第5話 佐幕派黒幕 三浦休太郎

 沢が匿われたのは、三木佐三の離れの使われていない小さな屋敷だった。三木が京で修業をしていた時、世話になった公家で、物騒ぶっそうになった都を捨て、落ちてきたという触れ込みだった。こそこそ隠れるよりは、かえって怪しまれぬとの判断だった。ただ、離れの床下に穴を掘り、三畳ほどの部屋を造って、いざという時の隠れ場所にすることにした。穴を掘るのは、小松勤皇党の面々が交代でやってのけた。


「穴を掘るのも勤皇の道なんかのーえー」

 くわを振り下ろしながら、足軽の息子、元山源太もとやまげんたが問う。

「そうじゃ、勤皇倒幕も、まずは穴掘りからじゃ。おまんは百姓もしよるけん、穴掘りは得てとるじゃろーが」

 漁師の源三が、薄暗い蝋燭ろうそくの光に照らされた黒い顔を向け、笑いながら答える。

 源太は足軽と言ってもこの小藩では俸禄はわずかで、主だった収入は五反ほどの田畑から取れる作物なのだ。源三と源太は同い年で共に近藤南海の私塾に通ううちに黒川易之進らの薫陶くんとうを受け急進勤皇派になった。二人は幼い頃からの親友で、妹のタイと三人はよく一緒に遊んだ仲だ。源太はタイに淡い恋心を抱いている。だが、恋敵が家老の嫡男ときては勝負にならない。諦めたというか、むしろ、タイの恋が実ることを願っているくらいなのだ。

 床下の隠し部屋は、夜の間の作業でなかなか進まなかったが、何とか半月ほどで完成した。大工の小吉こきちが材木を持ち込んでどうにか五人は隠れることができる部屋に仕上がった。小吉も近藤南海門下で小松勤皇党の一員である。年は二十七で勤皇党の中では党首の池原利三郎に次ぐ年長者で、仲間からの信頼も厚い。

「世話になるのう」

 沢が小吉に声をかけてきた。

滅相めっそうもございません。お役に立てて嬉しゅう思うておます」

 小吉の返事に、沢が興味を示した。言葉に京訛きょうなまりを感じたからである。

「そなた、みやこに居たことがあるのかえ」

「はい、ほんの二年前までは都で大工の修行をしておました。十二歳で奉公しましたんで十三年ほど都におましたんで」

「左様か。どおりで。なつかしや、京言葉はええのう」

 沢は久々に聞く京言葉にしばしの安らぎを覚えた。


 小松藩出身の田岡俊三郎は、顔が知られているため、対岸の備前玉島まで送られ、そこで、高橋甲太郎とともに、医師、久山保定ひさやまやすさだ方に潜伏している。互いの間の連絡は、小松勤皇党の面々が引き受けることになった。若侍だけではなく、商人、船乗り、漁師、大工、百姓と、様々な職業の者がいることが幸いした。特に、漁師源三の妹、タイは重宝された。兄の源三が捕ってきた魚を藩内から西条藩、天領、今治にまで売り歩くのであるから怪しまれずに文を届けるのにはもってこいだったのだ。

 タイは、兄の源三と二人暮らしをしている。両親は、これより二年ほど前に流行したコレラにかかり相次いで亡くなった。十六の源三と十四のタイは、力を合わせて生き抜いている。冬は生魚を扱うが、夏は痛むので干物を売り歩く。だが、今は売り歩くだけではない。潜伏する三人の間の連絡を取り持っているのだ。タイは、突然に舞い込んだ重要な役目に恐れを抱きながらも一種の高揚感こうようかんを覚えていた。この国を動かしている大きな機械の小さな歯車の一つになったような気がしていたのだ。

 さらに、タイの気持ちを奮い立たせる原因があった。この話を持ち込んできたのは、他ならぬ喜多川鉄太郎だったのだ。池原利三郎に連絡係を選ぶように命じられていたのだが、考えた末にタイが最も適任だと判断したのだ。鉄太郎に頼まれた時は嬉しかった。身分の違いから添うことはできないことは分かっていた。だが、鉄太郎が頼りにしてくれることが何よりも嬉しかったのだ。

 タイという名は、生まれた日に鯛が大漁だったので付けられたのだが、タイはこの名が好きではない。花や木、鳥の名なら嬉しいのだが、いくら漁師の娘でも魚の名だけは嫌なのだ。顧客の一人に「てい」という名の上品な武家の奥方がいる。いずれ嫁に行ったなら、この奥方の名をもらって、テイに改名してやろうかと密かに考えている。喜多川鉄太郎の奥方になれるのならふさわしい名だと思ったりもしていたが、その望みははかなくも消えた。

 タイの朝は早い。まだ暗いうちに起き、前日に用意してあった籠を抱えて家を出る。籠の中は、魚の干物、貝の干物、海苔などの海産物である。特に燧灘ひうち沿岸で採れる海苔と馬鹿貝(アオヤギ)の干物は品質が良く飛ぶように売れる。今日は今治の城下まで行き売り歩いてその日のうちに帰るつもりだ。今治城下までは五里余りあり、同様の商いをしている者たちは一晩の宿をとるのが普通なのだが、タイの健脚は日帰りを可能にした。幼い頃から駆けっこをして男子にも負けたことがない。たくしあげた着物の裾から延びる白いカモシカのような細い脚が忙しく交差する。今日は商いだけではない。三条実美からの書状が届いているはずで、それを受け取り、明日のうちには沢に届けなければならない。書状の仲介は、今治藩士で急進勤皇派の長谷部彦衛門はせべひこえもんがあたっている。商いはほどほどに済ませ、長谷部彦衛門宅に急がねばならない。

 関所が近づいてきた。生野の変の首謀者がこのあたりに逃れてきたという噂に敏感に反応した天領の役人が設けた関所である。小松藩と今治藩の間には幅半里ほどの天領がある。以前は何の障害もなく人々は行き来していたのだが、今ではとりあえずの取り調べがある。通行手形も必要である。だが、何度も行き来して商いをするタイたちは、取り調べもなく、手形も必要ない。

「お役目ご苦労様でございます」

 と言って、するめの干物でも差し出せばそれでよい。なるほどタイは、この役目に適任であった。

 長谷部彦衛門から三条実美の書状を受け取り、それを海苔の束に隠して帰路を急ぐ。この日は初めて関所で荷物改めがあった。役人が海苔の束に手を付けた時、胸の鼓動がタイの身体全体を震わせた。

 だが、役人は海苔の束の中までは確認しなかった。

 次の日、タイは、沢が潜伏している垣生村まで出向き商いをする。潜伏先の三木佐三宅の軒先で三木の家内にさりげなく海苔の束を渡すのだ。


 一方、赤衣丹兵衛らの小松藩佐幕派の増長ぶりは目をはらうばかりになっていた。家老の引退と自らの家老就任をあからさまに要求してきたのである。赤衣の背後には西条藩の佐幕派の頭目、三浦休太郎みうらやすたろうがいた。三浦は、今は本家紀州藩に戻り、佐幕派の頭目として紀州藩を牛耳っている。西条藩は紀州藩の分家という立場だが、実質は、紀州藩西条支社ともいうべき存在で、紀州藩そのものと言っても過言ではない。紀州藩は、徳川吉宗が将軍について以来、幕府は紀州藩の血筋の将軍が続くことになった。すなわち、小松藩の隣には幕府そのものが存在しているようなものである。西条藩の力を背にした赤衣丹兵衛の要求は、幕府の命令に等しいものでもあった。

「おのれ、三浦め…」

 家老の喜多川伊織きたがわいおりは、そう言うと唇をかみしめた。三浦休太郎の差し金であることは分かっていた。


 

 ちなみに、三浦休太郎は、後に、海援隊の「いろは丸」と紀州藩の御用船の衝突事件で坂本龍馬との示談交渉に失敗し、多額の賠償金を支払うことになり煮え湯を飲まされる。このいきさつから、坂本龍馬、中岡慎太郎暗殺事件(近江屋事件)の黒幕と疑われ、海援隊士、陸援隊士、薩摩藩士らに襲われ重傷を負うことになる。現在でもこの三浦休太郎黒幕説は消えた訳ではない。襲撃犯が「こなくそ」という伊予弁を叫んだという中岡慎太郎の証言から、松山出身の新撰組隊士、原田左馬之助はらださまのすけ、また、いろは丸の所有者である大洲藩なども浮かび上がっている。だが、この「こなくそ」という伊予弁は、伊予の中でも東予地方で主に使われる言葉で、三浦休太郎が西条で生まれ育った紀州藩士を使った可能性もある。もしかすると、剣豪だったという伝説のある三浦休太郎本人の犯行だったのかもしれない。

 なお、このあとすぐ三浦休太郎は、陸奥宗之助むつむねのすけ(宗光むねみつ)を首謀とした海援隊・陸援隊に襲撃される(天満屋事件)。用心棒の新選組の二名は落命するが、三浦は顔に深手に遭うが一命は助けられる。

 戊辰戦争の後は、獄舎に入れられるが、後に放免となる。後に、東京府知事、元老院議員、貴族院議員となる。知識もあり弁舌だったとある。敗者にも力のある者には機会を与えるという明治政府の典型だと思う。また、三浦休太郎をして論破する坂本龍馬の弁舌、さぞやと思われる。

 なお、陸奥宗光は、最期まで三浦休太郎が犯人だと云っていたとある。

   


 赤衣丹兵衛ら佐幕派の跳梁ちょうりょうに小松藩勤皇党はごうやしていた。無論、小松勤皇党の中では、「討つべし」という声が起こった。その声はすぐに大きくなり、頭目の池原利三郎は、その声を抑えるのに四苦八苦したが、もはや抑えがたくなっていた。黒川知太郎に相談し、結局、藩主の許可を得て主命ということで解決した。それは、沢卿らを無事に長州まで落ち延びさせることこそ目下の重大事で、それまでは軽挙妄動を禁ずるというものだった。

 だが、このことはそれなりに効果があった。暗殺計画という現実を突きつけられた赤衣丹兵衛は、心底おびえた。藩の重職を一派で抑えたとは言え、その下に仕える者たちの心の底は分からない。よくよく考えれば、ほとんどが近藤南海門下の者たちである。武士だけではない。町人も百姓にも門下はいる。知行合一を教え込まれた者たちである。いつ何時、誰が、「お命頂戴」と襲ってくるか分からないのだ。赤衣丹兵衛は、家老職の要求は取り下げ、そして、これ以上の要求はしてこなくなった。

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