第6話 タイの奉公

 何事もなかったかのような日々が過ぎ、秋も深まった頃、藩主からの命があった。それは、

「沢卿の身の回りの世話をする女子おなごを一人付けよ」

 というものだった。

 藩主の一柳頼紹ひとつやなぎよりつぐは、沢卿が匿われていることは、家老の喜多川伊織きたがわいおりより内々に報告を受けていたが、その様子は知らされてはいなかった。一人、離れのあばら家に住み、朝晩に運ばれてくる食事をり、洗濯は自らしているということを知って激怒したのだ。

 池原利三郎と黒川知太郎は、考えた挙句、タイを付けることを思いついた。だが、タイに伝えることははばかられた。身の回りの世話をするということは、無論、夜伽よとぎをすることも含まれる。タイは、生娘きむすめであることは明らかだ。生娘に妾奉公めかけぼうこうに出よというようなものである。だが、他の者に頼むことはできない。


「タイ、すまんが頼まれてくれんかのーえ」

 池原利三郎は、タイを呼び出して頭を下げた。

 タイは、しばらく考えていた。頭の良いこの娘は、身の回りの世話ということが何を意味しているか分かっていた。だが、意を決した声で、

「分かりました」

 と返事した。

「本当にええんかのーえ。身の回りの世話ゆうんは、その……」

「分かっております。女子おなごには女子なりの勤皇の道がござります」

 タイは答えた後、一筋の涙をこぼした。その目の先には、喜多川鉄太郎の顔が浮かんでいた。


 タイが、沢卿の世話係として上るということは、勤皇党の面々にも伝えられた。鉄太郎はタイを呼び出し、その真意を問うた。

「タイ、お前は身の回りの世話をするということがどういうことか分かっとんのか」

 タイは、しばらくうつむいて答えなかったが、やがて、

「鉄太郎様とは一緒になれぬのならば、せめて、この身がお役に立てるのならば本望でございます…」

 小さな声で答えた。そして、

「たとえ、この身は沢卿様のものになったとしても、心は、この心は、鉄太郎様のものでございます。御身おんみを大切になされませ。腹など切ってはなりませぬ。なりませぬぞ」

 と言うと、涙をぬぐいながら駆け去った。


 数日後、タイは、近藤定吉こんどうさだきちに連れられて、近藤の屋敷のある敷地内の離れの一軒家に行った。近藤定吉は、当年、二十二歳、小松勤皇党の一員で、父親は小松藩士である。次男に生まれた定吉は、三木佐三の下で五年ほど医師の修行を積み、昨年、小松藩内で開業した。貧乏人からは多くの診療代を取らないので人気があるが、何よりもその美男子ぶりが女たちに注目され、大したやまいでもないのに押し掛ける女たちが後を絶たない。

 この日、定吉は、タイの身を飾ることを池原利三郎に命じられ、離れに住む姉の結衣ゆいのもとに連れてきたのだ。結衣は、松山藩士のもとに嫁いだが、七年経っても子が生まれずに戻され、今はこの離れに寝起きしている。子供の頃から音曲に長け、三味線や琴、舞踊などを藩内外で教えて生計を立てている。佐幕派の赤衣丹兵衛も生徒の一人で、週に一度は三味線を習いに通ってくる。結衣は、め回すように見る赤衣の目線に虫唾むしずが走るのだが、藩のお偉方ときては無碍むげにもできず我慢をしている。だが、先日、父親を通して妾奉公の話を持ち掛けられた。赤衣は、江戸に妻子を残しての単身赴任だが、ここ小松においても女を置きたくなったのだ。権力を笠に着ての所業だが、近藤家の藩内での立場もあり簡単に断る訳にもいかない。父親もありがたい話だと進めてくる次第なのだ。


「この娘は、漁師の源三の妹で、この度、見合いをすることになってのう。源三に見栄えのするようにしてくれんか言うて頼まれたんじゃ。姉上、お願いじゃ」

「タイちゃんじゃないかね。この子はよう知っとるわい。ええさかな、よう持ってきてくれるんよ。ほう、見合いねえ。もうそんな年になったんやねえー。分かった。まかしとき。この子は、びっくりするほど奇麗きれいになるよ」

 結衣は、そう言うと早速、箪笥たんすから着物を何着が出してきた。

「あのう、私みたいなのにこんな奇麗な着物を貸してくれてええんかのーえー」

「貸してあげる? あげる、あげる。若い娘の花柄の着物なんか、あたしには恥ずかしいわいね、娘もおらんし丁度ええわいね」

 タイは、花柄の着物に袖を通すと、恥ずかしげに言った。だが、その顔には嬉しさが滲み《し》出ている。やはり年頃の娘なのだ。自分には縁のないものとあきらめていた華やかな着物を羽織る喜びは隠し切れない。丸髷を結い、日に焼けた顔に白粉おしろいを塗り、口に紅を指すと見違えるような美少女がそこにいた。

「どうで?」

 結衣がふすまを開けて、定吉にタイを見せた。

「………」

 定吉は息を吞んだ。

「これがタイか…」

 そう言うとしばらく呆然あぜんと着飾った美少女を見つめた。

「近藤様、そんなに見られると恥ずかしい」

 タイは顔を着物の袖で隠した。

「どうで、吃驚びっくりしたろうが」

 結衣がタイの髪を直しながら自慢げに言う。

「これじゃったら、見合いの相手はいちころじゃのーえ」

 結衣の言葉に、

「ああ、これじゃったらのーえー」

 定吉は答えた。おそらく、都の美しい女子を見慣れている沢卿も満足されるであろうと思うと同時に、タイの運命を思うと妙な罪悪感も生まれていた。


 タイは、その日の夕刻、かごに乗せられて沢が潜伏する垣生村の三木佐三邸の離れに連れて行かれた。池原利三郎と近藤定吉が付き添った。二人は、沢にタイを引き合わせると、早々に引き上げた。その場に居合わせることに息苦しさを覚えたのだ。

「タイと申します。池原様より御身の回りの世話をせよと命じられました。どうかよろしくお願いします」

 タイは教えられたとおりに挨拶をした。

「………」

 沢は、頭を床に擦り付けたまま身動きせぬタイを困った顔で見つめた。

こうべを上げられよ。そうかしこまらんでもよい。楽にしなはれ」

 タイは、それでもひれ伏したまま、

「洗濯でも、御飯の支度したくでも、掃除でも、何でも申し付けてくださりませ」

 と続けた。

「何でもというてもなあ。わしら貧乏公家は、身分は高うても銭はない故、男でも身の回りのことは一通り《ひととおり》できるんや。いらぬ心配は無用ぞえ」

 実際、幕末の貧乏公家の生活などは、庶民と変わらない。庶民以下もたくさんいる。

「それでは、私の立場がございません。どうか何かご命じ下さりませ。お願いでございます」

「左様か、では、わしのふんどしでも洗うてくれ」

 と言うと、汚れた褌を出してきた。

 タイは、その日のうちに帰されてきた。沢に、「嫁入り前の娘が、男やもめの所に出入りするのはよくない」と、さとされたのだ。タイにしては拍子抜けだった。一大覚悟の上での事だったのが、肩透かしを食わされたことになった。だが、タイは嬉しかった。そして、沢宣嘉という自分たちとは全く違う、遠い世界に居る人物に親しみを覚えた。

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