第5話「洗礼(その1)」

”強い士官を育てるためには、多少の軋轢やもめごとは織り込み済み。

他人の悪意もかわせないようなひ弱な士官を、王立軍は必要としない”


ジル・ボードレール大尉の訓示より




 南部隼人たちの前にやって来たのは、教官の使いでやってきた同期生だった。運動場に集合らしい。

 どうやら、皆は同じ区隊くたいという事らしい。「区隊」と言うのは40人1組のチームで、小中学校のクラスのようなものらしい。

 受け入れ時に入校時間を分けていたので、それが区隊ごとだったのかも知れない。昨日の事件でこの面子がかち合ったのはそのせいだろう。


「ふん、英雄様はご苦労なことだな。我々を待たせて呑気に昼餉ひるげか」


 鼻で笑う彼は、ヴィクトルと同じく色落ちした制服を纏っている。

 挑発したつもりだろうが、この場にいる人間の沸点はそこまで低くない。少なくとも、この程度の挑発においては。

 礼を言って立ち上がると、彼はつまらなそうに舌打ちした。


「急げよ、中学出身者Pコロ共」


 一緒に行けばいいものを、彼は駆け足で行ってしまう。用は済んだとばかりに。


「校内は駆け足移動が基本だからな。追いかけよう」


 呑気に欠伸をして、コンラートは駆け出す。

 まったくせわしない。一同は顔を見合わせ頷くと、椅子を引いて後に続く。


「なあ、”Pコロぴーころ”って何だ?」


 コンラートを追いかけて走る。

 先を走る彼は兵隊上がりだけあって、姿勢は安定している。

 隼人もマリアも入学に当たってそれなりに走りこんでいたが、それでも引き離されそうだ。

 ジャンは姿勢こそぎこちないが、体力はかなりあるらしい。コンラートの後ろにピタリとついている。


 コンラートは一切息を乱さず、答えた。


「中学出身者への蔑称だな。幼年学校出身者が良く使う。ついでに貴族学校出身者からは”シヴィル”と呼ばれるな」

「シヴィル?」


 南部隼人は聞き返す。聞いた事も無い言葉だ。今まで語学の授業では習わなかった。


「”シビリアン”のフランス語。つまり、”一般市民”ってわけ」


 なんとも馬鹿にした話だが、3人にとってそれは初耳である。

 貴族学校は、将来のノブレスを育成するライズ伝統の教育施設だ。竜神に師事した200人の末裔――つまり貴族の子弟だけが入学を許される。

 政治家や官僚、学者など、卒業の進路は幅広いが、士官学校で軍人を目指す者も多い。


 日本人が普通教育を持ち込んでからは、平民の栄達もごく普通の事となったが、今でも強い権威を持つ。

 隼人は、前世の映画や漫画で見た魔法や剣を学ぶ学校を連想した。本当はどんなものか分からないけれど。


「蔑称? いがみ合ってるの? ってか貴族学校出身者にまで馬鹿にされてるのか?」


 説明を求めると、コンラートの困ったような声が返ってきた。

 それが何か分からないが、彼にとっても頭の痛い問題らしい。


「考えてみろよ。貴族組にしても幼学幼年学校組にしても、自分たちが苦労して訓練を受けてきた自負があるわけ。なのに、ただの一発勝負の試験に受かっただけの中学組と、同列に並べられて面白くない。一方、中学組も同じ候補生の身分なのに自分達だけ下に見られて面白くない。結果何が起こるかと言うと……」


 候補生同士の派閥争い、ということだ。これは毎年の恒例行事だそうだ。


「ついでに幼学組と貴族組も仲が悪い。幼学組は実力で候補生になった自負があるが、貴族組は彼らをスマートじゃないイモくさいと侮ってるわけだな」


 まさに三つ巴の争いである。士官学校と言う場所は、同期の桜が力を合わせて次々やって来る試練を乗り越えて行く場所だと思っていた。前世のスクールカーストとおさらばしたら、今度は学閥で対立とは……。


「学校側はなぜそれを放置しているんです?」


 問いかけるマリアは訝し気だ。実は彼女も中学組である。一部中学は学力で貴族学校を上回るから、貴族の子女が貴族学校を選択しない事自体、今では珍しくない。ひょっとしたら、そう言った貴族が士官学校を受ける事は珍しいかも知れないが。


大した問題じゃない・・・・・・・・・からさ。苦労を共にすれば、出身学校の壁は自然消滅するからな。それに相手に勝ちたいと切磋琢磨するのは悪い事じゃない」


 とても大した問題じゃないと思えない事実を告げつつ、コンラートは情報を開陳する。

 話を総合すると、どうやら自分ら4人は下に見られていて、ついでに早速さっそく幼学組に目を付けられたらしい。

 あれだけ派手に暴れれば当然のことであるが。


「そうそう、幼学組と貴族組、中学組は簡単に見分けられるぞ?」


 訳知り顔のコンラートが切り出したのは、両派閥の見分け方の話だった。続きを語らないところを見ると、こちらに質問を投げているらしい。

 隼人は、なんとなく思ったことを口にする。


「ひょっとして、色あせた制服の事か?」

「その通り。ピカピカの制服を着てたら、すぐ1学年だとばれて上級生にからまれるからな。制服を着たまま風呂に浸かってわざと色落ちさせるのさ。先輩から後輩に伝えられる知恵だな」


 せっかくあつらえた制服を痛めるのもどうなんだろうと思う。母が買い与えてくれた制服は、結構お高かったのだ。

 彼は話を続ける。


「で、逆に着こなしの良いのが貴族組だ。彼らは士官もまた外交を担うからと言って、見てくれも重視してる。いつでも華やかな場に足を運べるよう、何から何までピカピカなんだ」

「なんか、いかにも”貴族”って感じだね」


 ジャンが不満そうに洩らした。貴族に思うところがあるのかもしれない。


「身近に士官学校の卒業生がいる奴は、その辺教えてもらえばいいんだけどな。聡い奴は菓子折り持って”攻略法”を聞きに行くのさ」


 なんとも姑息な話だが、こういった姑息さを嫌うようでは軍人には向かないとコンラートは語った。

 あらゆる手を使って余分なリソースを削り、浮いた労力を問題解決に充てるのが軍人の基本だからだ。エリート養成校である士官学校では通じないが、兵卒として駐屯地に入るなら直属の上官に菓子折りのひとつも渡すべきである。そんなことは身の回りの従軍経験者に聞けば分かるはずだ。


 その程度の手間を惜しんで『情報を集める努力』を姑息と侮った人間は、上等兵にもなれず肩身が狭い思いをするのだと言う。情報屋を自認する彼らしい物の見方だ。


 隼人にも納得しかねる部分もあるが、もし飛行機乗りになるためにそれが必要と言われたらどうだろうか? きっと迷うことなく実行するだろう。

 それ故にコンラートの話を切って捨てることはできない。


「ま、俺も現場を知ってる人間だから、分からないことは聞いてくれ」


 その知識の出どころが分からない。聞けば教えてくれるだろうか? そんな事を思う。


「じゃあ、何でコンラートの制服は新品のままなのかい?」


 ジャンが投げるその質問も、もっともだった。知っているなら自分もやればいいのに。しかしコンラートは、からからと笑う。


「……そりゃあ幼年学校組に仲間と思われて、後でバレて敵に回られたら面倒だしな」


 傍らを走りながら(……なるほど)と頷いたマリアは、何か引っかかったように問いかけた。若干だが息が乱れている。


「でも、下士官から士官学校へ上がれるのは曹長ですからもっと年上の筈ですよね? コンラートは20歳くらいに見えますが……」


 マリアが尋ねる。本当になんともなしの疑問だったのだろう。だが、帰って来たのは割と面倒くさい事情だった。


「ちょっと家の事情があってな。お家騒動の結果、伍長まで上がった時に呼び戻されて士官学校ここに放り込まれた」

「それは何とも……」


 真に合理的な社会はない。社会を動かす人間が不合理だからだ。そう語るコンラートである。

 思い当たることは山ほどある。そうでなければ、最初の・・・死を迎える事は無かっただろうから。




 たどり着いた運動場は予想よりずっと広大で、あれを走り回ることになると考えたらげんなりもする。

 その一角には軍用のトラックが並べられている。どうやら何処かに移動するようだ。

 トラックの前には40名くらいの候補生が整列していた。


「お早いお着きで」


 誰かがはやし立てるように言うと、どっと笑いが起きた。

 笑った者の制服は皆色あせている。反対に新品の制服を着た者たちは、こっそりこちらを向いてにやりと笑うか。小さくVサインをして見せた。


 パリッと糊が効いた制服は、貴族組だろう。彼らは特に反応は示さない。こちらに関心がないとでも言うように。


 やはり4人は早速派閥争いの渦中に放り込まれたらしい。


 幼年組の列にヴィクトルを見つけた。エーリカは当然貴族組の列だ。2人とも我関せずの態度をとっている。

 教官の後ろで休めをしている男女は、おそらく上級生だろう。制服も馴染んだ感じで、物腰も新入生とは違う。


 コンラートの話を聞く限り、4学年ともなれば既に団結して訓練にあたっているようだ。出身校の壁を超える事が出来るのなら、早くその日が来て欲しいと他人事のように思う。


 一人の教官が候補生たちの前へ出る。

 長髪の女性で、体躯は決して大きくなく軍人向きとは思えない。

 だが異彩を放つのは左目の眼帯だ。海賊のような大仰な作りで、一瞥されただけで侮る気持ちなど吹き飛んでしまう。


「諸君ら第7区隊を預かる事になった、ジル・ボードレール大尉たいいだ」


 彼女の宣言に、候補生たちがざわつく。

 これだけ若い教官となると、戦功を挙げたかしかるべき出自か、あるいは優れた魔法を使うかであろう。大尉が偉いのは知っていたが、どれだけ偉いかはよく分からなかった。

 コンラートが小声で教えてくれる。


区隊長くたいちょうはこの40人の担当教官だよ」


 要は小学校で言う担任のようなものらしい。

 前世の映画の影響か、教官と言うと殴ったり罵倒したりするイメージがあるが、先生のように生活面の面倒も観てくれるのだろうか。


「まず、最初に見せておくべきだな」


 ジル教官は眼帯に指をかけ、一気に外して見せた。

 全員が息をのみ、何人かが小さく悲鳴を上げた。そこには眼球が無かったからだ。


「ラナダ独立戦争で75mm砲弾の破片を食らったときのもんだ。軍隊じゃ毎年必ず何人かが訓練中に死ぬ。ここに来ただけで自分がエリートになったと錯覚したのならすぐに改めろ。でないと、片目どころか頭が吹き飛ぶことになるぞ。以上」


 ラナダ独立戦争は一昨年から1年続いた争いだ。

 小国ラナダの独立問題にこの国が介入し、ダバート陸空軍の義勇兵が随分亡くなったらしい。それまで、戦争とはニュース映画の世界だったが、若い候補生たちは生々しい現実を一気に突きつけられた。

 南部隼人にとっても、戦場が華々しい空戦だけでない事を自覚し始める最初のきっかけとなった。


 青くなった中学組と、にやにや笑う幼学組、無反応な貴族組を残し、ジル教官はあごで前に出るよう上級生に促す。


 次に出てきたのは長身の女子候補生。士官候補生と言うには恐ろしく細身だが、その所作には有無を言わせぬ威厳があった。

 素直に思った「これが4年生か!」と。


「諸君、入学おめでとう。4年生のエルヴィラ・メレフだ。我々上級生から歓迎会を催したいと、区隊長にお願いしてこの場を設けてもらった」


 歓迎会、と聞いて緊張した空気が少しだけ緩む。

 入学早々恐ろしいしごきを覚悟してやってきたからだ。

 だが、続いた言葉は斜め上だった。


「と言うわけで、諸君にはちょっと殺し合ってもらいます」


 は?


 口を開けて呆然とする学生たちに、上級生は邪悪な笑いを浮かべた。

 そして彼らは、士官学校で最初の学びを得る。


 「士官学校では教官や先輩の言葉を額面通りに取ってはいけない」という。


 南部隼人は語る。


 ジル・ボードレール教官とエルヴィラ・メレフ先輩。


 決して下級生をいびることはなく、不合理な訓練を強制することもない。相談には気さくに応じ、落ちこぼれた者も見捨てない。

 だが、当時の自分には、彼女たちが悪魔に見えた、と。

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