【第三章 帰郷】 第5話 怪力仙童
その日の残業中、客があった。
古くからの友、
小柄な仲興は、いつもならば弾むような生気に満ちているのだが、今日は全体的にくすんで見える。
体調が悪いのだろうか。
尋ねると、仲興は、不機嫌そうに言った。
「いや、ちょっと困ったことがあるんだ」
そして、奇妙な話を始めた。
周仲興は、
玄都は山が近い。近隣の地域とやりとりをしようとすると、どうしても、山を越えていくことになる。
ある日、仲興が山を越えようとすると、坂道に一人の童子がいた。
童子が身につけているのはふんどしだけで、斜面に注ぐ日光を全身に受けている。
そして、仲興に言うのだ。
仲興は力いっぱい相撲をとっているのだが、どうやっても負けてしまう。すると童子は大笑いして、去ってしまうのだ。
そんなことが、かれこれ七日、続いているという。
「
仲興は背を丸め、私に耳打ちした。
私は苦笑する。
「仲興は、私にその童子と相撲をとれと言っているのか?」
「こっちは負けてばかりなんだよ。いいかげん、腹が立ってきた。でも、こんなくだらない話は妻にはできないだろう」
「それはそうだが」
「それなら、怪力で知られるおまえの出番じゃないか」
どこから話がつながったのかわからないが、仲興は私が童子と戦うのがよいと決めつけている。
私は困った。
勝てる自信がないのではない。怪力と言われれば、その通りだからだ。子ども相手の相撲など、なんということはないだろう。
しかし、わざわざ山中まで行ってすることが子どもを投げ飛ばすことだ、というのは、あまり気持ちのよいことではない。
「おまえ、今、子どもに哀れみをかけただろう。そんな必要はない。あれは、妖怪だ」
「妖怪?」
「だって、七日間、ずっとおれを待ち構えているんだぞ。しかも、毎日日差しを浴びているというのに、肌は変わらず真っ白だ。妖怪以外にあるものか」
「妖怪などというのなら……
「ばかいえ。淵季に言ってみろ。こう返されるだけだ――それで仲興は、毎日ご親切に子どもの相手をしてやっていたのか。おや、親切かと思えば、勝ちたいからだとは大人げない」
言いそうだ。
「負けて悔しい気持ちはわかるが」
「相撲をとる分、山向こうに着く時間が遅れるんだよ」
「では、相撲をとらなければよい」
「そうはいくもんか。……なあ、陸洋。こういうことは言いたくないが、おまえの屋敷を建てたのは誰だ」
私は黙った。
実は、玄都の長官である楊淵季の屋敷は陛下が建ててくださったのだが、私の住む場所は用意されていなかった。宿にでも長逗留して、そのうちに家を、と思っていたところ、仲興が気前よく建ててくれたのである。
しかも、玄都で珍しいものを仕入れたい、などと言って黄家もこちらに来てくれた。
おかげで、私も家族も、華都にいたころのように、不自由なく暮らせている。
「わかった。一日くらいは休みがもらえるだろう。淵季に頼んでみるよ。それで、私は何をすればいいんだ」
「簡単だ。おれの店の者のような顔をして、おれより先に童子に話しかけ、相撲をとってくれればいい」
翌日、私は休みをもらうと、山道の入り口で仲興と落ち合った。
仲興は、黄家の店員の格好をした私を眺め、似合う、と笑った。
昼が近づいてきて、日光は真上から振ってくる。山道の両側は緑の木々が鬱蒼として、動物が隠れているのか、時折、ざわざわと葉が鳴った。
明るい道ながら、人間の世界の法律が決して通用しないような気味悪さがあった。
山の中腹にさしかかると、仲興が突然、足を止めた。
「あれだ」
目を凝らすと、しばらく先に、米粒のように白いものが見える。
「近づいたら、陸洋がおれの前に出て、道をお空けください、と言うんだ。そうしたら、相撲を挑んでくる」
仲興は腰に帯びた山刀を抜き、袖で刃のくもりを拭いた。
今日は、いつになく目がぎらついている。
少し痩せたから、そのように見えるのかもしれないのだが。
「まさか、殺すつもりか」
「悪さをする妖怪ならばな」
仲興は昔から無鉄砲なところがある。
私は、童子に会ったらすばやく声を掛け、仲興の手の届かないような遠くに投げ飛ばしてしまわなければ、と思った。
峠まであと六十歩ほど、というところに、童子が立っていた。
仲興が刀の柄に手を掛けるのが見えた。
私は前に出て、童子に呼びかける。
「どうか、道をお空けください」
童子は腕組みをして、私を見上げた。
「なあなあ、相撲を取ろう? そうしたら通してあげる」
「よいでしょう。では」
私は荷物を道の端に置き、童子の腰をつかむ。
見た目は十歳くらいの子どもだが、ずいぶん重い。仲興三人分は体重がありそうだ。
「おじさん、弱いなあ」
童子が私の足をつかんだ。
その瞬間を狙って、足を踏ん張り、童子を投げ飛ばす。
童子が土の上に転がった。
「何だって? 信じられない。なんだよ、おまえ」
童子は目を見開いて私を
あとは、仲興を説得してここを離れるだけだ、と思った。
だが、童子は再び、私の前に立ちはだかった。
「待て、おまえ。このまま通すと思うなよ」
最初とは違った低い声で、童子は私を睨みつけた。
――おかしい。
私は目を細める。
さきほど、童子は十歳くらいに見えた。だが、今は、青年になりかかっている少年の大きさである。顔は、相変わらずの子どもだ。十五、六の少年のように、手足がすうっと伸びているのでもない。
子どもの姿のまま、縦横に膨らませたように、大きくなっているのだ。
――やはり、妖怪か。
淵季は無理でも、
後悔しながら、膝を曲げて両足を踏ん張り、構える。
「うおああああああ」
童子が突進してきた。
かわせば、後ろにいる仲興に童子がぶつかってしまう。
やはり、投げるしかない。
私はまた、童子を投げ飛ばした。今度は、仲興六人分は重さがあった。
「なんだとおおおおおお」
童子の大きさは、もはや納屋ほどもある。重さは仲興十二人分くらいだろうか。
――いくら私でも、これは。
ひるんだ瞬間、後ろから声がした。
「陸洋。ふんばれ! 持ち上げろ!」
淵季の声だった。
私は向かってきた童子のふんどしをつかみ、息を止める。腕や、指先にどんどん力がこもっていく。
童子の腰を抱え、持ち上げる。
「あと少しだ! そいつの足を完全に浮かせろ!」
童子はもがきながら、つま先立っている。
私は息を吐き、こもっていた力を解放した。
童子の体が宙を飛び、回転しながら地面に落ちようとしていた。
「今だ!」
私の横をすり抜けて、淵季が飛び出してきた。
手には、呪が書かれた紙を持っている。
それを、童子に投げつけると、辺りがまばゆく光った。
目の前に転がっていたのは、十歳ほどの子どもの大きさの金の塊だった。
「え、これ、本物か」
仲興が駆け寄り、金をさする。
「本物だ。……淵季。おまえは、妖怪を金に変えられるのか」
新たな商売見つけたり、という顔で、仲興は淵季を見上げた。
淵季がため息をついた。
「そんなことがあるものか。それは勝手に金塊になったのだ。俺がしたのは、妖怪の力を封じただけだよ」
淵季の視線のさきには、投げつけたはずの紙が落ちていた。書かれていた呪言は消えている。金塊に目を遣ると、表面に呪言が刻まれているのがわかった。
「これ、いくらになるかな。いいものが買えるぞ。たくさんな」
仲興は目を輝かせている。
私は淵季のそばに寄り、袖を引いた。
呪言の刻まれた金塊など、関わっていいものではない、と思ったからだった。
淵季は、やれやれ、とつぶやいて、仲興の腕を引き、立たせた。
「やめておけ。この金塊はここに置いておくんだ。商売を終えて帰ってくるころには、きっと消えているよ」
「だったら、今」
「そのままにしておけ」
珍しく、淵季が怖い声で言った。仲興は、信じられない、というように、頭を振った。
「もったいないな。でも、淵季が言うなら、しかたない」
淵季が顔をしかめた。
「なんで、俺なんだ」
「地元の人が言っていたよ。もともと、ここには妖怪が住んでいるが、人前に姿は見せない。玄都の長官は、人と妖のどちらの先祖も兼ねるお方だから、力を試したくて出てきたのだろう、って。おまえ、いったい何者なんだよ」
仲興が淵季を見上げた。
淵季の顔は、蒼白だった。
〈おわり〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます