【第一章 日常】 第12話 水晶の枝 後編
かつて、帝国で小さな反乱があった。半月程度で鎮圧されたが、重要な書類を奪われるなど、被害は大きかった。そのため、役所の中に裏切り者がいたのではないかと言われた。その結果、一人の官吏が捕まり、流罪になった。
「捕まった官吏は容疑を否定しました。確かに反乱の首謀者と同じ地方の出身ですが、勤務態度もまじめで、日夜、公務に励んでいた」
少年は水晶の置物にもたれた。しかし、火傷する気配はない。むしろ、水晶に触れると姿が濃く見えるようになった。
私は置物に近づいた。置物もまた、輝きが増したように感じられた。
「何故、そのような者を捕まえたのだ」
少年は腕組みをした。そうしていると、友人の楊淵季に一層似ている。
「証言があったのです。反乱の一ヶ月前、その官吏の家に反乱の首謀者がいるのを見たという」
私は少し呆れた。反乱を起こす者が、わざわざ朝廷の官吏となっている者の家に出かけるだろうか。内通していたのなら、もっと人目をはばかるだろう。
「誰が見たのだ」
「あなたのお祖父様の部下です」
少年が冷たい視線で私を見上げた。
視線を浴びた私は、体を内側から焼かれるような吐き気を覚える。
「だから、祖父を恨むのか」
私が少年を避け、少年が視線を逸らした。
痛みが止んだ。
「証言を疑う者もいました。が、あなたのお祖父様――
流刑地で殺されたとなると、いよいよ怪しい。
しかし、他の者は気がつかなかったのだろうか。
それとも何か理由があったのか。
「祖父がかばったくらいで、他の者が同意するということは」
言いかけた時、少年が顔を上げた。
「その官吏は、私の父でした」
壁に打ち付けられるくらいの衝撃が襲った。私の周りだけ、闇が覆っているように冷たかった。脳の中で血液が濁るような音が聞こえ、
「私が生まれたのは、父が処刑された日です。母は産後の
こちらを睨みつけながら話す少年の声に、別の声が被った。
「私は復讐のためにいるのです。祖父はこんな質問をしました。『おまえの父は誰だ』と。私は父の名を答え、祖父は『おまえの父はどうしたのだ』と言った。私は、欧太白の謀略で死んだと答え、復讐を誓った。問答はいつも同じ。問いも答えも、それしか知りません」
耳を
そして、私には、止めろ、と言うことはできなかった。
不自然な証言、祖父の立場、流刑先で殺された官吏。
――おそらくは冤罪であろう。
そうとしか、思えない。
人を陥れる悪事に、吐き気を覚える。
しかし、思い出の中で、幼い私が祖父にすがっていた。
祖父は私の持つ筆に手を添え、書き方を教えてくれた。
気の弱い私は、時折兄達にいじめられた。そんな時はかばってくれた。強烈なかばい方だった。既に祖父と同じ背丈になっていた兄を怒鳴りつけ、泣くまで謝らせた。しまいに私の方が泣いてしまって、兄を許してくれと懇願したくらいだった。
私には優しく頼りになる祖父だった。
だからこそ、疑う。
罪のない官吏を一人、死なせるほどの勢いで、部下をかばう可能性は高いのだ。
私は床に伏せて頭を抱えた。
分裂してしまいそうだ。
祖父を慕う自分と、疑惑の真相を求める自分。
どちらかの記憶を放棄したら救われるのかも知れない。
卑怯な手だが、もし、少年に聞いたことを忘れられたら。
「あなたのお祖父様に、私はこの置物を差し上げました。父は病死したと聞かされた、と嘘を言いました。父が反乱軍と内通していたにも関わらず、家族が都に住むことを許していただきありがとうございました」
淡々とした少年の声が頭の奥から響いてくる。
顔を上げると、少年は置物に寄り添ったまま、話をしていた。
声は、少年の方からもしている。まるで一つの文章を二人で読み上げているような感じだ。
「お礼として、この置物を受け取ってくださいませ。我が家には他に財産というものがございません」
少年が一旦言葉を切った。私は違和感を覚え、口を開く。
「いや、おまえは、これは我が家で唯一の宝物でございます、と言ったのだ」
少年が驚いたように私を見つめた。私は息が詰まったように、ぼんやりと水晶の置物を見ていた。
そう、少年は、小さな台車に置物を乗せてきた。被っていた布を取り払い、確かに、我が家で唯一の宝物と言った。祖父は笑顔で、置物に手を伸ばした。間違いない。
私は祖父の隣で聞いていた。
――卑怯な手だ。
私は忘れたのだ。自分が壊れるのが怖くて、何があったのかを忘れた。
悔いが、胸を締めつける。
「祖父は、受け取ることはできないが、少し見せて欲しいと言った。おまえは祖父に受け取るように勧めた。所有したいと思わせる魔力を持つ置物だ。祖父は思わず枝の先にある珊瑚で出来た桃の実を触った」
そうして手に取り、顔を近づけた時だった。
祖父の顔が歪んだ。喉を押さえ、呼吸がままならないのか、空を仰いだ。喉の筋肉が硬直していた。唇が青くなり、頬が痙攣した。
私は少年に助けを求めた。
少年は涼しい顔で座っている。
慌てて祖父の肩を揺さぶり、近所の家に人を呼びに行こうとした。
そのとき、少年が何か言っているのに気がついた。
〝私が生まれたのは、父が処刑された日です。母は産後の肥立ちが悪くて死にました。残された祖父は、復讐だけを考えていた。しかし、祖父は年老いていました。私は、父が死んだ経緯を、ずっと聞いて育った。後に、あなたの部下が内通していたという噂があったことも聞きました。父は尊敬されるに値する人でした。保身に走ったあなたに名誉を傷つけられ、殺された。〟
続いて少年は事件の経緯を祖父に話した。
既に祖父の顔には血の気がなかった。
立ちすくむ私に、祖父が手を伸ばした。
祖父は目を精一杯見開いて置物を指さし、喉の奥から言葉を絞り出した。かすれた声で、死にかけた声で。
〝ならば、これを陛下に。〟
座っていた少年が私を見上げ、私は少年を見下ろした。二人の間には、水晶の置物があった。
次の瞬間、私は悲鳴を上げ、少年は走り去った。
「思い出しましたね」
少年の声がした。頭の中ではなく、水晶の置物の方からだ。
置物の
笑顔だったが、陰が目元に潜んでいる。寂しいのだろうか。
「……悲しいのだな」
私は話しかける。
「生まれたときから、この顔ですよ」
少年が鼻で笑った。
「教えてくれ。先帝は、私が献上したこの置物のせいで死んだのか」
「ええ、お祖父様と同じように」
「どうして祖父は、先帝に献上するように言ったのだ」
少年はうつむき、何も言わなかった。泣いているのかも知れない。
視線を逸らした時だった。誰かが宝物殿の鍵を開ける音が聞こえた。
我に返り、扉を押す。
だが、開かない。
「逃がしません」
少年の声がして、背中に火傷のような痛みが走った。たまらず声を上げ、力の限りに扉を叩く。
向こうで声がした。
「欧陸洋だな。俺だ」
聞き慣れた声だった。
ほっとした途端、扉が開いた。目の前に淵季が立っていた。
彼は私を見ると、頬に触れ、涙が蒸発して出来た火傷を確かめた。
「ここの置物でやったのか」
「知っているのか」
「水晶の枝という置物だ。ある男が洞窟で枝の形をした水晶を見つけたから、そう名付けられた」
「それだけじゃない」
振り向くと、置物は既に光を放ってはいなかった。少年もいない。
水晶は楊淵季の持つ蝋燭の炎を映じ、煌めいている。
「淵季、聞いてくれ。この枝の桃を触って、先帝や、私の祖父は」
水晶の枝に手を伸ばした途端、楊淵季が私の腕をつかんだ。
「触ってはいかん。実の形をした珊瑚には、毒が仕込まれている。即効性の毒だ」
淵季は私の腕を引き、水晶の枝から離れさせた。
「毒、だと?」
立ちすくみ、自分の両手を眺めた。
私は水晶の枝の重さを思い出した。
先帝に献上する時に、持ち上げて差し出した、あの重さ。
「私は――先帝を殺したのか」
楊淵季が困ったように顔をしかめた。
私がここであったことを話すと、彼は何度か水晶の枝を見遣って
「黙っておけよ。辺境で死にたくなかったらな」
「何がだ」
「実は、その官吏は先帝に意見したことがあるのだ。それ以来、先帝に嫌われていてな。考えてもみろ、おまえのお祖父様が部下をかばっただけでは、あの官吏も殺されたりはしないさ。官吏を殺した刺客は、先帝が放ったものである可能性が高い」
――先帝が刺客を放つ、だと。
「そんなことをなさるものか」
あっけにとられ、思わず淵季の着物の襟をつかみ、睨みつける。
「じゃあ、何故、陸洋は先帝に水晶の枝を献上したのだ」
冷たい灰色の瞳が、私の瞳を覗いていた。
私は言葉に詰まった。
「きっとわかっていたのだよ、陸洋。水晶の枝の献上は、お祖父様が最期にした先帝への
脱力して座り込む。
よかった、とは思えなかった。
だが、もはや取り返しはつかない。私は、水晶の枝を我が家に運んできた少年と共に、秘密と罪を背負い続けるしかなかった。
「あの少年はどうなったのだ」
私は、少年のいた辺りに目をやった。
楊淵季が軽く頭を振った。
「まだここにいる。俺が来たから姿を隠したのだ。あの後、祖父を亡くし他の家に養子に行ったのだが。恨みが深すぎたのだ。だから体が成長しても、心だけは当時のまま、ここに留まっている」
見上げると、楊淵季が悲しそうに
「寂しいのか」
彼は笑った。
「なに、生まれたときから、この顔だ」
〈おわり〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます