【第二章 異郷】 第11話 世を統べる珠 中編(全三回)

 店はというと、十人がやっと入れるほどの小ささで、客は二人だけだった。いや、ふたり、と言ってよいのだろうか。

 奥の席にいるふたりは、背中に大きな羽が生えている。手前の席に座っているほうは、白い羽。奥は茶色に白が混じった羽だ。


「お客様、お好きな席にどうぞ」


 店員は人の姿をしている。私たちに声を掛けると、奥の席に酒を運んでいった。羽のある者たちは、ちびりちびりと飲んでいるのだが、片時も杯を離さないので、すぐに追加の注文をする。


「ともかく、食事だ」


 えんうながされ、入り口に近い席に着いた。


「肉包がいいですかね、それとも、肉ちまき?」


 程適ていてきは羽のある者に気づいていないのか、さっそく私たちの注文をまとめようとしている。私は店員に肉ちまきを頼むついでに、ちらりと奥の客を見た。白い羽の者が、ああ、と心地よさげに声を上げ、机に突っ伏した。


「なんでぇ、なさけねえなあ」


 奥の客は大声で言って、笑った。大きく開いた口の中から、赤い珠がちらっと表れた。長い舌に乗っていて、舌と一緒に口の中に消える。

 飲み込んだ気配はない。

 私は淵季の腕を小突いた。淵季はうんざりしたように、ひたいをおさえた。


「おいしいですねえ」


 程適だけが元気に肉ちまきを食べている。淵季と私はというと、むっつり黙ったまま、ひたすらに食べ物を口に運んでいた。外で食べたときほどおいしくは感じなかった。食べ物以外のもので腹がふくれる感覚があった。

 金があるついでに、茶もいただいた。香ばしいにおいに、ふと、気が緩む。だが、視界の端で、茶色い羽の者の口から赤い珠が出入りしているのをみると、どうも落ち着かなかった。


「淵季」


 私はたえきれず、顔を寄せた。


「あれが何かわかるか?」


 赤い珠に目配せする。淵季は「わからん」と言って、小さくため息をついた。


「物騒なものではないといいが。……あとで、話を聞くかな。程適、竹のつえを持っていたな」

「え、ああ」


 程適はかたわらに置いてあった竹の棒を手に取った。仙人国に登れない程適がなんとか辿り着こうと作っていた足場の一部を、記念にもらってきたのだ。仙人国の大臣が、私たちの帰り道で大きな河を渡ると知って、おぼれたときに仲良く使え、と節を抜いてくれたものだった。


「一晩貸してくれ」


 淵季は杖を受け取り、肉ちまきの皮を竹の中に詰めた。それから、卓上の塩を入れる。

 やがて、足元が覚束おぼつかないほど酔ったふたりが店を出ていった。


「俺たちも出るぞ」


 淵季が手早く代金を払った。私も、満腹で眠くなっている程適の肩を支えて、席を立つ。


 外は、ぼんやり明るい不思議な夜である。

 道の先をゆく羽のある者たちは、暗闇では、ぼう、と光っていた。そのせいで、彼らの周りだけ、丸く明るいのだった。

 羽のある者たちのうち、白い羽の者が道を左に曲がり、木のうろに入っていった。淵季はうろの場所を確認してから、茶色い羽の者に近づいた。


「大丈夫ですか。だいぶ、足元がお悪いようですけれど」


 茶色い羽の者が、ふらふらしながら振り返った。その顔を見て、私は息をむ。先ほどまでの人の顔とは違って、鳥の顔をしている。きつい目元と曲がったくちばしは、たかそのものだ。大男と同じ大きさの、鷹である。


「ああ、なんだ、おまえは」


 口を開くと、例の赤い珠がちらちらと見えた。


「ふらついていらっしゃったので。山道は、足元がお悪いでしょう。こちらの杖をお使いください」


 親切そうな口調で、塩の入った竹を差し出す。鷹の顔をした男は、おお、と破顔し、また、赤い珠を口から出した。


「気がつく小僧だ。……おや、おまえ、灰色の目か」


 鷹の男は竹を受け取ろうとしていた手を引っ込めた。


「そなた、かの国の道士ではあるまいな」

「いいえ。南方を旅し、北に帰る途中の学生でございます」


 男が竹の杖を受け取り、力強く土に突く。


「学生か。よおく学べぇ。そんで、おれの役にたてよお」


 淵季は袖の中で手を組み、慇懃いんぎんに礼をする。

 男の歩いた後には、土に白い塩が散っている。

 私は、ようやく淵季の計画に気づいて、ちらりと鷹を見る。

 鷹は全く気づかぬ様子で、気持ちよく歌いながら歩いていた。


「麦の酒、米の酒、一夜にたらふく飲んだらば、宝珠ほうじゅを練りて、空を飛び、いつか力のたまとせん」


 力の珠、の力が何を表すかわからないが、宝物の力がろくなものではないことは、仙人国で経験済みだった。


「今のは、何なんで? でかい、鳥?」


 酔いでも覚めたような顔で、程適が身を震った。


「ようやく程適にも見えたか。俺やりくようは仙人国の食べ物をたくさん食べたからな。ああいうものを感知する力が残っているのだろう。初めから羽が見えていたぞ」


 程適が、ひえぇ、と小さな悲鳴を上げた。


「あと、赤い珠もな」


 私が付け加えると、淵季が道を振り返った。


「そうそう。あれの正体を知る必要があるな。連れをとっちめて白状させないと」


 私たちは道を戻り、白い羽のものが入っていった木のうろを覗く。中はぼうと明るく、白い羽の大きな鳥が細い木の枝を敷き詰めた上で寝ていた。


「よし」


 淵季は握るのにちょうど良さそうな木の枝を拾うと、白い羽の者に向けた。


「まて、殴るのか」

「違う、こうするんだ」


 淵季は両手で枝を握ると、真ん中を足で押さえてへし折った。ばきっと大きな音がうろに響く。


「うわ、火事か」


 木の弾ける音を火の音と勘違いしたらしい。白い羽をばたばたさせて、うろの中に風を巻き起こす。本当に火事なら、余計に火が燃え広がりそうだ、と思いつつ、どうやらこの怪鳥は寝ぼけているらしい、と理解する。

 突然、淵季が鳥の顔の前に立ち、怒鳴りつけた。


「おい、迂峨過都うおことの王の名において問う。先ほどの鷹の妖怪の赤い珠は、宝物であろうな」


 私は目を丸くする。

 迂峨過都うおことというのは、淵季が先日まで王であった仙人国の名だ。だが、仙人国が滅び、王を退位してからは、仙人国の本当の名が出ることも、王であったことも、語るのを避けているようでもあった。

 淵季を見ると、目を怒らせているが、白い鳥を脅すためにつくった表情なのだろう。たたずまいはいたって落ち着いている。


「う、うおこと!」


 白い怪鳥はぴたりと動きを止めると、淵季の顔を見つめた。怪鳥の放つぼんやりとした光の中でも、淵季の目が灰色であるのがわかったのだろう。はっとしたように羽を広げてひれ伏すと、しどろもどろに答えた。


「あ、あれは、あの者の魂のようなものでして、差し上げられぬものでございます。どうか、どうかご容赦を」

「なるほど。すでにある命の珠を、練って力の珠にしようというのは、なぜだ」

「力の珠……なぜ、そんな言葉を?」

「俺を誰だと思っている」


 普段は権威を笠に着る者が大嫌いなのに、こんなときだけ、怖いことを言う。

 案の定、白い怪鳥はぶるぶると首を振り、拝礼するように羽を重ねた。


「も、申し上げます。あれは……あれは、その、練り上がると、すべてを思い通りに動かせる力を持つ珠でありまして」

「すべて、とは世界のことか」

「皆様はそうおっしゃるものかもしれません。我等にとりましては、ひとっ飛びして目に入るものすべてでございまして」

「人も、妖怪も?」

「人心も操れれば、妖怪も従えられるもので」

「それでは、世を統べる珠ではないか」

「お、おっしゃるとおりでございます。しかし、あのものは好きに暮らしたいだけでございまして」


 それでは、仙人国の前の王と同じだ。私は苦い思いが胸にせり上がるのを押さえ込む。淵季も同じなのだろう。拳を固く握っている。


「とんでもねぇや」


 程適がつぶやいた瞬間だった。白い怪鳥が羽を広げ、私たちに飛びかかってきた。尖った爪が私たちをつかもうとしている。私はとっさに淵季がへし折った木を拾い、爪を防ぐ。大人の丈ほどもある怪鳥が力任せに私を踏みつぶそうとする。

 背後には、淵季と程適がいた。私が引けば、彼らだって無事ではあるまい。

 次第に手に力がこもっていく。爪を防いだ木を、握りつぶしてしまいそうだった。

 私は枝を両手でつかむと、深呼吸をして、怪鳥ごと壁に向かって投げつける。

 怪鳥がうろの壁に頭をうちつけ、気を失った。


「旦那……すごい、ええと、怪力で」


 混乱している程適の腰を抱え、淵季とうろの外に飛び出す。


「おまえの怪力には度々助けられる」


 淵季が少し明るい声で言った。私は呼吸を整えてから、「ありがとう」と答えた。


「ともかく、白い怪鳥が目を醒ます前に、力の珠を奪ってしまおう」


 私は空を見上げた。月はまだ高い。辺りもほの明かりがある。


「行くか」


 楊淵季は短く言って、道を歩き出した。

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