第8話 あの日の真実(前編) 天音優愛視点

彼の元から逃げるように走り去った後、私は学校近くの公園のベンチに座りこんでいた。


 今は一歩たりとも動けそうにない。指一本も動かす気になれない。


 虚な目で誰もいない暗闇の公園の中、大雨に打たれ一人啜り泣く無様な女は、他人の目にどう映っているのだろう。


 外には相合傘で幸せそうに談笑するカップル達。雨に濡れる事を楽しむかのように走り回る男の子を、必死で追い回す女の子。


 どれもこれも羨ましい。妬ましい。私はもうそんな幸せを得られないだろうから。私が、私の手でその未来を傷つけてしまったのだから。


 身体が鉛のように重い。どんどん自身の身体が冷たくなっていくのを感じる。


 決して大雨の中に身を晒しているからではない。


 ずっと想い続けていた人が、自分から離れて行ってしまう恐怖、絶望。その感情だけが私の身体を蝕んでいく。


 可能性に縋る想いで彼と会ったのに、確信してしまった。笑顔を装ってはいたが、いつも私にだけ見せてくれる優しい笑顔ではなく、雰囲気も驚く程変わっていた。


 ああ、やっぱり見られていたんだ‥‥。


 あの時目が合った彼は、自分のとてつもない罪悪感が生み出した幻なんだ‥、そんな私の微かな希望は簡単に打ち砕かれた。


 嗚咽を上げながら唇をなぞり、何度も何度も彼とキスした時の感触を思い出す。


 初めてを捧げると誓っていた彼との接吻。


 ずっと夢にまで見た、彼との甘い初めてのキス。


 長年募り積もったこの想いがようやく結ばれ、照れ臭そうにする彼から奪ってもらう予定だった私の初めての口づけ。


     かっちゃんに、してほしかったな‥


 そんな私の培ってきた想いも、卑劣なあの男に、あの日一瞬で奪い去られた。


 何度も何度も唇を皮がふやけるまで洗い流したけれど、それでもまだ嫌悪感が拭いきれない‥。


 もしこんな愚かな私の願いが一つでも叶うのなら、せめて最後に、塗りつぶすように、マーキングするかのように、大好きな人から燃えるような口づけをされたい。


 私が彼にした子供みたいな物じゃない、大人のキスを。


 子供の時からずっと‥今も大好きなかっちゃんに‥。


 ◇◇

 

 中学生になってから、学校で顔も良くわからない男子に告白される事が多くなっていった。


 好意を持たれる事自体は嬉しいのだけど、当然彼以外を恋愛対象に見られない私は、皆丁寧にお断りした。


 時には小学校で私が彼と仲良くしていた事を、影でクスクス笑っていた男子に、手の平を返すように言い寄られた事もある。


 そんな奴らはもちろん、こっぴどく振ってやった。見た目でコロコロと態度を変える奴は大嫌い。


 私は他の女の子よりも発育が良いみたい。思春期の男の子だからしょうがないけど、身体目当てで言い寄られるのは嫌だ。


私の方が一つ年上だから、最初の一年間は彼が学校にいなくて寂しい思いをした。


 彼の家の事情で、遊ぶ約束も出来ない。私の方の授業が早く終わった時に、彼がいる小学校で待ち伏せして、途中まで一緒に帰るくらいしか接点を持てなかった。


 何もしてあげられない自分が情けないけど、いつか絶対私が彼を地獄から解放してあげたい。


 毎日が凄く寂しい。会えない日はいつも彼の事を考えてしまう。


 新しい女の子の友達も最初も出来たけど、私が男の子から日々告白されてるのを見て、ほとんど離れて行っちゃった。


 彼が入学する事を待ち侘びながらただ無機質に時を過ごした。


 入学して1年が経ち、彼もようやく同じ中学に入学してきた。


 これでまた毎日かっちゃんと顔を合わせられると思うと、学校に行くのが楽しみで仕方なくなった。


 彼が入学すると、当然のように休み時間になる度に会いに行った。


 周りには変な子扱いされたけど、そんな事はどうでもいい。


 それからは小学校の時と同じような毎日。家畜、家畜と同級生から、あるいは私が振った2年生、3年生までもがかっちゃんを妬んで彼に暴力を振るう。


 そしたら私が間に入って全力で守って、私が手を出されるような事があったら彼が死ぬ気で守ってくれる。


 それが私達の日常。


 この頃には、私は既に空手の全国大会常連だったし‥自分で言うのもアレだけど私は男子には異常に人気があるから私に手を出すような人はほとんどいなかった。


 けれど時々私も手を出されそうな時はある。そんな時、私の為に本気で怖い表情をする優しい王子様は凄くかっこいいんだ。


 私が中学三年生になったある日、二人で進路について話し合った。


 中学は校区ごとに分けられていて仕方ないけれど、高校は真面目な生徒が少しでも多い方がいいという理由で、二人の家から近い全国でも屈指の私立の進学校にしようかという話になった。


 彼の母親は、聞いているとどうしようもない人間性だけど、年収が高い職に就かせる確率を少しでも上げる為に、高い学費の私立高校でも超進学校であるならば通わせる事には賛成みたい。


 『私立皇冥学園』。普通の高校にに相応しくない仰々しい名前をしたその高校は、所謂上級国民の子息、礼譲である生徒が大半を占めると言われている有名な学校。


 入学する生徒はコネ、裏口での入学が普通、自分が偉いと勘違いしている生徒が多い等と、巷では色々な悪評が立っているのは学校でもある。その事は私達2人共知っていた。


 でも、私が見学した限りでは、大人しそうで確かに気品のある生徒が多い様には見えるけど、噂されているような悪い所には思えない。


 超難関ではあるものの一般の試験で生徒を募集している。


 かっちゃんは、元々勉強ばかりさせられていた事で頭は全国模試でもトップクラスにいいし、私も彼に追いつこうと必死で勉強したから学力的には問題なかった。


 二人が穏やかに暮らせる場所‥そう信じて私達はココに入学する事を決めた。


 そう決めた時から、私は全ての時間を捧げて試験に無事合格。彼より一年先に皇冥学園に入学する事になった。


 またあまり会えない寂しい毎日を送る事になるけれど、こればかりは仕方がない、と自分に言い聞かせる。


 学校が早く終わった時にかっちゃんに少しの時間でも会いに行こう‥。そう心に決めて、悪評のある冥皇学園に少しだけ不安を抱えながら初登校した。


 結果から言うと、悪評が嘘みたいに、普通にいい高校だった。


 中学生の時みたいに、悪ぶった不良生徒は全然いなくて、親から厳しく躾けられているんだろうなと感じる真面目そうな人達が多い。少しプライドが高そうなのは気になるけれど、話しかけてみると嫌な感じは全然しない。


 教育に相当力を入れているのが随所から分かり、なるほど屈指の進学校というだけの事はあるなと思える学校だ。


 そんな学校で、私はというと入学早々「とんでもない美少女が現れた」等と噂されていたようで、大勢の生徒に囲まれたりする事も多かった。


 褒められて正直悪い気はしない‥どころか嬉しいんだけれど、私は今までもこれからもかっちゃん一筋。絶対に譲れない想いがある。


 中学の同級生は一人も居なくて、私と彼の関係性をみんな知らないから、また告白されては丁重にお断りする事の繰り返し。


 発育も、自分でも信じられないくらいよくなってしまっていた。女子の自分からすれば良いことなんて一つもないのに‥。


 一部の男子の舐めるような胸への視線が気持ち悪い。


 まあ‥これも、将来的にかっちゃんに、その‥喜んでもらえるなら良い物なのかな。よくわからないけれど。


 男子の告白を上手い事交わしながら、クラスで同性の友達もそれなりに作ることが出来た。もちろん彼に会いに行く事も忘れていなかった。


 皇冥学園に来てからは全てが順調に上手く行っていた。


 後は、彼を待つだけ。そして彼と一緒に穏やかな学園生活を送るだけ。


 そして1年が経ち、念願のかっちゃんが無事に合格してこの皇冥学園に入学してきた。


 私達の関係をぶっ壊した悪魔‥副総理の橘栄信たちばなひでのぶの息子である橘誠也たちばなせいやと共に‥。

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