【第二章 異郷】 第12話 世を統べる珠 後編(全三回)

 先ほどたかの妖怪と別れたところまで戻ると、道の先が点々と光っているのが見えた。杖に仕込まれていた塩の粒だろう。地面に触れると、土には鋭い爪でえぐられた大きなへこみがある。妖怪の足跡だろう。


 這うようにして跡をたどっていくと、ひときわ高い木があった。松のようでもあり、ほかの木のようでもある。ただ巨大で針のような葉が生えた枝を、左右に大きく広げている。おかげで、木の周辺には闇が広がっていた。


「あそこに岩があるな。さっきの酒屋くらいはありそうだ」


 ようえんが指さした。目をこらすと、たしかに木の根元で、岩が浮かび上がってみえる。岩の周りだけ、薄く光っているのだ。


「中に妖怪がいるんだね」


 光っているのは、妖怪の放つ光のせいに違いなかった。


「寝てやがるかな」


 心配そうな声で、程適ていてきがつぶやく。

 確かに、起きていて襲われたら、私たちのような人間はひとたまりもないだろう。


「何だ、俺が行こうか」


 何でもないという口調で、楊淵季が言った。月明かりの下では、はっきりと顔が見えなかったが、口元には笑っているような影が浮かび上がっている。


「やめろよ。淵季はさっき、あの妖怪に警戒されていたじゃないか。もし、本当に……仙人国に関係のある者だとわかったら」

「何であんなに警戒されているかわからないが、ただじゃすまないだろうな。おまけに最後の王だしな。かといって、世を統べる珠をほうっておくわけにもいかないだろう」

「そうだけど。……わかった。私が、ちょっとだけ見てくるよ。これでも、逃げ足と運だけはよさそうだから」


 そうでなければ、仙人国で生き延びることはできなかっただろう。

 楊淵季が王ならば、私は国を滅ぼす異形であったのだから。


「待ってくだせえ。旦那が行くなら、連れて行ってくれなくちゃ」


 程適が側にひざまずいた。従者だから、というのだろう。

 私は彼を見下ろした。彼は私を見上げている。

 目が合ったまま、私は迷った。

 程適は我が家で雇っている人間ではない。もちろん、無事にに帰ったら、父に頼み込むつもりだ。だが、今、この時点で、彼を危険にさらしていいものだろうか。


「旦那。私はげんから、旦那と一緒に綱が外れれば死ぬような川を一緒にのぼりましたよ。それに、華都を出るときだって、地下の川を長く長く下りました」


 程適の視線は決意に満ちている。

 確かに、既に彼も危険な目に遭っている。いまさらと言えば、いまさらなのだが。


「おい、決まらないなら、俺が行くぞ」


 気づくと、淵季が私たちの横をすり抜けるところだった。

 咄嗟とっさに腕をつかみ、引き戻す。


「だから、淵季はだめだって。……程適、行こう」


 私が道の奥に淵季を押しやりながら言うと、程適が明るい声で言った。


「もちろんでさ」

 

 不満げにため息をつく淵季を置いて、私たちは岩に近づく。

 辺りは木の陰で月の光が届かない。岩の裏側から届く、薄い明かりだけが頼りだった。

 岩に近づくにつれ、ごお、ごお、と不思議な風の音がした。人間に見つからないようにするまじないなのか、妖怪がいるために起こる風の音なのか、よくわからない。

 ともかく、鷹の妖怪は中にいる。

 枯葉を踏んで音を立てないように、履き物を脱いで近づく。岩に沿って歩いていくと、裏側に穴があった。深くはない。

 そっと覗くと、鷹の妖怪が寝ているのがわかった。両方の羽を重ね合わせて体を覆い、くちばしは大きく開いている。呼吸の度に、赤い珠が出たり引っ込んだりしていた。

 くちばしの根元には透明な球体が膨らんだり縮んだりしている。

 私は音の正体に気づき、ほっと息をつく。

 程適が、ははあ、とつぶやいてつけ加えた。


「いびきかあ」


 しまった、と思ったときには遅かった。

 私は程適の体をつかみ、飛び退く。

 坂になっていた地面を転がり落ちて、顔を上げる。

 目の前には、真っ赤な目をした、大きな鳥が羽を広げていた。


「い、いつ起きたんで」

「程適が声を出したときだよ。人払いしている妖怪が、人の声なんて聞いたらすぐに起きるに決まっている」


 あ、と程適が襟元をつかんだ。それから、申し訳なさそうな顔をする。私は軽く微笑み返し、鷹の妖怪に向き直る。

 赤い目はしっかりと私たちをとらえている。これでは、偵察も報告もあったものではない。


 ――交渉の余地は?

 

 自問するが、よい考えは浮かばなかった。何をしても、先ほどの白い鳥の妖怪のように私たちに襲いかかってくることしか、考えられない。

 

「こうなったからには、覚悟ができているだろうなあ。……人の肉は、久々であってな」


 鷹が口を大きく開けた。赤い珠がころころと舌の上を転がっている。

 何がどうなるかわからないが、あの珠を奪わなければならない。


「程適、走れ」

「は?」

「おまえは私より足が速い。淵季を呼んでこい」


 程適を力いっぱい突き飛ばす。打ち身はするだろうが、柔らかい土の上だ。あとあと残るほど酷い怪我はしないだろう。

 十五歩ほど向こうで、程適が、旦那、と叫ぶのが聞こえた。

 私は坂を駆け上がって、木の枝をつかむとぶら下がり、体重をかけて折る。

 同じ方法が効くかわからない。

 でも、思いつくのはこれしかない。


 鷹の妖怪が私に向かって足を上げた。

 私は爪が枝に刺さるように構える。


「こざかしい」


 妖怪が枝をつかんだ。叫ぶ間もなく枝ごと振り払われ、木の幹にぶつかる。

 背中が割れるように痛かった。

 息もままならず、かがみ込む。


「おまえは、何だ? 灰色の目でもない、人間の腕力でもない」


 辺りが闇に包まれる。どうやら、羽で体を覆われているようだ。獣の臭いが周りの空気に満ちていた。


 ――食われる。


 そう思ったとき、声が聞こえた。


「陸洋、風切羽を抜け!」


 淵季だ。

 私は周りの闇に目をこらす。おぼろげに感じられる羽の形を辿たどる。

 そのうち、最も長い一本をつかみ、力任せに引き抜いた。

 鳥が捕まえられたときのような、甲高い悲鳴が聞こえた。

 強い風が起こり、上衣の襟がめくれた。

 

 不意に辺りが明るくなり、私は顔を上げる。

 羽を抜かれた鷹の妖怪が、くちばしを大きく開いて叫んでいた。私の手許には、背丈ほどもある風切羽があった。


りくよう! 羽でこいつの腹を突け!」


 淵季は妖怪の口元に体を突っ込んでいる。珠を取る気だ。

 今、くちばしを閉められるわけにはいかない。


 私は両手で羽を持つと、付け根のところで妖怪の腹を突いた。

 もう一度悲鳴があがり、淵季が珠をつかむ。


「返せ! 人などが我が宝を奪って良いはずがないだろう! 貧弱な人間どもめ!」


 鷹の妖怪は人型になると、淵季に飛びかかった。

 いや、飛びかかろうとした。

 淵季が数歩下がり、月明かりを真上から浴びるところに出た。

 彼の目に月光が映じ、灰色の瞳が銀色を帯びる。


「きさま、うおこと人か。どうりで我が宝に手を出そうなどと」


 鷹はじっと淵季の目を見つめると、地面に崩れ落ちた。

 同時に、淵季が持っていた赤い珠も弾けてばらばらになった。


「おまえ、何者だ。ただのうおこと人ではあるまい」


 ひじで上体を支えながら、妖怪が見上げた。

 淵季はしばらく黙っていたが、苦しげに顔を歪めると、そういうことか、とつぶやく。

 それから、妖怪に答えた。


「俺は、迂峨過都うおことの最後の王だ。おまえの恐れる迂峨過都うおことは、もう滅んだ。俺が滅ぼしたんだ」


 妖怪の目は、奇妙なものに出会ったかのように淵季の胸の辺りから頭まで、なんども見回した。


「は。滅ぼしたと。……なるほど。あの国を、根っこから滅ぼした、とでも?」

「滅ぼしたが、何か?」

「血が濃いとはいえ、そなたもしょせんは人でございますね。最後の王。清玄真人」


 はは、と乾いた声をあげ、妖怪は力を失って地面に伏せた。同時に、体がみるみる縮んで、一抱えほどの鷹の姿になった。


「死んだんですかね……」


 いつの間にか側に来ていた程適が、鷹に触れる。


「息は、してるみたいで」


 目をましたら、また、あの大きな鷹の妖怪になるのだろうか。

 それならば、かわいそうな気もするが、仕留めるしかないのだろうか。


「妖怪に戻るには、また千年くらい修業しないと無理だろうな。放っておこう」


 淵季が、喉の奥まで乾ききってしまったような声で言う。


「早いところ、森を抜けて玄安げんあんに行こう。妖怪退治はもうごめんだ。あ……と」


 思いついたように、彼は地面に散った赤い球のかけらを拾い集めた。


「どうするんだ」

「賄賂に使うのさ。これは世を統べる珠のかけらです。磨かれよ、されば万事如意」


 まじないがかった言い方だ。

 淵季は下着を破ると、破片を丁寧に包んで懐にしまった。


 月は傾き始めたが、まだ、山には隠れない。


「なあ、淵季」


 私は森を歩きながら、尋ねた。


「そういうことか、って、どういうことなんだ?」


 淵季が立ち止まった。

 怪訝けげんそうに眉を寄せているのがわかった。


「いや、妖怪がおまえの正体を問うたとき」

「ああ、あれか。……そうだな。そういうことだよ。まあいい。俺はもう、その話はしたくないな。別の話にしてくれ」


 すうっと数歩先に出た淵季の背中は、やけに疲れているように見えた。


「たとえば、どんな話?」


 答えは、五十歩ほど歩いたところで返ってきた。


「華都の肉包とか、おまえが俺のためにつくってくれた甘い菓子の話とか」


 私は、わかった、と言って、黙り込んだ。


 その後、夜が明け、私たちは玄安への道に出た。

 

 あの少年の日から、何十年が経った。

 あのときと同じように、今日も、月が西方の山の中へ、沈んでいく。


             〈おわり〉

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