1-5 妻の勤め

 これは、査問か説教か。

 囲む円卓は名ばかりのものでしかなく、ヴァイス公国の公王陛下、騎士団、魔法士団の総団長を前にしてあまり楽観的な気分にはなれない。


「手綱が、必要なのよね」


「はあ……」


 宮廷内の一室に呼びつけられたエルゼは、円卓を前にして曖昧な返答を口にした。


 査問にしろ説教にしろ、受けるのはヴィルヘルムだったはずだが、当人は医務室ですやすやと穏やかな寝息を立てている。

 なぜエルゼが捕まり呼び出されているのか、謎が深まる。


 アルツトの「めんどくせえのに見つかる前にさっさと連れ帰れ」の言葉通り、さっさと帰らなかったのでめんどくさい展開になった。


 エルゼの左隣にはシュミットが、右隣にはアルツト医師が座している。

 こういった場にエルゼが呼び出される場合、シュミットも同席するのはいつものことだが、アルツトがいるのは初めてである。ちょっと変わった面子だ。


 エルゼから見て正面に座すのはこちらも三人。正面に座る一人を挟んで、初老の男性と、妖艶な雰囲気の女性がいる。


「夫をフォローするのも、奥さんの大事な勤めよね。そう思うでしょう?」


 女性の方が、ぽってりとした真っ赤な唇を動かす。実に、官能的だ。色っぽい。

 この色っぽい女性は、ヴァイス公国魔法士団三団を束ねる総団長、シュランゲである。


「はあ……」


 エルゼは可能な限りはっきりとしない曖昧な返答を口にした。

 それを聞いて、シュランゲ総団長が妖しい笑みを深める。


 魔法士団の総団長であることを示す首飾りは金。花を象った環を連ねた連環のところどころに、黄金に輝く宝石が嵌められている。中央の一際大きな石がその動きに合わせて光を反射した。


 魔法士の証のローブは白。大きく襟ぐりが開いた黒いドレスの上にゆったりと羽織り、波打つ髪が背中を覆っている。年齢不詳。経歴も不明。明らかにされている呼び名すらも本名か怪しい。

 『魔女』と呼ばれるこの国最強の魔法士、シュランゲ総団長がふわんわりと微笑むと、室内に良い香りが漂った気がした。


 中央の一人を挟んで座すもう一人、初老の男性が無言のまま頷いている。


 こちらは騎士団五団を束ねる総団長。

 泣く子も黙る歴戦の騎士。戦場で出会った敵兵を悉く恐怖に震えあがらせるフント総団長は、顎と口元に立派な髭を蓄えた偉丈夫である。

 厳めしい顔は常に威厳に満ちているが、普段その声を聴いた者はほぼいないに等しい。

 戦闘となれば轟音のような唸り声を発しているので、決して口が利けないわけではない。ただの口下手。こういった場での発言は望めない。


 総団長二人に両脇を固められ、エルゼの正面で小さくなっているのが、エミル・フォン・ケーニヒ。この国の年若い公王陛下である。


 黙り込んでいる公王陛下をちらりと見た年齢不詳の『魔女』は、一見穏やかそうに微笑んだ。


「陛下も、そう思いますわよね?」


「あ、ハイ」


 穏やかそうに微笑んでいるのに有無を言わせない迫力と、押しの強さを感じる。

 カクカクと首を上下に振る公王陛下に、何とも言えない不安が募った。


 エルゼはこの魔女、シュランゲ総団長が、ちょっとだけ苦手だ。


「ヴィルくんね、とっても優秀なのはわかるんだけど、独断専行が過ぎるのよね。もちろん団長位にあるから権限は与えてるし、決定権もあるのよ? でもね、部下を無視しての単独行動、任務を遂行するのに手段を選ばないって辺りは、ちょっと困りものだわ」


 ヴィルくん、とはヴィルヘルムのことである。

 ヴィルヘルム・フォン・ヴェンデルをそんな風に呼ぶのはエルゼの知る範囲でこの魔女しかいない。


「エルゼちゃんも脳筋で暴走しがちだったけど、その辺り、副団長のティハルトくんがうまくフォローしてたじゃない? もちろんヴィルくんとこのモニカちゃんもがんばってはいると思うのよ。関係は悪くないし。ただ、ヴィルくんの暴走を止められはしないの。魔法士同士だとね、ヴィルくんが規格外過ぎて萎縮しちゃうのよね」


 話の行く末が見えない。


 そのせいもあって、聞かされるその声が眠気を誘い、軽い酩酊感を呼び起こす。 

 さらにその発声に呼応して、豊満な胸の肉がふるふると揺れている。気を抜くと視線が吸い寄せられそうだ。なんて危険な柔肉。


 話が少しも頭に入ってこない。

 やばい。

 話をまともに聞いてないとバレたらたぶん殺される。たすけてシュミット。


「ね、ティハルトくん、とても優秀よねあなた。魔法士の適正があれば良かったのに」


「シュランゲ総団長にそのように言っていただけるとは光栄です。ですが自分などまだまだ。騎士としても剣士としても、マイヤー団長の足元にも及びません。それに残念ながら、魔法士としての適性は皆無です」


 いつもながら、シュランゲ総団長と普通に会話をしているシュミットがすごい。


 シュランゲ総団長は、魅了という魔法を常に周囲に振り撒いている。

 信じ難いことだが、生まれ持っての体質らしい。そのせいで淫魔の血を引いているとかなんとか、冗談みたいな噂まである。

 魔女が魔女と呼ばれる所以である。


 魅了とは、対象となる相手を惹きつけ、虜にしてしまうという精神魔法の一種である。

 一応普段は抑えてはいるらしいのだが、人によってその効果に違いがあり、耐性のない相手の場合は近付いただけである程度の影響を受けてしまうとか。


 その魔法が、エルゼとはとても相性が悪い。


「忠犬っぷりも素敵だわ。もし今後誰かに虐められたら私のところへいらっしゃいな。たっぷり慰めて可愛がってあげる」


「怖いんでやめておきます」


「つれないところもかわいい。……で、話の続きね」


 なんか会話がこわい。色んな意味で。


「そう、ヴィルくん。あの子おうちのこともあるから、そう簡単に切り捨てるってわけにもいかなくて。なるだけクラウスくんに面倒見てもらってたんだけど、貴重な魔法医士に子守なんてさせてる場合じゃないのよね。でもなにせ絶大な力を持ってる。稀有な才能だし紛れもなく天才。戦時下においてはあの力を手放すわけにはいかなかったのよ」


 話に、エルゼにも分かるぐらいのきな臭さが漂い始めた。あまりのきな臭さに、戦いの最中に身を置いていると錯覚しそうだ。

 魔女の魅了を前にして意識を明瞭にするほどの話など、聞きたくない。


 その子守をしていたクラウスくん、アルツトは名を出されたにも関わらず、我関せずといった体でじっと正面を見ているだけで何の反応も示さない。


「今回のことでよくわかったわ。今の魔法士団に、ヴィルヘルム・フォン・ヴェンデルは制御できない。当人にも、その意思はない」


 止めて欲しい。そんな話はエルゼの手に余る。


「戦争は終わったわ。もちろんまだ予断は許さない。ブランカ共和国との和平がいつまで続くかなんてわからないし、周辺には他の国だってある。いつでも戦う準備はしておかなければならないでも、私たちは五十年も戦い続けたのよ。もう十分だわ。ようやく手に入れたこの平和を可能な限り長く、本物の平和にしたいと、そう願っている。そして、軍を預かる者として、この国の中枢を担う私たちは願うだけではいられない。これからの世で、制御できない大きな力は危険でしかない。あなたも、そう思うわよね?」


 そう、かもしれない。

 いや、そう思う。

 シュランゲ総団長の言葉は正しい。


 でも、答えることはできない。是とは言えない。


 だって、その制御できない大きな力には名前がある。

 ヴィルヘルム・フォン・ヴェンデル。

 エルゼのために無茶をしてくれる、エルゼが心を分け合いたいと、そう願う人の名がある。


「危険には対処しなければならない。でも、そこであなたとの話が持ち上がった。エルゼ・マイヤー、あなたも失うには惜しい人材だと思っていたの。ちょうどいいわよね。まだにいて欲しい、ってフント総団長とも話していたのよ。ね?」


 同意を求められたフント総団長が、厳めしい顔で無言のまま頷いた。

 その首肯を確認したシュランゲ総団長が、「ね?」と微笑んでエルゼの顔を覗き込んだ。


「できることなら死ぬまで騎士団に縛り付けておきたいぐらい」


「……光栄です」


「ヴィルくんにもね、同じことを望んでいるの。この国の礎となってもらいたいと思ってるのよ。死ぬまで、いえ、死んでからも、永遠に」


 夫をフォローするのも、奥さんの大事な勤めよね、魔女はそう繰り返し、血のように赤い唇の端を持ち上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る