第2話「とある上等兵の受難」

”最近になってやっと悪くない経験と思えるようになったが、あんたたちと出会ったときとんだ疫病神が出やがったと思ったさ”


トーマス・ナカムラ上等兵じょうとうへいのインタビューより

※作者注:引用した証言は全て当時の階級・姓で記載している。




「この餓鬼ども、後で殺してやる!」


 トーマス・ナカムラ上等兵は絶叫した。何が何だか分からない。ただ言えるのは、彼が生命の危機に瀕していると言う事だった。


 それは半刻前に遡る――。


 配膳中に皿をひっくり返した新米初年兵をどやしつけていたら警報が鳴り、事情も知らぬままトラックに歩兵分隊を乗せて市の繁華街へ向かうよう命じられた。

 その15分後、上空を飛び回る蜂の化物を発見する。不快な鳴き声――がりがりとガラスをこすり合わせるような音を耳にして、思わずつぶやく。


「あれが、甲蟲こうちゅうか」


 すぐに軍曹分隊長に怒鳴りつけられた。無駄口は厳禁とは言っても、ヤバい物はヤバい。

 その5分後、ハンドルを持つ手が震えていた。甲蟲が抱えている”荷物”が邪魔をして対空射撃が行えない。


「オイッ! 無線で戦闘機はここまで降りられんのかと問い合わせろ! もたもたするな!」


 分隊長が無線手にがなりたてている。怒鳴り散らさんでもわかるわ、この低能! と心の中で言い返してやる。そう心の中で。

 そうだ! 今ならこっそりトラックの下に潜り込める。そこなら甲蟲も狙わないだろう。


(流石俺! やっぱ学がある奴は得するんだよ)


 分隊長に気付かれないようにこっそりと腰を上げた時、ビュッと風切り音がして、左の太ももに何かかすった。痺れたような感覚。

 やばい、やられたと思ったとき、視界が暗転した。




 そして現在、入り組んだ市内の路地を全力疾走するトラックに乗っていた。


「バカヤロー、止めろ! 止めて!」


 左右に揺れる助手席で彼は懇願した。車内で必死に声を張り上げて。そうする間にもトラックはゴミ箱や荷箱、雑多な障害物を跳ね飛ばしながら進んでゆく。

 だが”そいつら”は一顧だにしない。

 どこかの中学の制服を着こんだ、悪魔のようなお坊ちゃん・・・・・たちは――。


「あ、起きましたか? 兵隊さんは甲蟲の毒針がかすめて気絶してたんですよ」


 傍らでハンドルを握っているのは顔に傷のある学生。アクセルから足を外さず説明してくる。

 今、全力で爆走している説明になっていないが。


「毒針!? 毒にやられてるって事じゃねぇか! 早く病院……」


 まだ死にたくない! そうか、ひょっとして彼は自分を病院に運んでくれているのか?

 抱きかけた希望と感謝の念は、直ぐに粉砕された。


「あ、大丈夫。毒は私の魔法で治しましたので」


 荷台から顔を出して自慢げに付け加えたのは、黒髪の女学生だった。

 そして彼女の話も説明になってはいない。


 とりあえず死なずに済んだか? いや、毒で死ななくても今この瞬間死にそうだし。


「直しゃ良いってもんじゃないだろ! 何でこんなところを走っているんだ!?」


 叫んでも喚いても、クソガキは許してはくれない。

 荷台からがすっと出てきた顔を目が合った。色白で端正なお顔だった。なお悪い。美形なだけに、今のナカムラには魑魅魍魎にしか見えなかった。


「甲蟲が一匹、女の子をぶら下げて飛んでいるんです! 助けないと!」


 荷台から顔を出したもう1人が言う。そ、そうか甲蟲かなるほど。

 ようやく納得のいく説明はもらった。  


 納得はいったが、自分が巻き込まれている理由には、やっぱりならない。

 角を猛スピードで右折した時、サイドミラーが吹き飛んだ。


「お、俺には関係ないだろ!? 降ろせ! 降ろしてくれ! ってか、お前ら何なんだよ!」


 半狂乱で素性を問うナカムラ上等兵に、前方から視線を外さず名乗った答えたのは、ハンドルを握る学生である。


 後にライズ世界を救う英雄に成長したと人々は言う。

 だがこの時のナカムラにとって、その名は悪霊か疫病神と同じような響きを持っていた。


「俺は南部隼人なんぶはやと。未来の銃士パイロットだ」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 最初に気づいたのは、恰幅の良い紳士だった。

 視界に映った違和感。その正体を確かめるように何度も瞬きし、その表情が恐怖に変わる。


 紳士の声にならない悲鳴に何事かと目を向けた街人たちは、彼の指先を追いかけた。そして上空の空を見上げ、叫び声とともに一斉に駆け出した。

 ここ数年間に出没するようになった、巨大な蜂の化け物。

 体長は人間の大人をはるかに上回り、時速数百キロで飛行。そして、人を食らう・・・・・


 化物の名を甲蟲こうちゅうと言う。


 今まで出現は中央海沿岸部に限られていたため、早期発見による駆除は容易だった。甲蟲は速度でも武装でも戦闘機の敵ではないからだ。


 しかしながら王国北端のラーナル市ではこれまで甲蟲の発見例がなく、したがって軍の警戒網も西海岸ほどの厳重さは無かった。

 この日、市内に侵入した甲蟲は8体。うち5体までが緊急発進した王立空軍の〔95式きゅーごーしき戦闘機〕に撃墜され、更に2体は海軍の機銃きじゅうで粉々に砕け散った。


 だが残り1体が市街地に侵入。人でごった返した日曜日の繁華街に躍り込んだ。

 この時甲蟲はもっとも捕えやすい獲物、つまり弱い個体を選んだ。

 周囲の喧騒に戸惑って目を離した次の瞬間、母親が見たのは虚空に昇ってゆく風船。愛娘のものだった。


 絶叫。


 駆け付けた兵士たちがトラックを飛び降り〔38式歩兵小銃ライフル〕で狙いを付けるが、甲蟲が抱える少女に当たる事を恐れて引き金を絞れない。

 それを好機ととらえたか、甲蟲が急降下する。

 軍人は攻撃を受けると反射的に伏せるように教育されている。この時はそれが仇になった。

 撃ち出された巨大な毒針が軍のトラックに命中し、天井と座席を貫く。


 怒号と悲鳴が飛び交う中、半狂乱で娘の名を呼ぶ母親。そして歩道には、それを見つめる兄妹がいた。


 2人は意を決したように顔を見合わせ、走り出した。

 兄は剥がれたトラックの天井を放り捨て、運転席に刺さった毒針を引き抜こうとする。

 妹は気絶している運転手に治癒魔法をかけて傷口をふさぐ。そのまま両腕を引っ張って、どうにか助手席に引きずり込もうとする。


「兄さん! こっちを!」

「おう!」


 兄はそれだけで意図を察して、運転手を妹の方向に押し出した。まだ若い兄妹の連携は、実に手慣れている。


「馬鹿もん! 学生が何を……!?」


 そんな2人にようやく気づいた現場指揮官下士官が、運転席を見上げて降りるように言う。


「確かに学生ですけど、俺たちももうすぐ、”軍人みたいなもの”になりますので」


 弁明にならない弁明をしていいた兄が、詰襟の徽章きしょうをつまんで見せた。それは王立士官学校の校章。高倍率の試験にパスした者が、身分証の代わりに贈られる記念品。士官学校の門をくぐる学生は、これを提示して入校式へ臨む事になる。


「だからと言って勝手を許すわけには……」

「行けますよ兄さん!」


 下士官の言葉を遮って、妹も荷台に飛び乗る。けが人の治療は終わったようだ。彼女の学生服にも、校章が輝いている。

 彼らは明日からこのラーナル市で王立士官学校に入学する身分、よって彼の言い草は嘘ではない。


 兄の名は南部隼人、後に”セーントの竜殺し”と呼ばれる男である。

 妹はマリア・オールディントン。和人形のような容姿と華奢に見える体だったが、その所作はきびきびとしている。血色も健康そのものである。

 2人とも新品の制服を身にまとった、士官学校の新入生だ。


「ふっ、ふざけるな!」


 隼人は下士官の抗議を無視して作業に集中している。巨大な毒針と格闘する彼の手に、白い両手が添えられる。


「手伝うよ」


 彼に声をかけてきたのは、中性的な男子学生。所謂紅顔の美青年と言う奴だ。だが、その容貌に反し、毒針を握る手は力強い。


 そして、彼の胸にも徽章があった。


 2人は対面で毒針を掴み、合図とともに踏ん張る。毒針は勢いよく引き抜かれた。


「よし! 抜けた!」


 引っこ抜いた毒針を、吹き飛んだ天井から放り出し、隼人が叫ぶ。


「運転席は無事だ! 追うぞ!」


 毒針が外れ、空いた運転席に滑り込んだ。


「はい! 兄さん!」


 溌溂と返事を返すマリアはトラックの屋根越しに荷台に滑り込んだ。


「ちょっと待って。僕も荷台に移動する」


 美形の方も、当然のようにトラックに乗り込もうとする。

 後部から回るのが煩わしいのか、吹き飛ばされた運転席の天井を登って、荷台に飛び込む。そしてひょいっと顔を出して、尋ねてきた。


「良いのかい? 戻れないぞ?」


 ハンドルを握る青年の問いは、「一応、手続き上聞いておく」類のものだった。

 案の定、2人は全く動じた様子もなく、早く出発するように促した。


「兄さんのあるところ、私もありです! ところで、あなたは良いんですか?」


 美形の候補生はマリアの心配――恐らく半分憎まれ口の――をさも当然、とでも言うように切って捨てた。


「子供に死なれた母親を見るのは嫌だからね。それより、君こそ良いのかい?」


 隼人は返事もそこそこに、屋根の吹き飛んだトラックのエンジンをかける。ここで逃げるようならば、初めから荷台に飛び乗ったりしないだろう。


「俺の親父はあいつら甲蟲に殺されたからな。空であんな死に方をする奴はもう見たくない」


 そこで気絶した運転手が助手席にいるのを思い出し、降ろしてやろうと手をかける。


「そいつは連れて行こう。お前よりは運転が上手いだろう」


 声がして荷台を振り向くと、新たに飛び乗ってきたのは坊主頭の青年。今のは彼の発言だろう。

 軍服っぽい制服を着ているが、生地は何故か色あせた感じがある。彼もまた、胸に徽章を光らせている。

 運転手の肩から手を放し、隼人はハンドルを握りなおす。


「お前さんもいいのか?」


 もはや確認するだけ無駄そうだったが、隼人は坊主頭に一応尋ねてみた。


「俺が軍人の卵じゃなきゃ見逃したかもな」


 坊主頭はへの字口で答える。

 つまり、軍人の卵なのでしっかり助けると言う事だろう。


「この辺の地理は把握してる。ナビは任せろ!」


 最後に飛び込んできて叫んだのは、浅黒い肌の青年。

 何が楽しいのか、一同を見まわして口角を上げる。青年は陸軍の軍服を着ていて、外見からして成年しているようだが、彼も何故か胸に徽章を付けている。


「物好きが更に1人ですね」


 演技くさく肩をすくめるマリアも、もう意志を問うような事はしなかった。聞くだけ野暮だ。


「まあ、俺に関しては趣味みたいなもんだ。それより、早く車を」


 にやけ面の青年は催促する。それに応じた南部隼人はペダルを半クラッチで踏み込んだ。わめいていた下士官の声がどんどん後方に流れて行く。

 こうして、5人の士官学校新入生たちと、巻き込まれた1人の不幸な上等兵によるデスロードが始まった。


「奇特な奴らが集まったもんだ」


 にやけ面の青年がこぼした。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「貴様らあっ! 無事に帰ったら絶対殺してやるからな!」


 トーマス・ナカムラが精一杯に放った、凄んで見せる脅迫と言う名の懇願は無視された。

 帰ってきたのは返事ですらなく、一顧だにもしない指示・・だった。


「気が付いたんなら、運転を」


 言うだけ言って、器用にもするすると荷台に移ったのは南部隼人だ。ねぎらいどころか一瞥もない。

 ナカムラは悲鳴を上げてハンドルに飛びつき、エンジンブレーキで減速するままに任せようとする。


「ちょっ、待て! 俺はいち抜けるからな!」


 ブレーキに足をかける。途端にドスの利いた声が、頭の後ろから飛んできた。


「止めるな。このまま甲蟲を追いかけろ」


 坊主頭の学生の言い分は理不尽そのもの。

 ナカムラは正当な抗議を口にする。そう、正当な抗議の筈なのだが――。


「大体貴様ら、何の権利があって俺をこき使うんだ! 士官学校生と言っても、入学前ならただの中学生じゃないか!」


 しかし、すぐにその言葉を後悔する羽目になる。

 坊主頭が言質を取ったとでも言いたげにこちらを見下ろしてきたからだ。


「俺の所属は日本の幼年学校ようねんがっこうだ。この国でも・・・・・生徒が伍長ごちょう相当なのは知ってるよな、上等兵・・・?」


 凄みのある笑いをバックミラー越しに見せつけられ、ナカムラの顔が強張る。


 幼年学校はエリート軍人の卵の養成校である。同盟国日本の制度を取り入れたものだ。全国から優秀な少年少女・・を集めて、将来の指導者候補を養成する機関とされる。生徒のほとんどは士官学校に進学するし、上等兵までの階級は彼ら幼年学校生にも敬礼しなければならない。

 上等兵は「兵卒兵士」で、伍長はそれを指揮する「下士官」。後者の方が偉いのは言うまでもない。

 だから「下士官扱い伍長相当」と名乗ったのだが、当然ながら生徒に命令権が与えられるわけでもない。だからこれは完全に越権行為だ。


 だがナカムラ上等兵は、それに気づいて反論するだけの冷静さを失っていた。恐らく平時であっても言い負かされていたが。


「くそっ、憶えてろよ!」


 やむを得ず小物臭い悪態をついてアクセルを踏み込む。


「で、どうする? さっきから俺達がいくら追いかけても距離は縮まらんが……」


 幼年学校の坊主頭は忌々し気に空を見上げる。

 俺はお前が忌々しい。


「荷台には何か、使える物があるかい?」


 美形の問いでにやけ面があろうことか軍の装備を物色し始める。

 制止しようかと思ったが、怖いからやめた。


「大したものはないな。小銃ライフルと信号拳銃が1挺ずつ。無線機は壊れてるが弾は十分にある」

「後ろから撃つと急所に当たらんなぁ。どうにかして前に回り込まないといけないが……」


 南部隼人が腕を組んでうんうん唸って何やら考えている。

 そのまま悶死してしまえ。


「よし、全員自己紹介と使える魔法、特技を言って行ってくれ」


 どうやら、美形の学生がこの場を仕切るようだ。

 バックミラー越しに馴れ合う学生たちにクソガキどもに視線をやり、良いから降ろしてくれと竜神に祈る。


「俺は南部隼人。丙級へいきゅうの身体強化魔法と柔道を少々」


 魔法を使えるのかよ。それだけでいけ好かない。

 そしてこの顔に傷のある少年は、彼の希望をギロチンより的確かつ迅速に断ち切った。


「運転は出来るが腕前は御覧の通りだ。上等兵さんに任せた方が良いだろう」


 遠慮しなくていいから好きなだけ自分で運転してくれと思う。こいつは嫌いだ。


「コンラート・アウデンリートだ。魔法は使えないが、この辺りの地理と……軍隊で習うことは一通り」


 にやけ面の青年は、ガタガタ揺れる車両で陽気に制帽を持ち上げて見せる。確かにこいつからは”既に”軍の飯・・・を食っている臭いがするが、尚更その態度はどうなんだ。

 宴会コンパの席じゃねぇんだぞ? こいつもどうかしている。嫌いだ。


「……ヴィクトル・神馬じんば。魔法は使えんが小銃の射撃と乗馬には自信がある」


 丸坊主の幼年学校生徒は口をへの字に曲げて、小銃をチェックしている。

 こういう奴は嫌いだ! すぐ殴る上官を思い出す。ぶん殴ってやりたくなるので嫌いだ。


「マリア・オールディントンです。甲級の探知魔法と丙級の治癒魔法が使えます」


 黒髪の女性がふふん、と自慢げに告げる。

 オールディントン家と言えば、たしか王国中部に領地をもつお貴族様だ。しかも、甲級魔術師はそれだけで食うに困らないエリート中のエリート。

 ナカムラはエリートが嫌いなので、こいつも嫌いだ。


「最後は僕だね。ジャン・スターリング。魔法も武器も使えないけど、人は使える」


 女形のような顔立ちで、美少年は不敵に笑う。

 傍から見れば絵になるのだろうが、ナカムラはおっぱい付いてない相手と恋愛する趣味はない。つまりこいつも嫌いだ。


「で、どうするんだ? 役に立つ魔法も無いようだし、イチかバチかで甲蟲を狙撃してみるか? 確率は低いが、逃げられたら生存率はゼロになる」


 ヴィクトルの過激な提案を、やんわりと却下したのはジャン・スターリングだった。


「それは最後の手段だよ。命中しても甲蟲は腹か頭を潰さないと一撃で殺せない。興奮して女の子を傷付けるかも。今は少しでも犠牲を出さないように知恵を絞ろう」

「犠牲者は出ているぞ! 今まさにここで!」


 がなり立てたのはナカムラだ。

 生命と精神とプライドの危機を訴えて。

 だが、回答は理不尽そのもの。

 餓鬼どもは彼の抗議を一顧だにしなかった。返事の代わりに、ジャン・スターリングは見舞う。


 無慈悲な一言を。


「上等兵さん。もう少し速度を上げてもらって構わないよ」

「ぐぎぎ!」


 変な声が出てしまった。

 いや、俺が構うんだよと思いつつも、結局涙目でアクセルを踏み込む。


「甲蟲を何処かに追い込もう。そこに待ち伏せて狙い撃ちにする」


 隼人が手を挙げて、無理臭い提案をする。

 だが、それを受けたジャンは顎に手を当て、大真面目に検討し始めた。


「……コンラート、ヤツをを追い込むのに適当な場所は?」

「乃木東郷公園が良い。あそこは市街地からいきなり開けた場所に出るから、待ち伏せに向いている」


 質問を受けたコンラートは、失敬したらしき地図を指さし、バックミラーに映してくる。地図の広げ方も陸軍式で手慣れた様子。

 あんなお偉いさん自慢の名所旧跡で仕掛けるのか!? こいつら正気じゃねえ。


「ヴィクトル、正面から飛び出してくる甲蟲を狙い撃てるかい?」

「百発百中とはいかんが、後ろから命中させるよりはマシだな」


 続いてジャンに質問されたのはヴィクトル。小銃を点検しながらやる気満々である。


「手入れが雑だな」


 新米兵士が聞いたら震え上がるセリフを吐いて、弾丸を装填した。

 こいつの部下にだけはなりたくない。


「マリア、君は探知呪文で甲蟲を追跡してくれ」

「もうやってます!」


 テキパキと仕事を振ってゆくジャンにうっかり思ってしまう。


(こいつ、上官としては叫び散らすしか脳の無いうちの少佐よりマシじゃね)


 もちろん直ぐに思い直して首を振る。

 感化されるな、こいつらは悪魔だ!


「だが、どうやって甲蟲を誘い込む? 誰か追い立てる役が必要だが?」


 ヴィクトルの指摘はもっともだった。

 案を出した隼人もそこは理解している様子。長考に入る。


 上空では戦闘機がぐるぐると旋回していた。

 彼らも手を出せないのだ。地表すれすれを飛ぶ甲蟲を攻撃すると、その下の街にも被害が出る。

 かと言ってしびれを切らした地上の高射機関砲対空砲が発砲すれば、少女ごとバラバラである。


「それなんだけ……」


 何か言いかけた隼人が、突然耳を塞ぐ。

 上空で甲蟲の羽音を重低音がかき消した。見上げた先には巨大な翼。飛竜ワイバーンの咆哮である。


 竜騎士を乗せた騎竜は、雄たけびを残しトラックの上空を駆け抜ける。

 ブレスを吐こうと口腔に魔力を集中させ、しかしすぐに断念した。


 騎竜はなんとか甲蟲を捕えようと、右に左に体をくねらせる。しかし小回りの利く甲蟲相手では難しいらしい。飛竜もじれている様子。


 ブレスを吐けるなら中級クラス以上のワイバーンだ。そのお家芸も、女の子を避けて甲蟲を倒すには強力すぎる。そもそも相手がホバリング可能な甲蟲では、捕捉できない。

 本来航空機より低速な飛竜と言えど、甲蟲1体など物の数ではない筈なのだ。ただし、ここが開けた場所であれば。


 飛竜はビルの外壁に衝突しかけ、攻撃を断念する。


「行けるかもしれない! あの竜騎兵に協力を頼もう!」


 隼人が叫んで1秒待たずに、ジャンはコンラートに命じていた。


「コンラート! 信号弾は使える?」

「勿論!」


 指示されるまでもなく、信号弾は既に用意されていた。コンラートは信号拳銃を二つ折りにして、巨大な信号弾を押し込む。そのまま折りたたんだ銃身を元に戻して、上空に向け発砲した。

 竜騎兵はすぐに気づいたらしい。速度と高度を落としてトラックに横付けする様に飛ぶ。


 こいつもかよ!


 飛行帽から流れるブロンドの少女。竜騎兵の制服を着て、腕章には王立士官学校の校章がしっかりと描かれている。それを見たナカムラは悪態をつく。どうせ聞かれやしないだろうから大声で。

 飛竜にまたがっていたのは、6人目の悪魔らしい。


 そういえばナカムラも聞いたことがある。国王の末娘が優れた使役魔法の使い手だと。

 彼は思う、王族の上に飛竜を使役なんて勝ち組じゃねえか。ゆえに嫌いだ。


「あなたたち、無謀よ! ここは私に任せて……」


 怒鳴る竜騎兵に、隼人も怒鳴り返す。トラックのエンジン音と風の音が邪魔だから、怒鳴り合うしかない。無線機は壊れているのだ。


「作戦がある! 甲蟲を乃木東郷公園に追い込んでほしい!」

「そんなの! いきなり言われて信じられるわけが……!」


 怒鳴り返していた竜騎兵は、何故かピタリと言葉を止めた。


「……あなた、もしかして」


 言いかけた彼女は頭を振って自分の言葉を打ち切り、改めて首を振った。

 何だ? 何かあるのか? これ以上の厄災は持ち込んでくれるなよ!


「いきなり作戦と言われても信用できないわ! 良いから退避を!」


 拒絶する彼女に隼人が身を乗り出して説得をかけようとする。


「駄目だったときは竜のブレスで消し炭にでも何でもしてくれ!」

「はぁ!?」


 訳が分からないとかぶりを振る竜騎兵。ナカムラもまるで分らない。

 隼人はさらに大声で啖呵を切った。


「助けられなかったら俺たちは厳罰。下手をすれば放校だ。パイロットになれないなら燃やされた方がマシ!」

「じゃあ、初めから黙って見ていれば良いでしょう!?」


 理不尽な物言いに、呆れた王女殿下が怒鳴り返すが、隼人の返答はもっと理不尽だった。


「それはもっと嫌なんだよ!」


 こいつ、本当に頭がおかしいんじゃねえか!

 お姫様に助けを求めればワンチャンス……。そんな期待は粉々に砕け散る。

 竜騎兵お姫様がいきなり爆笑したからだ。


「いいわ。今機嫌がとっても良くなったから、話を聞いてあげる」


 今の言葉に笑いの要素があったのか? 偉いお方御大尽様の考える事は分からん。

 ジャンが構わず言葉を引き継ぐ。


「エーリカ殿下、で良いんですよね? どうかご協力頂けませんか? その騎竜のブレスだけで少女を救えるとは思えません」


 続いて隼人が簡単に「作戦」の事を話す。流石のエーリカも一瞬考え込んだ。

 だが逡巡の暇は与えられない。


「……兄さん! このままだと甲蟲が街を出ます!」


 マリアが貧血を起こしたような青白い顔で兄に呼び掛ける。

 魔法の使い過ぎなのか、単純に車の中でシェイクされたせいなのか、明らかに体調が悪そうだ。

 王女はそれを何故かじっと見つめていたが、ゴーグル越しで表情は読めなかった。


「……エーリカで結構よ。明日からは対等な同期生だから。それより、ちゃんとその子を看てあげて」


 エーリカ・ダバート姫殿下サマは、意を決したようにゴーグルをかけなおし、飛竜を上昇させる。一同はそれを同意と受け取った。

 承ったとばかり、ジャンは仕事を割り振って行く。


「ヴィクトル、小銃の準備を! コンラート、公園まで近道を教えて! あと、マリアは大丈夫なのか?」

「いや、割と大丈夫じゃない。マリア、魔法を切ってくれ。あとはエーリカが引き継ぐ」


 隼人の言葉とマリアが崩れ落ちるのはほぼ同時だった。

 ジャンは彼女を支えると、兄に説明を求める。


「マリアの探知魔法は正確すぎるんだ。周囲の人間を全部探知してしまうから、人ごみで使うと酔うんだよ」

「身体に影響はないんだよね?」

「……大丈夫です。ちょっとひどい車酔いみたいなものですので」


 そんなに酷いなら、今すぐ中止してあのお姫様にすべてを委ねようじゃないか。そうだ、それが良い!  

 そんな、名案を開陳しようとしたとき、コンラートが悪魔のような提案をしてきた。


「この先は王室御用達の料亭だったな。庭が広いから、縦断すればショートカットできるかも」

「冗談じゃない! やめろ! やめてぇ!」


 ナカムラの懇願は今度も無視された。 学生たちは流石に躊躇すると思いきや――。


「良いの?」

「人命優先じゃね?」


 などと恐ろしい企てを話し合っている。

 そして、誰もが彼の提案を即座に却下しようとしない。


 餓鬼どもは頷き合い、ジャンが最終的に狂気の決定を下した。


「よし、行こう!」

「上等兵! 料亭の門をぶち破れ!」


 間髪入れずヴィクトルが命令を下す。それはナカムラにとっての死刑宣告だった。


 軍隊では技能を学ぶことができる。だから、技能兵としてトラックの運転を学び、兵役を終えてからも手に職がついて明るい未来が待っている筈だった。

 こいつらと関わりさえしなければ!


 トラックは、ラーナル市民なら誰もが憧れる高級旅館の門に向かって疾走しつつあった。

 もはやトーマス・ナカムラには、アクセルを踏み込まさせられ・・・・ながら、叫ぶことしかできない。


「ひぃぃぃ! お母チャン!」


 衝撃と、何かが吹き飛ぶ音が彼を襲った。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 乃木東郷公園。


 お互いの士官養成校を見学し合い、相互の美点を確かめあったことで「2人で理想の士官学校を創り上げよう」と誓い合った。それが公園の名前にもなった陸海の英雄である。この場所はそんな伝説からそう呼ばれるようになった。

 その理想の体現こそダバート王立士官学校であり、この公園では2人の銅像ががっちりと握手を交わしている。

 今はラーナル市民の憩いの場所だ。


 伝統ある公園の芝生をドリフトで引きはがしながら、トラックは停止した。

 ジャンが叫ぶ。


「ヴィクトル! 狙撃位置についてくれ!」

「わかっている。みなまで言うな」


 小銃を抱え、ヴィクトルは走り出す。

 エーリカに向けて信号弾を送ろうとするコンラートを隼人が制止した。


「まず、荷台にほろを張ろう」

「幌? 何でだ?」


 コンラートは首をかしげる。

 ピンと来たのはジャンだった。


「君は、どこでこんなやり方を学んだんだい?」

「俺は同じことをお前に聞きたい」


 ジャンの仕事の回し方もまた、学生だとは思えない。暗にそれを言う隼人だった。


「……さてね」


 おどけるように答えをはぐらかしつつ、ジャンも素早くロープを巻きつけてゆく。


「ほら、上等兵さんも急いで!」


 マリアからの督戦を受け憤懣ふんまんで狂いそうになるが。

 もはや共犯にさせられたナカムラはどうしようもなく、ずり落ちた眼鏡を押し上げ黙々と作業する。

 幌を張り終わったとき、ジャンは再び運転席に乗り込むよう彼に命じる。


「これで最後だから、頼むよ」

「最後!? 本当だな!」


 もう軍なんてやめちまいたい。

 兵役が終わるまでもう少しなんだ。あとはこいつらと関わらない場所で安らかに過ごしたい。


 だが6人の悪魔はそう甘くなかった。


「じゃあ、幌で甲蟲が落とす女の子を受け止めてくれ」


 それぐらいできるでしょ? とでも言いたげな隼人の台詞だった。

 最後の試練にとてつもなくヘビーなのをぶつけてきやがった。


「は? 冗談だろ!?」

「まあ、人命がかかってるからな。よろしく頼むぜ?」


 コンラートがナカムラの肩を叩いて行くが、じゃあ代わってくれと言いたい。

 あと、男のウィンクなんて嬉しくない!


 諸悪の根源南部隼人からの無理難題の対処法は、もはや現実逃避しかなかった。

 再びアクセルは開かれる。


 彼は叫んだ。


「竜神様! お助けを!」


 その時、コンラートが信号弾を発射した。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 エーリカの駆る騎竜に追い立てられた甲蟲が公園に飛び込んできたとき、銅像の頭の上・・・・・・で〔38式さんぱちしき歩兵銃ほへいじゅう〕を構える射手に出迎えられた。

 甲蟲は、自らにとって最悪の行動をしてしまう。

 機動を変えるため、一瞬停止したのである。

 ヴィクトル・神馬の放った6.5mm弾が、甲蟲の複眼から侵入。脳髄をミンチにし、甲蟲は永遠に活動を停止した。

 女の子が宙に舞う。


「行ってください! 上等兵さん!」


 マリアが叫んだ。

 冗談じゃねえ! ここでしくじったら、全部みな俺のせいになるじゃねえか!

 嫌だ! 俺は楽して生きるんだ!


「ちくしょおおおおおお!」


 巧みなクラッチ操作で4速にギアチェンジしたトラックは、墜ちる甲蟲と交差するように真下を通り抜け幌で女の子を受け止める。

 女の子は抱き上げたマリアを呆然と見つめ、やがて彼女の胸で号泣した。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 この日、出現した甲蟲がもたらした被害に、市と駐留軍はその後始末と責任回避に忙殺された。

 被害額は相当なものになり、その幾何いくばくかは学生たちが奪取したトラックによるものだった。人的被害が発生しなかったのは不幸中の幸いだったが。


 市長は大被害を出した彼らを罪に問うべきか、人命救助の功績を称えるべきか、双方の主張の板挟みになった。

 結局のところ罪科と功績は相殺と言う玉虫色の決断を下す。


 後の箱舟戦争で彼ら6人が英雄譚を残すと「なぜあの時功績に報いてやらなかった!」と言う非難が集中することになる。

 平身低頭で謝罪する当時の市長に、6人は微妙な顔で答えたという。


「いや、別に間違った判断ではありませんでしたし」


 トーマス・ナカムラ上等兵は、結局満期除隊兵役明けを迎える事は無かった。

 あれほどの暴走を行えるだけの胆力とドライビングテクニックを軍が評価したからである。

 彼は士官にまで出世することになる。上官の拳骨や暴言と戦いながら。


 この事件は人命救助の功績とともに暴走に次ぐ暴走を繰り返した、6人の士官学校生の名前とともに語り継がれている。

 後の「レックレス77人の暴走野郎」の前身であった。

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