1-6 共に生きる

 屋敷に戻ったエルゼを、ヴェンデル家の使用人たちは普通に出迎えてくれた。


 眠ったまま運ばれて、一緒に帰宅したヴィルヘルムの私室へと通される。

 私室に通されるのは初めてだったので、ちょっとだけどきどきした。


 エルゼがいた部屋の隣。壁一枚を隔てた隣の部屋が、ヴィルヘルムの部屋。


 室内に用途が分からない鍵のかかった扉があって謎に思っていたのだが、どうやら部屋同士の行き来が可能のようだ。夫婦の寝室、ということだろう。

 なるほど、これが夫婦で暮らす、ということなのかもしれない。


 ヴィルヘルムの部屋は本棚で囲まれていた。

 本以外、見える範囲にあるのはベッドと書き物机、あとはテーブルがひとつと椅子が二脚のみ。生活感はない。


 ベッドには、ヴィルヘルムが静かに横たわっていた。

 ローブは脱がされ、いつものフードは被っていない。髪は顔の横に流れ、額が剥き出しになっている。白い顔は使用人によって拭かれたのだろう。汚れてはいなかったが、寝顔からでも読み取れるぐらい、疲労の痕は色は濃い。


 その頬に手の甲を当てると、ひんやりと冷たかった。


『これから先この命が尽きるまで、生涯君を愛したい。この命とそれ以外の全てをかけて、君のために在り続けると誓う』


 嬉しくて、心の中で何度も反芻した言葉だ。

 でも、エルゼはバカなのですぐに記憶が薄れる。

 不安ばかりが大きくなって、そばでちゃんと安心させてくれないと、覚えていることができない。


 信じられない。

 すぐに不安になってしまう。自分がそんなことを、言ってもらうに値する人間かどうか。


 騎士であったエルゼにとって、誓いは何よりも神聖なものだ。

 だからこそ、ヴィルヘルムも騎士の誓いを真似た言葉を選んだのだろう。


 バカなエルゼにも、その重さをきちんと理解できるように。


 たくさんのものを、与えられようとしている。

 それに見合う自分でなければならない。

 エルゼは、何を与えることができるだろうか。何で報いるべきだろうか。


 この、大切な、愛しい人のために、何ができるだろう。


 シュランゲ総団長は、どうやらエルゼであればヴィルヘルムの暴挙を諫める、制御できる、と考えているらしい。


 それは、どうだろうか。


 確かに、遠征先から早く戻るために無茶はしたのかもしれない。


 そもそも妻とか夫とかと、ヴィルヘルムを制御できるかは別の話のようにも思うが、という疑問をシュランゲ総団長に直接言うのは怖かったので、後からシュミットにぶつけてみた。


 なんかもうゴミをみるような目で見られて「いい加減自覚しろ」と言われた。吐き捨てるぐらいの勢いだった。


 愛されている自覚、というやつかもしれない。そのぐらいはエルゼにだって察せられた。

 一応反論すると、さすがに好意は感じているのだ。


 今となっては「結婚する必要はないと思う」というエルゼが口にしたあの言葉が、ヴィルヘルムにとっては暴言であり、ショックを与えたに違いないことは理解している。

 錯乱した上のものであっても、自分にはエルゼしかいないと、そんなことを言ってくれる人に、言っていいものではなかった。


 エルゼはちゃんとヴィルヘルムに好かれている、大丈夫。

 お互いちゃんと好き。結婚する。二人は夫婦になる。大丈夫。

 いけるいける。


 が、それはそれとして「愛されている自覚」などというそんな大層なものは、この先百年ぐらい経過したところで得られそうな気がしない。


 そんな自覚とか色々薄いエルゼだが、夫となるヴィルヘルムのフォロー、あるいは手綱として、ふたつの選択肢が提示された。


 とりあえず選択肢のひとつは、第一魔法士団になんらかの籍を置き、エルゼを直接ヴィルヘルムの下に付ける、というもの。


 すごく嫌だ。冗談ではない。勘弁して欲しい。


 一体どの面を下げて魔法士団に出入りしろというのか。

 魔法士としての適性皆無のエルゼに与えられる籍などあるだろうか。ないと思う。

 見習いを名乗るのもおこがましいぐらいだが、腐っても元騎士団長である。

 例えば下働きです、などと言ったところで魔法士団の団員たちも扱いに困るだろう。エルゼ自身も困惑する。

 そんな状態で魔法士団に出入りできるほどエルゼの心臓は強くない。


 ふたつめは公王の傍に騎士団、魔法士団との橋渡しとして侍る、というもの。ついでに護衛も兼ねて帯剣を許される。

 その場合はさすがに無官でそんなところに置くわけにはいかないとのことで、参謀部に籍を用意してくれるらしい。


 思うにこちらが本命である。

 ひとつめはこちらの案を後押しするための捨て案、あくまで形式上エルゼに選択肢を与えるためのものでしかない。


 参謀部は、形式上の軍のトップである公王陛下直属の部隊である。


 あくまで形式なので、実際のところは総団長二人が公王陛下との間に入っている。

 軍属ではある。エルゼからすると、特殊な立ち位置であり、公にはいかなる権限も、団への命令指揮権もない。

 公王陛下からという名目で総団長二名の意向を受け、情報収集と処理、作戦の立案と上申を行う、諜報部も兼ねている部隊だ。


 常は公王陛下の傍に身を置き、話し相手と護衛を務め、時として騎士団や魔法士団の作戦決行の場に赴き公王陛下の目となり耳となる……という名目でヴィルヘルムを見張り、手綱を引き、暴挙に至る前にどうにかしろ、ということなのだろう。


 できるできないは置いておいて、そう悪い選択肢ではない。たぶん。

 参謀部、というところが多少引っかかるけど。


 ヴィルヘルムと二人、騎士団や魔法士団から離れ野に下り、国の中枢から距離を置く、という選択肢ははなから用意されていなかった。

 その選択肢が初めから排除されるぐらい、ヴィルヘルムの力は強大である。


 エルゼにとって魔法は、よく分からないものである。

 戦場で背中を預けることはあったが、基本的に騎士団と魔法士団は反りが合わないものである。

 互いに距離を置き、共に任務に当たるにしても作戦行動以外は大抵騎士と魔法士にわかれて行動する。


 だから魔法のことも、魔法士のこともよく知らない。

 魔法士のことも、魔法士としてのヴィルヘルムのことも、わからない。


 その上、魔法士ではないヴィルヘルムのこともよく知らない。


 これまでどんな風に生きてきたのか、何を考えているのか、好きなものも、嫌いなものも、何も知らない。


 分からないことばかりなのに、突き付けられた選択肢はこれからのエルゼの人生と、ヴィルヘルムの命運を左右するものだ。


 語られはしなかった三つ目の選択肢、そんなものがあるという事実が、エルゼには哀しいことに思えた。

 まるで、役に立たねばその存在を許さないと、世界から拒絶されているかのように思えた。


 危険分子となり得るヴィルヘルムの命を差し出す、という三つ目の選択肢。


 その場合、ヴィルヘルムはどうするのだろう。抵抗するのだろうか、それとも、受け入れるのだろうか。

 そんなことすら、エルゼはわからない。知らないのだ。


 でも、ヴィルヘルムの意思がどうであろうと、エルゼはヴィルヘルムに生きていて欲しい。


 長く、共に生きて、幸せを感じてくれたら嬉しい。

 エルゼがいて良かった、そう思ってくれたら嬉しい。


 みんなに好かれて欲しい。願われるのは死なんかではなく、好意を寄せられる存在であって欲しい。


 笑っていて欲しい。

 笑顔でいて欲しい。

 流す涙は嬉し涙だといい。

 誰も憎まず、哀しいことはほんの少しだけ、その時も、二人で寄り添って乗り越えることができたらいいと思う。


 エルゼの大切なものを、一緒に大切にして欲しい。

 ヴィルヘルムの大切なものも、一緒に大切にしたい。

 その大切なものの中に、お互いが入っていたらいいと思う。


 そうやって、ずっと、ずっと、一緒に生きていきたい。




〈 Episode.1 了〉

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