第3話「騒動の顛末」
”私が
あの時は
鴻池重工代表取締役 鴻池昭文のインタビューより
4月某日、士官学校の入校式は盛大に行われた。
日本から移殖された桜の木が立ち並ぶ中、エリートの卵たちは行進する。頭上には、ひらひら漂う花びらを蒔き上げながら飛行する、巨大な翼があった。
招待されてきた要人たちと、見学に訪れたラーナル市民たちが一斉に空を見上げる。そして歓声が起こった。
ワイバーンの空中儀仗隊。彼らは規則正しく陣形を組み、剣と二匹の竜を再現した。ダバート王国の国旗である。
ライズ列強が自慢とする空中儀仗隊は、大きなイベントには欠かせない存在だ。ライズばかりではなく、先日の
一斉に起こる拍手。
壇上のゲストたちが次々と祝辞を述べ、王国軍の未来を称えた。
今回特別にやってきた鴻池重工取締役は「若き候補生の奮闘は先日既に見せて頂いた。王国の未来は明るい」と祝福の言葉を添える。
厳しい試験を切り抜けてここまでやって来た新たな候補生たちは、感動と達成感に打ち震えていた。
こうして、王立士官学校第27期生の訓練生活は、栄光と賞賛と共に幕を開けたのだった。
それはさておき――。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
南部隼人がまだシュンと呼ばれていたころ。
懐かしき令和。
多忙な父が、突然家族で空自の基地祭に行こうと言い出した。
本当は遊園地か何かの方が良いとは言い出せず、それでも父と一緒に出掛けられるのが嬉しくて、出掛ける準備をする母親に早く早くと急き立てた記憶がある。
ひたすらに軽く、力強く、そして重力から自由。
初めて見上げるジェット戦闘機はただ衝撃で、シュンは瞼を通り越して脳髄にその雄姿を焼き付けた。
「ねえ! どうすればあれに乗れるの!」
父は笑って答えた。そのまなざしは、何処か嬉しそうで。
「父さんもパイロットを目指していたことがあるんだ。もしあれに乗りたいなら、いっぱい勉強しないと駄目だなぁ」
「するよ! いっぱい勉強する!」
それから、自衛隊の広報に連れて行ってもらい、パイロットへの遠き道のりを示してくれた。
「こんな小さい子に自衛官なんて……」
「まあいいじゃないか。目標を持つのは良いことだよ」
のんきに子供の将来を話し合う両親も知らなかった。
一度火が付いた彼がいかに情熱的、そして執拗であるかを。
それからシュンは、残業明けの父を待って飛行機について質問攻めにするのが日課になった。
一緒に空を目指す仲間や、応援してくれる恩師もできた。
航空学生は残念ながら選考落ちするが、防衛大学に合格した時は
大切な人たちを繋ぐ絆の象徴。
彼にとって、飛行機は生きることそのものだった。
自分に飛行機を引き合わせてくれた神様に感謝する。
その感謝が憎悪に変わったのは、健康診断で肺に影が見つかった時だった。
虹色だった世界が、黒くくすみだす。
「なあ、死ぬなよシュン。オレをひとりにすんなよ!」
ミユキだってどうしようもないことを分かっているんだろう。
閉じてゆく世界で、病室の窓から空を見上げるだけだ。
もう何も考えられない。抗がん剤で朦朧とした頭が、思考を奪う。
自由に動くことができるなら、ミユキの手ぐらいとってやれるのに。
恨むよ神様。
もう一度、もういちどだけチャンスを……。
『……君が受け入れてくれるなら、その記憶を使ってライズを救ってはくれないか』
痛ましい夢は、懐かしい声に掻き消された。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「お、起きたか。何処も異常は無いから、食堂へ行って何か食ってこい。その後は上級生から案内があるそうだ」
のっそりと体を起こすと、そこは病院だった。多分、士官学校の医務室。
軍服を着た医者――軍医はそら行けと、手首を振って追い出しにかかる。
「それと、前代未聞のことだそうだが……」
こちらに目を合わせないままカルテにサインして、医者は告げた。
「お前たち6人が寝ている間に、入校式もガイダンスも全部終わっとるから」
全部終わった?
合格の電報を受けてからずっと楽しみにしてきた入校式が?
(ああ、
きらびやかな空中儀仗隊と、わざわざ沖合で祝砲を打ち上げてくれる軍艦。待ちわびてはいたが、それよりも命をひとつ救い出した事の方が誇らしい。
そう思いつつも、やっぱり骨身にしみた。士官学校での生活は、前途多難のようだと。
食堂では見知った顔の5人が空きっ腹に遅い朝食を流し込んでいる。
「あ、兄さん! こっちです!」
がらがらの食堂で、マリアが手を振って来る。
例の5人がたむろしているテーブルにやってくる。彼らが囲んでいるのはお馴染みのトウモロコシ粥。ウシクジラ肉のソーセージとキャベツの漬物、コーンスープが添えられた定番の朝食メニューだ。
粥と言ってもペースト状のもので、地球の人間はそのボソボソ感に閉口するらしい。例外は同じようにトウモロコシ粥を主食にしている一部のヨーロッパ人だろうか。
隼人も、
ヴィクトルの方はと言えば、
「この味には慣れん」
と眉をひそめていた。聞けば日本からの留学生らしい。名前が漢字でないのは、彼はダバート系日本人なのだろう。日本でもライズ人との混血が進んでいると言う。
コメに執着する日本人の気質は、元日本人の隼人には痛いほど分かる。
「貴様も日本人か?」
同郷の人間だと思われたのか。ヴィクトルが尋ねる。前世の感覚だとどうも、「貴様」と言う二人称を敬語として使う
栓無き事を考えつつ、訂正しておいた。
「俺、日系ダバート人。こっちに来たのは親父の代」
ヴィクトルは話題を振ったのではなく事実を確認したかっただけらしい。「そうか」とだけ答え粥をかっ込む。
相当に無口な奴らしい。
「寝過ごしてなければ、それなりの御馳走が食えたのかなぁ」
「無理だなぁ。入校式で饗されるのは士官学校で日常的に食べるメニューだ。『いきなり甘やかすなどもっての外』だという事だそうだ」
スプーンを動かしながら、コンラートが隼人の希望をばっさり刈り取る。
そんなものかと置いた匙を再び手に取った。どうやら丸1日寝ていたらしいから、確かに腹は減っていた。
水分をたっぷり含んだトウモロコシは腹持ちが良くて、彼らはすぐに満腹になる。
「色々と残念この上ないです」
文句を言いつつも、マリアの皿はきっちり空になっている。か弱そうなのは見た目だけ。彼女はオールディントン家が誇る健康優良児だ。
「そんなこと無いよ。これだって立派なご馳走さ」
同じくらい丁寧に朝食を平らげているのはジャンだ。トウモロコシ粥はどこにでもある料理。普通はご馳走とは表現しないのだが、竜神教の教えでは食べ物への感謝を謳っている。きっと敬虔なご両親なのだろう。
「まったく、まさかあの料亭に突っ込むとはね。聞いた時耳を疑ったわ」
膨れた胃袋にこれまたトウモロコシのお茶を流し込んでいたら、半眼で文句を言ってくる王女様が目に入った。
「まあ、あの時は必死だったからね」
「まったくです。よくぞ無事でいられたものです」
ちっとも懲りない様子でジャンとマリアが、やかんからコップにトウモロコシ茶を注いでいる。
隼人も何か他の方法があったかもしれないとも思うが、人命優先で行動したことについて後悔はない。
「そんなお前らに情報屋から発表がある。あの店の平均的な飲み代だ」
コンラートが余り紙にさらさらと数字を書いて、テーブルに置く。それを見た一同は絶句した。
それはもう。ハイソでゴージャスなお値段だった。
「……なあ、今から謝りに行った方が良いのかな?」
怖気づいたのは隼人とジャンの庶民2人だ。
コンラートが庶民なのかは分からないが、彼はこの状況を楽しむように一同の反応を見てにやついている。
「う、うん。そうだね……」
先ほどまでの余裕はどこへやら。落ち着きを失ったジャンが、弱音を吐く。
しかし、マリアは容赦なく退路を断ち切った。
「もう遅いです。軍と市と、それから寄付金で修理代を出し合うことになったそうですよ。それにお金で命は買えませんから」
実家が金持ちの彼女は一切の危機感がない様子だが、庶民であの額を見て動揺しない奴は、きっと頭がどこかおかしいのだ。どうか知っておいて頂きたい。
「そう言うがな。一時は俺たちを放校にしろと言う声も強かったらしいぜ?」
「放校……マジか」
駄目押しにコンラートが落とした爆弾に、隼人は呆然と呟いた。残念ながらマジだった。
彼曰く大切なあれこれをトラックに跳ね飛ばされた方々からは、そんな声も大きかったようだ。
ところが、ちょうど接待であの料亭に訪れていた、
発電所・製鉄所など、世界トップレベルの技術を持ち、社員たちは
『わが社のプラントに比べれば、三菱の戦車など
などと豪語していると言う。
隼人の令和知識では、「鴻池」等と言う巨大企業はまったく聞いた事が無い。何でも江戸時代最大の財閥だったとか。
前世にいるうちにググっておけばよかったと思う。が、よくよく考えたら当時知らない単語を検索できたわけがない。
悪い事に宮川ナントカと言う高名な陶芸家に仕事を依頼していたところだそうで、トラックの突撃の余波で完成した注文品が破壊され、取締役は激怒したというが……。
『未来ある子供の命と引き換えなら、この鉢も本望でしょう』
と、宮川先生はにこやかに修繕を約束し、我に返った取締役は隼人たちを弁護してくれたと言う。
逆に言えば、それが無ければ危なかったわけだ。
「ほら、
マリアも宮川先生とやらを知っているらしい。完全に虎の威を借りている。残念ながら、そんな凄い陶芸家の名も、今の知識にも前世知識にもない。
「あなたねぇ、鴻池から寄付もあるとはいえ、修理代は血税からも出るのよ?」
エーリカが常識論を口にするが、彼女が街中をワイバーンで超低空飛行した女であることを忘れてはならない。
あと、
「ところで、あの飛竜はどこで調達したんだ? 駐屯地から乗り逃げしたわけじゃないだろ?」
隼人の質問はお気に召さなかったらしい。エーリカは仏頂面で見返してくる。
「乗り逃げしたとか言わないで! 訓練用に飼ってる飛竜に
”お願い”と言う文句に、何か特殊な方法――恐らく魔法を用いたと推測する。お願いで済むところが魔法の便利さである。
士官学校のように教育用に飼育されている馬や竜は気性が荒い。へたくそな初心者が乗るからストレスで暴れるのだ。
それを一瞬で乗りこなすのは優れた騎兵か、優れた使役魔法の使い手だろう。
「使役魔法かぁ。懐かしいなぁ。
再会を約束した古い友人を思い出す。思い出すが、マリアに思いっきり足を踏まれた。
恨めしそうに彼女を見ると、真面目な顔でそっと首を振った。頷いて引き下がる。
「ところで、あなた昨日顔に傷があったようだけど?」
エーリカはまじまじと隼人の顔を眺めて、問うた。
「ああ、あれは興奮した時とか、激しく運動した時に浮かび出るんだ」
何でそんなことを聞くのか疑問はあったが、素直に答えておく。この傷は、思い出の夜に友達を庇ってついたものだ。小学校の体育の授業でこれが浮かんだ時、ちょっとしたパニックになった。
それでも、誇る事はあっても引け目に感じるものは何もない。
エーリカは「そう」とだけ答えて、黙り込んでしまった。
彼女が時折浮かべる陰りに、隼人は「何か」を見出した。
それが何かは分からないけれど。
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