2-2 ヴェンデル伯爵
これだから宮廷は嫌だ。めんどうだし、わかりにくいし、迂闊なことをすれば足元を掬われかねない。
「護衛かー……今さらだけど、苦手なんだよね……」
護衛とはいえ、その対象は国の頂に立つ公王陛下である。
単純な肉体労働というわけにはいかないだろう。頭を使う必要もある。時世を読み、上手く立ち回る必要がある。
五十年戦争を終えたばかりのこの国はまだ、落ち着きを取り戻しているとは言い難い。
「言うまでもないでしょうけど気を付けた方がいいかと。あとね、戦場じゃないんで、怪しいからって片っ端から斬るのはなしですよ。威嚇程度はありかもですが、ここは王宮で宮廷です。護衛はあくまで対処。先手必勝とか考えない」
シュミットが並べ立てる注意事項を聴きながらも、どうしても思ってしまう。
戦場の方が、わかりやすい。戦場であれば、味方でない者は敵。
どうせ血に濡れるなら同じこと。
戦場なら、もっと楽に動ける。何も考えずに済む。
白兵戦に持ち込んでしまえばなおのこと、エルゼの独壇場にできるのに。
「護衛対象にもしものことがあるよりはやり過ぎの方がマシでしょうけど。団長の場合本当にやり過ぎになるんで、気を付けてくださいね。くれぐれもですよ。ほんとに真面目にすごく気を付けてください。特に貴族は簡単に斬っちゃダメです。他国の人はもっとダメ。可能な限り殺さない方がいいです」
そういう話が苦手、というのも退団の理由にはあったのだ。戦争が終われば、戦場の華である騎士団の在り様はどうしたって変わらざるを得ない。
ちょうどいい機会だと思ったのに。
ヴィルヘルムのため、できることをしたいと思っての決断だ。後悔はない。やれることを精一杯やるつもりでいる。
不敬ではあるが、公王陛下は弟のような存在でもある。守りたい気持ちはきっと人並み以上だ。
だがそれはそれ、これはこれ。嫌なものは嫌だ。気が進まない。帰りたい。
でも、嫌だろうがなんだろうが最終的にはちゃんと、与えられた職務も、自らに課した誓いも全うする。
だからここで少しぐらいぐずぐず言わせて欲しい。
「俺は、あなたが戻って来てくれて嬉しいです。欲を言えば第三騎士団に戻って来て欲しかったですけどね」
そういう、欲しい言葉をちゃんと寄こして来るところが、よろしくない。この男はすぐそうやって、エルゼを甘やかす。
「うううう……護衛はこの際いいけど、よりによって参謀部っていうのがさあ……。絶対あなたの方が向いてると思う」
「冗談。あんなとこいったら三日で精神やられます」
嘘。シュミットなら参謀部でもたぶん上手いこと立ち回る。
騎士団では副団長でも団長でもうまくやれるし、団長だったエルゼの副官として、十分以上に助けてくれた。
はたしてシュミット無しで団長を務めることができただろうか。疑わしいことこの上なしのエルゼとは違う。エルゼと違って、この男はどこに行っても一人でちゃんと上手くやれるだろう。
むしろこれから先、隣でエルゼを助けてくれる副官はいないのだ。やっていけるだろうか。
不安しかない。
「参謀部はあくまで形式上でしょ」
最早駄々を捏ねている状態のエルゼに、シュミットが苦笑する。
「それはそうなんだけど。……あ、ねえねえ、あくまで形式的に席を用意しただけだから、参謀部への挨拶も何もいらないって言われてるんだけどさ、それって額面通りに受け取っていいやつだと思う?」
話し込んでいる間に、件の侍女の姿は既にない。だがシュミットがそれを気にする様子はない。
まあこの際だから、甘え倒しておくことにする。どうせこの男もそのつもりでここにいたのだろうし。
「あー……、むしろそれで参謀部に一人でのこのこ顔出したら拗れるから絶対やめといた方がいいやつだと思います。この件、参謀部長がブチ切れてたって話だし。知らぬ存ぜぬ、総団長らに命じられた通りにやりますを貫くのが正解じゃないかな。挨拶はなしでいい」
「わかった。あー、でもやっぱブチ切れたか」
「そりゃあね。
誰のせいだと思ってる、というエルゼのつぶやきを、元凶であるシュミットは華麗にスルーした。
今後名目上の上司となる参謀部長がエルゼを目の敵にしているのは、今まさにエルゼの目の前にいるこの男、シュミットが参謀部長に偏愛されているせいである。
そのシュミットが気にかけているエルゼが邪魔で仕方ないらしい。
向けられる気持ちは最早嫉妬などと呼べる域を超えて憎悪か怨恨か。さすがに顔を合わせる度にああまで露骨に殺気立たれてはめんどくさいというより、怖い。
それでも実害は一切ないので対処のしようもない。
「さて、そろそろ行った方がいいですよ。あなたの着任、陛下はそりゃあもう楽しみにしていたらしいので。あとね、ご結婚、おめでとうございます」
最後にそう言って話を締めくくったシュミットは、お手本のように綺麗な礼をした。
◇◆◇
謹慎処分期間と書いて蜜月と読む。
あくまで謹慎。処分されたが故の自粛期間。
が、ヴィルヘルム・フォン・ヴェンデルぐらいになるとそんなことは少しも気にならないらしい。
謹慎期間に入るその日、エルゼが公王陛下の傍に騎士団、魔法士団との橋渡し兼護衛としての任務を打診された翌日、エルゼはヴィルヘルムと結婚した。
結婚した、と言っても、別に書類上の手続きが必要になるわけでも結婚式を挙げたわけでもない。
特にこれといってそれらしい何かがあったわけではないので、いまひとつ実感は薄いのだが、ヴィルヘルムが珍しくふわふわとした笑みを浮かべて、見るからに嬉しそうにしていたので、エルゼも釣られて嬉しかったし喜んだ。
この人と、これから先の未来を家族として――
「ちょっと待ってください」
結婚に対する所感を求められるままに答えたエルゼの言葉を遮ったのは、いつも通り全身を汚れなき白の衣装で統一した公王、エミル・フォン・ケーニヒ、十六歳。
公妃を迎えてまだ四ヶ月未満の新婚仲間である。
「それらしい何かがあったわけじゃない、って。証書は? 確認してないんですか?」
「ショウショ?」
場所は王宮の議事堂。貴族院に名を連ねる議員達が、己の利権を声高に主張する場と成り果てている。
貴族達と公王陛下の席は離れているため、潜めた声が届くことはないだろう。
この場において既にお飾りと化している公王陛下は、椅子に肘をつき、顔は正面に向けたままで右斜め後ろに立つエルゼと私語を交わしていた。
「この国の貴族は生誕、養子縁組、婚姻、いずれの場合にもその一族の家長による届出が義務付けられており、その届けによって、貴族であることを証明、保証する証書を発布し、同時に戸籍管理を行っております。あなたの場合は婚姻によりヴェンデル伯爵家に入ったことになりますので、我が国における貴族の一員となったこと、また、名をエルゼ・フォン・ヴェンデルとする旨を記した証書が発付されています」
やはり顔は正面に向けたまま、口元だけで会話に加わってきたのは玉座の左斜め後ろに立つクルト・フォン・デューラー。公王陛下が産まれた瞬間から常に付き従う従者である。
歳は確かエルゼより五つぐらい年嵩だったはず。ぴったりと撫でつけた黒髪に神経質そうな眼鏡。長身痩軀を黒のパンツとテールの長い黒の上着に包んでいる。
エルゼと同じ意匠の服は、共に黒一色。
ヴァイス公国の公王が纏う、白一色の衣装に合わせてなのかもしれない。
「証書の管理は家長が行うのが通例とされておりますので、ヴェンデル伯爵の元にあるのではないかと」
「………………」
ヴェンデル伯爵、誰。
と口に出さないだけの理性はあったのだが、沈黙が物語っていたのだろう。
公王陛下とその従者が、ほぼ同時に顔面をエルゼに向けた。
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