第22話
やがて道夫が妻のみどりを連れて大志たちの横に来た。
「初めまして。このヨットのオーナーの桐島道夫です。
連れの者は私の妻です」
まだマナーの悪い若者かもしれないと思っている道夫は毅然とした態度で言う。
「初めまして。以前お父様にお世話になっていた城中大志と申します」
笑顔で頭を下げながらも、
大志は道夫がこちらを不審者扱いしているのは見て取れる。
「初めまして。私は大地さくらと申します」
さくらも道夫の毅然とした態度に少し緊張している。
「初めまして。ま、此処は暑いですからヨットの中へ入りましょう。
マスターも一緒にお入りください」
道夫は本当に父の知り合いかもしれないので、一応笑顔で言う。
オーニングの張られたコクピットは日影となって涼しいのだが、
エアコンの利いたキャビンの中の方が涼しいので
道夫はキャビンの中へと皆を誘う。
そしてキャビンの入り口の錠を開けようとするが
鍵がいつもしまってある場所に無い。
(ん!?鍵が無い?)
道夫がキャビンの入り口を見ると錠が以前の錠と違う事に気付く。
戸惑う道夫に気付いた大志は、
「あ!以前社長さんと二人でクルージングに行った時に、
社長さんが鍵を無くしそうなので今度は鍵無しがいいとおっしゃって、
暗証番号式の錠に買い換えました。
6桁の暗証番号は、みどりさんの生年月日です。
西暦の下二桁と月日。1月であれば01、11月であれば11ですね」
(ん?妻の名前、言ったっけ?)
そう思いながらも、道夫が妻の誕生日を入力すると錠が開く
(あら!私、名前言ったかしら?……)
みどりも記憶が確かではない。
大志の言う番号で錠が開いたので道夫とみどりは、
父と一緒に乗っていたと言う大志の言葉は本当で、
妻の名前は聞いていたのかもしれないと感じ始め、
マスターも、この事実にそう感じている。
大志は道夫がキャビン入り口に置いた錠を手に取り
中へ入るといつもの癖でチャートテーブルの横に下げてある、
妻のお手製の袋の中へ手を添え優しく入れる。
「うわ~。涼しい」さくらが気持ちよさそうに言うと、
「陸から電気を引っ張って24時間エアコンを作動させていて
キャビンの中は常に26℃に保たれていますからね」
何気なく答えてしまった大志に道夫は、
「よくご存じですね」
「あ!社長さんが、そうおっしゃっていましたので」
あ!しまった!と思いつつも咄嗟にさくらの言葉を思い出し答えた。
「あ!そうだったのですね。どうぞお座りください」
道夫は皆をメインキャビンのソファーに座るように言うが、
まだ大志の事を不審者かもと疑っている道夫は質問をする。
「城中さんと言われましたよね」
「はい。大学四年生で最後の夏休みなので
二人で車中泊をしながら旅をしています。
此処の場所は大体聞いていましたので寄らせていただきました」
「此処から乗ると言う事はなかったのですか?」
「はい。私の為にいつも何処かの港まで迎えに来て頂いていました」
「父と一緒にヨットに乗られたとの事なのですが。
いつから一緒に乗られていたのですか?」
「はい。3年程前からですね。丁度奥様が亡くなられた頃だと聞きました」
(おいおい道夫…まるで職務質問だな…)大志は呆れながらも、
「あ!エンジンを掛けましょうか。
いつも社長さんはヨットの為だと言って、
いつもエンジンを掛けていらっしゃいましたから」
「あ!お願い致します」
道夫がエンジンを掛ける事に許可を出すと
大志はバルブやスイッチなどエンジンを掛ける準備をしてエンジンを掛け、
その後の点検をしている。
それを見たハーバーマスターの新田は、
(何故だろう?動きと手順に道英社長を思い出させる。
特に入り口の錠をチャートテーブルの横に掛けてある袋の右の一番下に、
これは妻の手作りの袋だからと言って負担を掛けないようにと
手を添え静かに錠を入れるのは道英社長の癖だ。
やはり二人でクルージングしていたと言うのは本当なのか?……)
新田は大志に道英社長の姿を見ている様な気がしてならない。
エンジンの始動後のチェックを終えてソファーに座った大志に道夫は、
「そもそも何処で父と出会われたのですか?」
「何処の漁港だったのかは忘れましたが、
シングルハンドで社長さんがいらっしゃって、
たまたま通りがかった私が舫いを取りました。
お礼にとキャビンでコーヒーをご馳走して頂きまして、
それから時々お誘いいただくようになりました」
道夫は色々な質問をするが完璧に答える大志に、
始めは大志たちを失礼な訪問者として見ていたが
父の事をよく知る大志に、
本当に一緒に過ごしていたのかもしれないと思う様になっている。
大志も又道夫が頑固なのは良く解っているが、
もうそろそろ私たちを解放してもいいのではないのかと思っている。
「いつも父と、どの様なお話をされていたのですか?」
「色々なお話をさせて頂きました。
いつかこのヨットで日本一周をしたいと言われていましたね」
(あ!しまった!……この事は道夫には言ってなかった……)
大志は気が付くが言ってしまったことは仕方がない。
「えっ!そのような事を言っていたのですか!?それは初耳です」
「そうですね道夫には、
あ!息子さんに言ったことはないとおっしゃっていました」
何とか上手くごまかせたと安心していると、
「私は聞いています。以前いつか道夫さんに会社を任せたら、
妻と二人で日本一周をしたいと言われていましたね」
新田はその話は聞いていたらしくて残念そうに言う。
「そうなのですか……知らなかったです……」
道夫は自分が知らない事を他人が知っていることに落胆し寂しさを感じている。
「でも最近は息子さんが頑張ってきているので今度の新薬が完成したら、
息子さんに全てを任せて私はヨット三昧をするのだと言われていましたよ」
大志は道夫が気落ちしている様なので明るく言う。
「えっ!父が他人の、あ!失礼。父が貴方に新薬の話をしたのですか!」
「あ!(しまった!またやってしまった!)
これは絶対に他人には言わないようにと言われていました。
新田さんの前ですが新田さんは信頼のおける人なので、
お父様も許されると思います」
大志は気落ちしている道夫を励まそうとして、
新田の前でうっかり口にした新薬の話だが、
新薬と言うだけなので一応製薬会社として新薬を作っていると言うのは
当然な話なので大丈夫だろうと思う。
「ちょっと待ってくださいね」
そう言うと道夫は妻のみどりを連れてヨットから降りる。
「みどり、あの子をどう思う?
父と本当に会っている様な気がするのだが……」
「ええ。お父様の事を本当によくご存じではあるようですが、
あの用心深いお父様が新薬の話までするなんて……
もしそれが本当なら、あの城中さんは
お父様に本当に信頼されていたのかもしれないですね。
それに私、何となくお父様の姿を感じるような気がするの」
「えっ!みどり、おまえも!実は私も話をしていて何故か父を感じた」
「えっ!貴方も!」
「父と長く一緒にいたと言うのは本当かもしれないな……」
「ええ……」
「父が亡くなってからは、まともにヨットを動かせるものが居ないし、
ヨットの管理も誰かに頼まなくてはいけないと思っていたけど、
あの子にヨットの管理を任せようか?
話をしていてヨットに対する愛情を感じるし、
父も信頼をしていたようだから」
「そうね。貴方がそう思うなら私は賛成よ。
私、もっと私たちの知らないお父様のお話を聞きたいわ」
話を決めた道夫たちはヨットに戻る。
「城中さん。妻とも話したのですが、城中さんが大学を卒業されたら
我が社へ就職して、このヨットを管理して頂けないでしょうか。
勿論わが社の正社員としての採用致します。
給料は基本給が税引き後で月60万円、
ボーナスは7月と11月に税引き後で200万円の年2回支給となります。
船は動かした方が良いので会社のイベント時以外は自由に使って頂いて結構です。
運用は好きな様になさってください。その方が父も喜ぶと思いますから」
「えっ!それは素敵な申し出ではありますが……」
大志はこのまま真実を隠しながら息子たちの前に居ていい物かどうか……。
さくらも娘さんたちと離れて生活しようとしているのに、
自分だけ息子たちと一緒に居ていいのか……と、悩む。
続く。
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