Episode.2
2-1 宮廷っぽいきな臭さ
小鳥の鳴き声を聴いた気がした。
まどろみながら、意識の端で周囲を探る。
頭には柔らかい枕、素肌にシーツの感触と、背中に温もりを感じる。
枕と首の間に差し込まれた何かは、お世辞にも寝心地を良くするものではないけれど、不思議と不快感はない。
触れようとしたエルゼの指先が、その何かに絡め捕られた。
瞼を持ち上げれば目の前には自分の指先と絡み合う、大きな手がある。
「……………………まだ」
うなじに、夢うつつを彷徨うヴィルヘルムの、吐息交じりの声がかかった。
まだ寝ていよう、ということだろう。
最初の頃は互いに自分以外がいる状況に少しも慣れなくて、なかなか寝付けず、眠りが浅いことも多かった。
特にヴィルヘルムはどうやら常がそんな状態だったようで、睡眠時間は短く、満足に眠れないことも多々あったらしい。
エルゼと生活を同じくするようになって、特に食事と睡眠を一緒に取り、まあなんだかんだでちょっとばかり寝る前に身体を動かすことも手伝ってだろう。随分と睡眠の質が変わったようだ。
規則正しい睡眠時間を取るようになったヴィルヘルムが、まだ眠たいと言っている。もうそろそろ起きてもいい時間だろうとは思うけど、まあそんな朝もいいだろう。最近はそんな朝ばかりだけど。
腹部に触れていた腕に、まるで拘束するように抱き寄せられた。
最近ではですっかり馴染んだその温もりに、意識も身体も、ぜんぶを委ねる。
再び寝息を立て始めたヴィルヘルムの熱を感じながら、エルゼももう一度、瞼を閉じた。
◇◆◇
謹慎処分期間と書いて蜜月と読む。
ヴィルヘルムと二人でそんなひと月を過ごした。
正確に言うなら謹慎処分を受けているのはヴィルヘルムで、エルゼは就職前の準備期間、といった感じではあるが。
とにかくひと月を、二人でゆっくりのんびり睦まじく過ごした。
そして本日、エルゼは参謀部の一員という肩書で職務に就く。
ヴェルヘルムの復職と同日である。
元々は王宮内にある魔法士団の寮で生活をしていたヴィルヘルムだが、エルゼとのことを機に王都内の屋敷に生活の拠点を移している。
朝の出勤、二人並んで城門を潜るのは、ほんの少しのむず痒さをエルゼに感じさせた。
ヴィルヘルムと別れ、騎士団や魔法士団の寮がある方向ではなく王宮の中心を目指して歩き出したエルゼは、渡り廊下に見知った姿を見付けて脚を止めた。
「シュミット」
「あ、マイヤー団長、おはようございます。……なるほど、全身黒ってのもいいですね。よくお似合いで」
柱に背を預け、不自然ではない体で柱の陰に身を置いた第三騎士団シュミット団長は、エルゼの頭のてっぺんからつま先までを実に自然にさらりと眺め、これまたごく自然に褒め言葉を口にした。流石である。
「おはよう。あなたもね、今日もチャラくキマってる」
シュミットが着ている騎士団の団服は、見慣れた黒の上着に白のパンツ、団長と副団長だけが纏うマント。軽薄な雰囲気は多少あるものの、それも含め見栄えはする。
エルゼが着ているのは上下とも黒の服。数日前に国より支給され、本日初めて袖を通したものである。
黒の上着に黒のパンツ。マントの代わりなのか、上着のテールが長い。騎士団とは意匠が異なる服である。
「で、何してるの? こんなところで」
エルゼの問いに、シュミットは柱の向こうを顎で示した。
王宮の裏手、階段と踊り場、そこから続く細い廊下が見えている。
そこを一人で歩く、歳の頃は二十前後だろうか、地味なドレスを纏った女の姿があった。
「あの子に声かけたいなー、と思って」
あの子、に該当しそうな人物は他に見当たらない。
「一人で歩いてる女の子で合ってる? 髪を二つに分けて、紺色のドレスの」
「そう、かわいいでしょ」
シュミットの軽口は聞き流し、不自然ではない程度にその女子をじっくりと観察する。距離があるため顔の造りまでははっきりと判らない。
「見ない顔な気がする。誰」
もちろん、城に出入りする全ての人物を記憶しているわけではないが、ここは所謂王宮の表側ではない。ここまで出入りする人物ならば、所属や名前までは憶えていなくとも見覚えぐらいはある。
「先日入ったばかりの、アデル公妃殿下の侍女です。決まったのはひと月前。軍務書記官殿の兄君のお孫さんだとか」
シュミットの回答に、とりあえず気になった「ひと月前」というワードは流し、自分の中の大して当てにならない記憶を探った。
兄弟に孫がいそうな年頃の書記官、軍務の、となれば該当する人物はすぐに思い当たる。
「軍務……オイゲン卿? いるのは姉じゃなかったっけ……?」
髭面のいつも厳めしい表情で気難しい老人。貴族の出が多い文官の中でもかなり気位は高い。
長子である姉が爵位を継ぎ、本人は騎士として軍属であったが、戦場で負った怪我が元で早々に除隊し、文官に転向したという経歴の人物である。
家長である姉とは反りが合わず、反目しているというのはわりと広く周知されている。
「降って湧いたらしいですよ」
「何それ」
人は降って湧いたりしないと思う。
たぶんだけど、魔法士でもそういうことはできないと思う。せいぜいが、ちょっと浮く程度。
「開戦前に他国に出奔した兄君がいたとか。まあ開戦前じゃ五十年前ですからね。そんな以前のこと知ってて覚えてる人そうそういませんし。どうやら一族の中ではタブー扱いだったそうで。で、その兄君が出奔先でなんかうまいことやってたけど最近なのかなんなのか、その御一家に不幸があったそうです。その辺はよく知りませんが、とにかく親族を頼って他国からはるばるやってきた、と」
他国から。はるばる。
そんな一族の中でタブー扱いされるような兄の孫娘に情をかけるような人柄だったとは、随分と予想外な行いである。
オイゲン卿の姉については、ほぼ自らの領地に閉じ籠っている状態で中央にやって来ることはほとんどないため、人となりは知らない。
だがどちらにせよ、そんな他国からやってきたどこの馬の骨とも知れない娘を公妃の侍女にするとなれば、一族の長である姉が知らないとは思えない。黙認以上の後押しは必要になるだろう。
情以外の何かがあると、疑ってしまうのは致し方ない気がする。
「百歩譲ってオイゲン卿が身内想いの優しいお爺ちゃんだったとして、その孫娘がいきなり公妃殿下の侍女っていうのは? なんで?」
百歩譲って、血縁関係が事実だったとしても、だ。どこぞの馬の骨が、その辺に由来のある馬の骨に変わるだけだ。
その馬の骨を簡単に侍女として受け入れる辺り、この国の未来が危ぶまれる、そんな気がする。
人選があまりにも雑じゃないだろうか。
「その他国ってのがゴリゴリの共和国派らしいですよ。だから共和国の文化と風習に慣れ親しんでいるんだそうです。共和国出身の公妃殿下ですから、そういう者が傍にいれば多少なりとも心が休まるだろう、っていうオイゲン卿のゴリ押し。たぶん陛下が押し切られたんじゃないですかね」
まあ、筋は通っている。……いや、通っているのか?
「あとはまあ、ご存じの通り、我が国めっちゃ人手不足なんで。戦争で死にまくり、他国に流出しまくりで。老若男女問わず人材不足。猫の手も借りたいぐらい」
まあ、シュミットの言っていることは分かる。人手不足は事実だし、実際人口の増加はこの国で今最も深刻な課題だ。
とはいえ、むしろだからこそ、おいそれと王宮に人を招き入れるべきではない。
「猫の手ならいいけど。オイゲン卿みたいなゴリゴリの戦争続行派の手は借りない方が良くない?」
「同感です」
シュミットが、よくできましたという笑みを浮かべた。
エルゼが思う程度のことであれば、他の誰かがすでに考えているはず。
考えた上で、きな臭いことを承知で、受け入れているとすれば。
「……ねえ、私が陛下の護衛兼、っていう話が出たのもひと月前なんだけど」
「そうですね」
シュミットのさらりとした返答に、溜息が出た。
こういう話は苦手だ。きな臭くて宮廷っぽい、こういう話は。
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