【第三章 帰郷】 第7話 陶俑の賊

そんはくぶんの役人であったが、志願してげんへとうつった。これまでに比べれば雑用混じりの面倒な役職だが、旧友たちも集まっているし、温暖な気候で過ごしやすいだろうというのだった。

 旧友たちとは、私としゅうちゅうこうようえんである。

 しかも、彼の妻は欧文おうぶんといい、私の妹である。最初は我が家とつり合うような役職ではなかったのだが、文姫と知り合ってから私や淵季をつかまえて高級官僚につてをつくり、伯文には似つかわしくないおべっかも使ったという。

 そこまでして妹を愛してくれるのは、たいへんありがたいことである。

 妹と知り合ったのは、我が家に書物を借りにきたときである。そこからどうやって愛し合うところまでいたったのか聞いてみたことがある。

 本だよ、本、と言って伯文ははにかんだ。伯文がそんな笑い方をするのを見るのは初めてだった。また、本好きであるという共通点から結婚にいたる話は、彼ら以外に知らないほど珍しい。

 ともあれ、妹は結婚に際して私や淵季、仲興の贈った大量の本と共に幸せに暮らしてきた。当然、玄都へも一巻も欠けずに持ってきていた。

 周仲興は私の館に続いて、伯文の館も建ててくれた。書庫は我が家のものを十部屋つなげた程の大きさで、もはや講堂というに近い。楊淵季などはおもしろがって、本が全部入ったところを狙い、さっそく伯文を茶に誘っていた。自分から誘いつつ、相手の家で飲むのである。淵季は人との交わりに慎重な性格だが、おもしろいと思ったときはその限りではない。

 館もあり、本もあり、食料のたぐいは仲興の店に揃っている。玄都での暮らしは滑り出し上々のはずであった。


「どうも、米の減りが早すぎるのだ」


 伯文が口元に手をやり、私たちにささやいた。

 蝋燭ろうそくの炎が空気をじりっと燃やしている。


「使用人が盗み食いをしているのではないのか」


 淵季が眉をひそめた。


「最初はそう思ったのだが、奇妙だ。米を入れた袋の繊維をほぐして、少しずつ米を出している。しかも、すべての袋から、だ」


 確かに、盗み食いをするのなら、米を炊く際に多めに炊いて、残りが十分出るようにするはずだ。米は生では食べられないし、あとから少しずつ炊くのも面倒だ。


「米が盗まれるのは夜間なのだろうな」


 淵季がそう言って、指先で眉間をほぐした。

 使用人も眠り込んだ夜中の客間は、わずかな衣擦れもはっきりと聞こえるほど静かだ。


「そういうことだ。理解が早い」

「当たり前だ。そうでなくて、どうしてこんな夜中に呼び出すというのだ。考えようと思うまでもなく結論が出ている。そうだろう、欧陸おうりくよう


 私はどきりとした。淵季の言葉を聞いて、そうだったのか、と思ったばかりである。

 黙り込んでいる私を見て、淵季が「やれやれ」とつぶやいた。


「当然、米は仲興のところから買っているのだろうな。袋ごと」

「そうなのだ。だから、袋に穴が開いたなどと言えば、仲興は袋の業者を問い詰めるだろう。実際、人の力で簡単にほぐれるような袋でもないのだ」

「なるほど」


 華都にいた頃は、お互いどこか避けるようなところがあったのに、今はすっかり意気投合している。それだけ伯文も困っているということだし、淵季もおもしろがっているということだ。


「……ところで、文姫は一人で部屋にいるのか」


 私はふと心配になって尋ねた。伯文がここにいるということは、寝室には文姫だけである。米泥棒が現れるかもしれないのに、不用心だ。


「ああ、妻は書庫だ。こちらで買った本がおもしろいらしくてな。近頃、書庫に入り浸っている。夜など、本を抱えたまま寝てしまうほどだ」


 伯文の頬がほころぶ。私は曖昧な声を出して視線を逸らした。

 文姫は私を慕ってくれた妹である。兄弟の中で唯一鈍いところのある私だったが、文姫は私を兄として信頼してくれた。幼いころは一緒に遊んだものである。

 そういう妹が妻として見られている姿を知るのは、どうも所在がない。


「まあ、この時間に書庫に人がいるとも思わないだろうから、大丈夫か」


 二人に聞こえる声で言うつもりだったが、なぜか小声になってしまった。


「なるほど、ねえ」


 淵季は私を見てにやにやすると、ごほんと咳払いをした。


「では、彼女が読書にふけっている間に我々で片づけてしまおう。伯文は米倉にねずみよけを置いているのか」


 ねずみよけとは、団子状の薬である。ようやく鼠の鼻先が通るくらいの格子こうしで覆われていて、倉の床や棚に置く。すると鼠が薬をめて、死んでしまうというのだ。


「もちろんだ。しかし、舐めた形跡はない」

「では、格子に口が通らないくらい大きな生き物ということか」

「違うだろう。まあ、袋の穴を見てくれ。ほんとうに繊維をほぐしたような穴なのだ。歯のある動物なら食い破るだろうが、そういったところがないのだよ」


 伯文が机の引き出しから一枚の麻袋を出した。その端に、縦糸と横糸の間を無理矢理広げたような穴が開いていた。指が奥まで入るほどの大きさだ。


「これは、ねずみではないな。子どもの悪戯いたずらのようだ」


 淵季が穴に指を差し入れ、首を傾げた。


「ご存じのとおり、うちは子どもがいない。使用人も子連れのものはいないのだ。夜間は門にかぎを掛けているし、ほかのうちの子どもが出入りするとも思われない」

「不可解だ」


 淵季は顎をしごき、天井を仰ぐと尋ねる。


「伯文、米の減りが早くなったのはいつからだ」

「玄都に来て、初めて市場に出かけた夜からだ」

「何か買ったか?」

「特別なものは何も。そうだな、妻が本を買ったついでに、本の端を押さえる置物を数点買った……ような」


 伯文が首をひねる。記憶のよい男のはずなのに、先日買ったものを忘れるなど珍しい。

 私と目が合うと、伯文は自嘲じちょう気味に、ははは、と言った。


「いや。買ったはずなのだが、どこに置いたか覚えていないのだ。最初は寝室に置いておいたはずなのだが、いつの間にかなくなっていた。本に関係のあるものだから、妻が書庫に持っていったのかもしれない。だが、我が家の書庫は本以外のものを探すのに難儀でな」


 一般家庭の書庫の十倍の広さがあれば当然である。


「それはどんな形のものなんだ」


 淵季の質問に、伯文は手の平を丸めてみせた。


「このくらいの陶器でできた人形だよ。白くて丸くてな。でも、重みはある。文鎮には最適だ。四つほど買ったのではなかったかな」

「あとは何を買った?」

「本を読むときに使う手袋だ。華都では使ったことがなかったのだが、玄都にはおもしろいものがあるな。ほんの少しざらざらしていて、本を持ちやすいのだよ」


 どこまでも本のことしか考えていない夫婦だ。私は幼いころの妹が、庭で花を摘んでいたのを思い出し、懐かしくなった。花に向けられていた興味は、本に持っていかれてしまったらしい。


「そういったものが化けて出るって言うのではないだろうな」


 伯文が淵季をのぞき込んだ。淵季が、うむ、とうなった。そのとき、淵季の左手首にはめられた翡翠ひすいの腕輪が、かたり、と音を立てたように聞こえた。

 私と淵季はハッとして腕輪に目をる。龍の形に作られた、不思議な力を持ったものだ。


「外か?」


 伯文が立ち上がり、部屋の扉を開けた。


「あ、いや、伯文。それは気のせいで」


 私が止めようとしたとき、また、かたり、と音がした。淵季を振り返ると、不思議そうに首を横に振る。

 どうやら、本当に外から音がしているらしい。

 伯文が振り返り、唇に人差し指を当てた。相手を捕まえようというのだろう。私たちも足を忍ばせ、伯文のあとについた。


 今宵は新月で、廊下といえども闇である。

 淵季が気を利かせて燭台を持ってきた。私はそれを伯文に渡す。

 そのとき、前方でちらっと赤く光るものがあった。

 伯文が歩を早め、かがみ込んだ。


「何だ?」


 蝋燭の炎に照らし出されたのは小指の先ほどの金色の石である。


「貸して」


 淵季が手に取り、指先でぐりぐりと回してみる。


「何だかわかるか、淵季」

「おそらく金だな、陸洋」


 私たちは目配せをした。

 伯文の持ち物でなければ、こんなところにいきなり金の粒が落ちているなど、よい兆しであるはずがない。どうせ、妖か呪か、不思議な生き物がらみのことだ。


「金? なんでそんなものが」

「ここは俺たちに任せろ。……見ろ、まだある」


 淵季が燭台を受け取り、廊下に掲げた。

 廊下にはぽつぽつと金が落ちている。そのさきに、妖がいるに違いない。

 目を凝らすと、金粒の列の先端に白いものが見えた。白く、丸い。それは一寸ほど前にび、拍子に金を落とす。さっきの物音は、跳んだときのものだったのだろう。


「つかまえるぞ」


 淵季が囁いた。私はうなずき、金の粒の先に視点を当てる。


「いや、陸洋は庭だ。金の粒を見ていろ」


 言われた通りにしていると、庭から白い手が伸びて、廊下に落ちた金の粒を一つ取り、また引っ込む。

 庭に下りる階段に、もう一体、妖がいるようだ。


「わかった、引き受ける」

「任せた。恨みっこなしだぞ」


 ――恨みっこなし?


 問う間もなく、淵季が金の粒を落とす白いものに飛びかかった。私も慌てて庭に飛び降りる。

 階段の側に潜んでいた白い手をつかみ、引きずり出して廊下に上げた。思ったより小さなものだったが、力は意外と強い。首元を後ろから捕まえ、廊下に押さえ込む。


「何するんだ! 陸洋」


 泣き声で怒鳴られて、私はぎょっとした。


「その声は……仲興ではないのか?」


 押さえつけられたまま体をひねり、恨みのこもった目で見上げたのは、果たして我が友、仲興だった。


「手を離せよ、陸洋」

「いや、おまえこそ何をしているんだ」

「伯文のところに金を生む陶俑とうようがあるって気づいたから、夜な夜な忍び込んでいたんだよ。質のいい金を生むんだ、あいつらは!」


 思い切り体を起こされて、私は手を離した。仲興は立ち上がり、そで襟元えりもとを整える。

 ちょうど淵季が戻ってきた。手には、白い陶器の人形が乗せられている。

 人形は瞳のない目で私たちを見上げていた。

 そして手に持った米を、ぱくりと飲み込むと、ぷ、という音を立てて尻から金の粒を飛ばしたのだった。


〈おわり〉

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