第21話

(あのヨット?何故だろう?

私に何かを伝えたいと言う様に感じる?……)

「大志さん?どうされました?……」

さくらは立ち止まって一点を見つめ動かない大志が気になる。


「さくら、あのヨットがなぜか気になるのですが

チョット見に行ってみてもいいでしょうか……」

「うわ~とても素敵なヨットね。私も見てみたいです」

さくらはヨットを指さす大志に笑顔で答え、大志に付いていく。


他の船のオーナたちと一緒に

堂々と浮き桟橋を通る大志たちに、

イベントの係員も不信感を抱かず見過ごしている。

 

そして大志はヨットの横に立ち、暫くそのヨットを眺めていたが、

船首部分に書いてある“愛姫”(あいひめ)と言う船名に釘付けになる。

(愛姫………………愛姫………………何故こんなに愛姫が気になる???

何か物凄く懐かしい様な気がしてならない……)


その時大志は、ヨットの船首に船名を貼っている自分と、

もう一人の女性、そして子供たちが楽しそうにしている場面が

走馬灯の様に脳裏を駆け巡る。


(これは!……そうだ!間違いない……

これは私のヨットで、あの女性は私の妻だ!

そしてこれは、

子供たちと皆で船首に船名を貼っていた時の場面だ!…………)


「さくら……このヨットを見て全てを思い出しました。

このヨットは私が所有していたヨットで、ハルベルグラッシー。

船の長さは37フィートでセンターコクピット艇。

ヨットの名前は愛姫と言います」


「えっ!大志さん。記憶が戻られたのですか!」

「はい。さくら……本当に長い間ご心配をかけました。

私の名前は桐島道英。生前は製薬会社の社長でした。

妻は他界しましたが、息子が二人と娘が一人居ます」

大志は愛姫から目を離さずに思い出す様に淡々と語る。


「それはよかったわ。これで私も安心しました」

「しかし私が此処へ来なくなってから

あまりこのヨットを動かして居ないようですね……」

大志がヨットの喫水線近くに生える藻を見ていると、


「ああ~以前のオーナーさんはとても綺麗になさっていたのにね。

やはり船は動かさないと直ぐにダメになりますよね……。

このヨットも売りに出されているのですか?」


大志の知っているヨットのオーナーが、

大志がヨットを買いに来たと思ったのか、声を掛けて来た。


「いえ。藻が付いているのが少し気になったものですから。

お気遣いありがとうございます」

大志は笑顔で立ち上がり、オーナーに返事をする。


そして無意識に、

いつものようにヨットからの転落防止にと張ってある

サイドのワイヤーのロックを外し、

コクピットへと上がってしまう。


「どうぞ。さくら」

手を差し伸べる大志にさくらは手を繋ぎ

嬉しそうに言われるままにコクピットへと上がる。


「素敵なヨットね」

「ありがとう。これはレース用ではなくて、

世界を旅する為の純粋なクルージングヨットですから

内装も凝っていて少し重いですけれど、

作りがしっかりとしていて、とても気に入っているヨットです。


私は一人でヨットを動かすのであれば

この位までの大きさがいいと思っています」

そう言いながらいつもの癖でヨットの前方に行き、

錨の鎖が入っているロッカーの湿気を抜くために蓋を開ける。


 と、その時、

「マスター!若い男女が桐島さんのヨットに乗っています!

しかもチェーンロッカーのハッチを開けていますけど!」

個人艇のバースを見張っていた女性事務員が叫ぶ。


「えっ!なんだって!」ハーバーマスターの新田がヨットを見ると

確かに若い男女がヨットに乗っている。

新田は直ぐにオーナーである桐島社長に連絡を入れる。


「もしもし!社長さん!

今、桐島さんのヨットに若い男女が乗っていますが、

売却か見学のお話などされていらっしゃるのでしょうか?」


「いえ。売却の話などしていないですし、

見学の話などしていないです。

それにあのヨットは父の形見ですから

今の所、売却などの予定はないです?」


「しかしどう見てもあの若い男女二人は

ヨットの値踏みをしている様にしか見えないですが?……

しかし、いつかは売却をする時が来ると思いますので、売ってくれ。

と、言って来ている時の方が値よく売れるとは思いますけれど……」


「どちらにせよその若い男女二人を足止めしていてくれませんか、

直ぐにそちらへ伺います。売るつもりはないですが

どうしても欲しいと言うのなら吹っ掛けてやります」


 そう言って電話を切り出かけようとする社長の道夫に妻のみどりは、

「どうしたの?」

「私たちのヨットに若い男女二人が勝手に乗っているらしい。

マスターから電話が有った。直ぐに行ってみる」

「私も行きます」二人は大急ぎでハーバーへ向かう。

 

 そうとは知らない大志は、

「もう引き上げましょうか。此処に居ても未練が残るだけですから」

そう言いつつヨットから降りサイドのワイヤーのロックを留める。

「いいのですか?息子さんたちにお会いされなくても……」

さくらは心配そうに言う。


「ええ。今更私が顔を出すと話がややこしくなりますから……」

「でも私の時の様に、お父様に聞いたと話を合わせて行けば、

お話位は出来そうな気がしますけれど……」

「まぁ、それはそうですが……」

 

 その時ハーバーマスターの新田がポンツーンへやって来た。

(うわっ!マスターが来た!)

「すみませんお客様。私はハーバーマスターの新田と申しますが、

お客様はこのヨットのオーナー様のお知り合いの方でしょうか?」

言葉は優しいが毅然とした口調だ。


「あっ!……」どう言うべきかと迷った大志は返事に窮している。

その時さくらは咄嗟に思い付く。

「私は違うのですが、

以前このヨットに社長様と二人で乗せて頂いていた者です。

近くへ来たものですから寄らせていただきました」


「えっ!社長さんのお知り合いの方ですか!」

「え、ええ……」大志は仕方なくそう返事をする。

「ちょっとお待ちください」

そう言うと、ハーバーマスターは大志たちに背を向け

少しポンツーンを速足で歩き大志たちから離れた。


「さくら、ありがとう。うっかりしていました。

全くの他人となってしまっていた今、

いくら何でも勝手に船に乗り込んではダメでしたね……


ハーバーマスターの新田さんは

私たちを不審者だと判断したと思います。

下手をすると通報されるところでした。助かりました」


「いえいえ、私も気付くべきでした……どうしましょう……」

「う~ん……」

さくらも大志も、お持ちくださいと言われたからには、

このまま引き上げると言う訳にも行かず、

これからどうするべきなのかを模索する。


 その頃ハーバーマスターの新田は桐島社長と話をしている。

「社長さん!ヨットの若い二人は

道英社長さんの知り合いだと言っています。

なんでも以前、社長さんと二人で

ヨットに乗せて頂いていたのだとか!」


「えっ!父は母を亡くしてからはいつもシングルハンドで、

ヨットに他人を乗せていたと言う話は聞いたことが無いですが?……

とにかく、もうすぐそちらへ着きますので待っていてもらってください」


「本当にお父様のお知り合いの方かしら?」

ハンズフリーで同時に聞いていた妻のみどりも気になって仕方がない。


 そして大志たちの元へ新田が再びやって来て、

「このヨットのオーナー様が、お話を伺いたいと言われています。

もうすぐ到着されると思いますので待っていただけますか?」


(えっ!もうすぐ到着する!?家にいたとして

道が混んでいなければここまで約15分。

もうすぐ到着すると言う事は、マスターは私たちを見かけた時には

もう道夫に連絡をしていたと言う事か?……流石だなマスター……)


「大志さん、折角お会いできるのですから、

お話をさせて頂きませんか……」

「そうですね……わざわざこちらへ来ていると言うのに、

このまま失礼すると言う訳には行かないですよね……」


「あ!おいでになりました」新田が声を上げる。

(えっ!……もう来たか……で、どう切り出せばいい……)

大志は自分が当の本人だとバレないかと、

ポンツーの上に立ち内心ドキドキしている。


                続く

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