第3話 沢 宜嘉
「とにかく、明日、説得をしてみまする。今日は遅いのでこれにて失礼いたしまする」
二人の侍が館の門を開いた時であった。黒い塊が動いた。
「何者じゃ」
「田岡さん、田岡さんじゃないさんですか」
池原利三郎が声を殺して呼びかける。
「田岡、なにゆえ
黒川が問う。二人は近藤南海の下で机を並べた仲なのだ。
田岡俊三郎は
「助けてくれ。幕府に追われている。このとおりじゃ」
田岡は二人の前で手を合わせた。
「幕府に? もしや、
黒川は、すでに悟っていた。
「
田岡は、そう言うと薄笑いを浮かべた。そして、続けた。
「助けて欲しいのはわしではない。沢卿じゃ。沢卿を如何にしても長州にお戻しせねばならん」
「沢卿もおられるのか」
黒川の言葉に田岡はうなづいた。
黒川は、十日ほど前に
「沢卿をお主たちが担いで起こしたのか」
黒川は、田岡の肩をゆすりながら聞いた。
「そういうことだ。じゃけん、わしは沢卿を無事に…」
田岡はそこまで言うと、全身の力が抜けたように地に伏せた。
田岡を大八車に乗せ
「沢卿らが潜まれている
と声をかけてきた。
「どこの祠だ」
「
「分かった」
黒川と田岡が子供の頃よく遊んだ祠だ。古い祠だが、誰も管理する者がおらず荒れ果てるままになっている。祠に着くと田岡が立ち上がり、外から声をかけた。
「沢様、田岡でございます。仲間を連れて帰って参りました。信頼できる者たちです。どうかご安心を」
扉が開き、中から二人の男が這えずり出てきた。提灯に浮かび上がる顔はいずれも生気がない。
「沢じゃ。お主たちに身を委ねるしかない。願わくは、今一度の再起を期せん。われらを助けてたもれ。このとおりじゃ」
沢と名乗る色白の男はそう言った。
「お前たち、何をしている」
池原は、
「よもや脱藩を図ったのではないな」
池原の詰問に、
「私が脱藩を図りました。他の者には先ほど伝えたのでございます。罪はございません」
「喜多川殿、そなたまでが…」
喜多川家は、代々の
「かくなる上は、ここで腹を切ってお詫び申し上げまする」
黒川易之進は
「待て、今はお前たちの切腹などに付き合っている暇はない。一大事が起きたのだ。その腹はわしが預かっておく」
池原が言った時、戸口から男たちが入ってきた。
黒川知太郎が、
「控えい。
と言葉を発すると、一人の男の前で平伏した。皆、訳も分からず同じように平伏する。黒川易之進も喜多川鉄太郎も慌ててはだけた腹を元に戻し平伏した。易之進も鉄太郎も沢卿の事については知っていた。藩主の一柳頼紹が御所に参内して天皇に拝謁しお言葉を賜るという栄誉に浴した時の大恩人と聞かされていたのだ。だが、なんでその沢卿がこのような田舎の、それもまた薄汚い漁師小屋に現れたのかはさっぱり理解できない。そして、頭を上げよと言われ上げたとき、その目に飛び込んできたのが田岡俊三郎だった。
「皆、この度は世話になる」
田岡は、かすれた小さな声を出すと、頭を下げた。
この日、小松勤皇党は、頭目の池原利三郎の許しも得ず、黒川易之進、喜多川鉄太郎、
「飯塚様は船に無事乗られました。
小屋の外から声が聞こえた。漁師の
「………」
誰も返事をしない。やがて、不審に思った源三が裏木戸を開けた。
「飯塚もか」
池原は、
飯塚は既に沖の船に乗り込んだようだ。漁師の源三が漁師船に乗せて沖に停泊する船まで運ぶ手はずになっていた。沖に停泊する船は、
「飯塚については捨て置く。今更戻れと言って戻るわけはないであろう」
池原利三郎は、そう言うと、沖に停泊する椀船の月明かりをぼんやりと見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます