1-3 かわいがり、と呼ぶこともある

 王宮の外れにある医務室は、診療を行うメインの部屋と、その奥に二十ほど患者用のベッドが並んだ部屋が用意されている。

 普段奥の部屋はほとんど使われずにいるが、稀に解放される場合もある。例えば、一度に大量の患者が出た場合など。


 先程まで奥の部屋に溢れていた全ての患者に治療を施し、治療の済んだ元患者を医務室の外に叩き出し、幾人かの重症だった患者を眠らせどこか草臥れた様子のアルツト魔法医士は、奥の部屋に繋がる扉を静かに閉めた。


 エルゼの背後に無言で立っている現第三騎士団団長のシュミットと、ベッドの上に正座しているエルゼの前を通り過ぎ、壁の一面に据えられた棚の前に立つ。


「一応オレってば医師だからさ、診療記録なんてもん付けてんだわ。各騎士団毎にな」


 アルツト魔法医士はそう言って、棚に並んでいるファイルのうちの一冊、黄色いファイルを手に取った。


 棚には他にもファイルがある。残り七冊分の背表紙、その全てが違う色。赤、橙、黄、緑、灰の五色と、青、藍、紫の三色。騎士団五団と、魔法士団三団を示す色である。

 黄色いファイルはエルゼが団長を務めていた第三騎士団の診療記録、ということだろう。他の七冊に比べ明らかに厚みがある。


「これが、第三騎士団のファイルだ。なあ、元団長さん」


 ファイルを片手にエルゼの前に来たアルツトは、手にしたそのファイルをシーツの上、エルゼの座るすぐ横に叩き付けた。


「ひときわ分厚いな?」


 そのようで。


 隣に並ぶファイルを横目でチラリと見たエルゼは、ベッドの上で正座したまま身を竦めた。

 膝のあたりに落とした視線が、ドレスに付着した血を見付けてしまう。


 エルゼは特に怪我はしていないはずなので誰かの返り血だろう。他にもところどころ、飛び散った血が付着していた。

 ヴェンデル家が所有する、いわば借りもののドレスに。

 どうしよう、血はたぶん落ちない。


 もちろんドレスのままで立ち回ったエルゼのせい。どうして着替えもせずにやってしまったのか。悔やまれる。


「分厚いんだよ、第三騎士団のファイルだけ、妙に。なあ、なんでだと思う?」


 現実から目を反らしたくて顔を上げれば、そこには口元だけで笑みを作ったアルツト医師の顔があった。

 眼鏡の奥、エルゼを見下ろすその目は少しも笑っていない。

 ものすごく、怒っている。


「……け、怪我人が多いから、かな……」


「大正解だ。じゃあもうひとつ重ねて質問だ。その怪我の主な原因はなんだと思う?」


「………………」


「なんだと思う? って聞いてんだろうが」


 答えたくない、と黙ったエルゼに答えを促すアルツトの声が一段低くなった。


 仕方なく、口を開く。


「………………私、デス」


「おお、さすがだな、大正解だぜクソ女が! てめえが! 鍛錬だとかなんとか抜かしてしょっちゅうてめえんとこの団員しばき倒しまくるからだよ! 加減ってもんを覚えろって、何度言えば理解できんだその頭には脳みその代わりに藁でも詰まってんのか!? 何回怪我させられても嬉々として鍛錬される奴らもいい加減気持ちワリいが、とにかく骨と腱と神経、内臓は損傷させるなって言ってんだろうがめんどくせえから! ほっといても一週間で直る程度にしろと! 何度言えば理解できんだ!? 一生無理か!? ああ!?」


「すみません……」


「しかも、だ。このオレの指示をまるっと無視か。安静にしてろ、って言ったはずだな? オレの勘違いか? それとも騎士団ひとつ壊滅させる大立ち回りがてめえの中では安静なのか? バカ過ぎて安静の意味が分からなかったのか? あ?」


「ごめんなさい……」


「オレはな! 遠征帰りなんだよ! クソバカ野郎のせいで滅茶苦茶な行程で帰ってきたオレを労えよ! 休ませろ! 魔法医士ってのは数が少ねえんだ! せめてオレの仮眠中に必要のねえ怪我人を量産すんじゃねえよ!」


 最後のやつが一番本音ですよね、という火に油となり得る言葉を呑み込む。

 どこか草臥れているように感じたのは気のせいではないらしい。


 遠征帰りで寝ていたところを普通の医師では手に負えない怪我人が大量に出たと叩き起こされ、その原因が今はもう部外者であるエルゼによる鍛錬。


 訓練用の木剣とはいえ、数日部屋に籠りきりだったエルゼにとっては久々の運動で、むしゃくしゃして加減を間違えた結果、いつになく大量に怪我人を出した。つい、我を忘れた。


 動いているうちにだんだん調子を取り戻し、気付いた時には訓練場は第三騎士団によって死屍累々の有様で、思うまま身体を動かし溜まっていたもやもやを吹き飛ばしたエルゼを含め、速やかに全員まとめて医務室へ連行された。

 いつの間にか現れた現団長、額に青筋を立てたシュミットによって、無言の笑顔で。


 エルゼが団長になる前から、シュミットとは長い付き合いである。その長い付き合いの中で、エルゼの意向に対して異を唱えることはあっても、咎めることは数えるほどしかなかった。

 そのシュミットが、エルゼに対し無言で怒っている。

 シュミット、怒っている。

 たぶん、いや、これは絶対怒っている。こわい。


「うちのバカ共がご迷惑をおかけしました」


 アルツトに向かってそう言って頭を下げたシュミットだが、鍛錬が行われた場にはいなかった。

 所用で外している間、無許可で訪れた部外者によって、自らの部下をぼこぼこにされ非番でないその場にいた全ての団員を怪我人にされた挙句、こうして責任者として頭を下げる羽目になっている。

 副団長としてエルゼの下についている間もあらゆる迷惑をかけまくったが、こうしてエルゼが団長を辞した後まで迷惑をかけるつもりはなかった。

 申し訳ない気持ちしかない。


「おお、すげえ迷惑だわ」


 疲れたように溜息を吐くアルツトにも申し訳ない。


「あのバカ共にはよく言って聞かせますんで。次回以降はアルツト先生のお手を煩わせるぐらいなら自ら心臓握り潰して死ぬよう全団員に叩き込んでおきます」


「……知ってたがてめえも大概だな」


 とりあえず言いたいことを言い終えたらしいアルツトが、定位置である机の椅子に疲れた様子でどっかりと腰かけた。


「あの……」


 おずおずと上げた声に、二人分の視線がエルゼに向いた。


「二人共、すみませんでした。ご迷惑をおかけしました」


 頭を下げたが、無反応。


「アルツト先生、お疲れのところ、お手を煩わせてすみませんでした。シュミットも、ごめん、勝手なことして」


 さらに深く、頭を下げる。


「……あのさあ、団長のそういうとこですよ。ぜんっぜん、わかってないですよね」


 シュミットの、深い溜息がエルゼを抉る。


「怒ってます。ええ、怒ってますよ。ものすごく。でも、俺が怒ってるのはそういうことじゃありません。俺が団長に代わって頭を下げて回るのも今に始まったことじゃありませんし、別になんとも思ってません。頭下げときゃどうにかなるってんならいくらでも下げますよ。どうでもいい」


 いつになく、その口調には苛立ちが露である。


「あのバカ共と同じぐらいどうでもいいです。あいつらが怪我したのはあいつらが弱いせいなんだから、全員死ねばいいんですよ。団長の手に掛かって死ねるなら本望でしょ。むしろご褒美」


「おい。オレが怒ってるのはそういうことも含めてだぞ」


 口を挟んだアルツトを無視して、シュミットが言葉を重ねた。


「そんなことじゃありません。安静、って言われたでしょ。なんで安静にしてないんですか」


「――エルゼ」


 底冷えするような、凍てついた声がしたのはその時である。


 屋敷で昏倒していたはずのヴィルヘルムが、いつの間にかアルツトの背後に立っていた。

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