的に言うと「小銃しょうじゅう」だ。


 その正体は〔38式さんぱちしき歩兵銃ほへいじゅう〕。欧州大戦を扱った戦争映画には必ず顔を出す、兵隊たちと苦楽を共にした日本製の名銃だ。


 本物の銃。


 それを認識して、たちまち血の気が引いていく。「殺し合い」と言うのは、ここで新入生をふるいにかけるつもりとか……!


「まあ、これはただの模擬銃だがね」


 エルヴィラの言葉に全員の力が抜けた。いきなり実銃を渡されたのかと勘違いしていたのは自分と同じらしい。程度に違いはあるが、貴族、幼学組も同じようだ。


 冷静に考えたら、本物の殺し合いなど行われるわけが無いが、冷静でなかったので仕方がない。


「どうだ、本物そっくりの質感だろう?」


 エルヴィラは悪びれる様子もない。びっくりさせる意図だったのか知らないが、憤りより安堵感の方が勝った。そもそもが「本物」を触ったことがない

 とりあえず誤操作で戦友をズドン、なんて事は無いらしい。今のところは。


「へへっ、本物じゃないとは言え、やっぱりこいつを触ると落ち着くなぁ」


 嬉しそうに銃身を撫でているのはコンラート。彼と言う人間を少しだけ知ることが出来たと同時に……若干引いた。

 隼人を見やると、こちらも銃身を握ってぶつぶつ言っている。


「どうしたんだい?」


 不思議に思って尋ねると、指摘された事が気恥ずかしいらしい。バツが悪そうに頭を掻いている。


「いや、他にもこう言うのが好きな奴がいてな。あいつのはしゃぎっぷりを思い出してた」


 隼人の態度から、よほど親しい人物に思えた。親か兄弟か親友か……。

 しかし、コンラートみたいなのがもう1人いるなら、出来ればお会いしたくない。


「マリアも久しぶりじゃないか」

「……嫌な記憶を掘り起こさないでください」


 隼人がからかうように言い、むくれた妹はぴしゃりと話題を中止させる。久しぶりとはどういう事だろうか? 貴族は狩猟か何かで軍用ライフルを使ったりするのか?

 まあ、不機嫌な彼女から無理に聞き出すほど知りたい事ではない。


 そんな事を思いつつ、受け取った小銃を持つ手に力を入れる。模型とは言え、それはどっしりと重く、危うく取り落としそうになった。


(これを片手で放り投げたのか!)


 この時のジャンには魔法でも使ったように思えた。ここでも魔法がものを言う社会なのかと。

 が、それは誤解だったと、大笑するエルヴィラが教えてくれる。


「諸君、儀仗隊のパフォーマンスを見たことが無いのかな? 学生レベルでもこれくらいの事はこなすぞ? ほら」


 拾い上げた小銃を後輩に向け放り投げる。

 受け取ろうとした候補生が銃を抱えたまますっ転んだ。笑い声があがる。


「気を付けろよ。官給品を壊すと『事故報告』じゃ済まんぞ」


 エルヴィラが愉快そうに笑い、次の瞬間――。


 パァン!


 銃声の後には、棒立ちになった中学組と、地面に伏せている貴族・幼学組。そしてひっくり返って呻いているのは、すっころんだ候補生を笑った中学組の男子だった。


「気を付けろと言ったはずだよ? これは実弾ではなく、魔晶石のカスを再利用した練習弾だ。だけど人体に命中するとそれなりに痛いのは見ての通りだ。あと、戦友の失敗を笑いものにするのは良くないな」


 深く呼吸しながら痛みをやり過ごそうとしている男子候補生は、小さく「……あ、あい」と返事をする。ここまでされては、流石の幼学組を以てしても中学組を馬鹿にしようと言う気は起きなかっただろう。ただただ直立不動だ。

 不運な彼を筆頭に。候補生たちは、エルヴィラ・メレフという先輩生徒の本性にだんだんと気付き始めていた。


「こ、こええ」


 隼人のつぶやきが聞こえた。自分だって怖い。

 ここに至っては中学も貴族も幼学も無い。ここに居るのは恐ろしい化け猫と、それにいたぶられる餌のバッタである。

 顔面蒼白の候補生を前に、エルヴィラが言葉を続ける。何事も無かったかのように。


「装備品を貸与するから順番に受け取りに来たまえ。中学出身者は分からんだろうから、4年生が手伝う」


 気が付いた時には両足にゲートルと軍靴、戦闘帽帽子と腰ベルトに弾入れが取り付けられ、戦闘装備の歩兵が完成した。中身が数日前まで中学生だった事を除けば。


「では、状況を説明しよう。丘を挟んだ1km前方に君たちと同数の4年生が陣を張っている。こちらに向けて進撃する我々相手に、1時間の間1人でも生き残れば諸君の勝ち。魔法はとりあえず無しで行こうか」


 入校早々、いきなりの実戦訓練である。怯える者もいれば、そうこなくてはと息巻く者もいる。

 軍装に身を包んだエルヴィラが、銃口を丘に向ける。その笑顔は、憎たらしいほど楽しそうだった。


「今晩の夕食は4学年有志がカンパして取り寄せた御馳走が待っている。勝利すれば君たちのもの。全滅するか本陣を占領されればそうだな……御馳走は我々が頂いて、諸君には野草を味の素で自炊と言うのはどうだろう?」


 新入生たちは思った。

 やはりここは士官学校。軍人養成校だと。

 だが彼らの地獄坂は、まだ最初の一歩に足をかけられただけだった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 エルヴィラたちを見送って。早速作戦会議が始まり、そして紛糾した。


「まずは丘を先に押さえよう。上級生と言えど、高所から攻撃を受けては釘付けになるしかない」


 ジャン・スターリングはたむろしている幼学組を見やる。

 その場を掌握したのはランディ・アッケルマンと言う男子候補生だが、高圧的な態度が鼻に突く。そして余計な一言も忘れないのだ。


「まあ、中学組Pコロが足を引っ張っても、我々だけでやれるだろう」


 既に空気は最悪であった。

 一人ごちるランディに割って入ったのは、貴族組の候補生だ。こちらは貴族組を纏めている女性だ。名前はオクタヴィア・フェルナーラと名乗っていた。いきなり貴族組を掌握できたのだから、きっとそれなりの生まれなのだろう。もやもやする。


中学組シヴィルの皆さんにも何か役目を与えるべきですわ。今は訓練の場、拙いは拙いなりに失敗を経験させるべきです」

「……なっ!」


 フォローしてもらえるとばかり思っていた中学組の候補生たちは、皆気色ばむ。口調こそ丁寧でも、今の言葉は幼学組の嫌味を追認しているだけだったからだ。

 そして駄目出しの一言。


「そもそも、彼らに我々貴族組と同じ働きを要求するのが間違いですわ。背負うものが違うのですから」


 これにはジャンもむっとした。

 血の気の多い何人かが喧嘩腰で前へ踏み出そうとするが、隼人とコンラートの3人で宥めて回った。不承不承引っ込んだ彼らは、まだ納得した様子はない。


「ちょっと、流石に言い過ぎ――」


 同じ貴族組を窘めようとしたのは、エーリカだった。だが――。


「殿下、何かありまして?」


 オクタヴィアに遮られ、口を閉ざす。


 結局、彼女も王族か。一連の事件で彼女に仲間意識を感じていたジャンは、失望を味わう。つまりは、味方は同じ中学組だけだった。


 彼は自問する。これがエリートなのか、と。

 自分達より良い飯を食い、大きな権限を振り回す人間がどんなものか。士官学校ここに来ればそれが分かると思った。だが、実際にいたのは義務・・を振りかざして大きい顔したいだけの連中。


 気に食わない。


 流れを変えようとしたのは、南部隼人だ。


「待ってくれ。丘を狙うと言うのは上級生でも想定済みなんじゃないのか? もっと何か、意表をつくような作戦を考えた方が良いと思う」


 定石は相手にとってもまた定石である。故に読まれやすい。隼人が投げかけたのは当然の疑問だった。

 だが、ランディは小馬鹿にするように隼人を見やり、嘲りの笑みを浮かべた。


「定石と言うのはな、それが有効だからこそ使い古されるのだ。知識も経験もない人間はすぐに奇策に走るから困る」


 マリアが言い返そうと前に出るが、隼人が押しとどめた。相当にカチンときた様子だ。

 残念ながらランディが言っている事それ自体は間違ってはいないし、代案も無いのも事実であろう。ここで言い合っても時間の空費かも知れない。だが、それでも隼人の言う事に分があるように思えた。


「貴族組はそれで構わんか?」


 ぞんざいに問いかけるランディ。

 ジャンが発言する事は無かった。それより前に、彼が無理矢理話を打ち切ったからだ。


 エーリカは何事かを考えていたが、結局は頷いて見せた。

 ……舌打ちのひとつもしたくなる。


「……問題ない。頂きを押さえましょう。ただ、先に目標を押さえられたら、一方的に攻撃を受ける事になるわ。予備兵力を置くべきだと思う」

「なるほど、では予備兵力には本隊後方を進軍させよう。それなら中学組諸君にお願いするとしようか」


 エーリカが提案し、ランディが話をまとめて議論は決着を見る。自分達は意見を出す隙も与えられないが。

 当のエーリカは不満顔だが、既に話題は流されていた。


 予備兵力――後方に待機させて、戦力が必要になったポイントに急派きゅうはする部隊。ジャンの知識ではそんなイメージだ。セオリーでは精鋭部隊を温存するものだが、今回の扱いはおおよそスタメン落ちのベンチ要員だろう。

 つまり、エーリカの案は乗っ取られた上に骨抜きにされたわけだ。


 そもそも、出身校で編成を分ける意味が分からない。自分だったら中学組には、幼学組か貴族組から機転が利く者を選んで指揮をさせる。


 もちろん、この場でそれを言っても火種にしかならないだろう。


「で、先陣はどちら・・・になさいますの?」


 オクタヴィアがさも重要そうに水を向ける。どちら、と言う事は、当然ながら中学組と言う選択はない。そこでまたああだこうだと議論が始まる。


 ジャンは頭を抱えた。作戦を決めるよりも熱が入った様子に。

 見れば、ヴィクトルは苦虫を噛み潰したような顔。小声でランディに話しかけていたが、芳しくはないらしい。

 貴族組も、不満そうにやり取りを見ている者たちがいる。向こうも一枚岩ではないようだ。


「先陣は幼年組が行く。銃も撃ったことが無い”バー”はせいぜい足を引っ張らんようについてこい」


 ランディが見下すように言う。

 バーとはなんだ? 小声でコンラートに聞いてみる。その答えは脱力ものだった。


「海軍さんの言葉で”童貞”って意味」


 あまりに下らない挑発に、ジャンは頭痛を覚えそうだ。コンラートと言えば、「まあこんなもんさ」とどこ吹く風である。一番彼の経験を頼りたいところなのだが。


「……なあ」

「ん?」


 装備をずらして体に合わせていた南部隼人を見る。何故か分からないが、ふと強い気持ちが漏れ出した。


「勝ちたいな」

「そうだな」


 隼人はこちらに目を合わせず、相変わらず装備の位置を合わせていた。取り付けたベルトをぱんと叩き、言った。


「じゃあ、がんばらないとな」


 へへっと笑う隼人。なんとなく、根拠も無しに思った。自分たちは、やれると。




 幼学組は目配せし合うと、弾入れからクリップで5発1組にまとめられた弾丸を取り出す。模擬銃のボルトを引いて薬室を開放。弾丸を押し込む。

 ジャン達中学組も、先ほど4年生に習った動作で、弾丸を装填してゆく。


 4年生の説明によると、今の時代のライフルは、「ボルトハンドル」と呼ばれる握りを引いて、前に押し戻す事で弾丸を装填できる。あとはトリガーを引くだけだ。

 この銃は5連発だから、あと4回まで同じ動作をする事で射撃が可能。

 言うだけなら簡単だが、実際に手に収めると、地面をのた打ち回っていた迂闊な犠牲者の顔がちらつく。


 続く貴族組は幼年組ほど洗練された動きではない。

 おそらく、軍事教練は受けてはいるが、それほど濃密では無いのだろう。貴族は学ぶことが多岐にわたるのだ。

 それでもよちよち歩きの中学組こちらより、100歩は先を行っているが。


 とは言え、こちらにとっては初めての訓練。そして夕食がかかっている。否が応にも真剣にならざるを得ない。

 中学組の候補生たちも教わった通りに弾丸を込めてゆくが、その手は緊張で震えている。


 作業を終えた彼らは、息を殺して貴族組の後に続く。


 装備を背負っての上り道は予想外にきつい。4kg以上ある模擬銃が肩に食い込む。それでも、足を止めなかったのは、候補生としての矜持か、散々馬鹿にしてきた貴族組や幼学組への意地か。


「無理かもしれないが、あまり気を張るな。そんな調子じゃすぐに疲れてあごを出す・・・・・ぞ」


 ようやく口を開いたコンラートが、そんな忠告をしてくる。そうは言っても慣れない小銃を抱えて斜面を歩くのは何ともやりにくい。

 すぐに疲れてしまい、あごを突き出して前かがみで歩くことになる。


(なるほど、「あごを出す」ってそういうことか)


 振り返ると、中学組は死屍累々だった。

 平気な顔をしているのはコンラート1人だ。自分や隼人ですら汗でびっしょり。マリアに至っては何度もつまづきそうになっている。


 皆、足取りは重い。

 後で聞いたところによると、小銃と言うものは、正しい姿勢で保持すれば疲労しにくいようになっている。慣れてくれば、持たずに行軍する方が疲れると語る者までいるくらいで、結局はコツなのである。

 入学したばかりの中学組がそのような事を知る筈もなく、貴族組との距離は開いてゆく。


 荒い息遣いと、足取りが乱れる音がした。誰かが限界に来ているのだろう。


「マリア、無理するな。置いて行かれてるのは中学組全員だ。ここで慌てても……」


 息を乱しているのはマリアのようだ。気遣う隼人が、妹の元に向かおうとして……突然立ち止まる。


「どうしたんだい?」


 気になって尋ねてみると、隼人は何とも茫洋ぼうようとした言葉を返してきた。


「ああいや、さっき俺、何て言ったっけ?」


 それだけ聞くと頭の悪いやり取りだが、ジャンは先日の救出劇で、隼人のひらめきを知っている。彼は自分で発した言葉の何処かに引っかかったようだ。

 さっきの言葉を反芻していた隼人が、はっと顔を上げる。


「……置いて行かれる? ……そうか!」


 唐突に大声を上げて、集団の先頭を行くコンラートを呼んだ。


「コンラート! ここは良いから先頭を行く幼年組を呼び戻しに行ってくれ! このままだと……!」


 訝し気に見る中学組の面々をよそに、ジャンとマリアは顔を見合わせ、頷く。


 コンラートが足を止めた時、頂きの方向から最初の銃声が響き渡った。破裂音は雪崩のように数を増してゆく。


「遅かったか……」


 悔やむ隼人をあざ笑うように、事態は雪崩のように進行してゆくのだった。

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