最終話 互角

 突然にポツンと残される二人。


「じゃあお店に向かおっか」

「そ、そ、そうね。疾音ちゃんが予約してくれたし。い、一緒に食べましょう」


 並んで歩く二人の距離は三十センチ。

 あの時のベンチから縮まった二十センチ。


「美織ったら相変わらずよね。あ、栞ちゃん、好きよ」


 脈絡のない告白混じりのセリフ。聞こえていないかのようにそれだけ無視して答える栞。


「そうね。ねぇ、お寿司のネタだと何が好き?」


 ちょっとした問い掛けにも疾音の左手を掴む栞の右手。疾音の手はピクッと震えるが力は入らない。ギュッと力を入れても決して握り返してくれない。決して指を絡めてくれない。

 少しイラッとして、つい本音が口に出た。


「ねぇ、疾音ちゃん、何で手を握り返してくれないの?」


 私のことがホントはキラ……ダメ、想像するだけで悲しくなる。涙が出る。

 疾音も耐えられず呟く。


「じゃあ栞ちゃんだって、なんで私に好きって言ってくれないの?」


 何故? 何故? 私はいつも夢を見る。初めて会った時と同じ微笑みを浮かべながら好きよ、と言ってくれることだけを。


 重たすぎる沈黙。

 ぐすっと鼻を啜る音が疾音に聞こえた。


「栞ちゃん、泣いて――」

「――泣いてない」


 一瞬の沈黙の後、突然自分から手を解き道路の反対側へ逃げるように走り出そうとする栞。


「栞ちゃん!」


 慌てて名前を呼んで止める疾音。

 車道に一歩足を踏み出したところで立ち止まると、くるっと振り向き両手を腰にやり仁王立ちしている。表情は車のヘッドライトに照らされ逆光で分からない。

 すれ違い、立ち尽くす二人。


『なんで分からないの? 口に出せる訳がない。貴女が好きってことぐらい察しなさい!』

『なんで分からないの? 手を握り返せる訳がない。あなたを束縛したくない、嫌われたくない!』


 その時、一台の車が大きなエンジン音と共に猛スピードで向かってきた。栞は少し車道にはみ出ていたがスピードを下げる気配は無く、クラクションを鳴らしながら突っ込んでくる。

 強がるのに精一杯で後ろの危険に気付かない栞。車に気付き焦る疾音。


――栞ちゃん、変な言葉を掛けたら……変に手を伸ばしたら……車道に飛び出て事故っちゃう!


 逆に栞は落ち着かなげな疾音を見て怒り心頭だった。

 疾音ちゃん、何か余所よそごと考えてるっぽいし……今は私のことだけ考えなさい!

 思わず『キライ』とでも叫んでやろうかと決めた瞬間、ヘッドライトに照らされた精悍な顔つきの疾音が見たことのない速度で迫ってきた。

 数歩踏み込むと栞をギュッと自分の胸に抱き寄せた。刹那にクラクションを鳴らしながら歩道ギリギリを通り過ぎる暴走車。


「ナンバーは○○○○……覚えたぞ」


 車の方を見ながら少し怒ってる疾音。

 そっと栞を見つめる。


「大丈夫? 怪我は無いよね?」


 優しく語り掛けるが、栞はびっくり顔のまま反応が無い。ここで栞をしっかりと抱き寄せていることに気づいた。


「あーーっ、ごめんなさい……急だったんで……」


 それはもう優しく、慌てず、不快にならないように、不自然にならないように、かといってできる限り迅速に身体の接触箇所をゼロにする疾音。


 栞、突然の事態に呆然。

 頭の中の語彙が急速に減少する異常事態が発生。


 力強っ! 頼もしっ! 好きっ!


「あ、あ、あありがとっ! あの車、事故れっ!」

「ダメだよ。トイレに行きたかったのかもしれないし、奥さんが産気づいたのかもしれない。あまり憶測で悪口を言ってはいけないよ」


 小さな子に諭すような柔らかな声の疾音。


 優しっ! 天使かっ! やっぱり――


「――好き……よ」


 小声で漏れた本音。


「すき……?」


 栞の顔が急速に赤くなっていく。


「……ぎゃー! 違う、いや違わない! いやいや、内面に位置する事象としては確かさを持ち合わせてるけど、体面的には違う……って」


『違う』


 その言葉はナイフのように疾音の精神こころえぐった。大きな瞳にみるみる涙が浮かぶ。


 やってしまった! 遂に自分の言葉が疾音を傷つけてしまった!

 栞の顔が真っ青に変わっていく。

 私は今まで何の為に『好き』や『嫌い』という言葉を遠ざけていたのか。こんな事態を引き起こさない為じゃなかったのか……って、えーい五月蝿い私! 今更悔恨の念を抱いても仕方ない! さぁ、疾音を一撃で笑顔にする言葉を一刻も早く紡ぎ出せー!


 引き攣りながら頭をフル回転させる。しかし弁解の言葉は無数に浮かぶが今の疾音を笑顔にする力があるとは到底思えない。

 口から出るのは時間稼ぎの言葉だけ。


「違う、違う、そうじゃないのよ! 待って待って、ホントに待っ――」

「――じゃあ『好き』と言いなさい!」


 決壊ギリギリまで涙を溜め込んだ疾音はプンスカしながら叫んだ。

 永遠とも思える数秒を見つめ合う二人。

 栞は観念したように俯くと、小声で呟き始めた。


「あのね……私は唯心論者なのよ。だから……例えば貴女があの自販機に存在が移り変わったとするわ。そしたら、私はあの自販機が世界一大切な存在になるの。分かる? あの……あの自販機が……す……好き……になっちゃうの。どう? 分かった?」


 こんな謎の告白でもしっかり赤くなってモジモジしてる栞。疾音はぽかんとするだけ。


 思ったのと違う……。


「……分からない」

「何で!」

「私……自販機じゃないし……」


 頭を掻きむしる栞さん。


「……じゃあ……ほ、本気で説明するわよ。いい?」

「うん……」


 息を精一杯吸い込む栞、息を飲む疾音。


「貴女の名前を口に出すだけで私は幸せになるの。分かる? 貴女のことを考えただけで私は幸せになるの。分かる? 何故幸せになるかを教えてあげる。貴女が貴女だからよ。学校が一緒とか歳が同じとか、性別とか国籍とか、もっと言うと、見た目とか匂いとか体温とか、そーいうのは関係ない……じゃなくて! あー……正直に言うわ。そーいうのもひっくるめて全てが貴女を構成しているの。貴女を構成する全てが大切なの。だから貴女が……貴女が……貴女が……す……き……って、えーい、私まどろっこしい!」


 栞は疾音の両手を握って真っ赤になりながら凶悪なほどに完璧な微笑みを浮かべた。


「疾音、私は貴女が大好きなの! 疾音、これは宣言、誓い、いえ、告白よ!」


 疾音の瞳に溜まった涙がヘッドライトに反射してキラキラと光っている。自分の好きな人の美しさを再認識する栞。言葉を失い見惚れながら疾音の返答を待つ。


「栞……」

「何っ!」


 栞は真っ赤になって強めの口調で照れ隠し中。


 しかし……その瞬間、疾音は栞の手を振り払った。

 決して握り返してくれない。

 全力の告白も疾音の心を動かすことはなかった。


『拒絶』


 それは真の絶望。今度は栞の瞳に涙が溜まり始める。

 疾音はそれを確認すると悪戯っぽく笑いながら「今のはさっきの仕返しよ」と呟いた。大泣き準備中の栞の腰に手を回し身体を抱き締めた。

 硬直する栞。


 あぁ、疾音の息遣いを感じる。

 疾音の暖かな体温を感じる。


 これは困った。想定していなかった。

 突然抱きしめられて両手の置き場に困る栞。嬉しさが身体を突き動かす。思わず両手を疾音の首に回してしまい更に密着してしまう。


 失敗! いや、成功! きゃー、幸せっ!


 少しでも栞が逃げる素振りをしたら直ぐに離れるつもりだった。多分、何処かに逃げてしまうんだろうと思っていた。

 違った。逆だった。腕を絡めてくれた。

 嬉しくて更に腕に力を込める。

 栞の身体はぐいっと力強く疾音に密着した。


 あぁ、栞の身体の震えを感じる。

 栞の早鐘のような心地良い鼓動すら感じる。


 互いに想う。


 初めて、やっと、遂に――

――二人の距離がゼロになった


「触れ合うことは素敵ね。疾音、癖になりそうよ!」

「言葉は強いわね。栞、絶対に忘れられないわ!」


 抱き合ったまま恥ずかしそうに、幸せそうに見つめ合う二人のシルエットはヘッドライトに幾度も照らされていた。


End

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大切なコトは、大抵壊れないし、強いし、忘れられない けーくら @kkura

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