第参章 さまよえる壱万円札 2

 人間たちよ、突然だがあなたがたに質問する。Q.あなたはお金を愛していますか? YESの人は挙手を願おう。


 はい、どうもありがとう。手を下ろしてもらって構わない。ごく少数のひねくれ者以外は、ほとんどの人が手を挙げてくれた。なんだかんだ私は愛されていることが分かってすごくうれしい。


 再び質問。Q.あなたはお金から愛されていますか? 想像にはなるだろうが、愛されている自信がある人は、恥ずかしがらず、挙手を願おう!


 ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、ん? それ、挙げてるの、挙げてないの、どっち? あ、挙げてないのね。まぎらわしい。はい、どうもありがとう。


 お金から愛されている自信がある人は、指を折って数えられる範囲しかいないのかあ。まあ、予想どおりの結果とはいえ、少し残念ではある。


 どうして挙げていないんだろう、という人がいたいっぽうで、申し訳ないがおまえじゃないよ、という人が挙げた六人のなかにいた。そいつが誰かこの場で公表するのはさし控えるが、勘違いもはなはだしい。人間たちよ、お金と人間が両想いになるのは容易ではないことが、よおく分かっただろ。


 ひょっとしてあなたがたは、お金をペットのように扱っていないか? 吾輩は猫ではないし犬でもない。愛されるよりも愛したいではいかんぞ! それが許されるのはKinki Kidsだけだ。お金を愛玩するなかれ、お金が愛する人となれ。



 私はいま、刻々と移ろう車窓の風景を漫然と眺めている。さかのぼること一時間前、別府湾サービスエリアに設置されていたイオン銀行のATMで、私は新聞記者に拾われていた。


 車が宮崎まで進むと、絶景かな、絶景かな、日向灘の美しい海岸線が見えてくる。柔らかな陽ざしが海に照り返され、ホログラムのように輝いている。暖かな黒潮が寒気を連れ出し、すがすがしい空気を注いでいる。前方には青島の鬼の洗濯板が見える。人間たちよ、誰しも宮崎を訪れたら、この美しい景観に見入るはずだ。


 目が不自由な方は日光を浴びて空気を吸ってほしい。あなたがたはいつも、私たち壱万円札の隅にある識別マークの微小な凹凸を触るだけで、紙幣の種類を分別している。それほど繊細な感覚をお持ちだから、このすばらしい気候も感じてくれるはずだ。


 新聞記者の取材先は、宮崎でキャンプする福岡ソフトバンクホークスとのこと。私は思わず連想して、その前身である南海ホークスから南海泡沫事件を想起した。一七二〇年にロンドンで起きた投機ブームによる株価の高騰と暴落である。バブルの語源となった。王立造幣局長官を務めていたアイザック・ニュートンが、二万ポンドを失ったという。ああニュートン、なぜおまえは、万有引力の法則が南海会社株にも作用することを予知できなかったのか!


 それはさておき、私は野球が大好きなので、キャンプを見学するのはすごく楽しみだ。


 しかし、そんな野球好きの私を野球嫌いにさせた事件が数年前に起こった。選手たちの一挙手一投足に対して、私たちお金が賭けられた野球賭博事件である。円陣を組みながら、私たち壱万円札が飛び交ったという。ミスに対する罰ゲームの感覚で、ちょっとくらいいいだろうという世論もあったが、あの事件は私をすごく不快な気分にさせた。やっぱり真剣勝負にはお金を賭けてほしくない。


 たとえ罰金であっても、私は刑法における罰金制度の撤廃を訴えたいくらい、嫌いなのだ。どうして私たちお金の支払いが刑罰となりうるのか、理解できない。お金で罪と罰を取引する人間社会のやり方は、私たちの流儀に反する。お金の別名は愛である。私たちは常に、愛をもって取引されたい。


 人間たちよ、どうしても真剣勝負で賭けたかったら、お金ではなく命を賭けろ。これは冗談ではなくマジで言っている。いやむしろ、真剣勝負で賭けるべきは命でしかない。


 カジノでお金を賭けるのは、それが遊びだから私は許せる。もちろんカジノには、本気でお金を稼ぎに来ているプロの勝負師もいるが、彼らにとってお金はもはやお金ではなく、利益を生み出すための資本にすぎない。つまり道具である。カジノは基本的に、胴元が最も安定的に稼げる仕組みになっており、収益の一部は税金として徴収され、国民を愛するために使われる。だから、遊びでお金を賭けることは、むしろ奨励したいくらいだ。


 しかし真剣勝負には命を賭けろ。私は日本のシャイロックという異名を持つから、命だろうが心臓だろうが、勝ち分を取り立てにいく。覚悟しておきなさい。


 あっ、いや、脅して悪かったな。なにも恐縮する必要はない。実際にスポーツの試合でこのことを実践している若者たちがいますよ、と示したいだけである。


 若者とは全国の高校球児たちのことだ。彼らは青春という名の三年分の命を賭けて、甲子園出場というお金に換えられない栄光をつかむために、常に真剣勝負を挑んでいる。球児たちはみんな命懸けでプレーするから、観客たちはそのプレーに感動して涙を流す。つたないプレーだろうと面白くて応援したくなる。


 ほら、高校球児が命懸けの真剣勝負をできるのに、そのお手本となるべきプロ野球選手が、たとえ罰ゲームでもお金を賭けて内輪で盛り上がっていたらマズいだろ。


 たしかにお金が懸かるからこそ、インセンティブが働いて人間の潜在能力を引き出される、と考える人も世の中にはいる。お金は効験あらたかなものと信じて疑わないのだ。でもなあ……そう考える奴はたいてい勝負に弱い。

 例えば、かつて私の持ち主で、麻雀に負けまくった男がいた。私たち壱万円札を長辺に沿って二つ折りにし、Yシャツの胸ポケットに突っ込んでいたが、万両、万両、と連呼して千円札に融かし、むこうぶちへと追い詰められていた。残る壱万円札はいよいよ私だけとなったところで、持ち主はトイレに発って顔を洗い、


「さあここから逆転して金を取り返すぞ!」


 と無謀にもお金で自分を動機づけていた。


 持ち主は卓に戻り、対局が再開する。配牌が出そろって、他の三人が理牌するあいだ、持ち主だけは自分の配牌をじっくり吟味している。目を凝らして見ても、惚れ惚れとする手牌だ。十三枚中十枚が萬子、しかも一萬と九萬が三枚ずつあり、二萬から八萬の大半がそろった状態である。誰がどう見ても九蓮宝燈を狙うべき勝負所だ。


 いけいけ! という牌の声が聴こえる。もし本当に九蓮宝燈をアガれば、一発逆転のトップだ。


 ようし! 絶対に九蓮宝燈をアガるぞ! そうと決まれば切牌で悩む必要はない。九蓮宝燈は完成形が決まっている。当面は萬子以外の不要な牌を切ればいい。牌の切り順よりも大事なのは、九蓮宝燈を狙っていることがバレないよう、高まる興奮を抑えて澄ました顔を貫くことだ。


 持ち主の手牌は六巡目までにイーシャンテンに進む。


「ポン!」


 持ち主がツモ切りした紅中を、上家が鳴いた。トップの上家は千点で蹴ろうという作戦か?


 急げ、急がねば! 一刻も早くテンパイに持ち込みたい! 焦り始める持ち主が次にツモった牌は五索。嘘だろ、うっそーじゃないよ、欲しいのは五萬だよ。要らないのでツモ切りする。


 一巡して次にツモったのはまたしても索子、こんどは九索だ。くっそー、違うんだよ、欲しいのは萬子なんだ! 再びツモ切りする。


 下家が二索を切る。


「チー!」


 対面が三索と四索をさらして五萬を切った。


 それだ、それなんだよ、欲しいのは! これで三枚目の五萬が見えてしまった。五萬は残り一枚しかない。九蓮宝燈をアガるにはその一枚を是が非でもそろえなければならない。だが鳴いたふたりが着実にアガリに近づいていそうだ。急がないと間に合わない。


 再び持ち主のツモ番がやってくる。彼は指先に全神経を集中させる。ぎゅっと牌をつまんでたぐり寄せる。


 そして見る。ツモった牌はなんと五萬! 来た、見た、勝った! ついに持ち主は九蓮宝燈をテンパイした!


 アガリ牌は三萬。トップから三着までは僅差なので、オーラスのこの場面では誰もがツッパって三萬を切るかもしれない。都合がいいことに、持ち主は早い順目で二枚重なっていた六萬を一枚落としていた。リーチをかけたら、六萬のスジでベタオリの安牌で三萬が出るかもしれない。じゃあ迷わずリーチだ!


 うわっ、いきなり下家が無スジの四萬を強打してきた。惜しい、その隣なんだよ!


 この場面は出るぞ。とにかく冷静さを保つんだ。落ち着け、無心になるんだ。


 しかし、それから持ち主は何度ツモっても三萬をツモらなかった。他の三人も三萬を切らない。


 どうしてだ? 三萬はことごとく牌山に隠れているのか? いよいよ持ち主の最後のツモ番、かつ、ハイテイがやってくる。力みすぎたと思い、彼は深呼吸してから腕を伸ばす。優しく撫でるように牌をツモり、そっと引き寄せる。


 そして勇気を出してめくる。ハイテイ牌は、緑發。残念!


「はあ、ダメかあ……」


 持ち主があきらめて、緑發を川に置いた瞬間、


「「「ロン!」」」


 下家と対面と上家の三人が同時に発声した。


「へっ?」


 急転直下で何が起こったのか理解できない。しばらくして彼は、自分がホウテイロンをくらったことに気づく。


 あっしまった、緑發は生牌か! でもリーチをかけていたからしかたない。


 三人は笑いをこらえながら、


「国士無双!」


「緑一色!」


「大三元!」


 下家の国士無双は十三種類目のヤオチュー牌で緑發待ち、対面の緑一色は雀頭で緑發の単騎待ち、上家の大三元は最後の三元牌で緑發のシャンポン待ち。


 役満のトリプル放銃、ここに決まれり。


 三人は声を合わせる。


「「「せーの、ドッキリ・大・成・功!」」」


 拍手喝采が沸き起こり、三人は両手でハイタッチし合う。


「手牌を見せてよ。あれっ、九蓮宝燈をテンパイしてたの? うわあ、びっくり。三萬待ちかー。どこにあるんだ? どれどれ山をめくってみよう」「惜しかったねえ、四枚とも山にあったよ。クックックッ」「さっきおまえがトイレに行ったとき、イカサマを仕組んでおいたのさ。役満をテンパイして役満を振り込むなんて爆笑だろ」「安心しな。トリロンは流局だから、おまえが失う点数は〇点だ。命拾いしたなあ」「さあ、オーラスをやり直そう。ん? あれっ、どうした? おい!」「「「おーーーい!」」」


 持ち主は真っ白に燃え尽きて放心状態、体を揺すられても微動だにしなかった。


 人間たちよ、私はここに、お金のインセンティブにおける副作用の弊害を示した。お金を賭けるのはハイリスクローリターンである。裏目に出れば最悪の場合、この持ち主のように賭けてもない命まで持っていかれる羽目になる。遊びで賭け麻雀していた三人とは違い、ガチンコの真剣勝負を挑み、一攫千金のチャンスに心を躍らせた持ち主。しかし現実は、いたずらに心を弄ばれただけ。夢はもろくも崩れ去り、亡骸だけが残された。


 その後、故人が失った壱万円札たちは、故人の葬式で香典として帰ってきた。死をもって負け分を取り返すとはなんとも皮肉で、私たち壱万円札はいたたまれない気持ちになった。


 おっと、調子に乗って喋り過ぎてしまった。そのせいか私は神様から天誅をくらう。東九州自動車道を宮崎西インターで降りた新聞記者が、キャンプ地の手前のコンビニで、私をお弁当と交換したのである!


 キャンプ取材がスルスルスルとこぼれ落ちる。無念。たかが壱万円札ごときの分際で、賭け事の是非を議論することはまだしも、刑法にまでとやかく踏み込んで発言したことが、神様の逆鱗に触れたようだ。ヴェニス本家のシャイロックのみならず、日本のシャイロックの企みもまた、法律によってポーシャる。


 ここは潔く、なすがままに謹慎して、地域経済に貢献しよう。そこで私は、宮崎銀行橘通支店や宮崎太陽銀行アートシティ支店と、ニシタチとのあいだを地道に往復する毎日を始める。ニシタチの夜が明けると、銀行の夜間金庫に投下される、そんな日々だ。


 約二週間が経過する。私はついに禊を済ませて神様に許される。キャンプこそ見学できなかったが、リゾートバイトの気分で滅私奉公できたのは、かえって良い結果に転んだのではないか。宮崎でとても充実した日々を送れて私は幸せ者だ。終わりよければすべてよし。


 名残惜しくも宮崎を離れる私は、JR宮崎駅でネルシャツ・メガネ・リュックサックを身につけた電車オタクと出会い、一緒に日南線列車に乗り込む。


 志布志行き各駅停車にガタンゴトンと揺られていると、私は次第に眠気に誘われて、不覚にも寝落ちしてしまう。ウトウト、コックリ。


 目を覚ましたとき、列車は途中の串間駅を出発したばかりだった。志布志湾の海岸線が車窓から見える。岸壁にしぶとく棲息するフナムシに、波が打ちつけて、水しぶきが舞っている。


 列車は終点の志布志駅に到着する。持ち主は鹿児島県志布志市志布志町志布志に位置する駅舎で記念撮影を済ませて、近くのしゃぶしゃぶ屋に入る。黒豚のロース肉に舌鼓をうち、そこで私は食事代としてしぶしぶ支払われ、翌朝には鹿児島銀行志布志支部(ママ)に回収される。


 穀物輸入の拠点として世界の港湾と就航する志布志港は、関西に通じる旅客輸送の拠点でもある。


 私はフェリーさんふらわあ号に乗って、神戸か大阪に行けるかもしれない、そしてあわよくば、そこから陸路で東京に帰れるかもしれないと期待したが、その願いは叶わなかった。


 貨物船が志布志港に停泊するあいだに、乗組員が上陸し、私をATMから引き出して道連れにしたのだ。貨物船の次なる寄港先は、奄美大島の名瀬港、その次は沖縄の那覇港、そこで折り返して東京への帰路に就くという。


 東京への帰還を願えば願うほど、東京から遠のくことに気づいてからは、私は東京の〈東〉の字も頭に浮かばせないよう、自分を戒めて雑念を振り払っている。復路で東京に帰れるとか、もう思わない。心頭滅却すれば地方暮らしもまた楽し。


 そうだ、座禅して平家物語を唱えよう。無の境地にたどり着き、集中できるかもしれない。


 では始める。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛きものも終には滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ……。


 えーっと、琵琶法師の調べは、この後なんだっけ? えーっと、えーっと。えっと、えっと。えと、えど。江戸、江戸。東京。


 喝!


 イテテテテ……。神様からありがたい警策をいただいた。私は痛みをこらえながら、神様に丁寧にお辞儀して感謝の意を伝える。


「神様、喜ばしいことに私めに名瀬で船を降りろと仰せになるのですね、お言葉に従います。神様はいつも私の向かうべき場所をお与えくださいます。私は奄美大島に着いたら、奄美空港から東京に帰れるかもしれないなんて、一考だにいたしません」「はい、本当です」「えっ、本当に本当ですよ」「本当に本当に本当ですって」「信じてください」「本当に……」


 喝!


 イテテテテ……。再び警策をいただいた。やはり神様は私の邪心を見透かしておられる。


 私はますます東京から離されることになった。名瀬からさらに遠くに行くよう命じられたのだ。


 私は名瀬港で船から降ろされると、郵便局に連行され、現金書留の専用封筒に閉じ込められた。三重に厳封されてはもう逃げられない。


 現金書留の宛先は薩摩国鬼界ヶ島、俊寛僧都。名瀬港から渡し船に乗せられて鬼界ヶ島に上陸した私は、奄美大島に引き返す船を目がけ、その影が見えなくなるまで叫び続ける。


「おーーーい」


 待ってました! 拍手。パチパチパチパチパチパチ。


「おーーーーーーい」


 福澤屋! 拍手。パチパチパチパチパチパチ。


「おーーーーーーーーーーい」


 二代目! 拍手。パチパチパチパチパチパチ。


 拍子木。チョンチョン、チョン!


「おおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉいぃぃぃ」


 歓声と拍手。ワーーーーー&パチパチパチパチパチパチ……。


 幕。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る