【第二章 異郷】 第2話 宝刀の呪言

 年を重ねると人は丸くなるとされる。

 しかしやいばは、年を、人を渡ると鋭くなるという。

 

 生きた人を殺せば刃には血がつく。水で洗い、布で拭き、その他さまざまな手入れをしても、厳密に言えば、血は取れぬ。

 刃の記憶として、あるいは戦果として、わずかなくもりやみとなる。

 それらの汚れを誇るほうが、剣を振るう者は幸いだ。

 ……と、伝え聞いたことがある。

 

「奇妙な絵になったな」


 私は円卓を覆うように敷かれた白い布をのぞき込んだ。

 布には、短刀の絵が描かれている。刃の部分には波状の線が幾筋も走り、もはや、どの部分が盛り上がっているのか、どの辺りががれているのか、よくわからないくらいだ。

 部屋には蝋燭ろうそくの火がともっていた。まだ乾ききらぬ墨が、時に火を映じ、じっとりとした光を宿す。


 夜更よふけである。

 出張先の宿舎として地方の役所を借りていたが、もう、ほとんどの役人は帰っている。私たちの世話に必要な者が数名残っているのと、勉強熱心な地方長官が、役所に備え付けられた書庫で本を読んでいるだけだった。

 粗末な建物ではなかったが、湿気が多いのか、白塗りのはずの壁には染みがあるし、あらぬものも現れる。先ほどは手のひらほどもある蜘蛛くも遭遇そうぐうした。階段のところでねずみらしきものが死んでいるのも見た。


「しょうがねえですよ、旦那。見てきた通りに書いたんで」


 隣で、我が家の使用人の程適ていてきが唇を尖らす。少年時代から幾度となく見た表情だ。都合が悪くなると、すぐ、言い訳をする。

 とはいえ、程適を責めるつもりはなかった。


 友人のようえんが南方の村へ出張を命じられ、私は彼に同行している。私が遠方に出かけるときは、必ず程適がついてくる。程適とは同年齢で、私たちは何度も無茶な冒険を共にしてきた。 


「おまえが粘る性質なのはわかっているよ。つまり、これが短刀の情報の限界だ」


 今回の旅では、切っ先を向けただけで相手を斬り殺してしまうという、不思議な短刀を取ってくるのが任務だ。村に近づいたので、先に程適を忍び込ませたが、這々ほうほうていで帰ってきた。


「それでも、ちゃんと短刀を見てきたのは偉いよ」


 慰めると、程適は、へへえ、と言って、にやりと笑った。


「旦那がたじゃ無理ですよ。ありゃあ、よほど足の速い者でも短刀に追いつかれる。どういうわけか、短刀を手にした人間ごと、飛ぶように近づいてくるんで」

「そうか。無事でよかった」


 そう答えたものの、暗澹あんたんたる気持ちになった。私が楊淵季に同行しているのは、短刀を兵士が守っているゆえである。強力ごうりきの私は、楊淵季の出張のうち、腕力が必要だと判断された場合に同行を命じられるのだ。

 つまり、飛ぶように近づいてくる相手をなんとかしろと言われている、ということになる。


「しかし、不気味でさあ。四百歩あまり逃げたところで、ぴたりと止まりやがった。使い手も短刀も、まったく動かねえ。魔力の限界だったんですかねえ」


 必死に逃げてきた割には、よく観察している。そういうところが程適だ。


「四百歩か。それで、止まった後に変なことは」

「ぶつぶつ言っていましたよ。聞き取れねえし、こっちは逃げるしかねえし」


 程適は頭をき、すみません、と謝る。


「十分だ。私だったら、今頃、報告どころではなく真っ二つになっていただろう」

「どうですかね。短刀ですから、心臓をぐさり、ですかね」


 話していると、朱塗りの扉が押し開けられた。

 私と程適は立ちすくむ。

 白い単衣ひとえを着て、髪を下ろした楊淵季が入ってきた。


「どうした、淵季。寝ていたのか」

「寝るくらいでは髪をほどかぬだろう。なに、この格好が魔除けにはよいと地元で言われているらしくてな。ならった」


 あっけらかんとしている。私たちはまた、呆れた。


「楊の旦那。髪を下ろすと、逆に毛先から魂が抜かれませんかね?」


 程適は体を引き、遠慮もせずに身を震う。


「そういう趣味のない魔物なのだろう。ここまで南方だと、俺の常識で知る妖怪とは別物らしくてな」


 常識で妖怪を知っているほうが恐ろしいように思われる。


「ああ、そうでしたかあ」


 間延びした声を出し、程適が私の背後に隠れようとした。私はちらりと彼を見遣る。目が合った刹那せつな、二人とも同じことを思っているらしいことに気づく。


 ――こういうときの楊淵季は、妖怪よりも怖い。


 楊淵季だって順当に事が運んでいれば、格好を改めない。おそらく何らかの理由で、まともにやったら手に負えない、と判断したに違いなかった。そうなると、容赦が無い。現地の人も作法も武器も呪言も利用して、自分たちの身を守りにかかる。

 そういう旅では、人的被害も出やすい。

 しかも、淵季はそれを理解して、任務に当たる。

 

 私たちの様子に構わず、淵季が数歩近づいた。


「おや?」


 不意に顔をしかめて、私の背後に回り込む。すっかり後ろに隠れていた程適が、ひゃっ、と声を上げた。


「や、やめてくだせえ、なんで背骨をなぞるんで」


 どうやら、淵季は程適の背中に手を当て、背骨を触っているらしい。


「おい、淵季。程適に怪我はない。心配無用だ」


 私は程適の方を向いて、腕を引く。逃げようとした程適の体がくるりと回り、衣の背中側が見えた。


 文字らしきものが描かれている。南方の文字だろうか。

 解読しようと覗き込んだ途端、淵季に押しのけられた。


「読むな。おい、程適。いつからだ。この文字」


 淵季は衣をつかみ、程適の顔に近づける。程適が首をねじって、文字を見るなり、あ、と言った。


「短刀が止まったところで、なんか背中がかゆかったんでさあ。おかしいな、帰ってすぐに背中を確かめたときには、何も」

「時間が経ってから浮き出るようになっていたんだろう。そもそも、墨で書いたものでもないからな」


 しかし、見事な墨色で書かれた文字だった。


「じゃあ、何で書いたっていうんだ」

「呪いだよ、おうりくよう。呪いを集めると、黒くなるのさ」


 そんなことがあるとは信じがたかったが、淵季が言うのなら、また、ここが都から遠く離れた場所であるからこそ、否定しがたかった。

 気味悪く感じながら、文字を見つめる。形は梵字に似ている。仏教の経典とは文字の並びが違うから、お経ではないのだろう。だが、なぜだろう。読めなくはない気がした。

 もともと、私は言葉に強い。詩を作ってほめられることもあるが、役人になっていちばん役立っているのは、現地の言葉をいちはやく身につける能力である。

 これは、好奇心のおかげでもある。

 人の口から発せられる言葉、書き付けられた文字、どれも、気になってしょうがないのだ。


 文字は、点画に法則があるように感じられた。仏教の僧侶を呼んできたら読めるかもしれない、と思ったとき、頭の中に男の声が流れ込んできた。


〈ころせ〉


 ぎょっとして辺りを見回す。声は、なおも命じる。


〈安寧を乱すもの、を、ころせ〉


 突然、胃をつかまれたような気持ち悪さを感じ、腹に手を当て、目を閉じる。

 額に脂汗が滲んだ。


「旦那、顔が青いでさあ」


 程適の声が近づいてきた。同時に、男の声が叫んだ。


〈いまだ〉


 顔を上げると、程適の帯が見えた。帯にはいつも守り刀を挟んでいる。柄の部分はいつでもつかめるように腹の前に出ている。

 それをつかめと促すように、体の内側の痛みは酷くなっていく。


「程適、逃げろ!」


 怒鳴って、私は帯に挟まれた刀を抜いた。

 勝手に動く手を止めようと、刀を顔の前に引き寄せる。

 途端、全身から力が抜けた。


 刀には、模様ができていた。最初は、年輪のような模様だと思った。だが、よく見ると、赤茶色い。血が布にしみて、乾いた色だ。

 それが、刃の端まで続いている。

 私の腕は、勝手に刀を振り上げた。


「程適! 上着を脱げ!」


 淵季が程適の帯をほどき、衣を剥(は)いだ。そして、円卓の下から何かを取り出すと、衣で包んで私に向かって投げつけた。


「これでもくらってろ!」


 刃は衣の文字の列を真ん中から左右に切った。

 続いて、革の包みを切るような嫌な感覚がする。


 床に落ちた衣の真ん中に、真っ二つになったねずみの死骸があった。


「な」


 思わず飛び退く。

 刀が手からはなれ、床の石に当たって硬質な音を立てた。

 それきり、刀は動かない。刃の模様も消えている。


「陸洋。呪いの文字まで読もうとするなんて、ばかげているぞ」


 淵季が刀を拾い上げ、程適に差し出す。程適が立ち上がり、受け取った。

 それから、帯を結び直し、刀をしまった。


「楊の旦那、これは、一体?」

「程適。おまえはよほど足が速いのだな。……相手は、おまえに追いつけぬと思って、呪いをかけたのだろう」


 そう言って、円卓にあった布に、「有呪言」と書き付ける。


「うへぇ……。あの、呪いをかけるとどうなるんで?」

「一定時間をおいて、呪いが効きはじめる。どうやら、おまえにいちばん近いところにある刀が、われらが目指す宝刀と同じ力を持つようになる呪いのようだ。俺たちが目指す宝刀は、常に呪いがかかっているのだろう。柄にでもじゅげんが書かれているのかもな。ところで、陸洋。おまえ、さっきの呪いの言葉は、覚えているか」

「覚えていなくはないが」


 先ほど切った衣に目を向ける。文字を見ようとしたが、何も書かれていない。

 

「ああいうものは、呪いの効力が切れると消えるのだ。まあ、おまえが覚えているのなら、俺が無理して書き付けておく必要もないな」


 椅子の上にすずりと筆をよけると、淵季は布を引いた。そして、身にまとう。


「それ、衣だったのか」

「卓に広げるのにちょうどいい大きさの衣があったものだからな。情報は身に帯びておくのがいちばん取られにくい。しかし、宝刀の正体が分かってよかった。きわどかったけどな。もし、程適が斬られていたら、宝刀の呪いはもっと強くなっていただろう」

「なぜだ?」

「あの模様は、斬った人の血を吸ってできたものだ。経験の長い剣客が見事に斬るように、宝刀も血の記憶を頼りに、いっそう強くなるというわけさ」


 淵季は、左右に切れた衣を拾い上げ、鼠の死骸を包む。


「斬ったのは、死んでいるものだったからな。新たに力を得ることはできなかった。さて、埋めてやるか。鼠もうっかり卓の下で死んでいたために、こんなことになってかわいそうだ」


 室を出て行く彼の衣には、宝刀の絵があった。蝋燭の光から遠ざかった暗がりに、刃に描かれた朱色の模様が浮かび上がる。


「……旦那ぁ」


 程適が袖を引いた。振り返ると、青い顔で頬を震わせている。どうしたのか、と問おうとすると、程適の指が椅子の上を指した。


 椅子には、先ほど淵季が置いた硯と筆があった。

 朱墨はどこにもない。


「淵季」


 私が思わず呼びかけると、淵季が振り返った。瞬間、彼の毛先が模様に触れる。

 絵の模様は一瞬金色の光を帯びた後、墨の色に変わった。


                    〈おわり〉

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