【第三章 帰郷】 第10話 投銭守街

「聞いてくれ、欧陸洋おうりくよう華都かとから妻の友人が持ち込んだ銭が、おかしいんだよ」


 ある日、役所を訪ねてきた周仲興しゅうちゅうこうは言った。

 仲興はげんで最も手広く商いをしているこう家のおとこあるじである。わざわざ男主というのは、もともと彼の妻の店だからだ。仲興は商家の次男で、おんなあるじと結婚した。

 彼も勝手をするが、彼の妻も勝手をする。顔の広い妻であるから、仲興の知らない友人もいる。

 そのうち一人が年頃の娘で、華都に最後まで残してあった店を畳んだときに、店員と共に逃げてきた。いつも顔を隠し、匿ってくれる周仲興に挨拶もしない。妻の管理する建物の一室に閉じこもっているのだという。

 しかし、その娘は夜な夜な部屋を抜け出して、玄都と南安なんあんの間にできた街の境界をうろうろしている、と仲興は言う。


「周家から連れてきた使用人が見つけてさ。じいっと地面を見つめて、銭を投げるのだそうだ。銭は地面に落ちると、小さな人型になるというんだよ。それでしゃべるんだ。ここではない、ここではない、と。娘が人型をつまんで革の袋に投げ込む。そのときはもう、銭に戻っているんだよ」


 確かに、銭が人型になるのも、口を利くのも奇妙である。

 私は玄都の長官であるようえんの元に仲興を連れていき、同じ話をさせた。

 淵季は長官の机に肘を突き、面倒くさそうに首を振って、「その方には早いうちにお会いせねばならぬ」とつぶやいた。

 

 仲興に話を聞いた夜、淵季と私は、新しくできた街の家並みが途切れるあたりに来ていた。かの娘に出会うためである。

 役所を出るときに見えていた細い月は、とうの昔に西の山々の向こうに沈んでしまっている。森を切り開いた街は周囲を木々に覆われて、町外れでは空があまり見えない。


「少年時代、ここを迷い歩いたな」


 暗闇の中で淵季の声がした。


「そうだな」


 私もあの頃を思い出す。南安に出ようと、ここを彷徨さまよった。ただ一軒、食べ物を出す店があるが、妖怪の集うところだ。今回の街づくりでも、その辺りは人間が立ち入らないようにしている。こんな調子では、あの店の者は王朝がいくつ滅びようと気づきようもないだろう。


「淵季、この街だが、城壁は無理でも、塀くらいは作ったほうがよかろう」


 返事はなかった。私は淵季がいるとおぼしき闇に向かって話しかける。


「私たちが出会ったような妖怪と、ここの人を出会わせたくないんだ」

「それは俺もだ。だから、妖怪にわかりやすい境界を作ろうと思っているのだが。……おい」


 急に淵季が声を低くした。私の隣に彼の気配があった。物陰に引き込まれ、肩を押さえられる。私はそのまましゃがみ込んだ。

 そのとき、ぼう、と辺りが光って人が現れた。うつむいて顔を隠している。手には袋を持っていて、青白い光はそこから発している。

 背の高さや体つきからして、くだんの娘のようである。

 娘は辺りを見回し、袋から光る銭を取り出した。そして、地面に投げる。

 軽い足音がして、小さな人が地面に着地した。銭が変化したのだ。

 よく見れば、皇帝の被るような冠をつけている。

 小さな人は腕を組んだまま、ぴょんと飛んだ。

 それから、娘を見上げた。


「ここではない、ここではない」


 銭が擦れるような声だった。


「……わかりました」


 娘は答え、銭を袋にしまう。

 私と淵季は、同時に小さくため息をついた。その人が誰かわかったためである。

 仲興の妻も無茶をしたものだ。しかし、仲興の妻が企てたものだとすると、私の妻も関わっている可能性は高い。二人は結婚する前からの友人なのだ。

 下手なことは言えないな、と思いながら、その人のほうに視線を戻す。

 その人は数歩進み、また、銭を取り出した。

 銭は小さな人型となり、その人に告げた。


「ここだ、ここだ」


 その人は、あ、と声を上げ、袋の中身をその場に全部出そうとした。


「いかん!」


 淵季が飛び出し、その人の手から袋を奪った。


「何をする!」


 鋭く、威厳のある声だった。私も淵季の元に走り、ひれ伏す。おやめください、と言おうとした。

 だがその前に、淵季が口を開いた。


「陛下。ここを、新たな都としてはなりませぬ」


 彼の目の前に立っていた小さな人をつかみ、握りつぶした。光が弾けるのを見て、私は深く息を吸い、思わずその人の顔をあおいでしまった。

 

「楊淵季、そなた、なんということを」


 ぼうとした青白い光のせいで、その人の顔がはっきりみえた。怒りに満ちた瞳も、整えられた眉も、以前お会いしたときと同じだ。

 今、滅びようとしている帝国の皇帝である。

 先の皇帝と踊り子の間に生まれた子だ。後宮で権力争いがあったとき、この方だけが別の所に住んでいて助かったのだった。


「お久しゅうございます。こちらにおいでになったのは、養父ちちのはかりごとでございますか」


 淵季が重々しい口調で尋ねた。


「楊氏は最後まで宮殿に残ると言っていた。……すまぬ」


 陛下の声は、次第に小さくなり、最後はかすれた。


にせ皇帝として、本物の皇帝をお守りするのは最大の任務でございます。養父ちちはやり遂げたのですね」


 私は顔を伏せた。楊淵季の養父は玉座に座り、皇帝の振りをしている。陛下と楊一家の秘密だったが、私は、とある事件に遭遇した際、陛下の本当のお姿を存じ上げることになった。

 本物の皇帝が逃げてきたということは、おそらく次に華都から連絡が来たときには、国は滅びているだろう。淵季の養父だけでなく、私の父や兄も帝国と運命を共にしているに違いない。

 しかし、先ほど、淵季はここを新たな都にしてはいけない、と言っていた。陛下は遷都して切り抜けるつもりだったのだろうか。


「陛下、この袋はお預かりいたします」


 淵季は革袋を胸に押し当てた。


「愚かな。そなたの扱えるものではない」


 革袋は光を強めたり弱めたりしながら、膨らんだり縮んだりしている。しだいに大きく膨らむようになってきて、やがてははじけて破れそうである。

 だが、淵季は動じなかった。


「存じております。この銭の一つ一つには陛下に連なる方々の霊が込められておりましょう。陛下のご一族の繁栄を願って、陛下のご一族が権勢を誇れる場所を見極めようとなさっている」

「そこまでわかっているのなら」

「しかし、陛下のご一族が権勢を誇る場所をつくるとなると、帝国が遷都し継続することになります。敵もここまで攻めてきましょう。せっかく逃げてきた者たちを、また戦いに巻き込むことになります」


 陛下は黙っていた。淵季が何かごそごそ音をさせて、袖の中に隠していたらしきものを取り出した。箱だ。青白い光に照らし出されても、ようやく輪郭がわかるくらい黒い。

 淵季は箱に爪を当てた。指を横に引くと紙の破れる音がして、箱が開いた。

 私は思わず目を手で覆った。

 金色の光があふれ出ている。


「まあ、落ち着け」


 淵季が言うと、光が緩んだ。おそるおそる箱の中を見ると、絹に美しい刺繍を施した袋が光っていた。淵季は袋の口を開けて、中のものをつまみ上げる。

 金貨だ。


「ほら」


 一枚をこちらに投げて寄越す。受け取って表面を見ると、「せいげん真人しんじん」の文字が刻まれていた。

 清玄真人、とは、かつての仙人国での淵季の呼び名である。


「陛下。おそれながら、私も街の境になるようなものを用意しておりました。ここを陛下の土地にすることはできません。もう戦いの勝敗は決しました。逃げられるものは逃げております」


 陛下は顔を背けた。拳が強く握りしめられ、腕は震えている。

 私は少年時代の淵季を思い出していた。仙人国の最後の王として国を滅ぼそうというとき、淵季は最初、固まったように門の外に立っていた。そして、私に共にあるよう求めた。私は応じた。

 だが、今、陛下の周りには誰もいない。

 私は身を屈めたまま楊淵季に近づき、話しかけた。


「取り込み中に申し訳ないが、その銭も人型になるのか」


 突然のことに、淵季は迷惑そうに、は、と言った。


「できるのならお一人、私の屋敷まで行ってほしいのだが」

「……程適ていてきを呼ぶのか。ここは、陛下と我々で」

「彼ではない。妻だ」


 淵季はよけいに怪訝けげんな表情をする。

 私は額を指先で掻いた。

 私には、秘密がある。妻と、妻の親友のことだ。彼女たちが巻き込まれた事件は、後宮での出来事だった。私には陛下の本当のお姿を話さなかったが、ほんとうは知っているはずである。


「あと、少し時間がほしいのだ。おそらく妻は黄氏をともなってくるだろうから」

「黄氏? 仲興の奥方か。なぜだ」


 淵季の声が思いの外高かった。陛下が目をみはった。それに気づき、私はひれ伏した。


「そなたの妻は……おうだったな。そして、黄氏というのは、黄秋蘭こうしゅうらんのことか」


 私は袖の中で手を組み、頭をさげる。


「さようでございます。一度、あの二人とお話しいただきたく存じます」


 妻はもちろん、黄秋蘭も陛下を尊敬するだけでなく、友人として好意を寄せている。妻の言うのには、お忍びで陛下が華都の我が家にお越しになったこともあったという。三人で茶を飲んだというのだが、陛下の本当のお姿を知った後だったとはいえ、粗相はなかったかと気が気ではなかった。気疲れを誰かに話したかったが、畏れ多くて淵季にすら言えずにいたのである。


「よかろう」

「畏れ多いことにございます」


 返事をしてから、淵季をつつく。淵季は不満そうな顔をしたが、銭を一枚くれた。手の平に乗せると、果たして金色の人型になった。こちらはゆったりとした衣を着て、仙人のように長い髭を垂らしている。


「どうか、我が妻をここに連れてきてくださいませんか」


 金色の人型は私を見上げると、陸洋、と呼んだ。どこか懐かしい声だった。少年の頃、淵季が連れていた鸚鵡おうむの声に似ているのかもしれない。


「陸洋を借りる」


 人型はそう言うと、私の顔に飛び移った。辺りがぐらりと揺れ、私は気を失った。


 気がついたとき、側に椅子の脚があった。土の上に倒れていたようである。体を起こすと、椅子に座っている人と目があった。


「あなた、気がつかれたのね」


 我が妻、王美姫だ。身を起こすと、妻と並んで黄秋蘭が座っていた。彼女は冷たい目で私を見ると、あきれたように笑んで会釈をした。いつ嫌われたのかわからないが、彼女はいつもこんな感じだ。

 彼女たちの向かいには、陛下がおかけになっている。

 陛下は私を見ると、小さくうなずかれた。

 礼をし、立ち上がろうとすると、淵季が手を貸してくれた。


「なぜ、黙っていた」


 こちらからも冷たい目を向けられて、私は立場がなかった。


「すまん。その、畏れ多くて、話題にできないままで」

「そうかそうか。まあ、おまえはそういうやつだよな。俺は俺で、不敬が過ぎるからな」


 冷たい声に、私は慌てて淵季の肩をつかんだ。


「隠すしかなかったんだ。私だって、陛下の機嫌を損ねておまえと職場が離れるのは嫌だったし」


 思わず本音が漏れた。淵季はしばらく私を見つめていたが、ふ、と笑った。


「わかっているよ。おまえはそういうやつだ。……さて、しばらく体を乗っ取られていたようだが、痛みはないか」


 私は手を眺め、足を動かしてみる。ふくらはぎに鈍い痛みがあった。長い距離を走ったあとのような痛みだ。

 足をさすっていると、淵季が「それはしょうがないな」と肩をすくめた。


「おまえは、金人に体を貸して家までひとっ走りしてきたんだ。こちらに戻ってくるときも、自ら御者をして、馬車をな」


 淵季が指さす先には、我が家の馬車があった。

 言われてみれば、肩や手の平、腰も痛い気がした。


「まあ、動けているのなら、付き合ってもらうぞ。おまえはこちらを持て」


 手の平に、陛下が持っていた革の袋が乗せられた。

 淵季は数歩、森の中に入ると刺繍の施された袋を開ける。「清玄真人」と書かれた金貨が三十枚ほど入っているように見えた。


「それをどうするのだ」

「おまえの持っている袋の中身を手の平にあけろ」


 私は言われるまま、青白く光を放つ銭を手の平にのせた。小山になった銀貨の一つずつが青白い人影に変じていく。

 淵季も同じように、袋の中身を全部出した。こちらも、彼の手の平で金人となり、跳んだり、伸びをしたりしている。

 淵季が手の平を寄せた。互いの手の平の人物が動きを止める。


「手をおつなぎなさい。ここは過去と未来の混じる街、空と海の間にあって、人と人でないものが集い、悠久の流れのひととき互いを見知り、また見知らぬままにとどまる街。守られよ、ここは人と仙人の街」


 淵季が金人を投げ上げた。私も青白い人を空に放る。

 金人と青白い人は空中で手を取り合い、四方に散って地面に落ちた。

 森のすぐそば、街との境界に落ちた銭を見ると、金貨と銀貨が重なり合っていた。その穴から一本の芽が生え、見る見るうちに育っていく。

 淵季は腰に手を当て、街が若木に囲まれるのに目を細めていた。


 淵季が言うのには、金貨は仙人国の宝を何虎敬かこけいが保存していたもので、かつて仙人国にあった巨大な木々は、その穴から芽生えたものだったということだ。

 のちにこの街は、投銭守街とうせんしゅがいと呼ばれるようになった。


     〈おわり〉

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