【第二章 異郷】 第3話 月光玉璧
これは北方への旅の話。
二代皇帝の十八年、
月のない夜でも月光を宿す
我が帝国の皇帝は、宝物好きである。
すぐに献上するよう命じたが、応じる気配はなかった。
建国から半世紀近くになるが、北方におけるわが国の統治は不安定で、かつての国を慕う者たちが言うことをきかぬという。
困難を見越して、私も淵季についていくことになった。
「しかし、なぜ、夜中に山に入らなければならないのだ」
私は前方を歩く淵季と、
二人が振り返って、しい、と言う。
「やめろ、夜の山では人の声は妖怪を呼ぶと言うぞ」
淵季は顔をしかめ、ようやく聞こえるほどの小声で言った。
その隣で、凜花の持つ
「早く。時間が決まっているのでしょう?」
凜花が淵季を振り仰いだ。淵季がうなずく。
私は空を見上げた。
今宵は、月食である。
木々の梢の先に見える月は、普段の満ち欠けとは違って、へんに丸い欠け方をしている。
「あそこが山頂だ。岩が突き出ているだろう」
淵季の側により、指先を見つめる。山道はあと少し行ったところで途切れていた。その先は、草木のない、岩場である。
淵季が歩き出した。凜花があとに続き、私も山道の最後の数百歩を急いだ。
山頂に出てみると、月はずいぶん小さくなっていた。新月明けの細い月とは違う。輝きは闇に押しやられて月の端に集まっているが、もう、弱い。
「間に合ったな」
「淵季様、どうぞ」
凜花が背負っていた袋から、一抱えもある丸い
「よし」
淵季は
傍らで、凜花が
月光はいよいよ弱くなり、見守っているうちに金色の輝きが消えた。
雷が淵季に落ちた、ように見えた。
見上げると、月は金色を失い、満月の形に赤く光っている。
一方、淵季が抱えた璧には金色の光が宿っていた。
「
凜花が緊張した声をあげた。私はとっさに飛び退き、岩の後ろに隠れる。
いや、ただの男児ではあるまい。妖怪か、妖精か。
「よけいなことを」
男児の方から厳かな声がした。子どものものとも思えぬ、低くて空気を震わす声だ。男児は淵季の持つ
気を失っているのかもしれない。
男児が再び、淵季に手をかざした。凜花が二人の間に入ろうとし、男児が凜花に視線を振る。
「やめろ!」
私は岩陰から飛び出し、凜花と男児の間に入る。びりっと体がしびれた。男児はまっすぐに私を見上げている。
「
「吾を見てわからぬものに名のる名はない」
男児が私の心臓に手をかざした。
「待て。そなたは誰だ。さきほどの
「淵季?」
「
背後の気配をうかがうが、淵季のほうからは動きが感じられない。ほんとうにかけらも意識がないのだろう。
この男児は、さきほど月の光が消えると同時に降りて来た何かに違いなかった。
「時間がない。あの
男児はいらいらと赤い月を見上げた。
「おまえに用はない。殺す時間が惜しい」
男児が手を払った。とたん、私は脇腹に強い衝撃を受け、横様に倒れる。
私には目もくれず、男児は淵季へ向かった。凜花がしゃがんで、淵季の肩を支えていた。彼女は男児に気づき、
「
男児はそう言って、凜花の頭に手をかざした。
そのとき、
空を見上げると、月の端が金色になっている。
「ああ、馬鹿め」
男児はうめいて、
かと思うと、そのまま、璧に吸い込まれる。
淵季の持つ玉璧は、金色を失い、淡く青白い光を放った。
まるで、あの男児の肌の色である。
「……終わったか」
淵季の声がした。私は立ち上がる。脇腹がまだ痛く、十分に力が入らない。
「淵季、無事か」
月光を浴びた淵季が、あの男児のような青白い顔でうなずいた。
「前に噂を聞いたことがあってな。例の
淵季は淡く光る
「その男はな。遠い先祖が王家に連なるものだった。まだ、皇帝などいない時代の王家だ。家に唯一残された
淵季は両手のひらを、自分の顔の前にかざした。
「俺は、死ななかったな。月光が降りてくる間際、岩の上に
「欧先生が、がんばってくださいました」
凜花が涙声で告げた。おや、というように、淵季がこちらを見つめる。
「おまえ、月光とやりあったのか。案外、胆力があるな」
死にそうだった男に言われたくはなかった。
私は脇腹をさすりながら、彼に近づいた。
「月光を宿した
「俺の話を聞いていたか? そんなに念のこもった
「そう簡単には行かないのはわかっている。だから、私がついてきたのではないか」
「俺は元から交渉する気はないよ。奪う気もない」
いやな予感がした。
「まさか、淵季。明日には帰途につくとかいうんじゃないだろうな?」
「よくわかったな」
つまり、淵季は今得た
「陸洋は、それらしい北方での
ようやく体が戻ってきたのか、淵季は立ち上がり、伸びをした。
「いくら難しい仕事だからって、命をかけて偽物を作ることはないだろう」
「何を呆れているんだ。例の
「どうしてだ」
「
淵季が月を見上げた。
私もつられて上を向く。
空高くのぼった月は、すでに満月の形を取り戻していた。
〈おわり〉
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