第5話 絶え間ない後悔に苛まれて 桐谷和美視点

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 

私は一人取り残された地下で呟き続けていた。暗闇の中何も見えず、身体をロープで縛られている為身動きも取れない。


 すぐそばに今日まで彼氏だった男の死体があり、その男から吹き出した血溜まりがあるせいで酷く生臭い。間違いなく、長時間こんな場所に放置されれば精神にもう取り返しのつかない程の異常をきたすだろう。


 自分のすぐそばに、昨日まで普通に会話していた彼の遺体が転がっていると考えるとおぞましい。しかもこの手で殺害したのだ。


 何度も何度も脳内でフラッシュバックするつい先程の光景。彼の喉元を切断する音。大量の出血。彼の断末魔。


 そして私に激しい憎悪の感情を向ける息子の顔。


 今まで私に従順で、どれだけ痛めつけても穏やかな眼差しを私に向けてきた息子に、突きつけられた明白な殺意。息子とは名ばかりの家畜だと思っていた男の確かな反逆。

 

 先程から身体の震えが一向に止まらない。何度も何度も嘔吐を繰り返し念仏のように謝罪の言葉を呟くが、誰も助けてはくれない。


「誰か助けてええええ!!お願いだから‥。ごめんなさい‥もうやめて‥。この地獄から解放してよぉ‥‥」


 叫ぶ声は虚しく暗闇の中かき消される。


 涙を流す私にふと息子の今日の言葉が脳裏をよぎる。


『やめてだと?お前は俺がやめてといって一度でもやめた事があるのか??』


 辞めた事などなかった。毎日彼氏と殴る蹴る等は日常茶飯事だった。苦しむ息子に私は何ををした?彼氏がやり過ぎても私はいつも見て見ぬふりをするどころか当然だと笑っていた。


 一度だってこの手を差し伸べた事はない。


 優しい言葉をかけたことも、愛しく頭を撫でてあげたことも、抱きしめてあげる事も当然してこなかった。


 子供らしい生活どころか人間らしい生活をさせてやったこともない。


 この子は憎い私に癒えない傷をつけた悪魔の子なのだから当然なんだと、自分の行いこそが正しいと疑ってこなかった。


『『お前』がやったんだ!『お前』がこいつを殺した!わかるか??『お前』がやった事の重みが!!『お前』の罪が!!!』


 これは私が人を殺した事に対する言葉だと思っていた。実際、息子はあの時そういう意味で言っていたのだと思う。


 だけど、今の私にはこう聞こえてくるのだ。


『お前がやったんだ!お前がこいつを殺した!』


 そう、私がやった。私が息子を壊した。何の罪もない優しかった息子を、私の手で壊した‥‥


『わかるか??「お前」がやった事の重みが!!』


 想像を絶する恐怖と、人を殺した事による罪悪感で幾ばくかの正気を取り戻した私なら分かる。


『お前』の罪が!!!』


 今なら分かる‥どれだけ私が罪深い存在なのか。


 復讐に取り憑かれ、私を犯した男達への憎悪、殺意を全く罪のない自身の子供に向け続けていた重すぎる罪を。


 我が息子に『禍稚傀』等という訳のわからない名前をつけた罪を。


 思えば彼氏だと思っていたあの男を私は本当に愛していたのか?愛せる要素などどこを探しても見当たらなかった筈だ。


 そうだ‥息子を一緒になっていじめてくれる人間なら誰でもよかったんだ。


 そんな最低な私に、息子は今までどうしてきた?


 息子を彼と共に虐めていた時、反抗して彼の方を殴る事はあっても私が殴られた事は一度もなかったではないか。


 どんだけ厳しい事をしつけても、無理を言っても息子は一生懸命言われるがままがんばっていた。いつも無理に笑顔を作って‥‥こう言っていた。


『母さんが喜んでくれるなら』


 息子はもっと早く壊れてもおかしくなかった。それだけの行いを母である私はしてきた。


 それでも彼はいつも私に優しい目を向けてきた‥!愛されようとしてきた‥!!


 そんな優しい息子にに、私の方はというと今まで何をしてきた??何を与えてやった??


 与えたのは消えない身体の傷と心の傷。


 それだけだ‥‥


「か‥ち‥く‥私は‥なん‥て‥こ‥と‥‥」


 気がおかしくなりそうな状況の中で、返って憑き物が落ちたのだろうか。


 今更になって心から自分の過ちに気づく。あまりにも遅すぎた後悔、とてつもない罪悪感にこの身が張り裂けそうになる。


 私は何て自分勝手な女なのだろう‥。散々ひどい事をしておいて今頃になって息子の優しさに気づくなんて。


 今まで『家畜』と蔑んで読んでいた彼の名前を愛おしくて呼ぶなんて‥。


 反吐の出る所業だ。だけど止められない。暗闇の中、何度も何度も息子の名前を叫んだ。


 死んでし償いたいとすら思う。かといってこの後に及んでも自分で舌を噛み切る勇気もない。どこまでも愚かな女。


 ああ‥誰か殺してくれないだろうか。この惨めな私を。


 いや‥それすらも烏滸がましいのかもしれない。


 せめて、最期くらい母親らしく息子の復讐を受け入れよう。


 そんな事で、少しでも息子の気が晴れるなら私は喜んで受けたい。


 私にはもう‥いや彼を産んだその日から母親を名乗る資格などないのだから‥‥。

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