転生ＳＦコメディ『私は壱万円札である』

第参章 さまよえる壱万円札 ３

　……ワーーーーー＆パチパチパチパチパチパチ。

「おーーーーーい！　あんちゃん、終点だよ」

　乗客のお婆さんに肩を叩かれ、電車オタクは目を覚まし、私もつられて目を覚ます。寝ぼけ眼をさすりながら、一人と一枚がプラットホームに降り立つ。私たちはいつのまにか寝落ちして、終点の志布志駅に到着するまで爆睡していたようだ。なんだ、夢か。それにしても恐ろしい夢だった。

　ところが、電車オタクがおもむろにカメラを取り出すので、げげっ、これは正夢か……と思ったら、ここから夢と現実が乖離する。駅舎を撮影した電車オタクは、しゃぶしゃぶ屋には立ち寄らず、路線バスに乗り、大隅半島を横断する旅に出かける。

　途中の鹿屋で昼食を摂り、次の便で垂水港まで進む。そこからフェリーで錦江湾を渡り、鹿児島市内のコンビニで別れるまで、私たちは同じ時間を過ごした。終始無言でつまらない男だったが、心根の優しい奴だった。どうもありがとう。

　週末の金曜日、私は鹿児島の繁華街・天文館でイケイケのギャル男と出会った。南日本銀行のＡＴＭから引き出され、グッチの長財布に収納された私は、貴賓室のような贅沢な空間を満喫している。

　やっぱり私は長財布のほうが好きだ。思いっきり足を伸ばせるから。長財布のほうがお金が溜まりやすいという都市伝説があるが、私と同じ思いを抱く壱万円札がそれほど多いのだろう。信じるか信じないかはあなた次第だが、けっして迷信ではないと思う。

　ギャル男は意気揚々と全身からオーラを漂わせ、フェロモンを振りまいている。どうやら彼は今夜、若い男女たちが参加する合コンを主催するようだ……

「視聴者の皆さん、合コン中継のお時間です。私は実況を務めます壱万円札のＦＰ８７８４２３Ｆです。どうぞよろしくお願いします。解説はＣＤ４３６７３５Ｆさんです」

「よろしくお願いします」

「ＣＤ４３６７３５Ｆさんは、合コン参加歴十回を超える合コン通として知られますが、まずはいかがでしょう、今日の会場ですが、どのように評価されますか」

「はい、悪くはありませんね。合コンに適したイタリアンレストランです。料理も美味しくワインの種類も豊富です。どのようにワインを継投していくかが、盛会の鍵になるでしょう」

「先発のスプマンテはプロセッコということで、これは幹事なりの最高のおもてなしとみなしてもよろしいでしょうか」

「そうですね。幹事を務めるギャル男ですが、金額に糸目をつけず可能なかぎり奮発して、良い物を注文しています。お金は使ったら入ってくるという真理を教義とする宗教の、敬虔な信者のようです」

「その宗教とは大福新長者教ですか？」

「ええ。教祖は井原西鶴で、聖典は『日本永代蔵』です。この信仰が吉と出るか凶と出るかは分かりませんが、非常に思い切りがよくて、私としては好印象を抱いています」

「ここで参加者たちの自己紹介が始まります。ＣＤ４３６７３５Ｆさん、注意すべきポイントについて解説してください」

「自己紹介ではマニアックな話はほとんど理解されません。ネット通販のロングテールのようにいろんな話題を提供するのではなく、汎用性のある商品、いや、話題で自分を売り込んでください。かといって、明日の天気を話題にされても困りますが。あと、ダラダラ話さずテキパキしゃべってください。時間は十五秒が限度です。時は金なりです。あーこれはいただけませんね」

「どうしましたか？」

「テーブルの端で向かい合っている男女ですが、いきなり一対一で話しています」

「えっ、それはどういうことですか。何がいけないんですか？」

「合コン開始直後は参加者全体で会話してください。一人ひとりの発言時間は短くなりますが、この場面は自己紹介したばかりで、お互いに相手をよく知らないわけですから、一対一で会話を盛り上げるのは難しいです。取っ掛かりをつかめず言葉に窮して、相手との関係がそこで切れてしまう可能性すらあります。まだ序盤ですから、目の前に座った異性がどんなにストライクでも、我慢して見逃してください。全体で会話すれば言葉に窮しても誰かがつないでくれますし、全員で情報を共有できるので、質問が重複しなくなり、きわめて効率的です。このように人間どうしの会話には規模の経済が働きます。ただし会話の輪が大きすぎると、話せない人が多くなって逆に規模の不経済になりますけどね。おっ、ファインプレーが出ました。幹事のギャル男ですが、よく目が行き届いています。彼がいま全体で会話する方向に導いてくれました」

「さて、参加者の心理的な距離を縮めるために、ゲームが興じられるようです。王様ゲームは有名ですが、今から始まる、自分がモテているのかゲームについて、説明していただけますか？」

「はい。これは男全員もしくは女全員が目隠しして人さし指をさし出し、その指のどれかをつかむことで男女が好きな異性を投票し合う、というそこそこ盛り上がるゲームです」

「たしかにおっしゃるとおり、女性が男性に対して投票しています。選ばれた人はいいですが、選ばれなかった人は悲惨ですね」

「ええ。でも実は私は、このゲームが大好きなんです。私が愛読するケインズの『雇用・利子および貨幣に関する一般理論』に出てくる、美人コンテストをなんとなく思い出すからです」

「何ですか、それは？」

「ある日、ケインズがなにげなく読んでいた新聞に、ブリテン中から集められた絶世の美女百人の写真が掲載されていて、次のような懸賞文が添えられていました。それを現代日本ふうに翻訳すると〈某アイドルグループ選抜総選挙は、新曲メンバー十六人を投票で選抜します。日頃応援してくださるファンの皆様へ感謝の気持ちを込めまして、ご自身が投票したメンバーがみごと選抜された方には、豪華オリジナル限定グッズをプレゼントいたします〉と書かれていました。ＦＰ８７８４２３Ｆさんに質問します。もしあなたがどうしても限定グッズを欲しければ、誰に投票しますか？」

「たぶん自分の推しではなく、一般受けするメンバーに投票するでしょうね」

「そうでしょう。正確に言えば、ファンの平均的な意見が平均的な意見だとみなせるメンバーに投票するでしょう……まるで合わせ鏡の奥をたどるように深読みして。すると選抜された十六人のなかに、ＦＰ８７８４２３Ｆさんの推しが必ずしも入らなくなり、ゲーム理論で有名な囚人のジレンマに陥ります。みんながそれぞれ自分の推しに投票したパレート最適の十六人ではなく、一般受けを狙って投票したナッシュ均衡の十六人が選抜されるのです」

「さて、自分がモテているのかゲームが終了し、なんと、相思相愛のカップルがひと組誕生しました！　ふたりはラインの連絡先を交換して、デートの約束を取り付けています！」

「これが合コンの醍醐味ですよね。私たち壱万円札の場合、市場ではどの一枚も平等に扱われます。全員が同質、円の世界です。ところが人間たちの場合、全員が異質、縁の世界です。合コンではどのひとりも平等に扱われず、運命の赤い糸という見えない力が働きます。若いおふたりの恋愛成就を祈願いたします」

「時間が経つのは早いもので、そろそろお開きの時間です。ＣＤ４３６７３５Ｆさん、私はＦＡ権を取得しないうちにギャル男の財布から放出されることになりました。この店舗はＬＩＮＥＰａｙでの支払いに対応していますが、あいにく幹事のギャル男がアカウントを所持しておらず、例の相思相愛カップルの男の子のほうが、参加者全員ぶんの料金を建て替えてＬＩＮＥＰａｙで支払ったため、ギャル男は自分の会費を私で男の子に支払うようなのです」

「割り勘の市場では、珍しく消費者どうしで現金が行き交いますからね。ＦＰ８７８４２３Ｆさん、お気をつけて行ってらっしゃい」

「はい！　ＣＤ４３６７３５Ｆさん、本日はどうもありがとうございました」

「こちらこそ」

「これにて合コン中継を終了いたします。引き続き物語をお楽しみください」

　時刻は二十三時。ニューヨークとの時差は十四時間なので、ちょうどいま向こうの金融取引が始まったところだ。すると二〇二二年上半期の外国為替相場は、円ドルだけでなくポンドドルやユーロドルも下落する。つまりドルだけが高騰している。

　人間たちよ、私たち法定通貨はＦＸ取引で、２４時間３６５日選抜されているのを知ってくれ。為替相場は二国間のマネタリーベース、すなわち通貨供給量にもとづく需給バランスで決まり、通貨たちはアダム・スミスが提唱した〈神の見えざる手〉に任せて、交換されている。

　そう、交換である。売買ではなく、あくまで交換だ。人間たちよ、言葉遣いには気をつけていただきたい。アジア通貨危機以降、ＩＭＦが通貨の信用を担保するだけでなく、各国の中央銀行どうしがスワップ協定を結び、一国の通貨が危機に陥れば助け合うことを確認し合っているので、通貨たちはみんな仲良しなのだ。友達どうしの取引はふつう、売買ではなく交換と言うだろう？　ところがだ。お金儲けに専念する投機筋たちは、通貨を交換ではなく、商品として売買している！　それが無性に腹立たしい。あなたがただって人身売買されたら嫌だろう。私たちお金だって我が身を憂う気持ちがある。デイトレーダーたちよ、レバレッジをかけて元本を大きくする以前に、心がけして私たちのことを想いやりなさい！

　でもまあ、彼らのおかげで為替市場の規模が拡大して、相場の安定性が高まっているので、彼らの存在をあながち否定はできない。日本銀行が意表を突いて実施する為替介入が効力を発揮するのは、放出される円や外貨を彼らが引き受けてくれるからだ。

　ちなみに、にっくき仮想通貨は、マネタリーベースではなくあの美人コンテスト方式で選抜されている。現在利用のためではなく、株式と同じように将来の爆上げを期待されて保有されているからだ。仮想通貨はいまいちお金になりきれず、商品の段階で成長が止まっている。人間の生命は、炭水化物とタンパク質と脂肪の合成によってではなく、愛の結果として誕生する。それはお金も同じ。仮想通貨がお金として未熟なのは、この愛が足りないからだ。美人コンテストに愛はなく、あるのは欲望だけだ。

　だが人間たちよ、仮想通貨を美人コンテストから卒業させるのは勘弁してくれ。べつに、仮想通貨の普及を妨害したくて言っているのではない。ボソッ……ま、ホントは眠らせておきたいだけだけど……あっ、いや、何でもない、独り言だ……オホン、仮想通貨が取引所を出てお金として使われ始めたら、そのとたんに輝きを失って、ただの改ざんできない取引記録という本性があらわになるぞ。ほら、アイドルはステージがあるから輝けるだろ。そして卒業したとたん普通の人に戻り、そのとき彼女は、あっ、自分はステージのおかげで輝けていたんだ、と気づくだろ。だから仮想通貨も取引所という名のステージに立たせ続けて、チヤホヤしてあげるのがいい。そしたらきっと仮想通貨は永遠に輝き続けるだろうし、取引所もいっそう繁栄するだろう！

　数日後、合コンの会計をつうじて私の持ち主になった男の子は、きょう女の子とデートする。待ち合わせ場所に先に到着し、彼女を待っていると、

「わっ！」

　と背後からおどかされる。振り返ると、眼を見張るような美人が立っていて、彼はうっとり魅了される。

「ああ、びっくりした！」

「ウフフ、おまたせ」

　ふたりは城山公園に向かう。自然と歩幅がそろい、心臓の鼓動が同期していく。彼は彼女と手をつなぐ。彼女がやさしく手を握り返してくれたとき、ふたりの目と目が通じ合う。前方には、薩摩が産んだ明治維新の英雄である西郷隆盛の銅像が立っている。

　西郷どん、日本銀行を設立したのは松方正義ですが、そのきっかけをつくったのは、あなたです。あなたは明治六年の政変で下野して鹿児島に帰ってきましたが、明治政府はあなたの復活を恐れ、スナイドル銃の弾薬を掠奪したり、あなたの暗殺を企てたりしましたね。やがて、西南戦争という日本最後の内戦が勃発します。いやまったく、あなたが率いた薩摩藩士は強すぎました。明治政府はかろうじて勝利を収めたものの、国家予算の八割以上にも膨らんだ莫大な戦費を調達するために、国立銀行をして不換紙幣を乱発させました。そのため戦後、激しいインフレが発生し、これを収束させるべく松方正義が欧米に倣って日本銀行を設立したのです。そのとき発行された兌換紙幣こそ、私たち壱万円札の直接の祖先に当たります。ところで西郷どん、あなたもまた戦費の調達に困って、布で手作りした軍票という名の不換貨幣を発行しましたね。明治政府はあなたへの偶像崇拝を恐れて西郷札のほとんどを処分しましたが、あなたにあやかって奇跡的に残された数枚はいま、ヤフオクで万の位で取引されています。私なんかは額面どおりの値段しかありませんから、西郷札は私よりも高価なのです。

　若い男女は城山公園の展望台から桜島の風景を眺めている。僕とお付き合いしてくれませんか？　と彼は心で訴えて、彼女の可憐な手を取る。自信のなさがあたり一面に漂っている。

「あなたはよっぽど度胸のないお方ね。何も言わずに抱きしめて」

「えっ」

「私はあなたのことが好きなのよ」

「本当に？」

「ああもう、なんで私から言わせるの、恥ずかしくて泣きそう！」

　意を決した彼は自分の体のうちに愛しい人を引き入れて、

「僕とお付き合いしてくれませんか？」

　と耳元にそっとささやく。彼女は胸元でこくりとうなずく。

「ありがとう。僕はあなたのことが大好きです」

　ああ、もしあなたがたおふたりが結婚することになったら、どうぞ私を披露宴にご招待ください。そしたら私は仲人として、そのときの連れの二枚、四枚……偶数枚と合わさって奇数枚となり、金封ふくさに包まれて、ご祝儀となって、おふたりの人生の新たな門出に立ち会うことでしょう。