1-2 エルゼのぜんぶ
久方ぶりに屋外へ出た。
街はこんなにも騒がしいものだったかという驚きと、妙な気恥ずかしさに襲われた。
部屋着代わりに用意されたシンプルなドレスは足元がすーすーするし、動くたびに下半身にまとわりつくように揺れる生地が煩わしい。
長靴を履き慣れているエルゼにとって、靴とは脹脛までしっかり覆われているものである。普通の靴は心許ない。
当たり前のように用意されたアクセサリーの類いはさすがに遠慮させてもらったので身に付けていないが、丁寧に櫛で梳かれた髪はかつてない程さらさらしている。
時折ふんわりと花のような香りがするのは、肌や髪に塗られた香油のせいだろう。
ただの女みたいだと、ただの女でしかないはずの自分が思う。
普通の人たちが当たり前にしている格好なのに、違和感しかない。
似合わない格好で、似合わないことをして、似合わない未来を望んだ。
不格好で不相応で、無様だ。
行き先など何も考えず、ただ気が向くままに脚を動かす。
すっかり萎えてしまった気がしていたが、歩き始めてしまえば調子が戻って来たように思う。
まあ、部屋の中で過ごした数日間も、ただ横になっていることにも座っていることにも耐えられず、部屋の中をぐるぐると歩き回っていたせいだろう。
でも、ヴィルヘルムの手前、一応、エルゼなりに気を遣ってはいたのだ。
日課の走り込みも、素振りもせず、部屋で鬱々と過ごしていた。
それなのに、という気持ちがなかったと言えば嘘になるのかもしれない。
でも、腹が立ったとか、そういうことではない。たぶん。
ただ、考えるより先に身体が動いていた。完全に無意識だった。
一応加減はしたと思う。たぶん。
それに数日間部屋の中を歩く程度でまともに動いていなかったエルゼの蹴りだ。ヴィルヘルムは上背がある分、的としては当てにくい。威力も減じていただろう。大丈夫。殺意も込めていないし。
右回し蹴りはエルゼが驚くほど綺麗にキマったし、信じ難いぐらいヴィルヘルムは無防備に喰らっていたが、たぶん大丈夫。その場で呻き声一つ上げることなく昏倒したヴィルヘルムだったが、一応生きてはいるはずだ。たぶん。いや、たぶんじゃない、絶対。
呼び止めようとする屋敷の者達の声を振り払い飛び出してきてしまったが、彼らも今頃エルゼのあり得ない所業を知って憤慨していることだろう。
ヴィルヘルムがいない間、彼らは皆エルゼに優しかった。
とても気を遣わせて、その返礼が久しぶりに帰宅した彼らの主を蹴り倒すという、最早ならず者としか思えない行いである。
騎士同士で行われる鍛錬とはわけが違う。
魔法士のヴィルヘルムは、肉弾戦など慣れていないだろうし、そもそも彼は伯爵家の人間で貴族だ。
よく考えるまでもなく身分が異なる。
これは、もしかしなくても普通に暴行では……?
罪、になるのではないだろうか。
謝って……済むだろうか。
それとも賠償……お金……。
いや、もしかするとただの平民が貴族に対し特に理由もなく暴行を働いたのだ。罪人として投獄されるかもしれない。
元の同僚たちによって。
恥だ。
騎士団にとってあまりにも恥だろう。
元騎士団長を捕らえる彼らに、どんな弁明が出来るだろう。
いや、弁明どころか顔向けできない。
このまま生き恥を晒すより、いっそ死んだ方がマシかもしれない。どうせ、ひとり身だ。子どももいなかったし。
ヴィルヘルムだって、きっと、今度こそ愛想を付かすに違いない。
出て行ってくれと言われるだろう。さっさとどこぞへ行って野垂れ死ねとか言われるのかもしれない。
考えさせて欲しいと、そう、言っていたし。
「あれ? マイヤー団長?」
その声に、足を止めた。
気が付けば、そこはほんのひと月前までは当たり前に思ってたエルゼの居場所、王宮の裏手にある騎士団の訓練場だった。
今まさに訓練中だったのだろう。その場にはエルゼが所属していた第三騎士団の半数ほど、二十ちょっとの騎士と、その倍ぐらいの従士の姿があった。
誰もが団服は着ておらずラフなシャツ姿で、手には訓練用の木剣や、槍を模した獲物を手にしている。
声をかけてきたのは騎士のひとりである。
「え? あれ?」
いや、待って。おかしい。
この訓練場に来るまでには少なくとも城門があるし、咎められる機会は十分にあったはずだ。
門衛その他、見張りが機能していない。一体何をしているんだ。
元騎士団長だから顔パス、みたいな扱いってことだろうか。あり得そうだけど、だめでしょう……。
しかし、何よりも。
ここまで考え事をしながら適当に脚を動かしていた。屋敷からここまで、徒歩圏内ではある。
とはいえだ、無意識に古巣に戻って来てしまうエルゼ自身が、おかしい。
そんなエルゼの困惑などおかまいなしに、わらわらと騎士も従士もみな訓練を勝手に中断して集まってくる。
「あー! ほんとだ! だんちょー!」
「え、まじで!? あ、スカート履いてるじゃん! ドレスだ!」
「女装かよー!」
「だんちょーちゃんと女に見えるよー! かわいー!」
今まさに顔向けできないと、そう思っていたはずなのに、向けられるガサツな空気と妙な勢いに心地良さを感じてしまう。
自分の馬鹿さ加減にうんざりする。
「団長! 戻ってきてくれんたんですか!」
「だんちょーがいないと訓練に身が入らないっすー!」
「オレら団長いないとだめだわー!」
口々に何かを言いながら、汗臭い者達が集まって来る。
あっと言う間にエルゼを取り囲む面々は、上品さの欠片も感じさせない。汚いし臭いし筋肉バカ共だ。戦場でこの命を預けられる者達。同じ釜の飯を食い、心を許し合った者達である。
自分で、捨てたくせに。捨てたのに。
かけられる言葉に、鼻の奥がツンと痛んだ。
気付いてしまった事実に呆れてしまう。
ヴィルヘルムにも、そうやって言って欲しかったなんて。
例え子どもがいなくても、エルゼだけでも、必要だと言って欲しかった。
「あれ? 団長どしたの? 元気ないの?」
「え、まじで? なんで?」
「あ、もしかしてあいつ? あのお高く留まった陰険魔法使いに虐められたのか?」
「まじか、許せん」
「お、なんだ、あいつ調子のってんなおい」
「よし、殺すか」
「おい野郎ども! カチコミだ!」
「おおおおおおおおおおおおおおお!」
想像と妄想と謎の団結感によって上げられた叫び声。鬨の声よろしく上げられたその声が、エルゼを一瞬で塗り替えた。
思考と身体に染みついたものが、考えるより先に手と足を動かす。
一番近い距離にいた者に向けて無言で右手を差し出せば、条件反射的に木剣を渡された。
刃はない。でも、手に馴染むその感触に自然と気分が高揚する。
結局考えることなど性に合わないのだ。
エルゼもこいつらと同じ、筋肉バカだ。しかもとびきりの、筆頭バカだ。
ああ、そうだ。
「お前達程度の腕前で第一魔法士団団長にカチコミとは笑わせる! 魔法士の前にクソみたいな屍晒すより先にこの私が殺してやるから感謝しろ! 死にたい奴から前へ出な!」
何も考えずに張り上げた声、その内容はこいつらに劣らず品性のカケラもない。
だが、これがエルゼの本性だ。
どうして捨てられるなんて思ったのだろう。
他の何が得られると思ったのだろう。
散々血と暴力に
当たり前の穏やかな幸せなど、不相応なものを夢見るなんて、望むなんて。
馬鹿過ぎて吐き気がする。
エルゼには、
剣が全てだったのに。
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