狂静
「理事長、準備できました」
そう言いながらどこかに手を向けている友哉先輩。
「うん、ありがとう」
それに目線を向けながら理事長はそう返す。
そうして「さて」とでも言わんばかりにこちらに向き直ると、
「用意はできた?」
いまだカタカタと震える俺にそんなことをいうのだった。
あぁ、なんでこんなことになったのか。
別にここまでする予定はなかったのに。僕はおとなしくしていようと思っていただけなのに。
そんな俺の様子を見た理事長は心配そうに顔を覗き込んでくる。
「大丈夫?本当に無理はしなくてもいいのよ」
無理……はしていないはずだ。僕はまだ動ける。
まだ心も体も駄目になるほどの損傷はない。
そのうえでできることがあるというのなら……それはやはり無理とは言えないのだろう。これは俺のしたいことでするべきこと。
あぁ、そのはずだ。
立ち上がる。
普段なら気づきもしない背骨の軋みが僕の耳朶を揺らす。
「気を付けて」
理事長が放ったそんな言葉を最後に、俺は友哉先輩の元へ歩いて行った。
「……大丈夫か?」
近づいて友哉先輩から最初に聞いた言葉はそんな言葉だった。
それに僕は自信たっぷりに首肯で返す。
すると友哉先輩も微笑を携えて首肯で返し、俺を前に進むように促す。
それに従って前に出ると、その姿はいやでもよく目に入った。
形状としては毛の生えたゴムボールのような。そんなゴムボールから出たわずかな突起にはビー玉のような小さな目が二つ不規則に置かれており、短くも鋭い爪の生えた手足で僕を殺そうとバタバタ振り回していた。
ただそれでも悪魔は動けない。まるでパントマイムでもしているかのように一定の位置から微塵も動いてこないのだ。
これが友哉先輩の能力らしいが、先輩はいったい何を抱えてこうなったのだろう。
先ほど聞いた俺のゆがみと比較してふとそんなことを思ったが、それもすぐに無意味だと思いなおす。何も難しいことは必要ない。僕はただ目の前のあれを殺すだけ……そう。殺すだけなんだ。
「じゃあ行くぞ」
そう言って僕の目を見る友哉先輩。俺はそれに再び首肯で返した。
とたん、悪魔を囲んでいた不可視の壁がぐぐーっと広がり、僕を飲み込んだのを感じた。
それに伴って、弾むようにこちらへ寄ってくる丸い悪魔。
その姿を見て思わず腰のナイフに手が伸びるが、それは途中で動きを止めてしまった。
その代わり……
「ひぃぃぃぃ!!」
俺はみっともなくしりもちをついて後ずさった。
ざわざわ
そのあまりにも無様な様に、先輩方から困惑の声が上がる。
けれど、どれも声を上げるだけで、決して動こうとはしない。僕を閉じ込めている友哉先輩に中止を求める声すら上がらない。
一体どうなってるんだ。世の中っていうのはこんなにも優しくないものだったか。
そう俺が恨み言を吐いている間にも死は着実に歩みを進めてくる。無様に悲鳴を上げる僕をどう殺そうかわくわくするようにぼんぼんと跳ねながら。
そうして跳ねる悪魔はついに処刑方法を思いついたのか、ぐるぐると回って、爪を振り回す。
そしてそれはこちらにとびかかり、今、鋭い爪先が僕の頭蓋を___
___________________________________________
「……理事長。あれ、どうなってるんです?」
友哉の空間把握で私たちと分断されたドームの外側。
そこから呆然と戸鹿原君を見つめながら私は理事長に説明を求めた。
「どうなっているのかについては私もよくわからないわ。けれど彼の歪みは……彼のプレジュディスは『仮面』と『道化』よ。」
そう告げられたゆがみの名を聞いて、私はひとまず納得する。
少なくとも戸鹿原君がしりもちをついてから突然その顔に現れた涙を流す、青い人間を模した仮面については。
だが、それを差し置いてもあれは明らかに……
「暴走……してますよね。」
チカチカ チカチカ
赤、黄色、青、黒
そんな具合にコロコロ色と模様を変える戸鹿原君の仮面。
あれがプレジュディスだというのなら、その色や模様にも意味が有るんだろうが、こうも安定しないと、その効力すら発揮できまい。
「……やっぱり私行きます!」
その事を知っていたからこそ飛び出して空間ごと裂いてやろうと思ったのだが、それは理事長の差し出した長い腕に阻まれた。
そうして見上げると、理事長はいつもの何の感情も無さそうな顔でじっと戸鹿原君を見詰めていた。
そうして……
「実はね、今回あの子の制服にフィルター入れてなかったのよ。」
「え?」
その何気なく吐き出された軽い雑談の様なその言葉に思わず一瞬思考が止まる。
ぱくぱく ぱくぱくと、自分の言いたいことが混ざり有ったまま口を開こうとするも、言葉は出ない。
そんな私を置き去りに理事長は言葉を続けた。
「それでさっきあの子のステイト覗いてみたんだけどどうだったと思う?」
「……」
「なんと汚染度0%よ」
その最初から答えすら求めて無かったらしい理事長の自分勝手な返答に苛立ちを募らせつつも、私は考える。汚染0%というそのありえる筈のない数値について。
そも汚染というのはこの悪意で構成された世界で活動すると貯まる呪いの様な物だ。貯まるにつれ、だんだんと精神はむしばまれ、最終的に狂って大体の人間は死に至る。
理事長曰く、それは魂に作用するらしく、どんなに現実の装備を厳重にしようが、それは裸の時と何ら変わりなく蓄積される。だからこそ私たちが活動するにはその呪いをある程度吸い込んでくれるフィルターを
「そうね。そうなると可能性は一つしかない。」
そう区切ると、理事長は今日初めて純粋に笑うようにしてこういった。
「彼は持っているのよ。自分の魂すら守る強固な壁をね」
___________________________________________
音も無く、不可視の盾が僕の頭蓋を狙う狂爪から身を守る。
がちり
まるでそうなることが最初から分かっていたかのように、そのタイミングで僕の脳内に、撃墜を起こした音が鳴り響く。
そうして、
「……くひっ」
僕の両腕とともに、勢いよく放たれた弾丸は、青い軌跡を残してゴムボールの中心をとらえた。
「___ッ!!!!」
そう舞い散る赤飛沫とともに何か悲鳴のようなものを声を上げるゴムボール。
からだは苦し気にもがき、未だ突き刺さったナイフを持つ手を傷つけようと振り回す両手を見る限りどうやら致命傷では無かったらしい。流石は悪魔。僕のおもちゃとして申し分ない強度だ。
ならばもう一撃と、ボールの様なその身体を鷲掴みにした時だった。
「___ッ!!」
悪魔は突然甲高い声を上げたかと思うと、突然その丸い身体から幾つものとげが生えてきたのだった。
幸いとげは盾が防いでくれたからこそよかったものの……なんだこいつ。
おもちゃなんぞが遊びにくく成りやがって。そうなったお前に一体何の価値があるんだ。
まぁ、最初からおもちゃではないといわれたらそれまでなのだが。
我ながらそう理不尽な扱いを認めつつも、すっかり熱の冷めてしまった僕はおもちゃを片づけてやることにした。
それはカッコいい先輩のマネをして。
えーと、どうだったか。確かこうして……
そうしてとげの隙間をぬって、体の柔らかな部分に指を突き入れる。
その感じたことの無い生暖かい感触に若干の楽しさを覚えつつ、
「こう」
ビリィ
思わずそう口に出しながら僕はその体を二つに裂いた。
確かにゴムボールの体を二つに裂くことこそ出来たものの……納得いかない。あの先輩はもっとうまく裂いていた。
音なんか一つも立てず、こんなビリビリの断面ではなくもっときれいに。
うーん。どうすればあの領域まで至れるものか。
そう一人思案しつつ、僕はゴムボールの吹き出した血にまみれて一人地面に座り込んだ。
イロメガネ かわくや @kawakuya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。イロメガネの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
近況ノート
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます